2012年法政大学大学院政治学講義 | ホーム/講義録目次/前へ/次へ |
2012年11月23日 第 10 回講義「政権交代がおこる民主主義が必要」 講師 江田五月
今日は勤労感謝の日。前回は失礼しました。私の秘書の江田洋一君が「秘書の仕事」について話をしました。つい先日は夜、溜池の四十八(よんぱち)漁場で懇親会を楽しく行いました。
【オックスフォード大学】
先週 16 日は、私は実は東京にいたんです。裁判官になったのは 68 年、翌年 69 年から 71 年まで 2 年間、最高裁の派遣でオックスフォード大学に留学をいたしました。そのオックスフォードのリナカーというカレッジがありまして、トーマス・リナカーという人がいましてね、この人はルネッサンス期の人文学者なんですがその名前をとったカレッジで、創立 50 周年でした。 50 周年といっても目茶目茶新しいんですよね。イギリスの大学オックスフォードのニューカレッジはニューがついているけど、 16 世紀とか 17 世紀とかで 50 周年というのは全く新しいのですが。 50 周年を記念して世界中で催しをやりたい。何の催しをやりたいかというと、これはあまり嬉しくない催しですが、基金集めをしたい。日本でも募金を集めてくれ、日本はいくら集めてくれる、その募金集めの実行委員長を仰せつかっておりまして、カレッジの学長が、カレッジ、イギリスではコレッジというんですが、トップはあるところではリーン、あるところではプリンスパル、いろいろな呼び方がある。何で統一しないのか、そんな統一しなくとも、それぞれ自分の好きなように言えばいいじゃないかという。私どものところはプリンスパルで、これがやってきて、そして 50 周年記念晩餐会をしますと。実行委員長として行きまして、そこで乾杯をやって、最初の挨拶をホームページに載せています。そんなことをやっておりました。
ちなみに法政なんかはどうなんでしょうね。寄付金いろいろ集めるんでしょうね。日本は私立は寄付金集めている。国立は大体今までは寄付金集めなんて縁がなかったんですけど。いい事か悪い事かよくわかりませんが、小泉内閣時代に国立大学が変わったんですね。独立行政法人、まあ国立大学法人というのですが、法人化して、もちろん国のお金もありますが、それぞれ自分で金を集めろ、こんななことになってまいりました。私は東大でしたが、東大の場合も副学長というのがいっぱいいるんですね。この副学長というのは何をするのかというと、地方に行って同窓会をやる。その同窓会で何やるかというと、寄付金集めて下さいというのをやっているわけです。それも大学が社会の実情に通じる、多少社会の実情に明るくなる一つの方法かな。特に悪いとばかりはいえないんですが、まあそんな状況になってきています。イギリスの大学は、ケンブリッジにしてもオックスフォードにしても、もともとクイーンの特許状で作られているんですけど、国立の大学というわけではないんで、自分たちで金を集めるという必要は相当ある。アメリカもそうじゃないですかね。ハーバードにしてもエールにしても自分たちで金を集めていると思います。多分これは悪いことではない。まあそんなことを先週はやっておりまして、来ることができませんでした。
【新嘗祭】
今日はさっとお配りしたんですが、これは今から 3 年前、 2009 年 11 月 23 日の夜、私が何をしていたか。参議院の議長になったのが 2007 年。 2007 年の 11 月 23 日、同じく 2008 年の 11 月 23 日、 2009 年の 11 月 23 日、勤労感謝の日ですが、戦後勤労感謝の日ということになった。しかし、その前はやはりこれは休みだったのかどうか、新嘗祭という日なんですね。ちなみにこういう儀式があるんです。大嘗祭というのは天皇が即位をして最初に神と合体する儀式、新嘗祭というのはその年の収穫、これを神に感謝するお祭りなんですね。これは凄い儀式ですよね、寒いですよね今は。皇居の中に特別の神殿がありまして、こんなことは教科書には出てないですが。新嘗祭神嘉殿、たいした神社じゃないんですよ。素晴らしいというと変だけど質素な神社です。細長い砂利の庭があって、その奥の方に木造の白木の神殿があります。ここは真っ暗です。照明はほぼないに等しい。照明は一つ、掘り炬燵ぐらいの大きさの露天です。上は青天井、 3 つほどある。そこに薪を入れて燃やす。もう一つは提灯がところどころぶら下がっている。照明はそれだけですから、本当に暗いんです。まず、内閣総理大臣、それから衆参両院の議長・副議長、最高裁長官か代理者、あと大臣が少々と宮内庁の職員、そういう人たちが並ぶんですが。細長い砂利の横の方に、吹き抜け、屋根がついているんですが外の空気とのドアはありません。ああいうのは何ていうんですかね、吹きさらしというんですか、その席があってそこへ皆座るんですね。座る場所は大変重要です。何故重要かというと、長い座る場所のところどころに石油ストーブがある。石油ストーブに近いか遠いかが非常に重要なことで。近くなかったら本当に震え上がる。われわれは皆モーニングで行くんですが、モーニングだけだととても寒いのでコート着用可ということになっているんです。コートはしかし黒いコート、私は黒いのを持ってなくて、最初の時に黒いコートいるけど結構高いんですよね、黒いコートって。買いに行ったら女房がこれにしなさい、いやそんなものいらない、ただ黒いコートだけで行ったら、他の皆さんはカシミヤのフロックコートかなんかで来てるんで。しようがない翌年には、さすがに伊藤博文みたいなコートは嫌ですけど、カシミヤのコートを、滅多に使わないんでね。本当に馬鹿馬鹿しい話しなんですけど買いまして。 2009 年にはカシミヤのコートを着て行ったと思いますが。
