曽我野一美氏追悼集会追悼のことば

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曽我野一美氏追悼集会 追悼のことば


参議院議員 江田五月

 曽我野さん。私が最後にあなたにお目にかかったのは2010年9月ですから、今から2年半ほど前になります。今も国立ハンセン病療養所の職員減少をどう食い止めるか、緊張の毎日が続いていますが、当時、あなたが生活しておられる大島青松園と高松市の庵治港とを結ぶ官有船の運行が確保できるかどうかが大問題となっていました。長島愛生園と邑久光明園のある岡山県の長島は、離島ではありますがまさに一衣帯水で、厚生大臣をされた園田直さんらの大変な努力で、人間回復の橋「長島大橋」が架けられました。しかし香川県の大島は、距離的にも架橋は出来ず、入所者の皆さんにとっては船が唯一の本土との繋がりなのです。もともと強制隔離という国の間違った政策で、離島での生活を余儀なくされた皆さんから、いわばへその緒ともいうべき回路を奪ってしまうことは出来ません。そうしたみなさんの声を受けて、私は地元の玉木雄一郎さんのご夫人と一緒に定期便で島に渡り、説明を聞いたり現場を見たりして、「さあ帰ろう」というときに、曾我野さんたちが見送りに来てくれました。久しぶりにお目にかかった曽我野さんは、一線を引かれてお年も召されましたが、なお矍鑠として私たちを激励されました。

 曽我野さんのご経歴等については、神さんや谺さんからお話があったので省きますが、熊本地裁での国賠訴訟の第4次提訴に加わって、原告勝訴を勝ち取っただけでなく、この運動を大きく盛り上げた主役のお一人でした。私も長くハンセン病問題に関わってきましたが、単なる正義感や理屈だけでは解き明かせない微妙な人間の心理が関わる課題でした。らい予防法は稀代の悪法で廃止は当然のことですが、入所者の皆さんの中には、もう静かに余生を送りたいので、これ以上ややこしい問題に関わらさないで欲しいという気持ちも強く、方向性を見出すのは簡単ではありませんでした。そのようなときに、曽我野さんが原告に加わることにより、国賠支援に本格的に火が着き、私も押されて国賠訴訟の支援を目的とする「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」の会長を引き受けました。そして勝訴判決と控訴断念の実現、補償法と衆参両院決議、協議会設置と基本法制定、職員定員に関する国会決議などと続きます。すべて曽我野さん、あなたのご功績です。

 曽我野さんが亡くなられたとの知らせが届いたのは、衆議院が解散されて私たち政治に携わるものは総選挙の準備に大童の最中で、ご葬儀に駆けつけることが出来ませんでした。しかし、あなたの遺志はしっかりと全療協や支援のみんなに受け継がれています。今日も療養所職員問題で会合が開かれ、懸案だった定数減に歯止めをかけるとの回答が見えてきました。定員削減49人に対し、増員もこれと同じ49人で、さらに介護員を定員内職員に切り替えた場合の後補充に努めることや、再任用短時間勤務者の定数として看護師13名を新設することが明らかにされたところです。昨年9月に当時の小宮山厚労大臣と折衝したときに、大臣が「ハンストをしておけば良かったと後悔させるようなことは、決してしません」と明言され、先日も田村大臣との面会の際に、これが再確認されましたが、それでも間に入っていた私たち政治家は、実は心配していたのです。今日の追悼集会で曽我野さんにこの報告が出来て、本当にほっとしています。

 瀬戸内にもまもなく春が来ます。白砂青松の小島に、曽我野さん、あなたはお眠りになるのでしょうか。あなたのふるさとは高知県中村市だと伺っています。穏やかな瀬戸の海も良いけれど、黒潮の押し寄せる土佐の海のほうが、あなたの不屈の闘志に溢れた生涯にはより相応しいようにも思います。誰もがみなふるさとに帰り、親族や近隣の皆さんに「お帰りなさい、大変だったね」と迎えられて、安らかに眠ることの出来る日が早く来るように、そしてこのような悲劇を再び繰り返さないため、療養所で人間の営みがあったことを風化させず、しっかりと歴史に刻み込んで将来に生かすように、これからも全力を尽くします。どうぞ見守ってください。そして安らかにお休みください。曽我野一美さん、さようなら。


2013年1月31日 曽我野一美氏追悼集会追悼のことば

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