1997年5月 No.84 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |
シンポジウム&パーティ大盛況!
「江田五月の再出発宣言」シンポジウム&パーティは4月26日(土)午後2時から岡山プラザホテルで開催されました。
昨年の県知事選挙以来ちょうど半年ぶりの大型企画で、スタッフが大幅に縮小されたこともあり、大変心配された参加人数も、予想をはるかに超える大盛況となりました(シンポジウム参加者1000名、パーティ参加者1200名、いずれも実数)。
そのためシンポジウム会場に入れなかった方、パーティ会場の食べ物が十分ゆき渡らなかったことなどの不手際があり、申し訳けありませんでした(シンポジウムの録音テープを御希望の方お貸しします。事務局にご連絡を)。
特に2時からのシンポジウム「21世紀日本の選択−構造改革をどう実現するか−」(パネリストはカレル・ヴァン・ウォルフレンさん=オランダ人ジャーナリスト、田中秀征さん=前経済企画庁長官、江田五月の三人)は、堅いテーマにもかかわらず、立見も含めて1000名の方々がびっしりと会場を埋め、熱心に議論に集中されたことは、驚きでもありました。
the symposium
「21世紀日本の選択」-構造改革をどう実現するのか-
江田五月 今日は予想を超えるこんなに大勢の皆さんがお集まりくださって、本当にありがとうございます。現代日本を代表するお二人の論客を岡山にお迎えをして議論をしてみたいと思います。
どんな議論かというと、「21世紀日本の選択」、今の日本の様々な問題の根本に政治と行政の関係、本来なら政治がしっかり行政をコントロールしなければならないのに、どうもそうなっていない。このまま進んで行ったら行政優位の歩みのままで日本は沈没してしまうのではないか。そんな問題意識で議論をしていきたいと思います。官僚には政治決定できない----- ウォルフレン氏
ウォルフレン まず、今日はお招きいただいて、こんなに大勢の熱気のこもった皆さんの前でお話するのはとても嬉しいとお礼を申し上げます。
なぜ構造改革が必要か。答は非常に簡単です。今の日本はとても不思議な立場に置かれていて、車に例えると、ハンドルのない車である。これまで日本は一つの方向を突っ走って来ました。それは経済の拡大であり、生産の拡大でした。ところがこれまで一本道でまっすぐの道だったのにカーブが直前に迫っています。しかしハンドルを握っている人がいない。うまくカーブを曲がり切れるだろうか。日本の政治システムでは、行政はある意味ではうまくいっていると言えるかもしれない。日本の官僚は能力がありますし、自分のやるべき仕事はよく知っている。責任感もある。ですから日常的なことは任しておいてOKです。ただ日本の国は、これからコースを変えなければならない。それには政治的な決定が必要です。ところが官僚には政治決定をする能力はない。なぜなら官僚は自分が所属している省の利益に反することはできない。国益より省益を優先するというのが官僚です。
国のコースや政策を変えるには、プライオリティ、何が重要であるかを整理することが必要です。最も重要な課題は何か。二番目にしていいものは何か。三番目にやればいいものは何かを決めなければならない。それが今の日本では全くなされていないのです。新しい日本の進路とシステムの全面改革を---- 田中秀征氏
田中秀征 田中秀征です。皆さんよろしくお願いいたします。私が尊敬する宮沢喜一元総理が、現在は二、三百年に一度の歴史的な変動期だとおっしゃったことがあります。宮沢先生は大げさなことを嫌う人ですが、その宮沢さんがそう言ったことにびっくりしました。その中に我々がいるということをまずご認識いただきたいと思います。
