1985/08/30〜31

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’85全国代表者会議・夏季研修会

当面の政治行動方針(要約)  唯一の新しい時代の党へ

  中曽根内閣をめぐる政治情勢

一、中曽根内閣は、国民と野党の反対のなか、明白な憲法違反行為である靖国公式参拝を強行した。また軍事費のGNP一%枠の撤廃を策し、大軍拡への道を開こうとしている。内閣成立以来、「戦後政治の総決算」を唱えてきた中曽根首相は、いまや「新国家主義」の名のもとに戦後日本の築き上げてきた平和主義を根底から突き崩そうとしている。

二、伯仲状態といういう政治状況にありながら、野党の非力と不統一、そして与党内軍縮派も含めた非緊張とゆるみが、中曽根首相の右傾化・軍拡路線への突っ走りを許容している。しかし野党が結束すれば、昨秋の二階堂擁立劇に見られたような党内矛盾やGNP一%枠撤廃問題についての足並みの乱れを突き、政界の本格的地殻変動を誘起できる。

三、中曽根内閣の縮小均衡型財政・経済政策は、貿易収支の異常黒字を中心とした内外の矛盾を前に破綻寸前である。内需拡大政策こそが今日の貿易摩擦を打開する道であり、わが国経済の全面的活性化のために所得税減税など国民消費の拡大策をすべきである。

四、中曽根内閣右傾化、大軍拡路線と激しく対決し、闘いの共同行動を。

 中曽根内閣は、政治局面の操作と世論誘導を巧みにするウルトラ右翼政権である。我々は秋の臨時国会に向けて、中曽根内閣の右傾化、大軍拡路線と激しく対決し闘争する。この中曽根反動内閣との対決の戦いを共産党を除く四野党、新自ク、さらに自民党のリベラル派、軍縮派などと共に行動し、広く国民的合意を盛り上げる中で成功をめざす。

五、衆議院の解散・総選挙は、早ければ今年中にもあり得るという前提に立って態勢固めを行う。我々が予算委員会に議席を獲得し、政治討論会など国民の前面に姿を現すことで連合再編のための大状況を切り開くことができる。そのため六議席以上獲得を目指して総力をあげる。また、来年六月の参議院選挙も、比例区を含め全力投球で闘う。


  我々の進むべき道

 一、連合について
 我々のめざす「革新中道連合政権」の道は、単なる政党中心の合従連衡だけにとらわれず、さまざまな市民参加の政治勢力をも含めた広汎な結集の発展である。社会党と民社党の歴史的和解はそのために重要な課題である。

 二、自らの力量強化へ
 連合・再編を進めるために我々自身の力量強化が何よりも重要である。
 我々は、生産者の思想と生活者の思想の結合というモチーフが、連合・再編の要点になると考える。生活と生産の結合という歴史的に新たな立場に立った唯一の新しい時代の政党として連合・再編に取り組んでいく決意である。

 我々の諸原則をスローガン的に要約するならば「平和と公正」である。我々はあらゆる政策・行動原則を「平和と公正」で貫いていく。

 市民的諸要求は既存の政党や団体と離れたところで、生活者として新しい社会像を模索している。我々は合理的時代認識に基づき、これらの諸要求を的確に汲み上げ、政策に反映することで市民のエネルギーと合体した連合の基盤を拡大・発展させる。

 三、労働運動との連携
 全民労協を軸にした大統一への新しい発想とダイナミックな動きと我々はいっそう緊密に歩調を合わせ、協力関係を強化し、連合の条件を構築していく。

 四、院内活動
 社公民三党と連合再構築の目標及び路線と連動した局面の転換、発展に全力を尽くす。

  来るべき第百三回臨時国会闘争方針

 第百三回臨時国会は軍事費のGNP一%枠撤廃問題、スパイ防止法案など中曽根右傾化路線の諸問題とともに、定数是正、貿易摩擦解消、共済年金法案など重要政治問題が山積した激動国会となる。

 中曽根内閣の右傾化、大軍拡路線とは激しく対決し、厳しい追及の戦いを全力投球で押し進める。国民的連帯を強めながら、社公民、新自ク、自民党内軍縮派、リベラル派まで含む幅広い共同行動の構築に傾注して闘う。



一九八五年の情勢

 江田三郎の墓前で社民連が再生を誓った一九八五年は、新旧交代の最初の年であった。

 田英夫代表から江田五月代表へとバトンタッチが行われた社民連に続いて、三月には民社党も佐々木良作委員長が辞意を表明、四月二十三日、塚本三郎委員長が選出された。

 とはいっても、こちらの新旧交代は大変荒れて、「長老支配」が「ある」「ない」で永末国対委員長と春日常任顧問・塚本書記長が火花を散らしたり、佐々木委員長と春日常任顧問が互いに灰皿を摘んで罵り合う場面もあった。

 一方、自民党の中でも竹下登蔵相が「創政会」を旗揚げした。鉄の団結を誇った田中派に亀裂が生じた。「二階堂擁立劇」以来悪化していた田中角栄と二階堂はよりを戻し、協力して「創政会」つぶしにかかるが、果たせなかった。

 二月二十八日、田中角栄は倒れ、東京逓信病院に入院。中曽根政権に及ぼしていた「影響力」は自動的に消滅したのである。

 そして国際的に注目すべき新旧交代は、ソ連のチェルネンコ共産党書記長の死去とゴルバチョフ新書記長の登場であろう。

 さらにもう一つの新旧交代は、国際収支の上で出た。アメリカが赤字大国に転落したのに対し、日本が黒字大国として急浮上したのだ。日本の貿易黒字を減らせというアメリカの要求は、日に日に激しくなった。

 しかし、日本国民は「黒字大国」という言葉にとまどうばかりだった。折からの地価高騰で、超一流企業の社員でさえ退職金で家が買えない。業者は土地を金もうけの道具にして、意図的に吊り上げる。「国と企業富んで、民貧し」現象が急速に進行中だったのである。

 八月十五日、中曽根首相は、戦後の首相としては初めて靖国神社公式参拝を行った。閣僚十八名が追随した。

 各野党は批判したが、中曽根首相は官房長官の私的諮問機関「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」の答申を根拠にしたと、平然としていた。

 ところが批判は、中国・韓国など海の向うから上がり、拡大してしまったのである。中曽根首相は靖国神社秋の例大祭への公式参拝を見送った。秋の例大祭から逃れるように渡米した中曽根首相は、国連創設四十周年記念総会で、平和と軍縮を謳い上げた印象的な演説をした。タカからハトヘ、まさに早変りであった。


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