1995/4 五月会だより No.76 ホーム主張目次たより目次前へ次へ

市民が主役の復興、市民社会の再創造を!

2月12日13日の2日間、江田議員は阪神大震災の被災地を訪れた。めざましい活躍を見せたNGO・ボランティア組織の人たちとじっくりと語り合い、市民の側に立った真の復興に思いを馳せた。

江田議員、2日間にわたり阪神大震災被災地を駆け巡る

○どうもご苦労様でした。震災から3週間以上も経過して被災地に行かれたというのは、少し遅すぎたんじゃないかな、という気がしますが。

江田 すぐにも飛んで行きたい、というのが正直な気持ちだったんですがね。ただ、冷静に考えてみると、「取るものも取り合えず」も確かに大切だし貴いことだけど、逆に行くことが迷惑になるということも、あるんですよね。それと「何のために行くか」も重要で、ただ漫然と被災地を訪れて「頑張って下さい」じゃ、ダメだぞという思い、国会議員然としたお供を引き連れた視察だけはしたくないものとの思いもありました。

見せかけではなく本当のお手伝いを

○村山総理、海部新進党党首をはじめ、沢山の国会議員が被災地を訪れたわけですが、中には神戸市や兵庫県の職員の皆さんの仕事を増やしただけの視察、と批判されても仕方のないケースもあったようですね。

江田 皆さんそれぞれの思いで行動されたわけだから、それをとやかく言うことはできませんが、僕は僕で、東京にいても何かお役に立ちたいということで、精いっぱい努力はしてきたつもりです。

○たとえば?

江田 ほら、アメリカの救助犬が検疫で引っかかって救助に参加できないという事件があったでしょう。それと似たケースとでも言うのかな。

イギリスのNGOの国際救助隊が神戸に着いたのに、行方不明の人がいそうな場所を神戸市が教えてくれない、何とかしてほしい、と神戸のNGOの人からSOSが入りました。そこで国土庁の防災局から兵庫県を通してかけあって、緊迫したやリとりもあったのですが、結果としては、翌日から救助活動ができるようになリました。

○そしていよいよ阪神大震災の被災地へ、ということですが…。

ボランティア支援 早急に検討すべき

江田 最大の目的は、救援活動で大きな力を発揮したNGO・ボランティア組織の人たちとじっくりと語り合うことでした。その中からボランティア活動に対し、政治の側からの有効な支援が出来ないものか考えていきたい、と。

○具体的にはどんな方々と会われたんですか?

江田 「連合」の皆さんが中心となって行っている救援物資の集配基地、ピースボート、岡山に本部のあるAMDA(アジア医師連絡会議)、イスラム教の方々による「アハマディア・ムスリム・ボランティア」、長田区の鷹取カトリック教会、新進党現地対策本部…。

なるほど、ボランティアの皆さんが果たした役割は、どんなに高く評価しても足りないと実感しました。行動力にも脱帽、という感じですね。たとえばピースボート。救援物資を持ってくるだけじゃなく、輪転機を積んだトラックを東京から乗りつけて、被災者向けの日刊情報誌を発行してる。モタツキぶりが批判された政府の対応とは大違いでね(笑い)。 しかし問題点もずいぶんある。救援活動が長期化する中で、肉体的、精神的、財政的に限界に達しているボランティアも多い。『自発・自立』がボランティアの基本であることは言うまでもないけれど、これだけ大きな働きをしてくれているボランティア組織に対して、政治もできる限りのお手伝いをすべきではないかと思いましたね。

○たとえばボランティア組織に対して、国なり神戸市なりが活動資金を援助するといったことはできないんですか?

