民主党 参議院議員 江田五月著 国会議員― わかる政治への提言 | ホーム/目次 |
第1章 国会議員の実像−資金と特権 |
理想と現実のギャップ
新幹線で岡山から東京までは四時間と十分。定価千円以内の本なら、楽に一冊読み切れる時間だ。目を閉じて考えをまとめるにも適当だし、仮にそのまま眠り込んだとしても、それはそれで、日ごろの睡眠不足を解消するのにもってこいだ。私にとって新幹線の車中は、書斎兼寝室。いや、実際は寝室そのものだ。
私の父、江田三郎も、列車の中が書斎だった。書類に目を通すだけでなく、原稿さえも書いた。列車の振動で踊った文字の原稿を、清書もせずそのまま編集者に渡した。
私は〈党務も必要だろうが、少しは人間、江田三郎が生活を楽しむ時間をとったらいいのに〉と何度思ったか知れない。
父の死後私自身が政界へとび込む決意をした時、「政治家になっても、政治活動は一日八時間以内に抑えたい」と記者会見で発言したのはその偽らざる気持を表現したものだ。これが「問題発言」と騒がれてしまった。
政治家は、常に正常な判断力を備えていなければならない。そのためには、バランスのとれた平衡感覚と正常な体調を、いつも保っている必要がある。政治家の日常生活が異常であっては、正常な判断力を保てるはずがない。一人の市民として、趣味を楽しみ、ときには無為に時を過ごし、また一家団欒のひとときを持つ。それは、人間本来の姿であると同時に、そのような生活を送ることによって、人々が何を考え何を望んでいるかということも、わかってくるのだと思う。
しかし、理想と現実のギャップは大きい。「猿は木から落ちても猿だが、政治家は落選するとただの人だ」と言ったのは大野伴睦さん。ただの人よりなお悪い。失業者になってしまう。だからみな、体力と神経をすりへらし、目の色をかえて選挙準備に駆け回っている。まさに「毎日が日曜日」ならぬ 「毎日が選挙運動」で、選挙のための活動は無定量、無制限にある。
こうした現実の中で、我一人高潔を保っているわけにはいかない。 江田五月個人の時間は、新幹線の車中のみとなった。選挙活動は無限に広がっていく。それでもこれを、一人の市民としての生活が保てる範囲に留めたいと、自己抑制に努めてはいるのだ。
私の体験からすれば、その最も効果的な方法は、短時間でもいいから自分の頭の中から政治を閉め出すことである。
絵を描くもよし、スポーツに汗を流すもよし、料理をつくるもよし――。
イギリスのヒース首相はオーケストラを指揮し、西ドイツのシュミット首相はピアノの演奏会を開催した。私も時折ピアノを弾いたりする。もちろん、隠し芸の域を出ないが。
先日は『江田五月と音楽を語る夕べ』と銘うって、プロの演奏者や声楽家の友人を招き政治抜きの集まりを持った。私自身も余興にピアノを弾いた。『月光の曲』第一楽章のつもりだが、そう聞こえたかどうか……。
私が言った「一日八時間の政治」というのは、一日八時間しか働かないということではない。一人の市民としてあるべき生活を忘れてはいけないということを象徴的に表現したつもりだ。
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