1983年10月 ロッキード事件判決(1983/10/12)

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  談 話
  中曽根・田中会談決裂について

社会民主連合書記長 楢 崎 弥之助

一、中曽根・田中会談は予想通り、単なる与党内向けのセレモニーに終わった。いまや田中元総理の国民に対する挑戦とその暴走をコントロールしうるものは皆無となった。重ねての所感は元総理の病理の深さを一層鮮明にした。

一、中曽根総理の説得を刑事被告人が拒絶したことにより、総理の権威と威信は著しく損われた。中曽根総理の責任もまた重大である。

一、田中議員辞職勧告決議案に対し、自民党が明確なケジメをつけないとすれば、残された道は憲政の常道にしたがい、最終的に国民の判断と審判をあおぐ以外にない。衆議院を即刻解散すべきである。その際、田中元総理のミソギ選挙は許されず、立候補を断念して自粛するのが当然である。

一、本日のセレモニーを利用して、決議案を宙づりのまま他の法案の審議を自民党単独で強行したことは、田中進退処理のアイマイさに加えて二重に議会制民主主義を踏みにじる行為であり、絶対に容認できない。

一、もはや国会の権威と議会制民主主義は風前の灯と化した。国民の世論こそが唯一の砦である。われわれは最後まで野党の結束を堅持して、政治倫理確立のため国民とともに闘うことを誓う。


  田中の辞職を迫り、解散・総選挙で政界浄化を

    楢崎弥之助書記長に聞く

 元総理の犯罪に鉄樋が下された。しかしこの刑事犯罪者は、自らを省みることなく、日本の国民と民主主義に挑戦状を突きつけている。政治的道義的責任を感じている様子は全くない。野党は結束して田中の辞職、引退を迫っているが、今後の政局の見通しについて楢崎書記長に聞いてみた。


 ロッキード事件「丸紅ルート」の判決がでましたが、まずこの点について……。

―― 元総理の犯罪を裁く歴史的判決がでましたが、予測通り実刑判決でした。

 これは大方の国民の皆さんの常識と期待に沿ったものだと思いますね。

 ただ、この裁判は、ロッキード疑獄の構造性の一部を解明したに過ぎません。三十ユニット、三千万円に見合う二階堂進、加藤六月、佐々木秀世氏ら四名は、職務権限がないとか時効ということで不問のままです。灰邑政治家として、その政治的道義的責任を追及しなくてはならないのに不問されているのは残念です。

 そのほかに、九千万円に見合う九十ユニットの解明も行われていない。十三名の国会議員が関係しているといわれるのに氏名すら明らかにされていません。

 しかも、ロッキード疑獄の頂点にあった最大のものは、対潜哨戒機P3Cの商戦だったんです。P3Cは一機百三十億円。百機購入すれば一兆三千億円にのぼるものだった。トライスターは、一機七〜八十億ですから、二十機買っても千五億円程度のものでした。P3Cはトライスターの十倍にも当たる商戦だったんですが、途中で捜査が打ち切られてしまいました。

 恐らくこれに火がつけば、日米安保体制にヒビが入るという懸念が、日米双方の首脳部にあったためだと推測されます。

 こういう未解明の部分が残されたということは、突きつめてゆけば、自民党の数の壁に阻まれたということです。

 もしも、与野党伯仲状況だったら、この疑獄の解明ももっと進んだと思いますね。

 疑獄の全体構造と田中角栄判決との関係は……。

―― 田中問題の処理がすべてではありませんが、この問題にキチンとけじめをつけることは政治倫理確立の出発点になるということです。ですから、元総理がいさぎよく、すべての公職から身を引くことを期待していたわけです。

 ところが、判決後の「所感」を見て唖然とせざるをえませんでした。いささかの反省もないどころか、「民主主義を守り、暗黒政治を招かないために頑張る」っていうんですからね……。

 刑事犯罪が三代にわたってキング・メーカーとして政治を操り、百二十名という軍団をつくって自民党を乗っ取っている。つまり、犯罪人が日本の政治を左右している−この事態こそ暗黒政治そのものじゃないですかね。

 田中氏の感覚は、岡田裁判長の判決文のなかに“社会に及ぼした「病理的」影響ははかり知れない”という言葉がよく当てはまる(笑)……。「病理的」としかいいようがありません。

 このように、元総理に自浄力がなく、自民党に自立力がないとすると、私たちとしては辞職勧告をつきつける以外にありません。

 田中軍団の抵抗で決議案が本会議に上程されないのでは……。

―― 残された手段は、中曽根内閣不信任案の上程ですね。刑事犯罪人を擁護しているわけですから、中曽根総理の政治責任は連動しており、そうせざるをえないです。問題はその時期です。

 来月は外国の首脳がぞくぞくと来訪しますが……。

―― 十一月二日には、西ドイツのコール首相、十一日にはレーガン米大統領がやってくるし、十一月末には中国の胡輝邦総書記がやってきます。

 臨時国会の会期は十一月十六日までですから、この間に田中辞職勧告決議案を上程するか、それができなければ、内閣不信任案提出の二つにしぼられてきます。

 いまの国会の勢力比では、内閣不信任案が通る可能性はありませんから、不信任案の提出が引き金となって国会解散、総選挙ということになるのではないでしょうか。

 私は、総選挙は十二月中旬過ぎと推測しております。


1983年

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