夜 6 時でしたか、まず夕の儀というのがあるんですね。 2 時間ぐらいかかって、われわれはじっと座っている。天皇陛下がちょっとベージュの色のついた白い装束で、その前を松明を持った人がばあっと歩いて、その後ろを天皇陛下がさささっと歩いて。その前に神殿は女人禁制といわれているんですね。ところが女人禁制どころか女人ばかりです。女官の人が一生懸命ものを運び込むんですよ神殿の中に。今年獲れたものなどいろんなものを運び込むんで。それから天皇陛下が入られる。そして中で何をやっているのかわかりません。これは外からではわからない。天皇陛下と神様がその年の米で作った新しいお酒、濁酒ですがね。黒酒と白酒があるんですが、これを神様と飲み交わして神と一体となるというような儀式を行うんですね。われわれはただじっと見ているだけで、時々提灯持った人がこうやって提灯をあげるんですね、そうするとご起立願いますと皆立って。しばらくたって。またしばらくすると提灯が向うの方になって、ご着席でない、ご着床願います。又、座って、これが 3 回ぐらいあって。そして最後に、中から声が聞こえるんです。どういう声かというと、うおーおうという声が聞こえるんですよ。天皇陛下の雄叫びなのか、まあ聞こえて。そして荷物が全部外へ出されて天皇陛下が出てきて、われわれが順次一人づつ神殿の前で拝礼をします。拝礼というのは 真菰(まこも)というのがあるんですね。萱、霞ヶ浦とかそういうところに生えている萱です。それで編んだ茣蓙(ござ)がありまして、その茣蓙の上にあがってお辞儀をして座る、それを皆でやる。これで全体で 2 時間ぐらいで。
今度、次に暁の儀がある。同じことを繰り返す。こういうようなことを 2007 〜 2009 年と 3 年間、やっておりました。丁度今頃、今年は誰が行くんでしょうかね。内閣総理大臣、これは行きます。衆議院議長はどうです、行くか行かないか。そもそも今、衆議院議長というのはいるんですか。いない、衆議院解散ですから。内閣総理大臣は国会議員でなくてはいけないんですが、これは憲法に書いてあるんですが、まあ解散で衆議院議員でなくなったら内閣総理大臣もいなくなったというのでは、これは話しになりませんから。別に法規はない。確かに解散と同時に衆議院議員はいなくなって前衆議院議員となる。選挙の時、皆、前衆議院議員と書いてあるでしょう。あれは解散と同時にいなくなるから。総選挙が終わって、解散の場合は特別国会が召集されて、そこで総辞職して次の内閣総理大臣の指名が行われますから。次の内閣総理大臣が任命されるまで、その前の総理が続けますから、従って内閣総理大臣がいる。だからいいんですが、衆議院議員でない衆議院議長というのはいません。従って横路さんは前衆議院議長だから新嘗祭には出ていないと思います。衆議院の副議長もいません。参議院の議長・副議長、最高裁長官又は代理者が出ます。
これは何ですかね、新嘗祭というのは。天皇陛下のどういう行為になりますか。今回の解散は憲法 7 条ですよね。憲法 7 条には国会については衆議院を解散することというのがありますから。だからこれで解散するわけで。但し、天皇陛下が独断で解散するわけではありません。内閣の助言と承認が要ります。内閣の助言と承認はいつできるか。憲法 69 条で不信任が可決した時とあるんですが、これは両説があります。少数説は今は単なる説で、単なる説を一生懸命唱える政治家も菅直人始め若干いますけれど、そんなことは言ってみるだけで実際はそうはなりません。 69 条は内閣不信任案が可決したら、解散するか、それとも総辞職をするかをしなければならない。しなければならない時だけしか解散できないという規定はどこにもないんで。解釈上 69 条の他に、内閣総理大臣は閣議の決定がいるんですが、衆議院を自由に解散できるということになっていて、内閣総理大臣が解散を決断して閣議で解散詔書に皆が花押(署名)を書いたら、これで助言と承認をして天皇陛下が解散の詔書を出す。そのふくさが国会にまわってきて、そしてそれが衆議院の、議場でなくてもいいんです、読み上げられて衆議院が解散になる。議場で読み上げられなかった例というのは今までもあるんですね。どこで読み上げるのか。読み上げないとやはりちょっと格好悪いですよね。読み上げもなしに、いつの間に解散なんていかないんで。衆議院の議員運営委員会をやる議長応接室、議長サロンという、そこに議員運営委員会の皆さんが集まってそこで解散詔書が朗読された例があります。国会を召集していないと解散できないのか、召集されてなくとも解散はできる。国会というのは召集されて国会で会議をやっている、それを解散するんじゃなくて、衆議院議員を一度全部くびにして、総選挙でもう一度やり直すという話ですから、だから国会召集されてなくとも解散できます。但し、今までは国会を召集せずに解散、つまり閉会中に解散した例は今までにない。だけどできる。その場合にでも召集中でなければ、議員運営委員会を開いてメンバーが集まっているところで解散詔書を読めばよろしい。
