民主党 参議院議員 江田五月著 国会議員― わかる政治への提言 ホーム目次
第4章 国会で何が行われているか

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議長のクビ

 階段を、一人の老人が降りてくる。一段降りては直立し、一段降りては直立しと、わざわざ安定を悪くする方法で、しかも後ろ向きで、足さぐりで降りてくる。「大丈夫かな?」と思ったとたんに、老人はグラリとよろめき、傍の男に抱きとめられた。

 これが、一月二十一日夜のテレビニュースに映し出された福永衆議院議長(当時)の開会式リハーサルの一シーンである。

 「これは危い。やはり木村議長の出番かな」と、私は一緒にニュースを見ていた妻に言った。木村睦男さんは私と同じ岡山県出身で、よくお会いしお話を伺うことも多い。

 国会法第九条には、「開会式は、衆議院議長が主宰する。衆議院議長に事故があるときは、参議院議長が主宰する」と記されている。福永衆議院議長の健康がすぐれない場合は、木村参議院議長が代行するのが当然なのだ。

 ところが、一晩明けたら事態は奇妙な形で進行していた。自民党の金丸幹事長が、福永議長の後任人事について語り、「二階堂議長」などと具体的人名まで挙げた。

 まだ福永議長は、辞任すると言っていない。それに、階段を後ろ向きに降りられないことが、議長辞任につながる大問題とも思えない。もっとも、昨年末の衆議院本会議の福永議長の議事進行ぶりは、ちょっと異常で、これは何かあるなとは思ったが……。いずれにしても、このやり方はひどい。「金丸氏は衆議院議長のポストを、自民党内のポストと勘違いしてるんじゃないか?」と不愉快に思っているところに、「議長辞任」のニュースが入った。何ともあと味の悪い辞任劇だった。

 今回の「議長辞任」は、あらゆる面でおかしい。

 その一つは 「開会式の儀式主宰になぜこんなにこだわるのか?」という点。どうして木村参議院議長が主宰してはいけなかったのだろう。第九条に記されてはいても「前例がない」というのならともかく、昭和三十五年に、足を骨折した清瀬衆議院議長の代りに、松野参議院議長が「後ろ向き階投降り」を引き受けている。清瀬議長には許されることが、どうして福永議長には許されないのか? こんな不自然な階段の降り方を、なぜしなければならないのか?

 二つめは、議長の職務は「開会式の主宰」だけではないという点である。

 国会法第十九条には「各議院の議長は、その議院の秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、議院を代表する」と記されている。各野党は、この条件に合致する人として福永議長誕生に賛成したはずである。野党の意見を一言もきかずに、議長の進退に言及した自民党幹事長は、非常識だ。さらに、「二階堂議長説」の出た理由が、昨秋の「二階堂擁立劇」の再燃を恐れた金丸幹事長が、中曽根首相と相談の上で「棚上げ」の意味で議長就任をすすめたのだそうで、何をか言わんやだ。

 そして最後は「天皇陛下の御前で」ということが、今回ことさらに強調された点である。言うまでもなく、新憲法では、天皇は「内閣の助言と承認により、国民のために」国会を召集する。主宰者は衆議院議長、天皇は「来賓」なのである。

 それをとり違えて、戦前のようにひたすら畏れ畏むのではかえって、「来賓」に対して失礼だと私は思う。


議長選出と院の構成

 議長は、「多数党リーダー」として行動するアメリカの連邦議会議長型と、「不偏不党」「公正中立」の英国下院議長型に大別される。日本の国会の議長の理想は後者である。そのため、第一党から議長、第二党から副議長を選ぶことや、正副議長はその任に就くと同時に党籍を離脱することが、昭和五十一年以来の慣例になっている。

 もちろん五十一年より前にも党籍離脱した議長はいた。しかしそれは、その時々の野党の力によるもので、自民党が力を盛り返すたびに元のモクアミになっていた。ところが五十一年十二月、ロッキード事件後の総選挙で与野党伯仲となったのを機に、国会運営のあり方が従来の「数の原理」から「話し合い」へと方向を変えた。その結果、衆議院議長に保利茂氏(自民)、副議長に三宅正一氏(社会)が、全会一致で選ばれ、二人はただちに党籍を離脱した。