基本的には、ウォルフレンさんのおっしゃったことと同じ認識なんですが、要するに冷戦の集結によって一つの時代が終わったけれども、新しい時代が始まっていないということです。これまで日本という列車が二本のレールの上を走ってきた。一本のレールは政治のレール、もう一本は経済のレールです。政治のレールは、自由陣営の一員としてやっていくということ。もう一つは経済を大きくしていくこと。この二本のレールの上をずっと日本は疑うことなく走ってきたんです。
この二本のレールがほぼ同時に途絶えてしまった。この時代が終わった時に、政治がやらなければならない大きな事業が二つありました。私はそれをはっきりと意識して自由民主党を離党したわけですが、一つは新しい日本の進路を早く決めなきゃならない。もう一つは、世の中のしくみ、難しく言えば政治や行政、経済のシステムを全面改革しなければならない。この二つが政治家ができる限り早くやらなければならない仕事です。
細川内閣ができて四年経ちまして、この仕事が進んでいるかというと、残念ながら進んでいません。これは渦中にいた私にも責任があるし、江田さんにも責任があると思うんですが、いずれにしてもこの二つの宿題をこれからどう解いていくかが最大の課題ですが、現状は、前の時代の政・官・業の癒着の体制が、息を吹き返しつつあるという感じです。時代の舵を切る政治を--------- 江田五月
江田五月 私もお二人の話を聞きながら、本当に全く同じ認識を持っておられるなあということを再確認しました。私は国会議員だった十九年の間ずっと「大きな時代の転換期」だと言い続けてきました。冷戦の集結という世界史的な大転換の後は、私は特に三つのことを言ってきました。
一つは、戦後五〇年という時代、これが終わります。二つめは、おそらく産業革命以来の大きな変化の時代が来ているんじゃないか。さっきの宮沢さんの話と共通するかもしれませんが、フランス革命以来二百年、生産力、経済がどんどん大きくなっていくという時代がそろそろ終わろうとしているんじゃないか。
三つめの時代の転換期として、これは今のところは私だけかもしれませんが、国家というものが、国際社会の主要なアクターである時代が終わるのではないか。国境というものがずっと低くなって、地球レベルで考えなければならないことがどんどん起きてきて、その中で、どの国に生まれても、市民が市民としての役割を果たしていくという地球市民という時代が来ているのではないか。国民国家が誕生したウェストファリア条約(1648年)から350年、この時代が終わって次の時代が始まろうとしているのではないか。そんなことをしきりに言ってきました。確かに時代は大きく変わりつつある。しかし、残念ながらその時代の舵を切っていく政治を私たちはつくりきれていない。舵を切っていく政治が必要ですよ、という市民の皆さんの声に応えるべく細川内閣は生まれて、その後の政治の変化が出てきたのだと思いますが、残念ながらそれが市民の期待を裏切るコースをたどって、むしろ市民の中に挫折感というようなものが非常に強くなっているのが今という時代なのではないか。これは一日も早くここから脱却をして、21世紀の新しい方向を歩み始めることが必要だということを痛感しています。日本国民の才能も資金も浪費されている----- ウォルフレン氏
ウォルフレン 日本には非常に大きな潜在力があると思いますけれども、それが実現されていません。国民の才能も資金も浪費されていると思います。日本の方々は非常によく働く。そのために家族と過ごす時間も非常に少ない。けれども働けばよい生活ができるということで一生懸命働いてきたのだと思います。ところがバブルがはじけて、そう思っていたことがそうならないんだということに初めて気がついた。そしてその失望感がある。それは何かというとせっかくの潜在能力がありながら、それが十分に発揮できないという現実に対する不満だと思います。
では政府に何ができるかというと、人が自分を幸せにする、その条件の整備をすることは政府にできると思います。具体的に言いますと、英語で「具体的に」というのは「コンクリート」という言葉を使うわけですが、具体的事例をあげると、まさにコンクリートの話になってしまいます。