【憲法第 7 条〜天皇の国事行為】
話しがちょっと飛びましたけれど、憲法第 7 条というのは天皇陛下が行うことなのですね。これのどこに入るのでしょうね、新嘗祭というのは。 7 条はいろいろある、憲法改正や法律・条約公布、国会召集、衆議院の解散、総選挙の施行を公示すること。選挙は普通何といいます、これからよーいどんというのは。公示と普通は言わない。公職選挙法で規定しているいろんな選挙は告示と書いてある。衆議院の選挙だけが公示という。参議院選挙も公示というんですね。まあ衆議院にならって。何故というとここに書いてあるから。それ以外は特に理由はないと思いますが、憲法に書いてあるんで。じゃ他の県会議員も市長も都知事も全部公示にすればいいじゃないか、何故かそっちは告示になっている。まあ選挙の公示、それから大赦とか特赦とか、外国の大使などの接受とか、その後に儀式を行うこと。
さあ新嘗祭は儀式にあたるかどうか。皇室行事ですが、憲法の関係でいうとどうなるのでしょう。助言と承認をするとやばいですよね。全くの宗教的な行事、だって神様と一体化してというような話しですからね。だから助言と承認で宗教的な行事をするというのはまずいんで、ここの憲法 7 条の儀式にあたるというのはちょっと違うんじゃないか。憲法 7 条の儀式というのはいろいろあるんですけど、例えば、 8 月 15 日には国が主催する戦没者追悼式がある。その他にもいろんな儀式がある。新嘗祭が儀式というのはちょっとまずいんでこれは公式行事、天皇家の行事だということにしないといけないんだろうと思います。じゃ内閣総理大臣以下の者が出席するのは何だこれは。まあそう固く言わずに出ていたらいいじゃないか。
日本の天皇陛下は日本国及び日本国民の象徴なので、その象徴が私的な行事とはいえ行事を行うので、そこへその他の国の機関がまあ出席をして例を尽くすということもいいんじゃないかとやっているんですが。細かく言い出すといろんな問題がそこにあるかも知れません。私はまあそういう議論もいいけど、これは滅多に出られるものではないし、儀式はめったに行けない話しだし、面白いから行け行けというので行って。そして帰りに、特に夕の儀が終わったら料理がふるまわれて、白酒と黒酒が「かわらけ」に入ったのをくれるんです。これは紙で蓋をしているだけで、何故紙で蓋をするのかというとまだ発酵途中ですから、ぎゅっと蓋をしたらぼうっといくので。それを大事に大事に持って帰って。ちなみに3回もらいましたが、その内の 1 回は地元に持って帰って、地元の神社、あれは黒住教という神道の流派があるんですが、そこの黒住さんというのは高校の先輩なので、先輩一つ飲んでよといって大変喜ばれました。そんなことをやるんですね。
あの面白い、言葉使いがね。神殿に入りますよね、そして神殿から出てきますよね。ところが皇居の文書をみると逆になっているんです。神殿には出る、神殿からこちらに来るのは入る。神の世界は外の世界でそこへ天皇陛下が出ていかれて神道の儀式をして、又、下界というのかそこへ入ってくる。というような感じなんですね。その間に音楽があるんです。 3 つ薪の場所があって、薪の向こう側の方に雅楽、これがまた同じ旋律をずうっとやるんですね。まああれくらい退屈なものはないけど、そんなようなことが日本の統治機構というとおかしいんですが、日本のシステムの中に組み込まれていることは確かで。そのシステムが戦争が終わるまで神格化されて、そして日本の統合の要のような役割を果たしていたんですが。戦後はそうでなくて、天皇も象徴になって、その象徴たる天皇家の一行事であることで、一定の尊重はされるけど、それ以上の意味は持たせられません。そういうものになりました。それを最近、またいろいろ持ち上げて天皇を元首にしようとかいう様々な動きがありますが、私は戦後の日本国憲法というものによって形作られた統治構造はちゃんとこれを守っていって、それを元に戻すということはしない方がよいと思っています。しかし、そうした皇室の行事については一定の尊重をし、例を尽くすということはすべきです。私の参議院議長の 2 年間は自民党政権でした。最後の 1 年は民主党政権でした。自民党政権に比べると民主党政権はそうした皇室行事に重要閣僚の出方がちょっと少ないかな。自民党の時の方が重要閣僚がよく来ていたかなあ。感じですけどね。そんな感じがちょっとするんで、そこはやはり気をつけた方がいいんじゃないかなとの印象を持っています。
何か質問があれば。
(学生)夜なのにモーニングを着るのは。