江田 これが難しいんですよ…。憲法89条には「公金その他の公の財産は、(中略)公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」とある。全国から寄せられた義援金は、当然ながらは被災者に届けられても、ボランティアの支援には振り向けられない。

しかし、だからといって手をこまねいていることはできないんで、緊急時にボランティアの皆さんに力いっぱい活躍していただけるよう、知恵の絞り方はあると思ってます。 

「弱者切り捨て」の復旧は許されない

○ところで今回の震災では、一面焼ケ原になった神戸市長田区の様子がたびたびテレビで報道されていましたが、他の地域の被害状況はどうだったんですか。

江田 これがまた地元の方々に言わせると「困ったこと」で、長田区が大変だということで、ボランティアが長田区に集中してしまったそうです。たとえば灘区や東灘区では、火事こそ起こらなかったけれど、建物の倒壊は、そりゃあ激しいもんです。それと芦屋市などは、人口に対する死者の割合が最も高いのに、マスコミに取り上げられる回数が少ないものだから注目されない、なんてこともあリます。

もっとも僕は、また別の意味で長田区の復興に関しては特に注目していこうと思ってるんです。というのはね、こういう大災害があると、社会的に弱い立場の人が一番にしわよせを受ける。長田区にはケミカルシューズを中心としたいわゆる零細企業が集中していて、この方々はただ家を失っただけでなく、生産設備(=生きていくすべ)をも失ったわけです。一日も早く生産を再開できるよう、特別融資、仮設工場団地も含めて政府に要請して行くつもりです。

さらに長田区には在日外国人の方々がたくさんおられます。国籍が違うからと言う理由で在日の皆さんが不利益を被ることのないように目を光らせていかなければなりません。オーバーステイの人は、違法滞在となっているわけですが、被災は合法・違法と関係ない。救援に差別があってはいけないと思います。

○借家住まいの方が、「家がなくなったんだから立ち退いてほしい」と大家さんに言われるといったケースもあるようですね。

江田 個々のケースについては、それぞれ借地法や借家法の関係があるから一概には言えませんけどね。だけど今後復興計画が具体化してくると、「災害に強い街を作る。道路を広げ、公園を作る。立ち退きなさい」という声が行政の側からあがってくるかも知れない。もちろん復興は急がなきゃならんし、私権の制限も出てくるけれども、まずそこに住む人の暮らしを第一に考えるという姿勢がないと、住民の心からの協力も得られないんじゃないでしょうか。

○実はずっと疑問に思っていたことがあるんです。ちょうどいい機会だから江田さんにお訪ねしますが、これだけ大きな災害が起きたのに、なぜ大パニックにならなかったんでしょう。大暴動や略奪が起きても全然不思議じゃないと思うんですが…。

江田 うーん。「これこれこうだから」とスパッと答えにくいんですが。一つには「特に神戸では市民社会の成熟の度合が高かった」からだと思いますね。市民が自分たちの住む町に誇りを持ち、自分たちの手で町を作り育てていくんだ、という意識をきちんと持っている「同じ町に作む人同士の連帯感があったということです。

神戸というのは、日本の生協運動発祥の地なんですよ。神戸市灘区に本部を置く「コープこうべ」は会員数110万人という、全国最大の生協組織です。飛躍を恐れずに言えば、これだけ生協が生活に根づいていることが、市民社会の成熟の証明になると思うんですがね。

実は日本生協連の会長理事である竹本成徳さんに、神戸でお会いしてね。 いろいろとお話をうかがう中で、今言ったようなことを考えたんですが…。

○竹本さんと言えば、新進党の結党大会で祝辞を下さった方ですね。「生活者の政党をめざすのなら、生活者の最大組織である生協連に参加していただくべきだ」ということで、江田さんの強い意向で結党大会においでいただいた…。

江田 そうそう。あの竹本さん。「コープこうべ」の理事長さんなんですよ。今回、本部ビルが全壊してしまったということで、何はともあれお見舞いをと思ってお訪ねしたんですが、妙な話だけど、こっちが逆に勇気づけられちゃって。

○といいますと?

江田 竹本さんが、こういう主旨のことをおっしゃいましてね。「私は、改めて神戸市民であることを誇りに思う。神戸は日本全国になりかわり、戦後50年間、ひたすら成長と効率を追い求めてきたことの審判を受けたように思う。もし神戸に『市民社会』というものが根付いていなかったら、恐らく想像を絶するパニックが起き、街は恐怖で塗りつぶされただろう。しかし神戸は生きている。市民の中からこの町を、そして市民の生活を再生しようという活力が湧き起こっている。全国から寄せられた温かい支援には心から感謝する。今度は逆に、これが新しい市民社会のあり方だ、市民による町づくりだというものを、神戸から日本中に発信していきたい」と。

