2002年7月

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ずいひつ  ビバ、東ティモール!


二人の大統領の登場

 「ただ今、シャナナ・グスマォン大統領当選者と一緒に……」と間をおいて、「メガワティ・スカルノプトリ・インドネシア大統領が到着されました。インドネシア兵士の墓地に眠る英雄たちに参拝の後、直ちに駆けつけられました」とのホルタさんの言葉に続き、二人が並んで入場。やはりドタキャンかなと思った矢先でした。劇的な演出です。

 歓迎する東ティモール側も立派で、心から拍手をしました。これが一九七五年に実現していれば、第二次世界大戦後の現代史で最悪の「戦争」はなかったのにと、つい恨み節。次いで、子どもたちの演技。この子たちのために、皆がんばっているのです。

 ハン・ソン・スン国連総会議長が権限委譲の演説 ― 「あらゆる希望を打ち砕かれた二十年余を経て、今二十一世紀最初の独立国となった東ティモールを、国連加盟百八十九か国は心から歓迎します」。

 アナン事務総長の演説 ― 「長い話しは出来ません。なぜなら、0時が迫っていますから。四十五年前の私の故国ガーナの独立の時と同じように心が躍っています。こんなに小さな国のために、世界中がこんなに団結したことはありませんでした。この日を夢に見ながら亡くなった人々のためにも、祝福します。全ての人類が誇りとすべき日です。独立は言葉でなく実績です。東ティモールの人びとは、どうか約束して下さい。結束こそが力です。国連は今後も支援を続けます」。

2002年5月20日

 0時、独立。国連旗が降ろされ、ル・オロ国会議長が独立宣言。ファリンテル代表から国防軍兵士に新国旗が渡され、国歌の吹奏の中を掲揚へ。議長により、グスマォン大統領の就任宣誓。署名。

 最後に、就任したばかりの大統領が、英語、ポルトガル語、インドネシア語、テトゥン語と、4カ国語を使って就任演説 ― 「東ティモール問題の解決は、国際社会の責任でした。そこで、こうして全世界から代表が集まってくれました。私たちはここに、自由で民主的で豊かな国をつくります。皆さんはその証人です」。

 各国代表への謝辞に続き、国連東ティモール派遣団(UNAMET)のイアン・マーティン代表へも言葉が添えられました。国連、ポルトガル、インドネシア、オーストラリアには、記念品の授与。最後に力強く、「私たちは責任を果たします。ビバ、東ティモール!」と締めくくりました。

 盛大な花火。大混雑の中をホテルへ着いたら、二時を回っていました。これは東ティモールが独立を果たした五月二十日のことです。

独立式典へのプレリュード
 
 東ティモールの記念すべき歴史を刻んだ時間を共有できた感激は、今なお心に残っています。加えて、十八日にデンパサールに到着してから多くの旧知との再会、新たな出会いも印象的でした。駐インドネシア・ポルトガル大使のアナ・ゴメスさんもその一人です。彼女は、この三年ほどインドネシアにいて、最も困難な時代の外交を見事に取り仕切りました。その他、駐日オーストラリア大使、いずれも駐インドネシアのハンガリー大使、バングラデシュ大使などと出会いました。

 インドネシアから東ティモールに行くのに、外国へ行く手続きをするのも、考えてみれば、大きな変化です。九時四十分の便で、東ティモールのディリ・コモロ空港へ。四回目の訪問ですが、こんなに平和な東ティモールは、今回が初めてです。十二時過ぎに到着。タラップを降りると、赤じゅうたんが敷かれ、国連事務総長特別代表のデ・メロさん、暫定外相のラモス・ホルタさん、ベロ司教などが一行を出迎えてくれました。こんな時代が来るとは、夢のようです。

 五月一九日は、東ティモールの外国人支配最後の日です。深夜までパソコンと格闘し、0時を過ぎて南十字星を見て寝たので、朝はゆっくり。

 記念式典会場の付近に見本市が立っています。日本、米国、中国、韓国、豪州など各国の展示場や、東ティモールの十三県の展示場があり、多くの人で賑わっていました。戸外には、伝統的な建物のパビリオンがいくつも建ち、ふいごによる刃物の作り方、反物の織り方、銀の装飾具の実演など。カイコやマユの展示もあります。穀物の在来種を保存する努力もしているようです。

 各国の要人が続々駆けつけ、国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の建物周辺は、すでに立入禁止。日本からの国会議員は、杉浦正健外務副大臣と私の二人だけです。服装は、淡い色の長袖開襟シャツと濃い色のズボンと決められています。スマート・カジュアルというのだそうです。

 まず、十六時四十分、杉浦副大臣の泊まっている海のホテルに集合。そこへ突然、クリントン前米国大統領が現れました。現職を退いてもサービス精神旺盛で、その場にいるみんなと握手。私も握手し、「大統領になられる前にお目にかかりました」と話しかけ、宮沢内閣末期に米国大使館で行われたレセプションでのことを話題にしました。

 十七時から、国連のコフィ・アナン事務総長ら主催の外国来賓レセプションへ。暫定政府のデ・メロさんは旧知で、アナンさんに「大変熱心に支援してくれました」と言葉を添えて紹介してくれました。唐家セン中国外相、マリ・アルカティリ暫定首相、マリオ・カラスカラォン社民党党首とジョアン・カラスカラォン元暫定インフラ大臣など、多くの東ティモール議員とも会いました。急ごしらえの演壇で、アナンさん、ホルタさん、アルカティリさんなどが挨拶。

 二十一時にホテルを出て、海岸の広い砂浜に設営された独立式典会場へ。途中で、マリア像をおみこし風に担いだ大行進とすれ違いました。ミサの後のようです。ここは、敬虔なカトリックの国なのです。

 会場では、壇上は杉浦さんだけで、私たちはサイドの自由席。二十一時三十分、ホルタさんが開会宣言。民族衣装の踊りが続きます。十三県それぞれが伝統舞踊を披露しているようです。正装に身を包んだお年寄りの気合いの入った歌が印象的でした。特別の訓練はしていないようですが、参加者の心がひとつになっていることが伝わってきます。大きなワニの張りぼての行進など、次々と工夫を凝らした出し物が登場します。

 二十三時十分から、ホルタさんによる外国来賓紹介。まず、アナンさん、デ・メロさんなど国連関係者。ポルトガルは大統領をはじめ百人の代表団。オーストラリアはハワード首相。モーリシャス、モザンビーク、ナウル、南アフリカ、ニュージーランド、サモア、世銀。そしてクリントン前大統領が、在任中の人権外交への賛辞を込めて紹介されました。個別の紹介は、西サハラのポリサリオ代表までで、後は全世界の全ての人びとの代表へ謝辞。

 この瞬間に、冒頭の二人の大統領の劇的な登場となったのです。

●えだ さつき・参議院議員

「世界と人口」2002/7月号掲載


2002/07

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