(江田)女性にはイブニングドレスがあるけど。これも面白いんですね。この間、ショートコメントで書きましたけど。いつだったっけ、洋服の日というのがあって。明治時代に太政官布告かなんかで、儀式には洋服を着るべしというような勅令が出された。それまでは二音はそこはちょっと曖昧だったんでしょうね。ちょん髷頭に洋服を着ていたり、いろんなのがあったんだけど、全体にざんばら髪になって洋服を着て。洋服を着る場合には、ドレスコードというのがあってね。どういう服装をしていらっしゃいという。男性は一番格式の高いのは燕尾服、その次は略礼服でモーニングです。それから別の機会にタキシードというのがあります。ただし、燕尾服、モーニング、タキシードいずれの場合でも紋付き袴は大丈夫。代わることができる。女性は色留袖、訪問着はだめです。このへんにお花の模様なんかあるのは訪問着で、これはだめ。裾のへんだけ模様がある、これが色留袖。モーニングは朝ではないですね、モーンと言うのはお祈りですから、モーニングコートはお祈りする服みたいな意味かもしれないですね。
(学生)皇后陛下はお出ましになりますか。
(江田)出てきません。天皇陛下だけです。その他の儀式は出てお見えになります。春季皇霊祭、秋季皇霊祭とあって、これは立派な神殿です。皇太子、皇太子妃、あと皇族の皆さん方、そして皇后陛下、天皇陛下、皆参列されます。このときに我々はずうっと座ってみていて、最後にお辞儀をして退出するんですが、ただ有難いことに、春季皇霊祭、秋季皇霊祭、そんなに寒くはありません。新嘗祭は大変です、本当に寒いです。野田佳彦さん、これから多くの仕事が待っているので風邪引かないようにしてもらわないと。
(学生)昭和天皇がなくなって平成天皇になるまで、間がありますよね。その間、皇太子がやるんですか。
(江田)間はないんです。天皇崩御、即次期天皇即位なんです。儀式は別ですよ。
(学生)儀式で、即位の礼とかあったのか。その前はどうなのか。
(江田)それはよくわからないが、そういうことになったことがないんで大丈夫なんですけど。恐らく新天皇がやるんじゃないでしょうかね。崩御という字をよく知らず、ご逝去とか、いろいろ亡くなった時の言い方あるんですが。崩御という言葉は天皇陛下にしか使わない言葉なんですね。崩去とういう言葉があるんで、これは天皇陛下に使うんじゃない、皇后とかその他の皇族の方には崩去、天皇だけ崩御。昭和天皇が亡くなられた時に崩御されたと言ったら、当時のわれわれのボスの田英夫さんに怒られてね。お前それ日本語の使い方が違う、崩御というのが御の字で敬語になっている。崩御されたでは敬語に敬語を重ねるから間違いだ。崩御した、何となく言いにくいですね。崩御即新天皇が即位なんですね。だから天皇お悔みで同時に万歳なんです。これはどこで決まっているのか。皇室典範で書いてないと思います。しかし、天皇というものの、万世一系延命たるというのはそういうことなんです。昭和天皇崩御から今の今上天皇即位までの間に、何かの儀式が多分あるでしょう。あれは 1 月何日かに亡くなって、そしていろんな儀式があったんですけど、多分相当長くかかっていると思いますね。その間に多分国会の召集などあったんでしょうね。 1 月に亡くなって大喪の礼は 2 月、即位の礼は翌年 9 月。即位の礼とは即位をいわば天下にお披露目する礼ですから、世界中から集まってくる。大喪の礼は昭和天皇のお葬式ですが、これがまた寒くてね。あの時はむちゃくちゃ寒かった本当に。大喪の礼は新宿御苑だったかな。武道館かどこかにすればいいのに。外国のお客さんが気の毒でね。まあ日本の統治機構というか国家システムの一断面です。
【今回の選挙の位置づけ】
今日はもう一つ。まあ、選挙ということになりました。今度の選挙をどういう位置づけにするか考えてみたいと思います。前にも話したことありましたかね。日本における民主主義の発展、進化、進歩、まだ話したことないですよね。民主主義というのはもちろん国民主権で国民が主人公の政治形態です。単に国民が主人公というだけでなくて、国民が自分で自分の政権を選ぶということでなきゃいけない。国民が自分で自分の政権を選ぶ時に、その主人公である国民の範囲というのは変わってきたんですね。その歴史を考えたら、まだ今日本で本当の民主主義の門口に立ったばかりだと私は思っていて、その門口に立った民主主義がこれからどうなっていくのかという大変重要な選挙にあたっているのではないかと思っています。考えてみたら、今天皇陛下の話をずうっとしたんですが、本当は天皇陛下がこの国を治めていたという時代があったのかどうか。これはかなり実は疑問ですけどね。神武の頃は知りませんけど、日本の統治権力はどこにあったかというと、平安までは天皇にあったといえるのか、天皇もその一つではあるけども、やっぱり貴族の中にあって、天皇もその貴族全体でいろんなことを動かしていくものを天皇の独自の力でできたというのはそうないんじゃないかという気がしますね。韓国のドラマが今盛んで、「イ・サン」、日曜の夜、あれを見ているとどうしても遅くなって大変何ですけど。韓国のドラマだと韓国の王様が全部決めて、周りの重臣たちは皆時々いろんなことを言うけども、最後こうなったら、ハイ、王様と皆で頭を下げる。まあ日本はそういうことは本当になかったんだろう。まして鎌倉になってからそれ以降は武家政治というのがずうっと続いていて、そして明治維新になった。明治維新で貴族の政治ではなくなったけども、まだ下級武士が政権とっただけで、明治 23 年ですか議会が開設。議会が開設されたけど選挙で選ばれるのは衆議院、参議院の方は貴族。衆議院の権限というのは今の国会とは違って。例えば統帥権の独立があって軍部に手が出せないとか、いろんな制約がありました。それより何より最初の選挙というのは選挙権が一定の制限を受けていて、これを普通選挙にしろという動きが随分あって普通選挙になった。普通選挙になったけど男性だけで女性には選挙権、被選挙権はなかった。
