2014年4月4日

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4月4日 国家安全保障戦略、防衛大綱・中期防衛計画に関する質問  参議院議員 北澤俊美


平成26年4月4日
国家安全保障戦略、防衛大綱・中期防衛計画に関する質問
民主党 参議院議員 北澤俊美

民主党の北澤俊美です。私は、ただいま議題となりました、「国家安全保障戦略」「平成 26 年度以降に係る防衛計画の大綱」及び「中期防衛力整備計画」につきまして、民主党・新緑風会を代表して質問します。

総理、耳障りなことも言うと思いますが、これから述べますことをどうか心に刻んでいただきたい。私はそう願っております。

 冒頭、今は亡き元日本興業銀行頭取 西村正雄さんが亡くなる直前の2006年、ある月刊誌に載せた論文について紹介します。西村さんは故安倍晋太郎元外相の弟であり、安倍晋三現総理の叔父にあたられる方です。
  西村さんは先ず、1998年8月に小渕総理が就任した時、唐の太宗の帝王学から、「偏信を捨て兼聴せよ」と言う言葉を贈ったと述べておられます。「偏信とは一人の言うことだけを信用することであり、兼聴は多くの人の率直な意見に耳を傾けること」であります。
  続いて西村さんは、政治の基本理念である「経世済民」の原点に立ち、格差是正に心を致すことを次の総理に望む、と主張しておられます。けだし的を射た至言であります。そして最後に西村さんは、日中首脳会談の再開を強く望んで筆を置かれています。
  この論文は西村さんによる我が国の政治に対する遺言であり、自民党総裁選に出ることすら心配していた甥の安倍晋三総理への遺言となりました。その中身は今日の我が国の政治にも通用するものと考えます。お身内の警鐘をどのように受け止め、目の前の政治にどう向かわれるつもりか、総理のご所見をお聞かせ下さい。

<国家安全保障戦略関連>
  以下、国家安全保障戦略から質問して参ります。
 
国家安全保障戦略では、積極的平和主義が強調されています。しかし、これがどうも胡散臭い。なぜ胡散臭いのか。
総理は「戦後レジームからの脱却」を謳い、国家主義、軍事力への憧憬を隠そうとしていません。総理の側近である衛藤晟一補佐官は、総理の靖国訪問に失望したと述べた米国政府に対し、こっちこそ失望した、と述べています。さらに萩生田光一自民党総裁特別補佐の発言などもあり、いくら積極的平和主義という言葉を弄んでも、胡散臭さが付いて回るのは当然です。
総理に質問します。戦後レジームから脱却した後にどんな国家があるのでしょうか。新しい国家像があるならば是非語っていただきたいものです。

 外交・安全保障は国家存立の中心です。それは相手国との究極のリアリズムに立脚して構築されなければなりません。
ところが今日の安倍政権は、近隣諸国、なかんずく韓国・中国とは本格的な首脳会談も開けず、同盟国米国に仲介の労を煩わせても、展望が開けておりません。しかも、自身の靖国参拝をめぐってはその米国からも「失望した」とのコメントを出され、またロシアとの間で活路を見出そうとしたもののクリミヤ情勢で身動きがとれず、まさに八方塞がりの状態です。
外務大臣には、現下の日本外交に関する基本認識を伺います。何故この様な状態に至ったのでありましょうか? 
私に言わせれば、答はまさに「身から出た錆」であります。今日、安倍政権は総理の個人的信条を優先させ、更には身辺のブレーンが偏狭なナショナリズムに基づいた発言を繰り返しています。安倍総理がいくら前言を翻し、官房長官がブレーンの発言を打ち消しても、国際社会は「安倍総理の本心は別ではないか」という疑心暗鬼を抱いています。安倍内閣のダブルスタンダードは見抜かれているのです。
思えば、吉田茂総理をはじめ、戦後歴代の自民党内閣は苦労を重ね、大きな戦略的判断として決めたのが、専守防衛と平和主義でした。先人たちは忍びがたきも忍びながら、それでも我が国の国益を見据えてぎりぎりの決断を下したのです。だからこそ、国民の大多数はそれを支持し、国際社会も日本の姿勢を高く評価しました。
吉田総理たちの根底にあったのはリアリズムであり、それは、忍耐、歴史に対する深い洞察力、そして心に響く誠実さに支えられていました。だからこそ、敗戦によって主権を失った国家と国民を導き、“戦後を乗り越える力”となったのです。
一方で、総理のブレーンやNHK会長や一部経営委員の歴史認識は、私に言わせれば、「今だから言える」的な浅はかなものであります。そこにリアリズムを見出すことはできません。そんなものでは“戦後を乗り越える力”とはなりえなかったし、“現代を乗り越える力”にもなりえません。
総理に助言するとしたら、今やこの袋小路から抜け出すための第一歩は、政府の方針と異なる発言をくりかえすブレーンを更迭することです。先に引用した西村氏は別の週刊誌のインタビューでも「晋ちゃんは人がいい、人がいいから他人に利用されやすい」「偏狭なナショナリストと離れろ。・・・国家を誤らせる偏狭なナショナリストとは、一線を画すべきじゃないか」と述べております。総理のお考えを伺います。

