江田五月の県北での活動を紹介します。
10月24日(土)
|
奈義町有機センターの屋根が吹き飛んでいました |
|
|
12時前に岡山市を発って、県北へ。14時過ぎに奈義町役場につき、中井町長、安藤議長らから、23号台風による広戸風の被害状況につき、説明を聞きました。広戸風とは、台風が高知県から和歌山県辺りにいるときに、那岐山から吹き降ろしてくる強風のことで、町役場の観測機器による瞬間最大風速は、51・8メートル。しかも長時間続き、奈義町、勝北町、勝央町、津山市北東部を吹き荒れました。地域住民への警報がしっかりしていたので、人的被害はありませんでしたが、物的被害は大変です。
特に、山林が大変。奈義町の植林の9割は、崩壊すると言われました。戦後、国策として、杉やヒノキなどの針葉樹を植林したのですが、木材価格の内外価格差により、国産材は採算が取れなくなりました。おまけに林業従事者の減少。そこへこの被害です。
広戸風により「揉まれ」た木は、伐採しても痛んでいて、建築用材に出来ません。金が掛かるだけなので、特別の施策がなければ、放置されるでしょう。枯木に覆われた山に火が出たら、想像を絶することです。伐採して搬出しても、植林の意欲はどこからも出てきません。山は荒れます。土砂崩落は、容易に予想できます。熊やいのししも、里に下りる以外に生きる道はありません。山を元の闊葉樹林に戻す方策を立てる必要がありそうです。
町役場の担当者に案内していただき、被害の現場をいくつか見てまわりました。神社の巨大な杉もばっさり折れました。屋根の被害も至るところです。収穫直前の大豆は見事に坊主に。柿も実が落ちてしまいました。根こそぎ倒れている杉やヒノキもあちこち。
|
古吉野小PTAの皆さん総出で、片付けをされていました |
|
|
15時に、勝北町役場へ。高橋町長にお目にかかり、お見舞い。15時半に、勝央町へ。助役にお目にかかり、お見舞い。町内の古吉野小学校に寄ると、PTAの皆さんが総がかりで、明日から授業が出来るように屋根などの修理を終えたところでした。木造の風格のある校舎ですが、体育館と調理場の屋根が飛んでしまいました。
17時前に、津山市役所へ。担当者から説明を聞き、パソコンで被害の写真を見せていただきました。やはり山林が大被害です。庁舎を出るところで、帰ってこられた中尾市長にお会いし、お見舞いを申し上げました。その後、徳守神社のお祭りに立ち寄ってみたのですが、大みこしには会えず仕舞いでした。
○各種団体より激甚災害指定の陳情を受け取った江田議員は、直ちに関係省庁と打合せを始めました。また津村議員は、衆院災害対策特別委員会で質問し23号台風の激甚災害指定の答弁を引き出しました。
10月30日(土)
|
民家の裏山が崩れ、まさに危機一髪 |
|
|
県北に走り、15時前に久世町で、三村一夫町議と落ち合って、町役場へ。助役の高田浩一さんらから、台風23号の被害状況をうかがいました。森林の倒木で、264ヘクタールが被害にあい、風倒木は建材にならず、しかも搬出も極めて困難で、将来のことも考えると、みな頭を抱えています。
15時半過ぎから、町内の被害の大きいところを案内していただきました。山の斜面がごっそりえぐれて、風倒木が土砂と一緒に、傾斜地の下の民家のすぐそばまで迫ったところで止まっていました。奇跡的ですが、いつまでもこの状態で止まってはいないでしょう。これから冬に向かうと、どういうことになるのか、暗澹となります。
地元ケーブルテレビや地元紙の取材を受け、何人かの知人を回り、入院中の知人を見舞い、19時から、津山五月会の有志メンバーと参院選の反省会。懇親を深めました。津山市泊。
10月31日(日)
|
新庄村は観光客で大賑わい |
|
|
8時半に、津山市のホテルを発って、美甘村に。9時半から1時間強、同村の村制施行115周年記念式典に出席し、池田村長に続いて挨拶。施行の明治22年は、明治憲法と同い年です。来年3月末には、9か町村で真庭市となるので、一抹の寂しさが漂いますが、時代の流れ。これまで蓄積された村政の行政資料の散逸がないように、また、新しい市になって森林の回復にしっかり取り組むように、お願いしました。同時に行われている「美甘村ふるさとまつり」を見て、新庄村へ。
11時から1時間、新庄村の「新庄宿あじわいまつり」を見てまわりました。ステージ上の小倉村長に呼び上げられ、挨拶。ここは合併に乗らず、独自路線で元気一杯です。声を掛けてくれたお客さんと話してみると、県下各地から来ていることが分かります。
12時から1時間、地元の支持者の皆さんと、懇談会。きのこの一杯入った鍋料理をいただきました。
11月6日(土)
9時前に自宅を発って、10時から、久米南町制施行50周年記念式典に出席し、挨拶。この町は、ぎりぎりのところで合併に不参加を決めました。そのため今日の式典は、単独のままで再出発をすることを決意する機会となりました。国会議員の本人出席は、私だけでした。江田五月会会長の河原昭文さんがこの町のご出身で、しかも、この町が生まれた1954年が、彼と私とが共に岡山市立旭中学校に入学して最初に出会った年です。そんな個人的なエピソードも交えながら、これからのご努力をお願いしました。
12月4日(土)
|
多くの皆さまと懇親を深めることが出来ました |
|
|
13時過ぎに岡山市を発ち、津山市へ。15時から1時間半、美作五月会の国政報告会。津村啓介さんも参加してくれました。参院選の総括から、その後の2回の臨時国会、私自身の議員会長就任と永年表彰の経過と感想などを話しました。周辺の町村議員のみなさんも大勢出席して下さいました。
16時半から懇親会。私は1時間で、盛り上がっている中を中座し、倉敷市まで走りました。