それが戦後変わって、女性も参政権をえて、男女平等の選挙になって、しかも衆議院、参議院ともに選挙で選ばれた議員によって構成する院に変わって。そこまでやっと来たんです。つまり 20 才以上の男女が皆、選挙権、被選挙権を平等に持つ。被選挙権は 25 とか 30 とかありますけど、そういう意味では民主主義になったけど。しかし、実際には政権担当勢力というのは自民党、 55 年以前はいろいろゴタゴタありますが、 1955 年の保守合同、両社統一以後、政権担当の実力を持った政党というのは自民党だけだったですよね。日本社会党が一番たくさん候補者を出した年が、 1993 年かな、 180 人候補者を出した。当時は 512 ですよね、衆議院は。 180 出してそれで政権といったって、全員当選したって政権には届かないです。そういう時代がずうっと続いて、まあ 1.5 大政党と言われたりして。どんなに悪いことしてもどんなに国民を悩ませても自民党政治というのは永遠。野党は万年野党で。万年野党だから比較的気楽で、どんな勝手な事言っても、自分たちが政権を担当する気遣い、その心配はないわけですから。実現できようができまいがそれはよろしい。大向こうを唸ならせればいいんだ、そういう政治がずうっと続いた。これは民主主義かというとやっぱり、有権者が政権を選択して、その有権者の選択によって政権運営が行われて、自分たちの運命が決まっていくという、これがあって初めて国民主権といえるんで、国民主権ということにはやはりなってないではなかったのか。何とかして、政権交代政治、政権交代の可能性のある、そういう政治にしよう。そうでないと政治に緊張感もなにもないんで。自民党は時々党内で人が代わる、これは擬似政権交代と言われるわけですが、その時々に党内で人が代わればそれなりに一定の緊張感があるし、一定の掃除も、いろいろ狭い所に水を通すとかはできるけれど、限度があって本当のところは隠される。政治のブロックと行政のブロックが馴れ合い、もたれあいになっていますから。行政の方もいろいろまずいことがあっても政治がどうせ隠してくれる。あるいは隠してくれる政治の方を行政が手助けして、引き続き政権が担当できるようにあえてしていく。そういうシステムがずうっと続いていて。それに対して野党はまあ高度成長のおこぼれをどれだけもらうか。分配にどれだけ預かるかということで満足をする。ですから国民主権の国民という範囲がどこまで広がるか。その国民がどこまでの力を持つか。量と質と両方の面でなかなか本当の国民主権にならずに、量という点では相当広がったけども、その主権者たる国民が何を自分で選択するかということについてはなかなか選択ということになってこなかった。これがやっと民主党の成立、 1996 年に旧民主党というのができて。
これは先日引退すると表明された鳩山由紀夫さん、もう出てくることはないと思いますけど。これで又、やっぱり出ると言ったら、これはもうどうにもなりませんが。鳩山さんと菅さんが二人で旧民主党を立ち上げて、そこに太陽党とかその他の政党が全部一緒になって、新民主党 1998 年、それに自由党の皆さんが一緒になって、民・由合併ということになって、じわりじわりと力をつけて 2009 年総選挙で遂に政権交代が起きる、というような流れですから。一定の年齢以上の有権者が例外なく誰も皆選挙権を持って、そして選挙権の行使によって政権を選ぶ。やっぱり、一定の政党がなければ選びようがないんですね、政党によって有権者は自分の意思を表明する。政党なしで表明するというと理屈上はできる。それぞれ有権者がそれぞれ自分の選挙区の候補者の中から代表者を選ぶ、その代表者が国会にきてさあどうしますかとやればいいんだが、なかなかそうはいかない。国政の中の選択肢というのは、あんまり選択肢が多ければ何を選ぶのか訳がわからなくなって、実際には選択できない。だからといって選択肢が一つじゃこれは選択肢にならないんで。やはり、一定の数に絞られてその中から、比較優位というか比較的にこれに近いというのをまず選んでいって、そしてそれが集合的な選択になって政治選択ということに結びつくというシステムでなければ現実的な選択というのはできにくいので。
今度の選挙は 14 の政党が出て、まあどれがどれというのを今の段階で、私は民主党ですから民主党がいいと言いますけど、しかし、そういう立場を離れて言うとなかなか難しいですよね。難しいけどやっぱり、 300 全部の選挙区に候補者を立てろとは言いませんけど、少なくともこれだけの候補者を立てて一定の数を当選させてもらえば政権担当できるという、そういうぐらいの候補者を立てた政党でなければ、個別のことの選択肢になれても政権の選択肢にはなりえない。そう考えると今度の選挙で、それだけのボリュームをもって候補者を擁立できる政党というのは限られてくるんで。そういう政党の中で政権の選択が行われる。そして有権者が自分の一票の行使で政権を選ぶという、これがある程度普通の形にならないと、やはり日本の政権交代民主主義というものが一定の軌道にのったということになっていかない。