1997/03 五月会だより No.83 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |
the symposium 江田五月再出発宣言 |
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シンポジウムとパーティを開催 4月26日(土)14時〜 岡山プラザホテル |
昨年秋の知事選以来、多くの皆さまから温かいご支援、アドバイスをいただきながら充電を続けてきた江田五月が、いよいよ本格的に再出発します。
その第一歩として、きたる4月26日(土)、岡山プラザホテルにおいて、シンポジウム「21世紀日本の選択―構造改革をどう実現するか」を開催することといたしました(シンポジウム=14時〜・交流会=16時〜)。
パネリストには、ベストセラー『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社)の著者、カレル・ヴァン・ウォルフレンさん。前経済企画庁長官、田中秀征さんをお招きします。ぜひご参加ください。
チケットは1万円(交流会参加費を含む)。
お申込みお間合わせは、江田五月事務所まで。
【パネリストのプロフィール】
◆カレル・ヴァン・ウォルフレン/1941年4月、オランダ・ロッテルダム生まれ。ジャーナリストとして東アジア各地で活躍。1994年に出版した『人間を幸福にしない日本というシステム』(毎日新聞社)は28万部を越えるベストセラーとなる。
◆田中秀征(たなか・しゆうせい)/1940年9月、長野市生まれ。東京大学文学部、北海道大学法学部卒業。前衆議院議員。1993年、武村正義氏らと新党さきがけを結成。同年8月細川内閣の首相特別補佐。第1次橋本内閣では経済企画庁長官に就任。
ごあいさつ
日ごろのご支援に加えて、昨秋にはことのほかお世話になりました。力不足でご期待に添えず、すみませんでした。昨年12月に法律事務所を開設し、新規まき直しの政治活動もスタートしました。
さて、わが国の政治も経済も社会も、ことごとく深刻な袋小路に迷いこんでしまったようです。長引く不況、年初の株価下落、重油流出事故、ペルー国際テロ事件、沖縄問題、北朝鮮危機……、警鐘は乱打されても、何も対応できていません。
この際、活動再開の第一歩として、これから私たちの歩むべき道を真剣に探るため、旧知の論客、田中秀征さんとウォルフレンさんとのシンポジウムを企画しました。私もお二人と活発な論戦をするのを楽しみにしています。
日本の構造改革の処方箋作りのため、ぜひご参加、ご支援をお願いいたします。1997年春 江田五月
江田五月は何をめざすのか
江田五月会事務局
昨年の県知事選挙ではみなさんに大変なご協力をいただきながら、私どもの力量不足でみなさんのお力を生かしきることができず本当に申し訳ありませんでした。相手の自民党が総力を結集して、良くも悪くも120%の力を出しきったのに対して、当方は寄せ集めで60%の力しか出せなかったこと、県下78市町村のあらゆる地域で、特に岡山市内すべての学区で、すきまなくたたかう体制ができていなかったこと、また県知事選挙はまさに権力闘争で権力に対する執念・執着という点で相手に劣り、厳しい全県1区の「小選挙区選挙」に競り負けたこと、などが敗因だと思います。
それでも得票数は43万5984票で、5721票差、得票率で0.7ポイント差の大接戦にもちこむことができたのは、もちろんみなさんのお力のおかげですが、地元出身の総理大臣を擁して絶頂期にある自民党とほぼ互角のたたかいができたということは、岡山県は自民党と 「県民党」の文字どおり「2大政治勢力」状況になったといえるかもしれません。
そこで江田五月は何をめざすのか、ということですが、知事選挙後はまず県内各地のあいさつ回りとともに、弁護士事務所を開設し、原点に戻って生活基盤の確立の努力を開始しました。そして3月からは本格的に政治活動を再開します。県知事選挙の43万6千票を大切にして、「県民党」の立場で活動することが基本です。五月会も全県に展開していきたいと思います。
また、1月の倉敷市、北房町から既にはじめていますが、県下78市町村の首長選・議員選のすべてに積極的にとりくんで「県民党」の勢力拡大に努力します。特に2年後の岡山県議選、岡山市長選には全力を尽くします。さらに「県民政策会議」(仮称)をつくって県政への政策提言もしていきたいと思います。
江田五月の活動目標は地方、国、国際社会の3つのレベルで「構造改革」と「市民政治」を実現することに変わりはありませんので、今後も国政にも国際社会にも発言、行動していきます。江田五月自身の次の選挙は、「県民党」として、自分一人で決めることはできませんが、事務局としては県知事選挙・参議院選挙・衆議院選挙のどれにも対応できるよう準備休制をつくりたいと思います。みなさんのご意見もぜひ聞かせてください。
江田五月と田中秀征の対談(週刊朝日より転載)
時代に変革を! 二人で新党を!
