民主党 参議院議員 江田五月著 国会議員― わかる政治への提言 ホーム目次
第2章 選挙制度を考える

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お世継ぎ議員

 この参議院の通常選挙の半年後、私が衆議院に初当選した第三十七回総選挙が行われた。私自身の選挙活動については章を改めるとして、ここで衆議院の選挙のことを少し見てみよう。総選挙は、公職選挙法改正で選挙期間が短縮されたため、「現職有利、新人不利」といわれた。ところがフタをあけてみると、新旧交替の傾向が強く出た。

 前議員の引退や死亡が五十二人もいたせいもあるが、新人の八十四人当選というのは、前回の三十五人と比較すると約二倍半である。八十四人の内訳は、自民二十三人、新自由クを含む野党六十一人であった。

 私は六年間の参議院議員経験を持つが、衆議院は初当選なので「新人」として多くのインタビューを受けた。

 今回の選挙では、私はマスコミで「二世議員」の扱いをほとんど受けなかったようだ。

 政界では、選挙に有利な条件として、三バンというのがある。ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)の三つのバンである。地盤とは、業界や労組や後援会のような力のある組織のこと。看板とは、知名度。鞄とは、豊富な資金源あるいは集金ルートのことだ。

 二世議員に代表されるいわゆる「世襲議員」は、この三つをそっくり先代から受け継ぐから、きわめて有利というわけだ。ところが私の場合は、江田三郎という大看板を引き継いだということでカンバン、つまり知名度の点では二世の恩恵まことに大だが、父の死は選挙の六年も前だし、父の選挙区は岡山二区で、岡山一区の私と選挙区も違い、資金源はまことに細々とした野党議員だから、ジバン、カバンの恩恵は他の二世とは比較にならない。それで、二世扱いはそれほどなかったのだろう。

 世襲議員は、圧倒的に自民党に多い。自民党の場合、後援会というのは利権の統合である。後援会の人々はその議員がいることによって利権の構造を築いているのである。その議員が死んだ場合、利権の構造をこわさないように、どうしても後釜に誰かを据えなければならない。縁もゆかりもない者を据えれば、後援会は機能せず分裂解体してしまう。いちばん座りのよいのは先代の妻や子供である。後援会にとっては、二世がどうしても必要なのだ。

 たとえばここにある土木会社(土木建築業は特に政治と密接なつながりがあるのだが)があるとしよう。高速道路を作ったり公共施設を建てたりする仕事があると、それを請負う業者が必要となる。この土木会社が自社と非常に関係の強い議員を持っている場合、その議員を使って仕事を請負おうと画策する。

 土建業者はその下に膨大な下請けや材料供給の業者等を抱えている。関連業者をも含めた土建業者にとっては、企業の体質からしても、この軍団のために仕事をする国会議員は必要不可欠だ。そこでそのために働いていた代議上が死んだり引退したりした場合、どうしても次の者を必要とする。死活問題となるのだ。

 利権の構造も人のつながりであるから、後釜に先代と緑もゆかりもない者を据えれば、そのまま維持することはできない。これまでのつながりをそのまま維持し続けるために、どうしても妻や子供でなくてはならない。それがだめなら、あえて養子縁組したりして二代目をつくりあげる。秘書というケースもあるが、何といっても血縁がいちばん良い。秘書だと、やっかみなど人間の複雑な感情がからんでしまう。もっとも血縁同士でそれこそ血で血を洗うケンカをする人もいるが、名前まで先代と同じ名前に変える人もいるのだから、政治家の一統は一種の銘柄ともいえる。「お世継ぎ」と呼ばれることもあるようだ。


世代交替を果たす自民党

 「新人議員」というと、ほとんどの人は、三十代から四十代の人間を思い浮かべるだろう。だがこれは、話題性を持つ二世議員がどうしてもマスコミに取り上げられがちなため、一部が全体のイメージとなったのである。

 実態は、各党おしなべて中央・地方の政界関係者が多く、あえて各党の特徴を上げると、自民党の場合は、高級官僚や首長上がり、野党、とりわけ社会党の場合は、大労組の役員上がり、公明党は創価学会幹部上がりと、それぞれの分野で功なり名とげた高齢新人もずいぶん多い。