前回の政権交代、 2009 年からの 3 年間民主党政権があって、民主党政権の 3 年を問う。民主党政権の 3 年が良かったか悪かったか、それを選挙で、それも一つの基準、判断になるとは思いますが、やはりそういうのをある程度繰り返して、政権交代構造というのをしっかりつくろうよというところをみんなで前へ進めていかないと。 3 年ダメでしたからさあどうします。みんなどれでも好きなのっていう、そして何だかわけわからなくなって。その内、政党なんてどうでもよろしい、自分が全部有権者から付託受けたから自分が全部決める。そんな動きがうあっと燃え上がっていったら、日本の民主主義というのはどこへいってしまうのか、大変心配しています。そんなわけでここは第三極という、第三極にもいろいろある。維新型と生活型と、どうもこの二つがかなり相容れずに第三極の争いをするのかも知れませんが、やっぱりもうちょっと第三極というのもいろんな試練をへて、成長するなら成長する、定着しないなら定着しない。そこはあんまり第三極に浮かれるんじゃなくて、やはり自民・民主という二大政党、今言ってもなかなか説得力ないかも知れませんが、やはり政権の選択肢を提供している政党の中からよりましなものを選んでいくという、そんな格好で着実に一歩一歩政治を前に進めていくことが問われるじゃないか。それに失敗するとちょっと大変なことになりかねないな。今度の総選挙はそういう意味でまだ過渡期、民主主義の成熟の過渡期の選挙だと思っています。是非皆さんにも、今度の総選挙、わけわからんというんじゃなくて一定の筋道を立てて政権を選択するという判断基準を持って欲しいと思っています。
そんなことでいよいよ選挙ということになるので、ここで講義をしていたらボコボコにされるんじゃないか。来週はもう一度大蔵君にお願いして、国会を支える国会職員の皆さんがどういうしくみになって、どういう喜びがあって悩みがあって、といった話をしてもらいます。私自身は来週は選挙運動ではなく、外国に行っています。メキシコの大統領が、これも面白いですね。 7 月に大統領が選ばれた、ところが 12 月になってやっと大統領即位式があって、就任式が 12 月 1 日にあるものですから。これに政府を代表して特派大使という資格で参列をしてまいります。法政の講義も大事ですが、メキシコとのおつきあいも大事なので、しかも衆議院議員誰もいませんので。大体国家元首の就任式とかいう時には、総理大臣経験者か議長経験者が出ていくということになっていまして。鳩山さん辞めたんだから行けよというわけにはいかないので、白羽の矢があたったので、行かしてもらいます。
12 月 7 日と 14 日は総選挙の真只中なのでそっちに割かして下さい。その代り、 12 月 21 日と 1 月 11 日はダブルヘッターでやらして下さい。 6 時半から 9 時頃まで、ちょっと長いのですがやらしていただこうと思っています。そんな状況ですが今の民主主義の政権交代、ぱあっと走って話しましたけれど何か質問あれば。
(学生)民主党は国政は先生がおっしゃられたようにいろいろやっているんですけど、都知事選や地方の知事選などには出していない。地方主権と言いながら地方はどうでもいいのかなと言う感じを受けるんですがいかがでしょうか。
(江田)これは難しいんですよね。どうでもいいということはありません。地域主権というのも嘘ではありません。地方の首長さんというのはどうしても国の仕切りと別になってくるんです。民主党の場合、野党時代はとにかく相乗りはするな、有権者に選択肢を明確に提示する必要があるんで、相乗りをせずに、必ず重要な選挙には自分たち系の候補者を立てるべしということで、随分これを強く言ったことがあります。ただね、政権とってから相乗りはするなと言えるかっていうとなかなかそうも言えないんで。政権とっているわけですから。他の誰がのってこようが相乗りはむしろこっち方の候補になるんですよね。だから自民党の方がむしろ政権選択肢を提供するために別の候補を立てるべしということを言うならいいんだけど。民主の方は勝てる候補を勝たしてそして自分たちと手を結べる首長ができれば越したことはないんで。政権担当しだしてからそのへんの色合いが変わってきました。相乗りけしからんというのは今はありません。むしろ相乗りしてでも、相乗りの場合でも先にこっちがいって自民党をのさせるような、そういうような感じで首長とるべしということなんですが、そこから先は現実は困難でしてね。今回 3 年間で自民党に政権を戻したら、長い政治のプロセスの中で言えば大変な失敗と後で気が付くことになるんではないか。つまり、戦後一貫して自民党政権が続いてきたというのは、単に「続いてきたわけではなくてそういう構造があったわけですよね。自民党政治構造というのがあって、国の政治と地方の首長、地方議会と、そしてそれを支えるいろんな業界団体、町内会組織、その中には夫人会とか交通安全とか、いっぱいそういうものがだあーと出来上がって、一つの壮大な権力構造になっていて。労働組合なんかは外れるんですが、外れるのが辛いもんだから、ついついそこにくっつくような傾向もずうっとあったりして。日本全体の権力構造ができて、そこから首長というのが生まれてくるんですね。