民主党 参議院議員 江田五月著 国会議員― わかる政治への提言 | ホーム/目次 |
第4章 国会で何が行われているか |
国会の種類と会期
国会は、三種類に分けられる。
一つは、憲法第五十二条に「国会の常会は毎年一回これを召集する」とある 「通常国会」。
二つめは、憲法第五十三条に「臨時会」と記されている「臨時国会」。これは、内閣が必要に応じて召集することもできるし、いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求でも開かれる。
三つめは、憲法第五十四条に「衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行い、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない」とある「特別国会」である。
憲法では第五十四条の国会も五十三条の国会も、どちらも「臨時会」扱いなのだが、国会法では区別をつけて、五十四条国会を「特別会」と呼んでいる。
だから、総選挙後開かれる国会という点では同じでも、任期満了総選挙後の国会は「特別国会」ではなく「臨時国会」なのである。参議院議員選挙後の国会も、「臨時国会」である。
会期は、通常国会だけが国会法で百五十日と定められ、臨時国会、特別国会の会期は、両議院一致の議決で定める。また、会期は両議院一致の議決で延長することができるが、通常国会では一回、特別国会と臨時国会では二回までしか延長できない。両議院の議決が一致しない時、または参議院が議決しない時は、衆議院の議決のとおりになる。要するに参議院の議決は無意味なのだ。
会期は、与野党それぞれが国会対策のプログラムを組む際の物差しである。物差しを無制限に引き伸ばされては、数の少ない野党はたまらない。政府・与党は土俵際に追いつめられると、会期延長で土俵をひろげる。そうすると、いくら野党が国民の世論を背景にがんばっても、数がすべてとなってしまう。数だけでいいのなら、選挙が終わった時点ですべて決まっている。国会というところは議論の府なのだから、その基本的ルールの一つである会期制度は大切にしなければならない。そんなわけで、会期そのものが「駆引きの道具」となる場合も珍しくない。
最近では、臨時国会や特別国会の会期を初めから長くして、延長する場合も大幅延長にする例が多くなった。「通年国会化」、つまり一年中国会を開いておこうとする試みがじわじわ進行中なのである。
なお、今日まででいちばん長かった国会は、昭和四十七年十二月二十二日召集の第七十一回特別国会で、延長二回を含めて二百八十日間。
最短記録は、昭和四十一年十二月二十七日召集の第五十四回通常国会で、即日解散、総選挙のため、わずか一日間であった。
常任委員会と院内会派国会の審議は、本会議と委員会とで行われる。通常は、実質的な審議は委員会で行い、本会議は、委員会での決定を追認して国会の決定に仕上げる機関である。
常任委員会は、衆議院に十八、参議院に十六あり、各常任委員長は院の役員として、本会議で選出される。
常仕委員会は、予算、決算、議院運営、懲罰の四委員会を除き、各省庁に対応している。たとえば外務委員会は外務省、運輪委員会は運輸省といった具合だ。社会労働委員会は、厚生省と労働市を担当し、内閣委員会は、内閣、人事院、宮内庁、防衛庁、総務庁、沖縄開発庁、北海道開発庁、その他の常任委員会の所管に属さない総理府の所管事項を担当する。
予算委員会は予算、決算委員会は決算等、懲罰委員会は議員の懲罰、議院運営委員会は議院の運営を担当するわけで、審議内容がそのまま委員会名になっている。この中で最も暇なのは「懲罰委員会」で、最も忙しいのは「議院運営委員会」である。
議員は、最低一つの常任委員会に所属することが義務づけられている。そのため、党務に追われて委員会に出られない各党の党首や三役等の幹部は、めったに開会しない懲罰委員会に所属する場合が多い。だから懲罰委員会は「大物」委員会だ。それでも万一開かれた場合はどうするか。答えは簡単で、同じ会派の他議員と入れ替わったらよい。これを委員の「さしかえ」という。
「さしかえ」というのは、まことに便利な方法で、同じ会派の議員が所属している委員会であればどこにでも出られる。自民党や社会党のような大会派の議員は、建前からいえば、全委員会で発言できるわけだ。もっとも国会議員というのは誰もみな口から先に生まれてきたような雄弁家。そう簡単に、発言の機会を人に譲ることはない。
