1987年9月20日

戻る目次前へ次へ


’87全国研修会(1987/09/20) 

 社民連全国研修会は、京都において、九月二十日、二十一日の両日開かれ、全国の会員が「国民待望の新党」をめぐって、シンポジウムと全体討議をおこないました。

 江田五月代表は、冒頭の挨拶のなかで「次の国政選挙は新党でのぞむべき」とする考えを明らかにしました。また新党へのプロセスは、社・民・社民連の融合を先行させ、つぎに政権への展望のためには公明党との結集が必須であると述べました。


 京都市内で開かれた研修会の日程は、二十日、シンポジウム「国民待望の新党を問う」、二十一日、全体討議「国民待望の新党をめざして」。

 シンポジウムでは、パネラーとして社民連国会議員・顧問団に加えて、石川真澄朝日新聞編集委員、高坂正堯京都大学教授が登壇し、会場には約二五〇名の会員等が参加、きたんのない意見が交わされました。


 社民連の使命達成に全力
 江田代表は、シンポジウムに先立つ代表挨拶のなかで、新党の性格を、「国民の党」 「生活の党」「自由と創造の党」「改革の党」「清潔な党」であると提唱しました。

 また新党の目指すものは、自由世界の一員として、平和な世界秩序の創造、そして「福祉社会」 共生社会」をめざし、豊かさの持続と生活の質を転換することだと述べました。また新党結成にとっては、この一両年が重要な時期であるとし、「新しい課題を担うべき新党結成の使命に、全力で取り組む」との決意を表明しました。

 克服すべき諸困難
 パネラーの高坂教授は、「新党の必要性は、あまりにも明白」とし、あえていくつかの問題点を指摘しました。例えば、戦後社会の発展に功績が多かった種々の福祉制度も、つねにその財源が問題とされ、この種の「嫌な問題」も、もっと議論する必要があり、こういう点について新しいプログラムを提出できるかどうかが問われると発言しました。

 またわが国は、かつては国際的には「なにもせず失敗を避けていれば良かった」し、国内においても「利害の調整をやつていれば良かった」が、そういう時代は終わり、「全く新しい仕事」を新党が勇気をもって推進して行くことが必要であると述べました。

 市民政治の視点
 次いで石川氏は、政治観測者の立場から、今の全民労連移行を中心として、非常に大きな展開が予想されると述べました。

 また江田代表の提言した、一つ一つの課題にたちむかってゆく「姿勢」が結集の核となれば、「派閥連合体」としての「もう一つの政権を担う党」が可能であることを指摘しました。

 また社民連結党の初心である、参加・分権・自治、ならびに市民の視点の重視を新党のなかにも持ち込んでほしい、と期待を述べました。

 新しい政治哲学のなかで
 社民連議員団・顧問団からは、田英夫常任顧問が「イデオロギー対立が終った政治の流れのなかで、社民連はどうあるべきかの問題が問われている」とし、「新しい政治哲学は、かえってアジアで “大衆民主主義”ともいうべき形態をとって世界史の中に登場してきている」と述べました。

 また 「新党」 の意義も、こういったアジアから胎動を始めている政治の潮流のなかで問われるべきであり、非組織市民にどう訴えるかが課題であると指摘しました。

 野党連合の具体的前進を
 楢崎弥之助顧問は、現在の状況では野党の存在意義はない、と厳しく指摘し、院内会派も、「国民連合・」方式で大同団結するなど、具体的に前進がないかぎり、自民党の一党支配がくずれることはないと述べました。

 また全電通山岸委員長のことばとして、野党の連合に向けて「顔合わせ、腹合わせ、力合わせ」のプロセスがあると紹介。春日(民社党常任顧問)・田辺(社会党前書記長)会談以降の展開は、「力合わせ」をどうやって実現するかという段階にきていることを明らかにしました。
 
 参院選で野党統一候補
 阿部昭吾書記長は、六四年の参議院議員選挙で、選挙区の一、二人区で野党統一候補を立てるよう、社会党などと折衝中であることを明らかにしました。

 また、社・民の和解は野党再編の第一段階であり基本でもあるが、同時に「国民の新党」作りも同時平行的に進めてゆく考えを示しました。

 そして「アッと驚く人までこの動きに参加してくる」と、社・民和解、野党再編に向かって話合いが進んでいることを示唆しました。

 「生活点」 の重視
 菅直人政策委員長は、高坂教授の福祉等の政策の財源が問題であるという指摘に答え、間接税もタブーとすべきではなく、基本的な財政問題には、踏み込んでゆかなければならないと述べました。

 また新たに求められる政党は、「生産点」つまり企業や労組といった職場の組織に支えられていることに加え、「生活点」つまり地域に根ざしていることが重要であるとし、市民の政治参加が、新しい日本の政治の出発点となると述べました。


1987年

戻る目次前へ次へ