このお話を聞いてなるほど、と思いましたね。今回の震災の復興を考える時、まず何よりも「市民による、市民のための復興」でなくてはならないし、「行政主導の、単なる「都市の再建」ではなく、「市民生活の再建」「市民社会の発展的再生」でなければならないと痛感しました。

政治は、この市民の自立に甘えてはいけない。いつまでも言葉をもてあそぶだけで真剣な取り組みがないと、市民だって「もう政治はいらない」となりますよね。心すべきことです。


市民の“気力”を信じつつ  若井たつ子

解放同盟さんが第2次炊き出し部隊を出すと聞き、無理をお願いして男性20名の中に入れてもらい参加した。

2月10日夜、岡山を出発して1,500人が避難している兵庫県立工業高校へ。翌朝7時に活動開始。100キロはある五エ門風呂釜を2つ使い、昼は肉うどん、夕食は豚汁を作った。

校舎は傾いており、サッカーゴールは倒れたまま。グラウンドのあちこちが盛り上がり、地震のものすごさが伺われる。食べに来る子供たちの顔の傷あとが痛々しい。

夕食までの間、時間があったので、ひとり町を歩いてみた。瓦礫の山を目のあたりにして、慄然とする。こみあげる感情を抑え切れない。

自然の大きな力の前では、人間は何と無力なのかと思う。しかし人間は、無力だが無気力ではない。気力がある限り、自分たちの力で本当に住みやすい、安心できる街を作っていけるのだと信じ、神戸を後にした。

帰り際、避難所に暮らすおばさんが「ありがとう」と言って手渡してくださったリンゴは甘く最高にいい味がした。


パニック防止に大きく貢献したコープと神戸市の緊急物資協定

「緊急時における生活物資確保の為の協定」は昭和56年、灘神戸生協(当時)と神戸市との間に締結されたもの(その後、尼崎市とも同様の協定を締結)。

これはオイルショックの反省から緊急時、売り惜しみ・便乗値上げなどによって消費者が不利益を被らないよう、また、物資の不足によりパニックが起こらないよう、生活必需品をコープこうべが神戸市に供給することを目的としている。

概要は、(1)緊急時、生協が神戸市に対して優先的に生活必需品を有償で提供する。(2)これを可能にするため、生協は仕入れ先(問屋)と常に連絡を取り合い、生活必需品に指定された品目が緊急時、必要量、迅速に入手できる態勢を整えている。(3)「生活必需品」の品目については毎年見直し作業を行い、ライフスタイルや社会情勢の変化に応じて差し替える−などである。

今回、この協定が実行されたことにより、他府県や兵庫県内の近隣市町から物資が届くまでの4日間、神戸市は生活必需品の配給を行うことができ、物不足によるパニックや便乗値上げを防ぐことができた。

神戸市がこうした協定を、大手流通業者とではなくコープこうべと緒結したのは、(1)日頃から「共同購入」等を通じ、地域を網羅した配送ノウハウを構築している生協だからこそ、緊急時に機敏な対応が可能。(2)コープこうべは組合員110万人を擁する日本最大の生協組織であり、神戸市を中心に兵庫県一円に拠点を持ち、こうした協定を実際に実行できる実力があった。(3)コープこうべに対する組合員の信頼の高さがあった。コープが神戸市と協定を結んでいるという安心感は見のがせない。事実コープこうべが店舗営業を再開した時、「コープなら売り惜しみも、品切れも、便乗値上げもないから安心」と、買い貯めする人が皆無だったという(2月6日付・東京新聞)。

協定の有効性を知った全国の自治体が、同様の協定を締結する動きを見せている。既に神奈川県は地元生協と協定を締結した。このほか、岐阜、千葉などでも締結の動きがある。


変革を怠ったツケが、今  佐田俊彦

大震災発生からひと月になろうとする2月14日夜、私は姫路から播但線・福知山線を大きく迂回して大阪に向かう列車の中にいた。

目的地、故郷の豊中・庄内地区は、大阪府内では最大の被災地。もともと古い密集家屋が多いため、被害に拍車がかかった。どこでも古い家屋ほど倒壊している率が高いが、このような住宅には高齢・低所得層が住んでいる場合が多い。私の母校の中学校に難を逃れた人たちにも、高齢者が目立った。

