1995/6 五月会だより No.77 ホーム主張目次たより目次前へ次へ

国民一人ひとりの1票で村山内閣に「不信任」を!

国民の不安と不信をよそに、「政権維持」のみに窮々とする自・社・さ連立。一方で新進党も、不戦決議、内閣不信任案などで与党との対決姿勢を鮮明にしながらも、国民の信頼を勝ちえるには至っていない。
そして迎える参議院選挙。新進党、そして江田五月は何をめざすか…。

今だからこそ、「政治」は理念を語り、ビジョンを示すべき

ちょうど1年前の今ごろ、羽田さんが総辞職を表明して、「次」の政権の枠組みが模索されていました。さまざまなことはありましたが、「自民党政権には戻って欲しくない」というのが、まずまず国民の総意でした。大半のマスコミも「自・社連立なら数の上では過半数を越えるが、それはあり得ない話」という論調でした。ところが、その「まさか」が現実になってしまい、しかも1年間も政権の座にいます。

現状維持が宿命の自・社政権「介護休業法案」も大きく後退

江田 正反対の価値観を持つ政党がとにもかくにもくっついて政権の座にいる理由は何かといえば、それは「政権の座にいたいから」なんですよね、まるで禅問答みたいですが(笑い)。

自・社両党は価値観は180度違っているけれども、拠って立つ共通の基盤が、実はある。それは何かというと、「現状を変えたくない」という意志です。自・社55年体制下で、両党は表面上は厳しく対立しながら上手に「棲み分け」していた。この「持ちつ持たれつ」の関係を崩したくない。従って、対立しそうな問題は先送りする。意見・利害が一致することにだけ手をつける。これまで続けてきたことしかしない。

たとえば冷戦が終わった今、日本が世界平和のためにどんな役割を果たすべきか、なんて議論は先送りして、とにかく上手に世渡りをする。でも「世渡り上手、金儲け上手」で世界の信頼を得られるわけがないんで、いくら「円高で大変です」と言ってもどこの国も同情してくれない。

国内に目を転じてみると、大震災やサリン事件への対応のまずさは言わずもがな、そもそもこれから先、社会をどう変えていくのか、なんて視点は村山政権に望むべくもない。これまでの生産第一、経済優先、効率重視の社会システムではダメなんで、心の豊かさを実感できるいわゆる「生活社会」を実現しなければならない。口先だけでなく、具体的にどうやって生活社会を実現するんですかと聞くと、現政権は答えに窮してしまう。だってそうでしょう、そんなことしたら「現状維持」できなくなってしまう。

さまざまな事件の陰でかすんでしまった感がありますが、この国会での主要議案の一つに「介護休業法案」がありました。政府与党案に対して新進党も対案を出しましたが、結局与党案が賛成多数で可決成立してしまいましたね。これなども、新進党案の方が、はるかに実態に即し生活者の立場に立ったものだったように思いますが…。

江田 そうなんですよ。ごく大ざっぱに言えば、与党案は「介護のための休業は認めましょう。しかしその間の所得保証はできませんよ」というもの。新進党案は所得保証を盛り込み、施行日も早い。しかも介護のための休業日数が長い、「連合」の皆さんがまとめた案に近いものです。

社会党は「働く人の側に立つ政党」のはずでしょう。「我々は新進党案の方に拍手をおくっていた。(新進党案に)自民党が反対するのは分かるが、社会党に潰されるとはねぇ」と連合の皆さんが嘆いてました。

誠意を持って国民に語りかけ、国民と共に歩む新進党を創る

それにしても、海外の新聞に「ミイラ内閣」とまで酷評される村山内閣が国民の信頼を完全に失っているのに、「新進党がんばれ」の声が沸き上がってこないのは残念です。

江田 確かに反省すべきところです。それはいろんな背景を持ったいろんな勢力の人々が集まっているわけだから、いろいろある。言いたいことは山ほどあるし、僕だっていろいろ言われているかも知れない。

でもね、新進党に集まった人たちに共通しているのは「後戻りはしない。後戻りできない」ということなんです。結党した時の「改革を実現するんだ」「国民参加型の新しい政党を創っていくんだ」という熱意と初心を忘れずにがんばっていかなければ、と思います。

僕は「広報企画委員長」ということで、新進党のイメージ作りにも責任を負う立場にある。今言ったような思いを込めて「新進党にしっかりしてもらわなきゃこまる。……ハイ」というポスターを制作したんですが…。

あのポスターは、なかなか評判いいですよ。政党のポスターというと、どうも「我が党が一番」という宣伝臭が鼻につくもんですが、あれはいいです。素直で(笑い)。しかしポスターはさておき、どうも江田さんが言われたような新進党の「熱い想い」みたいなものが国民に伝わらず、政治不信が広がっているという感じがしますが…。
 どうですか、そのあたり。広報企画委員長にとっては耳の痛い話かも知れませんが、新進党のイメージをプラスに転じていくような動き、国民への働きかけが不足しているのではありませんか。

江田 本当に耳の痛い話です。でもこれからだんだんと目に見えた動きが出てきますよ。何しろ新進党は貧乏政党で、大金を使ったPRなんてとてもできないし、また僕白身、そんなPRより、むしろ愚直に誠実に国民の皆さんに直接語りかけ、政策を訴えるべきだと思ってます。