ですから一時、革新自治体とかいって美濃部都知事なんかを先頭に、地方の首長から世の中を変えようと、いろんな革新自治体、革新市長会議なんていうのを作ったり、やったことはありますが、やっぱりうまくいかないんですね。そして例えば美濃部さんが都で大赤字をつくってしまったとかいろいろ言われて。結局、美濃部都政というのは悪い都政じゃなかったんだろうと思いますけどね。子供の医療費のことであるとかいろんなことをやったんだけど、全体に大赤字をつくったというのは確かに財政規律は緩んだのかも知れません。そんなことで地方の首長を自民党構造と違うものに取り替えていくというのはなかなか大変。むしろそれよりも、ある一定の年限、ちゃんと民主党なら民主党が政権取って、こういうピラミッド型の地域の隅々まで根をはった構造を崩して。崩すのは国から崩さないと地方からは崩れないんですよ。地方はぶらさがっていますからね。国の方を無血開城して全部スポっと切って、そして下の方をそれぞれ自立させてくことをやらなければいけないんで。それがまだ十分できていないうちに、今度の総選挙で民主党政権というのは今や風前の灯というといけませんけどそうなっているので。ここでもう一辺元に戻して、また日本を取り戻すと安倍さんが言っているけど、日本を取り戻すというのが、利権を取り戻す、世襲を取り戻す、地方の隅々までにわたる権力構造を取り戻すと。そうなったら、結局、もとの木阿弥になるんで。そんな状況の中に私たちは今いるということ。 3 年やってきて民主党が順風満帆、どこへ行っても拍手、拍手で今度の総選挙を迎えているなら、それは都知事候補って私がと手を挙げてくるだろうけど、なかなかそうはいかなくて今を迎えている。元々、都知事というのは民主党系候補がいたことは今まであったかどうか。というとしょっとしたらなかったかもしれない。私もいろいろな人を応援した経験があるんですけど、誰がいましたでしょうかね。例えば、柿沢弘治さんが手をあげたとか、鳩山邦夫さんが手をあげたこともあったのかな。鳩山邦夫さんの場合は民主党系、今は言うも恥ずかしいという感じですが。青島幸夫は、あの当時は民主党はなかったが、野党系といえば野党系。なかなか難しいです。例えば鈴木俊一さんに対して自民党が押さずに、磯村さんを出してきたことがあった。自民党系の磯村さんは負けたわけだけど、鈴木さんは野党系か、それは全然違いますよね。というので首長はなかなか国政の政党の基準では測りがたいところがあります。今回はまあ、あの菅直人さんが出たらどうかという声はあったんですよ。ひょっとしたら菅さんもまんざらではなかったのかも知れないけど、まあそういうことにはならなくて。宇都宮さんという日弁連の元会長が比較的野党、民主党系に近いかも知れないけど。逆に民主党の方が、いや宇都宮さんではねという人がいたりして。すっきりとしていませんね。自民党の方だって、猪瀬さんに一応のったんでしょうね。だけどこれも複雑なんですね。猪瀬さんという人は都議会、都の職員からは本当に嫌われているんで、あの個性はなかなか厄介ですからね。僕も参議院議長で若干の付き合いはあったんですけど、なかなか厄介。厄介だけれども世論調査をやったら圧倒的らしいんですよね。世論調査の結果がこれが見えんのか、自民党の皆さんはみなはぁーと言って、猪瀬さんということになってきているようですね。まあそんなところですね。
(学生)党首討論の時に野田さんは 0 増 5 減はやります。定数削減は次の国会でやると。でも選挙して変わる可能性があるわけですよね。約束した人が受かるかどうかわからないわけですよね。そういう状況の中で総理が約束して下さいというのは政治の手法として妥当なのかどうか。鳩山さんを公認申請する時に 3 つの点を約束しろと。消費税増税と TPP 、原発ですね。約束しても、野党になったら、そういう政策を推進する立場を崩さないでやっていかれるのかどうか。
(江田)あの衆議院の定数の問題はまず、これ違憲状態ですから何とかしなければいけない。 0 増 5 減は違憲状態は解消される、実現すればね。 0 増 5 減はやりましょう、どの党もいいんです。これは約束しましょう、すぐやりましょう。しかし定数削減はいろんな意見があって、削減の方法もいろいろあって。これはあの短い時間で合意に達するとはいえないんで。定数削減については民主党は法案を出しています。これに賛同して下さい。もし賛同ができないなら、少なくとも次の通常国会にはやることを約束して下さい。同時にその担保のために国会議員の歳費 2 割削減をやりましょう。 2 割削減というのはずうっとチクリチクリに財布を刺激しますから。これは大変だというので次の通常国会には定数削減をやるというところに追い込んでいくためにやったんですね。あの時はね、政党間で合意書をつくっています。ですから選挙が終わって政権がどうなるにせよ、少なくともその合意に賛同している民・自・公、この 3 党はこれをやるということを公党間で約束しているわけですからやらなくてはいけません。その 3 党が一緒になっても法案を通すだけの数がない場合は。まあそこまで減るかどうかはわかりませんが、他の党が NO と言ったらできない話ですが、それはもうしょうはないでいいですよね。そういう合意で前へ進むということを言ったわけで、私はそこは論理的に破綻はない。