三宮、宝塚、西宮北口と電車と徒歩で行く。地震のすさまじさは破壊の跡が物語る。ビルが縦横に引き裂かれ、巨大な高架が崩れ落ち、住宅が粉々にされている。そこにいたはずの人々に思いを馳せる。言葉もない。

わが国は「有事」といえば、「仮想敵国からの侵略」とステレオタイブに考えてきた。冷戦思考のぬるま湯の中で、必要な備えと大きな変革を怠ってきたツケはあまりに大きい。



世界各国の要人が次々と日本を訪れている。アイルランドの女性大統領、メリー・ロビンソンさん、トルコ首相のタンス・チルレルさん、そしてエジプトのムバラク大統領…。大震災、2信用組合合併問題、そして東京、大阪の知事選挙と、悲しいこと、憂鬱なこと、苛立たしいことの続く国に、よくぞ来て下さったと、心から歓迎したい。

彼ら、彼女らは一様に、日本からの投資に期待を表明する。別に悪いことではない。しかし…といささか面映ゆい気持ちになるのは筆者だけだろうか。

歴代首相のアジア歴訪。あちらで何億ドルのODA、やれこちらで何億ドルの無償援助と大判振る舞い。昔から、財力を誇示してやたらと金をバラマクのは成金と相場が決まっている。

しかし待てよ。聖書の中の 「不正な管理人」のたとえ話。主人に使い込みがばれた管理人が、主人に負債のある者を次々と呼び、借金を減免・帳消しにしてやる。そうやって恩を売っておけば、クビになった時に助けてもらえるかも知れないと考えてのことだ。日本の経済力が尽きた時、アジアの国々が救いの手をさしのべてくれるのではあるまいか…。

だが現実はそう甘くはあるまい。人は恩と憎しみと、どちらをより深く長く記憶するだろうか。戦後50年。何よりもまず大切なことは、心からの謝罪ではないのか。(K)


「国際人権問題」で外相と論議  江田議員・衆院予算委員会で質問

2月21日、衆議院予算委員会の分科会で、江田議員は河野洋平外務大臣に国際人権問題について質問した。

江田議員と河野氏(現自由民主党総裁)は、二人が社会民主連合代表、新自由クラブ代表だった17年前からの長いおつきあいだが、国会で論議をたたかわせるのは今回が初めてのこと。

質問のテーマは国際人権問題で、江田議員は日本外外交における人権問題の重要性を論じた上で、具体的な問題としてビルマ(ミャンマー)のアウンサン・スーチーさんの解放と日本のODA再開の問題、東チモールや西サハラの問題などを質問した。(会議録


税理士の皆さんにエール

2日27日、江田議員は確定申告たけなわの岡山東税務署を訪れ、無料税務相談に応じる税理士の皆さんにエールを送った。

署では吉澤國治・「税理士による江田五月会」会長にご案内いただき、署長や職員の皆さんとも懇談。

訪問を終えた江田議員は、「我々議員は、市民の皆さんが一生懸命働いて収めた税金の使い道を決めるという重い役割を担っている。まちがっても政治資金をごまかしたり、自分の財布の中味をうやむやにしたりしてはダメ」と、政治倫理の確立に取り組む決意を新たにしていた。


金谷倉敷市議会議長誕生

倉敷市の2月議会で、江田五月グループの金谷光夫氏が議長に選ばれた。

金谷氏は故・江田三郎の遺志を継いで「岡山社会民主連合」の旗揚げに参加。初代代表となった。その後も書記長、副代表として江田五月を支え、8期連続で倉敷市議に当選している。

今回の議長就任は、金谷氏の見識と人柄が支持された結果であり、また保守・革新の垣根を越えた新しい政治を求める時代の流れの反映とも言える。


「半分のふるさと」を推薦

2月8日から11日まで幕張メッセで開催された日本書籍出版協会主催、東京国際ブックフェア」の「著名人が選んだ私の一冊」で、江田五月議員は「半分のふるさと−私が日本にいたときのこと(イ・サンクム著)」を推した。