 第三十七回総選挙の場合も、新人が多かった割には、全議員の平均年齢は56.97歳で、前回より1.31歳高くなった。新旧交替、必ずしも若返りにつながらないのだ。

 だが有権者としては、「新旧交替イコール世代交替」を期待する。その点、選挙の度にかなりの世代交替を果たしているのは、むしろ自民党なのだ。

 前にも記した「お世継ぎ型」世襲議員もいる反面、二世で、自分の親以外の議員の秘書になって、つまり他人の釜の飯を食って経験を積んだ上で立候補したケースも多い。

 また白川勝彦さんのように、無所属で立候補し、ある程度の票を取るとたちまち自民党の中央派閥から接触があり、次回はその支援を受けて当選する例もある。こういう無名の新人登用システムが、自民党の中にはちゃんとある。

 一見古くさく見える自民党に、こうした柔軟さと活力があるのは、中央でも個々の選挙区でも、自民党同士が派閥次元でケンカしながら人材を発掘しているからだろう。


「無名の新人」登用システムを

 だが、野党は違う。ケンカをすれば裏切者の烙印を押すという偏狭な体質がある。

 自民党は、公認もれの無所属候補でも、当選すればただちに復党させる。もし社会党の中で調整がつかずに、一名が社会党、もう一名が無所属として出馬したとすると、無所属で出馬した議員は除名だ。 

 しかもおかしいのは、競争関係にある二名のうちどちらを選ぶかという基準は、その候補者の所属する労働組合の強い方、大きい方ということが多い。その候補者がいくら地域で人望があっても、労働組合出身でないとはじき出される場合が多い。仮に無所属の方が当選したとしても、党がこれを正統と認知するのは大変にむつかしい。このようにして自らのエネルギーを切り落としてきたのが、これまでの社会党の候補者選びだった。

 福井県の辻一彦さんは、社会党からはじき出されても無所属で立候補し、みごと当選したつわものだ。それでも当選後もう一度社会党と腕を組むのに一年以上かかった。

 社会党は、党所属の議員のほか、護憲共同というグループを党の外側につけて、衆議院では、「社会党・護憲共同」という名の会派にしている。「・」をポツと呼んでここに所属している北海道の竹村泰子さんは自ら「ポツ子さん」と名乗ったりする。北海道知事の横路孝弘さんが代議士だった時、知事立候補のため社会党を離党し、それでも社会党と共同の会派に所属するため作ったのが始まりだが、辻さんも「ポツ夫」さんとして社会党とヨリを戻したのだ。

 ポツはその他にも、「自由民主党・新自由国民連合」「公明党・国民会議」「民社党・国民連合」「共産党・革新共同」と、今では社民連以外の全政党がこの便法を利用している。政党の殻がゆるみはじめているわけだ。

 野党陣営で当選した「無名の新人」といえば、五十五年の衆参ダブル選挙の際の菅直人君ただ一人くらいだろう。世襲でもなく、大組織出身でもなく、他の分野で知名度が高かったわけでもなかった。コツコツと市民運動を続けてきただけの、文字どおり「無名の新人」だった。

 自民党のある派閥が白川さんに支援の手をさし伸べたように、野党の場合も、「無名の新人」がある程度の実績を上げた場合、野党連合で支援するといった形を検討すべきではなかろうか。


少数激戦と投票率

 第三十七回総選挙には、八百四十八人が立候補し、競争率は1.66倍であった。これは、五十五年の衆参ダブル選挙の1.63倍に次ぐ低競争率である。

 前国は「ハプニング解散」による総選挙で選挙準備が間に合わなかった新人が、出馬を見送ったという事情があるから、少数激戦もわかるが、今回は、年の初めから「解散」「解散」と言われ続けて、なぜこの低競争率なのか?