日本を旅すると、非常に美しい国土の景観が、いろいろな所で破壊されていることが目につきます。巨大な建設事業が随所に見られます。橋をかけたり、トンネルを掘ったり、道路をつくったり、必要な規模を超えた建設事業があるように思えてなりません。それは美しい日本の国土を破壊するという意味で悲しいことだと一番目に思います。
それから納税者の大事な資金が浪費されているということを二番目にあげなければなりません。三番目にはプライオリティ(優先順位)が間違っているということを言わなければなりません。
私は建設事業は巨大な福祉システムだと思います。雇用を確かに創出いたします。そして資金が県や市町村に還流します。しかし、非常に浪費で無駄な福祉システムです。福祉システムなら、もっと調整して、日本人が幸せになる形で福祉なり、雇用の創出をはかるべきだと思うのです。
橋本さんの行政改革については、田中秀征さんが言われたことですが、私もこれは魚にナイフを渡して「お前自分を切って寿司になれ」と言っているようなもので、うまくいかないと思います。要するに自分の手から官僚にナイフを渡してしまったのです。官権行革か民権行革か------ 田中秀征氏
田中秀征 ウォルフレンさんの今のお話、魚とナイフの話は、私は「まな板の鯉に包丁を握らせてはいけない」と言ったんですね。昨年大蔵省の改革の声がいろんな所からあがって、大蔵省としても逃げられないと思った時に、大蔵省は何をしたかと言うと、大蔵省の中に大蔵省改革チームを作ったんですね。私はそれを聞いて、すぐ記者会見で「まな板の上の鯉が包丁を握っちゃいけない」と言いました。今現在は、まな板の上の鯉が包丁を握るどころか、振り回しています。今度の金融監督庁も、一見すると大蔵省改革に見えますが、私は、「分家を出して一族はますます繁栄」と言っているんです。大蔵省の実質的な影響力、支配力が大きくなるのなら、それは改革とは逆の方向になる。
私は橋本行革は、鯉が包丁を握る行革なのか、あるいは料理人−政治、国民が包丁を握る行革なのか、そこだけを見つめています。私は政治主導、国民主導の行政改革を「民権行革」と言っているんですね。そして官僚主導の行政改革を「官権行革」と言ってます。橋本行革が官権行革ということになれば、納税者が期待する行政改革にならないわけですが、どうもその方向ではないかと思います。市民と政治家の大きな役割------- 江田五月
江田五月 大蔵省改革だけではなく、国民なり市民があることに強い憤りを感じている、あるいはあることを切望している。そういう市民の後押しを受けて、市民の燃えるような政治的な願いをしっかりと引き受けながら、政治家が行動を起こしていく。ある時は官僚に対して包丁を振るう、ある時は既存のシステムに対してメスを振るって膿を出す、そういう市民と政治家のイニシアティブというものが大きな役割を果たさなければならないと思います。
市民の願いと政治を結びつけるには、私は情報の公開と、行政および専門家の説明責任、場合によってはきっちりと自分の身を処していく責任、そうしたものが一方であって、他方で市民の側に、情報にアクセスする権利、あるいは説明を求める権利があって、それらが対になって機能する状況をつくっていかなければならないと思います。今の日本の構造改革の基本的なポイントの一つは、情報の公開と、行政および専門家の説明義務で、これがウォルフレンさんの言うアカウンタビリティということだと思います。一人になっても頑張る---- 田中秀征氏
田中秀征 行政改革にとって一番必要なことは、非常に単純なことで、政治家が行政の世話になるなということです。政治家が行政の世話になって選挙をやったり政治活動をしていれば、行政に睨みがきくはずはないですよね。今の政治家は、ネズミに世話になっている猫みたいになっちゃってるから、ネズミが目の前で芋をかじっていても、見て見ぬふりをする。まず政治家が素朴な正義感というものを大事にして、いつも自由な立場でものを言ったり行動するという身の処し方をする以外に何も始まらないと思います。