 三日前、安倍内閣は「防衛装備移転三原則」を閣議決定しました。これにより、従来の武器輸出三原則が持っていた平和国家としての基本理念を踏み外すことになるのではないかと、私は心配しております。私の心配は杞憂でしょうか。例えば、新しい仕組みの下では、現在紛争の当事国になっている国、例えばイスラエルに対し、我が国の防衛装備品等が移転しないことをどうやって担保するおつもりか。菅官房長官に伺います。

<防衛大綱・中期防関連>
   次に、防衛大綱、中期防について質問します。
 
本日議題となっている防衛大綱は、昨年12月に安倍内閣の下で制定されました。その三年前の平成22年12月、当時の菅内閣は通称22(フタフタ)大綱と呼ばれる防衛大綱を制定し、私もその任に当たりました。連日連夜、防衛省内及び政府内で激論を繰り返したことを今もはっきり憶えています。
当時の我々の問題意識は、冷戦時代の安全保障体制の残滓を乗り越え、新しい時代にふさわしい防衛態勢を打ち出すことにありました。その結果が、34年続いた「基盤的防衛力構想」から「動的防衛力構想」への大転換でした。極東ソ連軍を念頭に置いた態勢から、南西重視を打ち出し、厳しい財政制約の下での防衛力の実効性を高めるため、情報力と展開力を強化することとしました。今思えば、防衛大綱を通じ、新時代の国家安全保障戦略を提示していたのだと自負しております。
以上を念頭に置いて今回の防衛大綱を読んだ感想は、一言で言えば「肩透かし」であります。安全保障環境の変化に対応したという謳い文句にもかかわらず、北朝鮮のミサイルも、中国の海洋進出も、災害対応の重要性も、そして複合事態へのシームレスな対応や統合運用の重要性も、すべて22大綱に盛り込まれていました。今次大綱の目玉である「統合機動防衛力」も、我々が打ち出した「動的防衛力」と何が違うのか、少なくとも、名前を変えなければならないほどの違いを見つけることはできません。民主党が作った大綱だから面白くない、せめて看板だけでも掛け替えたいという子供じみた思いが透けて見えます。現に米軍は、呼び方は変わってもその前と変わらない、と解釈している、そう聞き及んでおります。
戦略環境その他の事情に重大な変化がない限り、防衛政策は継続性、安定性が重要です。総理をはじめ、関係閣僚にはこのことを肝に銘じていただきますようお願い申し上げたい。子供じみた発想より当時政権を担った民主党が大綱を作ったことで我が国政治勢力の80%以上が日米同盟とともに防衛政策の継続にコミットした重要性にこそ意を用いるべきではないでしょうか。防衛大臣に対し、22大綱で掲げた「動的防衛力」と今次大綱の「統合機動防衛力」は、コンセプトや戦略的背景の面で何がどう違っているのか、質問致します。

新中期防衛力整備計画では、24兆6,700億円の経費総額となっており、一つ前の計画より1兆円を超える増額だと安倍内閣は胸をはっているようであります。ところが、この24兆6,700億円は仕掛けがあり、まとめ買いなど調達改革を通じて5年間で7,000億円もの合理化を実現することが前提となっています。いわゆる真水の額は23兆9,700億円にとどまるわけでして、あとは自衛隊が毎年平均で1,400億円もの合理化努力をしなければ、新計画は絵に描いた餅になるわけです。防衛大臣に伺います。自衛隊は、調達改革等を通じて、本当にこれだけ巨額の財源を捻出できるのか。現在、どのような取り組みを行っているのか、また今後行う予定であるのか。効果毎の具体的な見込み額も含めて明らかにしていただきたい。