 社会党出身の衆院副議長は、十五年ぶりのことであり、正副議長が共産党も含めた全会一致で選ばれたことは、国会史上初めてであった。以来今日まで、正副議長選出の慣行として続いできたのである。それを忘れて、自民党の派利派略をむき出しにした「福永議長おろし」は見苦しいかぎりであった。

 議長は議員の議席の指定や常任委員、特別委員の指名を行う。また、議院運営委員会で決められる諸事項をすべて決裁する。与野党の対立が激化すると、調停や斡旋にも乗り出す。歓迎すべきことではないが、議長職権で本会議を開会することも、議事を強行することもできる。議場が荒れてくると、警官隊を導入することもできる。ただ、あまり安易にこの手を使うと、後で責任をとって辞任しなくてはならないが……。

 ところで正副議長の任期は、特に定めがない。つまり議員である限り続くが、議員でなくなると切れるわけだ。そこで、解散と同時に全員が議員の地位を失う衆議院の場合、総選挙後に召集される特別国会の冒頭には、正副議長はいない。だからまず第一に、正・副議長を選挙する。

 この時議長席には、事務総長が座る。
 正副議長が決まって初めて、国会は動き出す。

 この後続いて、左の四件が決まる。
一 各議員の議席指定
二 会期の決定
三 常任委員会の委員の選任と委員長の遠出
四 特別委員会の設置と委員の選任

 正副議長の選出から四までを、国会では「院の構成」と呼んでいる。
 なお、特別国会では「首班指名」と呼ばれる内閣総理大臣の指名が必ず行われる。 これは憲法六十七条に「他のすべての案件に先だって、これを行う」と記されているから、通常は、常任委員長選挙の途中、真っ先に議院運営委員長が選出されたところで行われる。議運委員長が決まらないと国会が動けないからだ。


議席はどう決められるか

 「院の構成」の順序に従って、国会の仕組みを説明しよう。正副議長の選出については前項で説明した。

 次は 「議席の指定」である。 国会の本会議場は、衆議院も参議院も、まったく同じ広さで、椅子のつくりも同じである。劇場用椅子のように使わない時ははね上がる造りつけの椅子が、扇型に配置され、要の位置に議長席がある。

 議長席から見て、右隅からおよそ中央通路までが自由民主党と新自由クラブ、中央通路の左側が社会党、その左へ公明党、民社党、共産党がきて、最左翼に私たち社民連の議席がある。

 こうした会派別の座席の枠は、国会召集直前に開かれる 「各会派協議会」で決められる。

 枠の中で「誰がどこの席につくか」という、より細かな席割りは、各党の国会対策委員が各議員の注文を聞きながら決める。 どこの党も、当選回数の多い大物議員が後方の席を占めている。イギリスでは、大物議員ほど前方の席に座って、丁々発止とやり合う。日本のやり方は、いかにも権威主義的である。

 一方、「院の構成」ではないが、壇上で議員席と向かい合うのは、俗に「ヒナ壇」と呼ばれる大臣席。ここの席順は、首相が決める。

 ヒナ壇は議長席をはさんで左右に分かれているが、議員席から見て左側の右端は、総理大臣の指定席だ。右側の左端は、閣内ナンバー2の副総理クラスの席となる。

 中曽根内閣でのヒナ壇の席順はどうなっているだろうか。第一次と第二次の顔ぶれの変遷、席順の移りかわりから中曽根首相の腹の中を読んでみるのも一興だろう。

 昨年の内閣改造では、当初発表された時は、山口労相と古屋自治相が逆だった。これを中曽根さんは最後に、山口労相を一ランク上に持ってくる決断をした。その理由はまことに政治的だ。新自由クラブに対する配慮というわけだが、こんなことを考えると、政治というものも、まことに他愛ないものとも言えよう。


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