そこで全国縦断街頭キャンペーンを企画したんですが、これがなかなか好評でね。皮切りは札幌の大通り公園で、弁士は僕と海部さんと小沢(一郎)さん。動員かけたわけでもないのにどんどん人が集まって、最終的には1万人くらいの人が聞いて下さったんじゃないかな。それと議員全員、50回の街頭演説をしなさい、と檄を飛ばしました。

反省と謝罪をうやむやにした不戦決議は、歴史に汚点を残す

さて、話を戻しますが、この大激動の時代、しかも大震災、警察庁長官狙撃、サリン事件と政治のリーダーシップが求められる事件が続く時に、その構造からして「何もしない、できない」自・社政権が権力を握っているというのは大きな不幸だと言えます。
 それともう一つ、本音はともかく建て前として絶対に連立を組むべきではない自民党と社会党が手を握ったことで、国民の政治不信がいやがうえにも高まった、この点でも自・社政権の「罪」は重いという気がしますが。

江田 先日、「新進」という新進党の機関紙に書いたことなんですが、「現在化」という言葉がある。未来の可能性をすべて現在の価値に引き直して評価することなんだそうです。 そうすると、「可能性」や「未来」なんてものは、すへて色あせてしまう。「夢」とか「理想」とか言うと冷笑されるような雰囲気が、社会を支配している。

でもね、政治は夢と現実をつなぐ営みなんですよ。この世紀末的な現状を乗り越えて、人間一人ひとりの可能性を最大限に引き出せる社会を創る。それがどんなに困難であっても、やっていかなきゃ。

まずは現状を乗り越えることです。僕は今、国民と政府が新しい「社会契約」を結ぶべき時が来ているとおもうんです。明治時代は、国民の意見表明の権利が大幅に制限されてはいたけれども、「富国強兵で、欧米列強に追い付け追い越せ」というのが、まあ言ってみれば国家と国民との間で交された暗黙の「契約」だった。戦後は、経済大国をめざすことがまずまず国民の総意だった。

しかし今、経済大国という目的は一応達成されたわけで、これから21世紀に向け、日本はどう進むのかということを真剣に議論し、「国家目標」というと多少抵抗があるけれども、日本の進路を示して、国民のコンセンサスを得るべきだ、ということです。

じゃあ新たな「契約」はどんなものかというと、僕は、「安心して募らせる社会」、つまり生活の安心、社会の安全を保障すること。そしてお互いがお互いを尊重し合える社会、たとえば男女共生、ノーマライゼーションなどの実現と人権の尊重。

それとこれがわりと重要で、しかも意見の分かれるところなんでけど、「自分のことは自分で決める。基本的に自分で決めたことには責任を負う」、つまり自助自立を原則とし、さらにそれと表裏一体をなす「社会的弱者への配慮」がきちんとなされる社会の実現。こういったところが基本になるんじゃないかな。

しかし新進党の内部でもこの「社会契約」に異を唱える人がいるのではないですか?

江田 そうですね。むしろだからこそ、僕自身もふくめ志を同じくする仲間が新進党をそうした方向に引っぱっていく努力をしなきゃならんと思ってます。

衆議院で「戦後50年決議」が、ほとんど暴挙とも言える形で可決されましたよね。これに対して「新進党は、自分たち自身まとまりきれない綺麗ごとの決議を出してきた」と批判する声があります。

確かに新進党の中にも僕たちとは相容れない歴史観を持つ人たちが若干いる。でも総体として見た場合、自民党を支配する歴史認識と新進党のそれとは明らかに違う。執行部は自信を持ってます。ああいう形で歴史の節目の大切な決議がまるで価値のない、いやむしろアジアの皆さんの不信を増幅する結果を招いたことは非常に残念です。

社会大敗、自民勝利ではダメ 新進党勝利こそ変革の第一歩

さて最後になりますが、村山内閣不信任決議案が否決され、国会の中では村山政権は信任されたわけです。しかし国民の総意は全く違う。この状況下で参議院選挙を迎えるわけですが、この選挙、新進党にとっても正念場ですね。

江田 村山内閣支持が多数を占める国会が、国民の気持ちと合致しているとは思えない。そこで国民の投票で、村山内閣を不信任してもらうというのが、今度の参議院選挙です。

今回の参院選は、6年前、反消費税とマドンナ旋風で社会党が大勝した、その時の議員が改選されるわけですし、今の状況を見れば社会党が苦戦するのは当然として、その分自民党が勝ったのでは意味がない。自・社・さきがけを合わせたものが、現有議席を上回ったら我々の負けだと思っています。苦しい状況ですが、比例区は「新進党」と党名を書いてもらわなければならないい 何としても勝たせていただきたい。

とにもかくにも新進党にがんばってもらわないと、この停滞した政治状況は変化しないわけです。ここはひとつ、江田さんのふんばりに期待します。


江田五月の選挙区は岡山2区に
お知り合い、ご親戚を是非ご紹介ください

江田五月は衆議院小選挙区・岡山2区から出馬することが決まりましたこのうち玉野市、児島郡灘崎町は江田五月にとって初めて選挙区となる地域です。是非ともお知り合い、ご親戚をご紹介ください。五月会だより、集会の御案内などを送らせていただきます

岡山第2選挙区】岡山市の旭川以東と小串・甲浦地区、邑久郡(牛窓町・邑久町・長船町)、玉野市、児島郡灘崎町


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