 理由は、野党の選挙協力だ。各党が当選第一主義をとり、候補者をしぼり、野党同士の足の引っ張り合いを極力避けたためだ。

 ちなみに、戦後の総選挙における競争率と投票率の推移を見ていただくと、左ページ(省略)のとおりである。

 今回の競争率は、大選挙区制限連記の第二十二回を除けば戦後の総選挙の中で下から二番めである。

 一方、投票率の推移を見ると、今回が戦後最低である。投票日が年末の忙しい時期だったからとか、統一地方選の年の総選挙は投票率が低いというジンクスどおりになったとか、原因はさまざまに言われている。私は、少数激戦傾向が強まるにつれて候補者の顔ぶれが固定化し、意外性のある人物が出にくくなったせいもあると思う。

 清新で国民の良識を代表するような候補者を、野党が協力して押し出していくことを真剣に検討すべきだ。実現したら、棄権している人々も投票所に足を運ぶのではなかろうか。


中選挙区制をなぜ変えたがるか

 現在どの政党でも公認候補を決定する手続きは、似たりよったりである。下から上へ、順ぐりに上がってくる。

 候補者が東京都民だったらまず「市」または「区」単位の党組織が推薦し、次に東京都本部が推薦し、最後に党中央本部が公認を決定する。これがオーソドックスな「機関決定」の順序だが、時には上で決定した公認候補者を下部に押しつけてきて、トラブルが生じることがある、これを「落下傘候補」と呼ぶ。だれの命名か知らないが、言い得て妙である。

 「どちらが適任か選挙民に判断してもらおう」と、公認候補に対抗して、無所属で、あるいは党籍証明だけで立候補するのが、いわゆる「公認もれ」で、自民党の場合はこういう候補者が結構多い。これに派閥争いがからんでいるのが通常の形だ。これで両方当選することも稀でないし、世代交替が進んだりする。

 こうして、同じ党内で競争し合うことによって、自民党は自己変革も果たし、党の活力を維持してきていると私は思う。野党もそのくらいのエネルギーがなければならない。ところが当の自民党にとっては、金の無駄、エネルギーの無駄だということになるのだろうか。「同士討ちを避ける道は小選挙区制しかない」との主張がある。

 小選挙区制に、野党はこぞって反対している。その理由は、次のようなこと。

一 大政党に有利すぎて、少数意見の抹殺につながる。

二 価値観多様化の時代に、一地域の代表が一人では有権者を代表するのは困難で、わざわざ有権者の選択肢を狭めることはよくない。

 そして自民党内にさえ、

三 自民党に派閥ある限り、公認争いは絶えない。同士討ちが選挙の本番から公認決定までの過程へ早まるだけのこと。金権はむしろ陰湿化、悪質化するだろう、という声がある。


小選挙区制なんかこわくない

 しかし私は、野党が「小選挙区制になれば自民党の圧倒的大勝利となる」といつまでたっても引っ込み思案でいるのが残念でならない。小選挙区だろうが中選挙区だろうが、自民党に勝てる野党でなければ政権は取れないのだ。

 今ただちに、「小選挙区制賛成」といっているのではない。野党の気構えを問題にしたいのである。野党がバラバラのままでは、自民党に蹴散らされてしまう。野党が連合して、自民党に負けないようにならなければいけない。 

 参議院の比例代表制導入の際も、「制度導入が野党連合の契機になる」という声があり、私も一時そう思ったが、結果はその逆だった。それは、当時はまだ、野党がお互いに腕組みを作っていこうという気持になっていなかったし、一般にも野党の腕組みを求める声が強いとは言い難かったからだ。

 「政権の取れる野党の連合」をめざして、少々のアバタもエクボと見る訓練を開始すべきだし、政党の外側でも、たとえば労働組合や市民団体などが、いろいろ共同行動の機会も作って、反目し合っている野党を腕を組む気にさせなければならない。

 党が違えば意見が違うのは当たり前。それを、自分の意見に合わなければすべて間違いだと言っていては、腕は組めない。遠い先の目標は違っても、当面のことでは大いに一致できるはずだ。意見が異なるのを幸い、口をきわめてののしり、非難の言葉に自ら酔うような一部野党の体質は、改めなければならない。国民は、そのような体質の政党に心の狭さを見るだけだ。もし改められないなら、腕組みからはずれるのも当然。

 政党も、しょせん国民の意向に従ってしか行動できないのである。「野党はお互いのケンカをやめなさい。腕を組んで自民党のライバルとしての能力を磨きなさい」というのは、私は天の声、民の声だと信じている。


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