パーティーによる集金
冗談はさておき、これら政治団体の収入はどうなっているのかというと、会費と寄付とパーティーが収入の三本柱と俗に言われている。
パーティーというのは、前に述べた昭和五十年の「政治資金規正法」改正により、寄付金に量的制限が設けられて以来、急速にはやり出した集金手段である。
市川房枝さんは、昭和五十年に「政治資金規正法改正案」が審議されていた頃、よく言っておられた。「企業献金は自由主義体制の維持費だなんて詭弁ですよ。アメリカをごらんなさい。自分が支持する候補者のために、有権者がパーティーを開いて資金を集めて上げてますよ」と。
市川さんは、アメリカ民主党が得意とするチーズパーティーのことを言われたのだが、皮肉にも「政治資金規正法」改正後、パーティーは金集めの主流となってしまった。
一枚二万から三万円のパーティー券を企業に百枚買ってもらったとしても、これはあくまでもパーティーの代価であるから、政治資金規正法の寄付金の量的制限にひっかからない。そこで、公共事業と切っても切れない関係にある建設業界等へ工事の発注に尽力することの見返りとして百枚単位でパーティー券を押しつける。私も買ってもらうが、こちらはミニ政党で、工事発注には縁もないし、枚数も比較にならない。
直接企業に持ち込むのならまだよいが、高級官僚出身議員の中には、官公庁のかつての部下などを使って強制的に関係業界へパーティー券を割り当てる人もいるらしい。私の場合は、前が裁判官だから司法官僚出身といえるかもしれないが、ここは利権もなく、私もそれほど偉くならないうちに退官した。
パーティーを奨励された市川さんも、事態の意外な進展に、草葉の陰で眉をひそめておられることだろう。
私も、パーティーで政治資金を集めさせていただいている。だが、単なる金集めに終わらせぬよう、たとえば、パーティーを一部と二部に分け、一部ではシンポジウムを行い、連合問題、教育問題などの焦点となっている問題をみんなで討論するなど、できるだけの努力はしているつもりだ。
こういう試みを私は毎年続けている。裁判官のままだと、まさかパーティー券売りのため人に頭を下げることなど決して経験しなかっただろう。しかし実社会で汗を流して生活費を稼ぎ出している人たちはみな、多かれ少なかれ似たようなことをしている。政治家になって、世間が広くなったと思っている。
私は、国会議員をまず懐具合から解剖してみた。結果として、ダーティーな部分、ルーズな部分が表に出てしまい、必要以上に読者に政治不信を植えつけたのではないかと、ちょっと心配だ。
しかし、事実国会議員は不評だ。寄席でも国会議員をコケにするギャグはうけるという。 先年野末陳平さんが、国会議員としての自らを反省しつつ、「行政改革を本当にやる気なら、まず国会議員自ら特権を捨て、衿を正さなきゃ」と新聞紙上で発言された。共感の声が多かった。
野末さんの趣旨はよくわかる。だが、私はあえてこの時反論してみた。
少し長くなるが、この章のしめくくりとして、朝日新聞(81年7月27日夕刊、地域により翌日朝刊)の「わたしの言い分」を、そっくりそのまま転載する。歯ぎれの悪いところや、論旨不明確のところもあろう。私もまた、今の政治の矛盾と混迷の中にいるということだ。一人だけで孤高を保ち、仙人のようになって他を批判するという態度は避けたいと思う。
「議員特権」返上は困る
― 「行政改革を本当にやる気なら、まず国会議員自ら特権を捨て、えりを正さなきゃ」と野末陳平さんはおっしゃいました。世間の人の大方はこれを支持しているようです。
「隗より始めよ、というのはよくわかります。行財政改革というのは国民の皆さんに結局は負担をお顧いすることになるのですから。そして、議員特権への怒りというのは、ぼくが議員でなければ皆さんと一緒に怒ったでしょうし、さらに今でも議員一般を見渡せば、怒りをぶっつけたい人はいっばいいます。しかし、自分のことというか、まじめな政治活動をする、太いカネづるを持たない議員という立場からすると、申し上げたいこともいろいろあるのです」
― 承りましょう。
「たとえば、非課税の文書通信交通費、月65万円というのも含めて、国会議員が受けとるおカネは全部一括すれば安い金額でないことは確かです。でも、ぼくがいま家計に入れている分は、実質的には裁判官をしていたころより少ない。大きな部分は右から左へ、政治活動に消えてしまう。下らん活動と言われればそれまでだけど、これでも合理的な範囲で使っているつもりです。それでも足りない」
「議員の歳費がなければ生活できないような人に国会議員になってもらっては困るのだ、とおっしゃる方もいますが、議員というのは、そのほかの仕事をしているひまが本来、ない。ぼくも弁護士の資格があるから、そっちの仕事をさせていただければもっと収入をあげられるという職業人としての自信はありますけれど……」
「ぼくは一人ひとりの市民の意見がすぐ政治に反映するように努力したい。そのため、日ごろ市民ときめ細かくふれ合って教えてもらう。そうすると副業などやってる時間、ありませんよね」
「国が議員に渡すおカネが多過ぎるから削るということにしたとします。それでも大企業や大労組などのバックのある人は困らないでしょうね。困るのはぼくたちで、そうなると、議員の貧富の格差は今より開き、政治活動の平等が損なわれます」
― 議員互助年金がとくにヤリ玉にあがっています。いま勤続三十年で辞めたとすると税込み年額492万8,000円、月41万ほどになる。財源の半分は国の負担というので批判の声も高いのです。
「年金制度の改革の必要はあると思います。これも、年金などあてにしなくとも老後を楽に送れる人とそうでない人があるので、たとえば所得制限などは必要かもしれません。しかし、また自分のことになりますが、私の母、つまり江田三郎の妻の場合、未亡人は年金の半額をもらいます。月十数万円でしょうか。ところが元党幹部の妻ともなると、各方面からいろいろ期待されるんですね。さりとて今さら老母が働くわけにも行かない。見かねてぼくの家計から時には援助する、というのが実情です」
― 国鉄、私鉄の無料パスもうらやましがられています。
「今月(七月)、ぼくは郷里の岡山など、地方と東京の間を六往復しました。今月は少ないほうです。全部岡山だとして計算します。一番安上がりに、回数券を使い、普通車自由席に乗るとして13万6800円かかるはずです。グリーン車に乗ったりすれば25万2000円。これを自分で払えといわれれば、お手あげです。首都圏の人とか、大金持ちの人は無料乗車証を返上しても困らないでしょうがね」
― 都心超一等地の議員宿舎。家賃も安い。
「豪華な宿舎だったり、国会に歩いて通えるところにあったりする必要はないでしょう。共同ぶろ、共同トイレ、定食を出す食堂つきのアパートで構いません。それでいいから、宿舎はやはりないと困ります。普通の人が生活の本拠にする住宅というのと、議員活動の足場というものとの違いをご理解願えないでしょうか」
― お話をうかがっていると、国会がむだを正す余地はあまりないみたいですね。
「行財政改革というのが、財政収支のつじつま合わせに終わってしまうのは避けなければなりません。それと同様に、国会のむだをなくすことが、単なるおカネの話、ケチケチ運動であっては、木を見て森を見ないことになるのではないでしょうか」
― 森 ―― もっと本質的な大きなむだがある?
「ええ。たとえば議員定数。こんなに大勢の議員が必要でしょうか。たとえば衆院議員の定数を、一票の値打ちを平等にということで是正しなければならないのはもちろんです。その是正のとき、議員数を増やすばかりでなく、減る選挙区もあるようにしなければ議員数はまだ増えます」