江田 (キャンパスで会うなり手をとりあって)やあ、お互い浪々の身になっちゃいましたね。
田中 うん。これまで駒場に講演に来たときは政治家として、大先輩として呼ばれた感じがあった。今日は学生時代に戻った心境がする。わりあいしっくり駒場のキャンパスに溶け込めるというか。でも、まさか卒業から三十数年を経て、ここで江田さんと対談するとは思わなかった。しかも境遇が似てて。(笑い)
江田 今日は田中先輩と歩きながら、さてこれからどうするかなあと思って。田中さんは浪々の身もだいぶ経験して生活の仕方も分かってるでしょうけど(笑い)、僕はこれまでずーっと国民の税金で養ってもらってきた。初めて自分で稼がなきゃいけない境遇になって、どうしたらいいかなあと。やっと庶民に戻ったということなんですかね、市民の政治といいながら。
田中 選挙は残念だったね。
江田 大臣が乗り込んできて利益誘導はやり放題だし、びっくりするような中傷もある。僕が知事になったら遺族年金がもらえなくなるとか、お宮参りができなくなるとか、もう大変。(笑い)
田中 要するに小選挙区なんだね、知事選も衆院選も。一人を選ぶ選挙は脅しすかしが通用する。怖い選挙だ。
江田 有権者にも、もっとよく考えてほしいなあ(笑い)。選挙で情報公開の促進を訴えたけど、票の上ではマイナスになった感じがする。なにか自分が困ることをばらされるんじゃないかっていう受け止め方をされて。
田中 わかるな、それは。なにか変わりそうになると、長いものにまかれる選択をしがちで、有権者にはそれに対する抵抗力がない。
江田 投票のときの動機づけが、ものすごく目先になってたり、矯小化されてたり、という傾向がより強まった気がしますね。
田中 今度の内閣なんてまぎれもない自民党内閣でしょ。閣僚メンバーを見てぞっとしたという人がいるかもしれないよね。明治十年ごろにちょんまげをつけた人が出てきたっていう感じで。
江田 見事な派閥均衡人事。こんな状態で二十世紀の最後の数年を過ごすとすれば、お寒い限りだ。
田中 僕が連想したのは、エルバ島を脱出したナポレオンの百日天下。歴史には揺り戻しが最後に必ず一度ある。明治だってあるでしょ。士族の反乱とか。この政権が自民党の最後の出番になるか、再生のきっかけになるか。試金石は行政改革に対するこれからの姿勢でしょうね。まあ、最後の出番の可能性が強いけど。(笑い)
江田 自民党が終りというより、自民党がこの国を終わりにしてしまうんじゃないですかね。利益誘導で票を集めて、できあがった権力で規制緩和だ、地方分権だとかいったって、笑わせるんじゃない、という感じ。
田中 結局、細川内閣以来の政治の流動は本筋ではなく、いきがかりとか選挙区事情で動いた。本格的な再編はあくまでもこれから。そんなときに二人とも政治の場にいないじゃないか、という話もあるけど(笑い)……いないほうができることもあるし……。
江田 うん。(笑い)
田中 僕は最初に立候補したとき以来、馬から下りたことがないという印象なんです。だから、今回の落選でいったん馬を下りて、ゆっくり、きちっとした支度をして再び馬に乗ろうという気持ちなんです。最後の充電の機会を与えられたというのかな。応援してくれた人には申し訳ないけど、このまま一生いっちゃうのかなという不安感はどこかにあったもんでね。
江田 個人的には「昭和枯れすすき」でも歌っていたいなあ、というような気分だけど(笑い)。秀征さんと同じで、最後の充電期間と思わなきゃならんですね。まだ十分整理はついてないけど。
田中 国政に対する情熱はまだあるんでしょ。
江田 まだそこまでは決めてないけど……地方政治のほうは、わずかの差だったけど、お前の出番じゃないといわれたわけだから。(笑い)