政治家では他に後藤田正晴氏が辻井喬著「虹の岬」、羽田孜氏が勝海舟著「氷川清話」など。共産党の上田耕一郎氏は同党の不破哲三氏の「日本共産党にたいする干渉と内通の記録」を挙げ、不破氏は「マルクス・エンゲルス書簡集」を推している。



来年から始まる新しい休日、7月20日「海の日」について

7月20日・海の記念日を国民の祝日とする「祝日法改正案」は、昨年末の第131回臨時国会幕切れに、衆議院内閣委員会で可決されていましたが、会期末のため継続審議となり、2月24日同委員会で可決の後、27日衆議院本会議で可決、直ちに参議院に送られ、翌28日、参議院文教委員会、次いで本会議で可決・成立となりました。

これで来年7月20日からは、新しい国民の祝日「海の日」が誕生することになります。

これに対し、「7月20日は、明治天皇が灯台巡視船『明治丸』で横浜に帰着した日であり、それを記念して戦時下の1941年に『海の記念日』が制定された。そんな日を記念日にするのはおかしい、軍国日本の復活につながる」という反対論があります。

要望強かった「海の日」 将来は、「平和の日」も

国会には、5月1日のメーデー、8月15日の「平和の日」をはじめ、たくさんの「祝日」制定の陳情や意見書が寄せられています。いずれも大切な日ですが、中でも「海の日」の要望は強いものでした。

「平和の日」は大切で、今回「海の日」の制定にあたっても、「これ以上祝日を増やすわけにはいかないということで、『平和の日』がうやむやになる」ことがあってはいけません。そこで私も苦労して理事間の合意を取りつけ、会議録にその旨を発言として残したほどです。

一般の方にはなじみの薄い7月20日の「海の日」ですが、海事関係者の皆さんは、戦後一貫してこの日を「海の記念日」として記念行事を積み重ねてきています。しかも多数の地方議会で「海の日を祝日に」という意見書が採択され、1318万人を超える署名も寄せられています。

できるだけ、みんなで 祝う日にしようと努力

私自身は、特定の日を決めて国民一斉に休みにするというよりも、みんながそれぞれの人生設計を持ち、その中で「わが家の休日」を作っていく、例えば、「結婚記念日」とか「おじいちゃんの命日」とか。これをちゃんと休みと認める。そんな休みのとりかたが21世紀にはふさわしいと思いますが、現実にはそこまでは無理。それなら、「海の日」を、できる限り国民のための祝日にしていくことが、責任ある政治家としての使命だということで、いろいろ中心になって努力しました。(江田議員は内閣委員会の野党筆頭理事:編集部注)

オープンに議論尽くし 戦前回帰の懸念を払拭

私は、「海の日」をみんなが祝う日とするためには、一部の推進者による議員立法ではなく、国会の正式の機関としての「内閣委員会」が改正案を発議することにすべきだと考え、そのための「根回し」を精力的に行いました そして前国会で理事会を代表して、自・社および私の3人の理事が、委員会に「議案作成の動議」を提出し、これをめぐる委員会での「発言」(質疑=疑義を正す、ではありません)を経て、可決、委員会の決定となっていたものです。そういう形が取れることになったから、私もゴーサインを出したのです。ですから、形式は「内閣委員長提出議案」です。

新しい理念にもとづき未来に開かれた祝日に

「海の記念日」の由来は1941(昭和16)年次官会議決定ですが、私たちがこの日を選んだのは、戦後一貫してこの日に海の記念行事が積み重ねられてきたからです。

日本は、1945(昭和20)年8月15日、ポツダム宣言受諾によって新しく生まれ変わりました(憲法学の通説)。「海の日」も、終戦前の経緯とは別に、戦後の歩みの中で定着した日として、祝いたいものです

日本は四方を海に囲まれて、資源も、交易も、文化も、海に関わるものが非常に多い。海の汚染が深刻化しつつある今、「海の日」が地球環境を考える日にもなっていけばいいと願っています。


統一地方選 江田五月グループの躍進を

−県議選では無所属統一候補10人を推薦−


総力あげ日本新党岡山協会 橘、住吉の必勝期す
県議会内勢力に大きな変化の可能性も

岡山県議選は3月31日告示・4月9日投票で施行される。岡山県議会の定数は58名だが、そのうち自民党が36名の多数を擁しており、長野知事と自民党が結託すれば、チボリ公園のようになんでも思い通りにできるのが現状。