ところで、奇妙に聞こえるかも知れないが、国会の中には、「政党」は存在しない。存在しているのは政党ではなく「会派」だ。新自由クラブが自民党と連立したと大騒ぎになったが、国会の中だけを見ると、自由民主党も新自由クラブも存在せず、「自由民主党・新自由国民連合」という一つの会派が存在するだけ。前述のとおり、社会党は「日本社会党・護憲共同」、民社党は「民社党・国民連合」、公明党は「公明党・国民会議」、共産党は「日本共産党・革新共同」等、これが国会の中の単位である。
新自由クラブが自民党と腕を組んだ時、新自由クラブは「連立」といったが、これにいちばんコチンときた民社党は、「二つの政党が共に会派として存在していて初めて連立。今回のものは、国会という場で見ると合併で、新自由クラブは独自の行動をとれない。連立のうまみを生かすことのできない愚挙」と批判している。正論である。
「議運」の発言力常任委員会を代表するのは委員長だが、審議日程や案件の取り扱い等を決め、実際に運営するのは、各委員会ごとに数人置かれている理事である。理事は、各会派の議員数によって配分されるから、大会派であればあるほど、多くの理事を割り当てられる。たとえば現在私の所属している文教委員会の理事は、自民党四名、社会党二名、公明党一名、民社党一名である。
特に、国会の運営を決定する議院運営委員会にメンバーを出せるかどうかが、会派としては重要。「議運」にメンバーを出せれば、国会全体の運営についての発言権を持つ。もし出せなければ、他会派が決めたことに黙って従うほかない。もっとも単に委員がいるだけでは不十分。なぜなら、ここでも理事会がすべてを決め、委員会は形式化しているから。そこで、「議運」の理事を持っていないと、本格的に発言権を持ったことにならないが、残念ながら私の所属した小会派は衆参を通じ、今まで議院運営委員会に理事はもちろん委員すら割り当てられたことはない。
衆議院の場合、議院運営委員会に委員を出すには、その会派が最低二十議席持っていなければならない。参議院の場合は十議席である。
参議院の時に私は、議院運営委員会にオブザーバーとして出席していた。衆議院では、それすら許されない。少数意見尊重という点では、参議院の方が、ここでも進んでいる。それでもなお、理事会の傍聴は許されなかったので、決定までの過程では、私たちはいつも蚊帳の外だった。有権者のみなさまの期待を考えると申し訳ない気持だが、今の段階では、ただただ「早く芽を出せ、社民連」との支援を願うばかりである。
発言時間の計算法数の論理が左右するのは、発言時間も同じだ。その計算方法が奇妙で、文教委員会の私の発言時間を割り出すのにも、建前として五百十一分の三、つまり「衆議院議員の総議員数」を分母、「社民連議員数」を分子とする分数だという主張が出される。それでは発言時間は二、三分となり、現実的ではないので、実際には良識が発揮され、私たちにも応分の発言時間を与えられるのだが、こういう建前の主張が出てくるたびに、私は、「他の委員会には委員を出していないのだから、全議員でなく委員会の全委員数が分母、その委員会での当該会派の委員数が分子とならなければおかしい。五百十一が分母になるのなら、どこの委員会にもすべて出席させて欲しい」と対抗している。
こちらの主張が正しいと思うのだが、どちらが正しいかを決めるのもまた数だから、負けに決まっている。そこで数でぶつからないよう、根まわしとか哀訴嘆願とか、いろいろやらねばならない。
委員会が異なれば、扱いも異なるということもある。私のいる文教委員会は良識発揮。しかし菅直人君の社会労働委員会では、彼は二、三分を何回分も貯金して、まとまった時間になった時に三十分とかの質問をするという苦労をしているそうだ。ところで、「数の論理」について話すと、必ず反論がくる。
「小会派のあなたが十分間質問するなら、自民党は一日ぶっ通しで質問してもおかしくないはずだ」と。実は、自民党委員の質問時間も、ちゃんと議席比例で計算されている。ただ、自民党委員は、質問を放棄する。
それなら自民党議員はなまけ者なのか。
必ずしもそうは言えない。彼らは与党として行政府を守る立場にあるのだし、それ以上に彼らは委員会で質問する必要がないのだ。なぜか? それは、すでに法案がまとまる過程で、十分発言しているからだ。
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