田中 僕は(いままでの選挙区からは)立たないといっちゃった。やっぱり潮時というものはあるんだね、支持者と。もう一度苦労をかけるに忍びないというのが、正直な気持ち。ただ、政治活動はやめない。そうするとどこからという話になるけど、そんなことまで考えてないんだよ(笑い)。まあ、また大きく変わるだろうし、大きく変える役割を僕は果たしたい。駒場のころから、時代においてかけがえのない役割を果たしたいという気持ちでずっときたし、今もその気持ちは強いしね。
江田 新しい政治的リーダーシップづくりを、もう一度しなくちゃいけない。いまの自民党政治がずるずる続いて、妙な雰囲気のなかで日本が衰退してしまうのを、手をこまねいて見ているわけにはいきませんから。
田中 今回、この対談をやると聞いた人から「だいたい今の政治は、田中秀征と江田五月が別の党に分かれてるということ自体がおかしいんだ」といわれて、そういう見方もあるのかと。(笑い)
江田 次に二人が同じ党ということは、ありうることでしようね。むしろ、同じ党でないことのほうが確率は低いかもしれない。
田中 おいおい、また、そんなこというと、週刊朝日に「二人で新党設立を宣言」とか書かれちゃうよ。(爆笑)
江田五月のミニ活動報告 (1)事務所移転・弁護士事務所開設/昨年12月5日、倉富からもとの南中央町に事務所を移転、同時に「江田五月法律事務所」を開設しました。事務所は1階が江田五月会(政治活動)、2階が法律事務所、3階が会議室で、スタッフは湯川憲比古、江田洋一、富田悦子の3人です。
(2)倉敷市議選・北房町議補選/1月26日投票の倉敷市議選では金谷光夫さん、矢野秀典さんはじめ28人の候補を応援し、26人が当選。同日の北房町議補選(定数3名)では3名を応援、2名が当選しました。3月2日投票の山陽町議選では9名(定数18)、赤坂町議選(定数12)では6名を応援します。江田五月はすべての事務所を訪問するなど精力的に活動しています。
(3)ラモス・ホルタ氏/東チモール独立運動でノーベル平和賞を受賞したラモス・ホルタ氏は旧知の仲。1月9日東京のノルウェー大使館でお祝いの会が開かれ、江田五月も出席しスピーチしました。
(4)県民政策会議/県知事選の江田選対の枠組みを基本として、さらに広範な県民のみなさんの参加を求めてよりよい県政を実現するために、県政に対して積極的に提言していく「おかやま県民政策会議」(仮称)の結成を提案しています。ご意見をお寄せください。
(5)ハガキ運動に協力/自民党県議団と安宅岡山市長の対立をきっかけに女性のみなさんを中心にはじまった石井知事へのハガキ運動に五月会も協力しました。
(6)県議会を傍聴/昨年12月19日に従軍慰安婦に関する記述を中学校の教科書から削除することを求める陳情が自民党単独で採択された県議会を傍聴しました。時代に逆行する採択で残念。
(7)各地で五月会を開催/各地の五月会で忘年会や新年会を開いていただきましたが、今後も積極的に開催していただきたいと思います。ご連絡をお待ちします。
(8)科学技術庁特別顧問/1月13日、科学技術庁の特別顧問に就任しました。早速1月末の上京の際に、科技庁を訪問。理化学研究所分室を岡山リサーチパークへ誘致する件について担当局長と面談。今後とも県政に対して協力すべきところは積極的に協力していきます。
(9)「おじいちゃん」/1月19日、長女真理子が長男を出産。「おじいちゃん」になりました。
(10)街頭演説再開/3月10日朝、岡山駅西口で4ケ月ぶりに街頭演説を再開する予定。
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