政治家にもう一つ必要なことは、一人になっても頑張るということですね。党がどうとか、人がどうとかではなく一人になっても頑張る。こんなこといってると落選するんですけれどもね、しかし一人になっても頑張る人間が数人いれば、変わっていきますよ。そういう毅然とした姿勢をとれるような人が、一人でも多く皆さんの力で全国から出てくるということが肝心だと思いますね。もう政治がいけない、行政がいけないと言ってられないんですよ、皆さんも。それこそ待ったなしの局面を迎えていると私は思います。市民の力が状況を大きく変える―――― ウォルフレン氏
ウォルフレン 日本の核心問題は何かということを、私は日本の方や外国人などと何年も話し合ってきましたが、最初は官僚がいけないという話になったわけです。それから官僚よりも政治家が問題じゃないかということになった。ところが最近になって、やはり最終的には有権者や市民がしっかりしてないから少しおかしいのではないかということになったわけです。
日本の皆さんを見ていると「政治に参加してもだめだ」とか、「仕方がないや」という気持ちになっている方が多いのではないかと思います。この「仕方がない」というのは、政治の言葉で日本で一番よく使われているんじゃないかと思いますけれど、「仕方がない」「仕方がない」と言っていると、よい未来は永遠に来ないと思います。
私は今ほど皆さん一人一人の力が状況を大きく変える時代はないと思っています。それは改革派の政治家たちがいろいろと出てきているからです。そういう本当に改革をしようという政治家を勇気づけてほしいと思います。まじめに改革にとりくんでいない政治家には、「ちゃんとまじめにやってください」と言ってゆさぶりをかけてほしいと思います。皆さんは思っているよりずっと大きな力を一人一人が持っているのです。すぐにいい結果が出るわけではありませんが、一生懸命やっている政治家を、その人たちが皆さんの代議士として、政治をコントロールするように勇気づけてほしいと思います。
江田五月 今、ウォルフレンさんから最後に、「市民は自分が思っているよりもずっと大きな力を持っている」と、だから「仕方がない」じゃなくて、改革を志す政治家を激励しろ、という話があったわけですが、田中さん、今の政治状況をどういうふうに思われますか。
田中秀征 今の永田町からは何も出てきそうもないという感じがしますね。私、皆さんにどうしても申し上げたいと思っていたことを付け加えますと、この改革の時期というのは、突き詰めていくと生活スタイルの改革までいくんですね。私は「簡素な生活」と言っているんですが、もっともっと奥の深い改革の時期に来ているんだと思います。そう思えば今の永田町の流れを、保・保になろうが、リベラルになろうが、全部一緒になろうが、私は同じだと思うので、もっと違う新しい政治の勢いが求められていると思いますから、先ほど申し上げた、新たなるレールを敷くために、我々一歩離れている人間が新しい旗印を作る努力を、皆さんと一緒に始めなきゃいけない、そういう時期に来ているんだということを私はつくづく感じています。市民の政党をもう一度ちゃんとつくり直す----- 江田五月
江田五月 去年の暮れ、週刊朝日で秀征さんと対談して、「二人で新党を」なんて見出しをつけられて、どうも今の政治状況を見ていたら、本当に市民の政党というものを、もう一度ちゃんとつくり直さなきゃいけないと私もつくづく感じています。今バッジをはずしている我々が、外からいろいろ言えることもあるんじゃないか。今の政治状況に対して「仕方がない」ではいけないので、皆さんにも「ひとつさらに大きな力を貸してほしい」ということを言いながら、まだこれからも頑張って、本当に21世紀にこの日本が、市民政治の方向に大きく舵を切り換えることができるようにこれからも頑張っていきたいと思います。