<安保法制懇関連>
 

 残りの時間は、現在安倍内閣で検討している安保法制の見直しについて質問します。

 先般、集団的自衛権行使について民主党の見解をまとめました。
我々は、三つの原則に立ちます。第一は立憲主義による制約。第二は法治主義に基づく限界。第三は法的安定性確保の要請。この三つであります。
内閣みずからが憲法解釈を変更する余地は、いかに諸情勢の変化とそれから生ずる新たな要請があったとしても、従来の解釈との整合性が図られた論理的に導きうる範囲に限られ、内閣が、便宜的、意図的に変更することは、立憲主義及び法治主義に反しています。集団的自衛権の行使について、憲法第9条に違反し許されないという内閣の解釈を、正面から否定し、集団的自衛権の行使一般を容認する解釈に変更することは許されない――。こう集約しました。

以上の見解をまとめた我々にとって、総理が集団的自衛権の行使に関わるような重大な憲法解釈の変更について「最高の責任者は私だ。・・・私たちは選挙で国民から審判を受ける」と述べられたのは、まさに聞き捨てならない一言です。総理大臣であっても従来の解釈と整合性の取れないような変更を加えることは立憲主義に反します。また、選挙は様々な争点で戦われるのであり、選挙結果を以って自分の憲法解釈が国民に信任されたと言うのは性質(たち)の悪い強弁です。
  また、内閣の判断次第で我が国の「武力行使」が許される範囲が恣意的に伸縮・変化し、過去に適法であったものが将来、違法と評価されるといった状況が起きるということになれば、武力の行使という極めて重い任にあたる自衛隊員にとっては死活問題となります。端的に言えば、ある内閣が唐突にやってもよいと決め、その命令に基づいて行った隊員の行為が、後の内閣によって否定され、糾弾されかねないのであります。そんなことは絶対に許されません。
  最近、砂川判決を集団的自衛権行使の根拠にする説が出ています。しかし、これは個別的自衛権について述べたものであり、集団的自衛権を正当化することはできません。しかも、その後の政府見解で「集団的自衛権は保有すれども行使せず」と明らかにしており、既に決着済みであります。
  今、憲法審査会では国民投票法について与野党の協議が進み、その成立が視界に入ってきました。大変喜ばしいことだと思います。集団的自衛権の行使について、国民投票法に基づいて史上初の憲法改正を国民に問うのであれば、その内容にもよりますが、総理は政治指導者として王道を行くと言ってもよいでありましょう。しかし、選挙での勝利に酔い、有無を言わせずに解釈変更を進めるのであれば、あなたは政治指導者として覇道、邪道を行くことになる。よもや与党がそのようなことを認めるとは考えたくありません。

以上述べたうえで、総理にまとめて質問します。ここまで申し上げても、総理は、憲法解釈は自分がやろうと思えば好きにできる、と開き直り続けますか。政府が行う解釈変更には限界があり、このような恐れを生じうるような、法的安定性を損なう解釈変更は許されるべきではないことに同意されませんか。そして、集団的自衛権の行使について、なぜ憲法改正でなく、解釈変更でやろうというのですか。

<結語>
 

私は戦前に生を受け、終戦時は小学校の低学年でした。「ゆう子ちゃんのお父さんが戦死した」「富夫ちゃんのお兄さんが戦死した」「匡ちゃんのお父さんはシベリアへ連れて行かれたらしい」――それぞれの家庭に押し寄せる哀しみと貧しさも記憶しております数少ない国会議員の一人であります。
その私がつくづく思いますには、国家が戦争をしない為の最後の砦は国会であります。安倍総理が委員長の議事整理権を無視し、半ば切れかかった調子でヤジを黙らせる行為を見るにつけ、過去の国会の自滅、国家の崩壊の歴史が脳裏をよぎります。宰相に求められる泰然自若の風格と謙虚さをそなえた総理の成長を切に願うと共に、我々議会人も責任の重さを改めて自覚したいものであります。

最後に、戦争の非情を伝える二つの歌を紹介して私の質問を終わります。

“我が妹は母しなければとつぐ今日誰が帯結び粧いするらむ”
   松本光憲さん。上智大学生、昭和20年5月15日戦死。享年25歳。

“出征きて還らぬ友垣十四人並べて齢は二十二なりき”
小口凪海(なぎみ)さん。同級生中一人だけ生還した胸中をよむ。
松本市在住、現在92歳。

 ご清聴ありがとうございました。


2014年4月4日 4月4日 国家安全保障戦略、防衛大綱・中期防衛計画に関する質問  参議院議員 北澤俊美

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