これでは真剣な論争も、議会の活性化も困難である。

そこで社会、公明、民社、日本新党、新生の5党と連合岡山は、「岡山県政治改革推進連絡会」を結成し、県会議員選挙は無所属統一候補を擁立して闘うことを決定した。そしてこれまでに次の10名を統一候補と決定、発表した。

この統一候補に対しては、5党も連合岡山も、保守・革新を乗り越えて、一切の行きがかりを捨てて全力で応援することを申し合わせた。

 【立候補予定者】
井本丈夫
住吉良久
中原哲夫
藤木靖史
藤村欣裕
山本秀一
横山 泉
中尾哲雄
寺坂隆之
 赤磐郡=69・現
 玉野市・児島郡=48・新
 御津郡=43・新
 津山市=51・新
 備前市=54・現
 邑久郡=33・新
 久米郡=38・新
 真庭郡=46・新
 勝田郡=43・新

この他にも5党は独自に候補を立てるので、結果いかんでは県議会内の勢力分野は大きく変わることが期待される。

なお、日本新党岡山協会に党籍をもつ候補者は岡山市選挙区の橘民義と、統一候補の住吉良久。この2名は、特に総力をあげて応援する必要がある。

岡山市選挙区は定数17に対し、有力候補19人が出馬する少数激戦区。有権者の自然増もあり、最低当選ラインは前回よりかなり上昇すると見られる。前回15位当選の橘にとっては、決して予断を許さない状況。江田グループの真価が問われる闘いとなりそうだ。

橘 民義 (たちばな・たみよし)
昭和26年、倉敷市下津井生まれ。早稲田大学理工学部卒。江田五月秘書を経て昭和62年、県議当選。平成3年再選。平成4年より江田五月会事務局長

住吉良久(すみよし・よしひさ)
昭和21年、玉野市生まれ、甲南大学法学部卒。児島建設(株)を経て昭利47年、児島産業(株)設立。平成3年、玉野市議会議員当選。


岡山市議選は若井、羽場ほか、玉野市は湯浅ほか、津山市議選は神崎

岡山市会議員選挙(定数54)
4月16日告示・23日投票の岡山市会議員選挙は、63名程度が出馬の意向。新旧交代も活発で大激戦が予想される。

江田五月グループからは、現職の羽場頼三郎と、新人で、前江田五月秘書の若井たつ子が「公認」で立候補予定。前江田五月秘書の太田正孝をはじめ、大下隆章、服部勇の全員当選をめざす。

羽場は前回上位当選ながら、今回は「いちばん難しい」と言われる2期目。環境派・市民派議員として実績を積み重ねているが、選挙は決して楽観できない。

若井は今回初挑戦。江田五月の地元に居を構え、草の根で浸透を図る。「地元候補」 としてどれだけ地域に受け入れられるか、また知名度の低さをどうカバーするかがカギとなる。

羽場頼三郎(はば・よりさぶろう)
昭和24年生まれ。早稲田大学法学部卒。社会市民連合の結成に参加。江田五月秘書を経て平成3年、岡山市議に当選。現住所=岡山市福富東

若井たつこ(わかい・たつこ)
昭和27年生まれ。帝塚山学院大学文学部卒。大阪府立病院医局秘書、地方自治研究所勤務を経て昭和63年より江田五月秘書。現住所=岡山市山崎

津山市会議員選挙(定数30)
江田五月グループからは神崎裕康(現)が7期目に挑む。
また同日選で行われる津山市長選挙では中尾嘉伸が連合岡山と旧日本新党、旧新生党、旧民社党の推薦を受け出馬予定。

玉野市会議員選挙(定数27)
日本新党岡山協会として現職の湯浅慎司、と新人の宇野俊市を推薦する。


編集後記

自家用飛行機で香港旅行とは恐れ入りました。「日本の官僚は優秀」 という神話があります。確かに実務能力は優れているのかも知れませんが、「倫理感」 の方は?

阪神大震災で被災された皆さんは、このゴタゴタをどんな思いで見ておられるでしょうか。やり切れない気持ちです。 (K)


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