今日三人が強調したことはいろんな言い方がありましたが、やはり国民が、有権者が、市民が、「仕方がない」じゃなくて、自分たちの運命や、子供たちの運命や、孫たちの運命が、私たち自身の手にかかっているわけですから、諦めずに、政治をよくするために頑張ろう、ということだったと思います。シンポジウムはこれで終わりにします。ありがとうございました。(この記録は当日の発言内容を約1/3に要約したものです)
本日は、何かとご繁忙のところ「江田五月の再出発宣言」の企画にご参加・ご協力下さり、本当にありがとうございました。昨年の知事選挙で大変なご苦労をかけたのに重ねてのお願いで心苦しかったのですが、おかげさまで再出発をすることができました。
最近の政治の状況は、沖縄の特措法をめぐる動きに象徴されるように、本来の政策論はそっちのけで、政権参加への思惑とかけひきばかりが先行し、国民と政治の距離は極限まで広がってしまいました。まさに混迷の極みであり、到底納得できるものではありませんが、その中で新たに「保・保連合」VS「リベラル改革連合」の対立の図式も見えてきました。政界再々編は不可避だと思います。
本日の議論をもとに、私の原点である「構造改革」と「市民政治」の実現のために初心にかえって全力をつくす覚悟です。どうか変わらぬご支援とご指導を心からお願いいたします。末筆ながら、みなさんのご健勝とご活躍を心からお祈りして、お礼のごあいさつといたします。平成9年4月26日 江田五月
必ず朝は来ます 江田五月再出発宣言
本日は皆さま、最高の陽気のなか、又何かとご多忙のなか、私の再出発宣言の企画にこんなに大勢の方がお集まりくださり、まことに有難うございました。心からお礼申し上げます。昨年は、本当にお世話になりました。絶頂期の自民党との対決、それも総理大臣を相手にするということになりましたが、皆さまのお力添えのおかげで互角の戦いをさせていただき、ただただお礼を申し上げるばかりです。競り負けたのはわたしの力量不足としか言いようがなく、本当に申し訳ありませんでした。
その後、わたしの職業人、生活者としての原点は、やはり法律家ですから、妻を事務員にして弁護士事務所を開きました。在野法曹の経験がない上、永い間実務を離れていたので、不安もありましたが、同僚の皆さんのご指導をいただきながら精一杯努めています。
政治家のほうは、冬のあいだ冬眠していました。しかしやはり、県政も国政も、まだまだ私たちの願っていたものとは遠い存在です。政治家をやめるなんてとんでもない、今こそ十分に充電し、地域にしっかりと根を張って、再出発しなければならない、そんな声も多く寄せられ、私自身もその思いを強く抱くに至りました。(中略)
国政をはなれた岡山県だけの改革もないし、岡山県のことを忘れた国政の改革もありません。国政も県政同様、あるいはそれ以上に、混迷と沈滞の極みにあります。国政も県政も大改革が求められています。
あきらめてはいけません。市民ひとりひとりの手で明日をめざさなければなりません。今こそ「市民パワー」の底力を発揮して、質の高い市場システムと市民政治の貫かれた議会を通じて、より良い自由な市民社会を作っていくときだと確信します。私は再び皆さまがひとりひとりの努力の先頭に立ちたいと思います。(中略)
政治は、最近の沖縄の特措法をめぐる動くに象徴されるように、本来政治こそが果たさなければならない、国民との共同作業である大討論を放てきして、政権との距離をいかに縮めるかの政党間の思惑とかけひきの作業に終始してしまいました。その政権は、上手に各勢力のバランスをとることにのみ腐心し、官僚の上に乗っているだけ。沖縄の人々の心も、歴史の進歩への洞察も忘れ、基地の安定的使用ということにのみ心を砕くのでは、動きのある真実は見えてきません。(中略)
「保保連合」が取り沙汰されています。あるいはそれもひとつの自然の流れかもしれません。しかし今必要なのは、やはり改革であって、これまで歩いてきた道の踏襲基本とする保保路線は、新しい時代の扉を開くものとは異なります。保保連合ができてもできなくても、そんなものに負けない「リベラル改革連合」の構築が急がれているのです。その意味で私は、政界再々編成は不可欠であり、不可避だと思います。また、そこにこそお前の大き使命がある、「江田五月、国政で頑張れ!」という声も、多くの方から寄せられています。