一つ懸念があるのは 0 増 5 減をやって、しかしそれが実現しない前に解散、総選挙をやるということは違憲状態の総選挙になるのだからそこはいいのかという問題はある。あるんですが、違憲状態であっても、国会を含め国の意志として、解散するのは総理大臣ですが、 0 増 5 減をすることによって違憲状態は解消する、そういう意志表示をして選挙をするんだから、選挙という行為を国家の意志としてやる人間は違憲状態でも選挙をやりたいと思っているわけではないというような言い訳はできる、苦しい言い訳ですけど裁判所はそのへんは理解してくれるかなあと。つまり解散総選挙をやるという国家行為、これは違憲状態でやるということじゃなくて 0 増 5 減でやるというそういう意志表示で、ただそれがまだ実現していないというだけの話だというような言い逃れですかね。まあしょうがない。これは解散総選挙というのは何があっても解散総選挙で、ちょっと待って晩飯食ってないからなんて言えないわけですから。
公認申請ですが、政権とって公約が実現できるんで、その時に党内の足並みが乱れて実現できないとなったら、それこそ国民との約束が成り立たなくなるので、だから公認候補は全員、こういう政策についてはちゃんと誓約して下さい、そして国民との約束でこれを実現しますということをやろうとするわけで、そこはいいですよね。国民との約束が政権担当してもらっても足並みが乱れてできなくなるということになるんじゃ、これはどうしようもないんで。やはりそこは政党政治を行っていく、そして政党が公約を掲げる、という場合には政党の公認候補にその公約を少なくともニュアンスの差とかはいろいろあるけれど、その公約と真っ向反対、消費増税は反対だという人まで公認というわけにはいかない。 TPP は微妙な言い回しですが、 TPP 一切反対というのは困る、ということは言える。その結果、政権が取れない場合どうなるのか。政権が取れなくたって、その政党でいく限り、そういう案件が政治テーマにのっかたら、それはちゃんと誓約しているんですから皆で一致して行動する。例えば、野党になっても、原子力発電の今後について、脱原発基本法をどこかから提案してくる。今の民主党の場合、 2030 年代原発0を可能にするためにあらゆる資源を投入していくという法案が出てきた時に、野党になったからといって、民主党で当選した人がその法案に反対というのは党議に違反しますよね。そういう人が出てくるなといったって出てきた場合はしょうがないんだけど、出てきたら処分の対象になるということだと思います。ただ野党になると政策の縛りで自縄自縛になって、その時その時いろんな政治の動きの中で行動が制約されるというのは困る。この点については、 3 つの約束のどこかに論理的に矛盾するような法案が提案されて、これにどういう態度をとるかという時に、その約束の解釈次第でどっちでも行けるようなことは起きるかも知れませんね。政権とっていれば自縄自縛といったって当たり前の話で。約束したことですから。しかし、政権離れたらボールを投げてくるのは与党側ですから、その時「対応が選挙の約束通りにいかない場合もあるかもしれません。具体例はすぐには思いつきません。
まあそんな具合でいよいよ選挙になりますが。今日はマニフェスト関係のプレス民主を配っておりますが、よくご覧いただきたいと思います。この間、民主党本部が全国ブロックごとにマニフェスト集会というのをやって、政策進捗報告会というんですが、香川の高松での集会に民主党を代表してスピーカーとして行ってきたんですが。高松はちょっとやばかったんですよね。西日本放送の社長は平井卓也さんで、この人が香川 1 区の自民党の候補者なんですね。そこ行ってやったら、西日本放送がフロアから、お前たちは 1 円に泣き、 1 円で笑っている庶民の生活というのがわかっているのかというような質問で、私がすいません、いろいろ傲慢なところがあったりと言って謝ったら、そこのところだけ放映されて、西日本放送えらい奴らだと思うけど、全体の雰囲気はそんなことはありません。むしろ逆にマニフェスト選挙で頑張る民主党に対して暖かい激励だったと思います。あのマニフェストというのが随分悪いイメージで捉えられているかも知れませんが、マニフェストというのは選挙の公約を明確に一定程度、政権担当のうちに実現できたか、どこまでできたかできなかったか、その理由は何だったのか、そういうことをちゃんと検証できるようにしよう。美しい日本をつくるとか、心を通わせる明日をとか、そういうやってもやらなくとも採点のしようがないような公約ではなくて、ちゃんと点検できる、検証できる、そういう選挙文化をつくろう、マニフェスト選挙文化ということで始めている。民主党が言い出してやっているわけで、私はそういう選挙文化をまた元に戻してしまうというのは良くないと思うんですね。ちなみに、よく皆、マニフェスト、マニフェストと言うんですが、英語的に言うと、フェにアクセントがあるんで。しかしまあ、英語じゃなくてもう日本語になったのだから、 マニフェストなんだと言う人もいるかもしれません。ということで今日はここまで。
2012年11月23日−第10回「政権交代がおこる民主主義が必要」 | ホーム/講義録目次/前へ/次へ |