今の国政を動かしている政党は、まだまだ苦労するでしょう。すべて潰れてしまうかもしれません。その後に、必ず新しい市民政党を誕生させなければなりません。
高村光太郎の詩に、次のような一節があります。
「朝は来る、眼を洗うばかり鮮やかに、一切心機まき直しの、朝がくるのだ。」 知事選敗北の翌朝、小野桂華先生がこの詩を色紙に書いて、私の届けてくれました。この詩の時代の背景を考え、これを本日のテーマとすることは控えましたが、必ず朝は来ます。
県民党の立場を堅持し、次期知事選を見すえながら、その間の行なわれる国政選挙をしっかりと視野にいれ、政治家として再出発します。そして、市民政治と構造改革のために、あきらめずへこたれず、すべての力をだしつくすことを宣言します。
皆さんの一層のご指導ご支援をお願いして、ご挨拶とします。
(1997年4月26日のパーティでの江田五月の挨拶を要約したものです)
江田五月のミニ活動報告
(1) 弁護士活動/予想以上に活発です。法律相談は70件をこえ、刑事6件・民事6件を引き受け、成果もあげました。弁護士会の仲裁も成立させ、顧問先もふえました。はまりすぎないように注意します。
(2) 販売活動で奮闘/4/26のチケット販売を自ら、3月14日から4月24日まで全力投球でやりました。みなさんのおかげで所期の目標を達成することができました。本当にありがとうございました。
(3) 市議選・町議選/3月2日投票の山陽町議選は9名中7名当選(定数18)、赤坂町議選は6名中5名当選(定数12)。4月6日投票の和気町議選は3名全員当選(定数18)、御津町議選は6名中5名当選(定数14)、美作町議選は9名全員当選(定数18)。4月13日投票の旭町議選は2名とも落選(定数12)。4月20日投票の井原市議選は20名中16名当選(定数22)、湯原町議選は10名中8名当選(定数12)でした。全体として好成績でしたが旭町議選は残念な結果となりました。
(4) 桃と桜と藤と野草を楽しむ/4月13日に岡山市一宮で桃のお花見、20日は新庄村の桜まつり、5月6日は和気町で藤まつり、13日は哲西町で野草を楽しみました。いずれも地元の五月会や知事選で大変お世話になった方々のご招待。恒例行事となりそうです。感謝しております。
(5) 津山五月会・西大寺五月会・建部町五月会/3月22日、津山五月会が開かれました。女性のみなさんの企画で、よい会でした。5月8日には西大寺五月会があり、非常に積極的な会でした。5月31日には建部町で五月会懇親会。今後もみなさんとご相談して各地で五月会を開催していきたいと思います。
(6) アゼリア会/5月22日(江田五月の誕生日)に岡山市内でアゼリア会(江田五月を支える女性の会)が開かれ、30名以上の方が出席。1日1億円以上の利子を払い、借金総額1兆円を超えようとしている県財政の資料配布や市民オンブズマンおかやまの活動の紹介などもあり、勉強と懇親の会でした。
(7) EU議会/広島市で英国労働党所属の欧州議会議員のグリン・フォード議員一行と懇談しました(5/21)。政権交代直後の訪日で、英語で直提議論し、意義ある会合でした。
(8) 中国旅行/支援者のご招待で、夫婦で大連・深川・香港を旅行しました(5/24〜5/29)。おみやげ話はいずれまた。
(9) 立木トラスト/牛窓町鹿忍地区の産業廃棄物処分場反対運動の立木トラストに参加。立木トラストの法的根拠についての文章も書きました。今年12月の牛窓町長選は産廃問題が争点になりそうです。
(10) インターネット/知事選以来とまっていた江田五月のホームページを6月20日を目途に再開します。
(11) どの選挙に出るのか/6月・7月中には決めたいと思います。みなさんのご意見をきかせてください。
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