民主党 参議院議員 江田五月著 国会議員― わかる政治への提言 | ホーム/目次 |
第4章 国会で何が行われているか |
ピンとこない「唯一の立法機関」
「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と、憲法第四十一条は規定する。
ところが、実際に国会議員になってみると、「日本中で法律を作る機関は国会だけ。法律を作れる人間は国会議員だけ」と言われてもなかなかピンとこない。私が野党議員のせいもあるが、国会は、行政府によって準備された法案を追認しているに過ぎないという感じが強い。
「国の唯一の立法機関」の建前からすれば立法の主流は「議員提出議案」でなくてはおかしいのではないか。国会法でも「議員提出議案」を五十六条に、「政府提出議案」を五十八条に置いて「議員提出議案」を先に規定している。
ところが現状は、政府提出議案は数も多く成立率も高いのに対し、議員提出議案は数こそ多いものの、「下手な鉄砲、数撃ちや当たる」の印象が強い。第百通常国会の場合、提出件数と成立件数、率は左のとおりだ。
件数 成立件数 比率(%) 政府提出議案 24 18 75 衆議院議員提出議案 51 3 6 参議院議員提出議案 5 0 0 議員提出議案は、提出する条件として、衆議院の場合は二十人以上、参議院の場合は十人以上の賛成議員が必要となっている。予算を伴う法律案なら、衆議院で五十人、参議院で二十人以上の賛成議員が必要だ。
それだけの議員数を集めることができるのは政党だから、「議員提出議案」(通常「議員立法」という)といっても、九十パーセントは政党立法である。各政党の政策審議機関で検討を重ね、衆議院、参議院にそれぞれ設置されている立法の専門家、法制局の助けを得て法案を練り上げ、執行委員会の承認を得て、国会対策委員会を経て各院に提出されるということになる。
だから、私のような小会派の議員が、議員立法を提出しようとしても、二十人の賛成議員を見つけることがまず第一の壁となる。
だが私は、幸運にも法案作成に参加することができた。昨年夏、「男女雇用機会均等法」で社・公・民・社民連の四党共同の対案を作った時である。社・公・民の三党はいずれも、自分の党提出の「男女雇用平等法案」や「要綱」を持っていた。各党バラバラでは政府提出実に対抗できないというので、四党共同対案に一本化しようとした。ところがどの党も、自分のところの案に沿った対案を作ろうとするから、これでは作業は進まない。幸か不幸か社民連は、独自の案を持たなかったので、調整役を買って出て、対案作りに成功した。しかし、こうした苦労の結晶も、政府案に対抗して国会に提出され、俎には上ったが、委員会審議の中では形式的に若干の質疑が行われただけで、ほとんど相手にされなかった。「数の論理」の前では「風にそよぐ葦」と同じで、政府提出の「男女雇用機会均等法」が難なく衆議院を通過した。
参議院時代には私は、参議院法制局の助けをいただいて、ウォーターゲート事件の後アメリカでできた政府倫理法を参考に、「政治倫理に関する法律案」を作った。しかしこの時には、提出までいかなかった。
これに対し、政府提出議案の場合には、各省庁が立案し、閣議で決定して内閣総理大臣名で各院に提出される。だがこの場合でも、立案の過程で与党自民党の政務調査会の了解を得なくてはならない。
自民党政務調査会は各省庁に対応した形で、十七の部会がある。 ここでは、国会の委員会で野党議員が政府委員とやり合うような討論が、自民党議員によって行われる。実際は、もっと白紙の状態から審議するわけだから、中身の濃い討論になっているだろう。国会の委員会質疑が、既製服売場でズボンの裾の丈を詰めるの伸ばすのという程度の修正であるとすれば、自民党政調での論議は、生地に台紙が貼られ今まさにハサミが入る投階である。圧力団体のバックアップを受けて専門の議員が活躍。正式の政調の会議の場以外にも、裏にかくれた根まわしも重要。後述のとおり、建設族とか農林族とかいわれる議員がこれだ。
こういうわけだから、法案作成の下ごしらえに参加して十分発言力を行使した自民党議員が、委員会で発言しないのも当然なのだ。
形骸化した委員会審議国会議員の活動パターンは、与野党で大きく異なる。野党議員は、委員会が主戦場。与党議員は、政策立案段階での自民党政務調査会の部会審議が腕の見せ所だ。
与党議員は、各省庁が収集した膨大な情報を利用することができる。優れた官僚の頭脳を、シンクタンクとして利用することもできる。
どこの省庁でも、たとえば局長や課長に用事があって電話をかけると、「局長はただ今党に行っております」との返事がごく普通に返ってくる。こちらも「どこの党ですか」などと野暮なことは聞かない。残念ながら自民党に決まっている。考えてみると、このくらい役人と自民党の結びつきの深さを表現した応答もないだろう。議院内閣制だから当然といえばそれまでだが、両者の癒着は、昭和三十年の保守合同で五五年体制が確立して以来、三十年間続いているのだ。こういう状況だから「国会議員の中で真の立法活動をしているのは自民党議員だけ」という見方も、あながち間違いとは言えない。
だが、果たしてこれでよいのか。
公開の委員会とは異なり、自民党政務調査会の部会審議は、非公開である。審議の内容が実は、自民党議員が官僚に対して加える圧力であるかも知れない。その圧力が、特定議員の選挙区や献金団体等の、利害に関するものではないという保障もない。しかも、いったん部会で官僚に要望をのませてしまえば、その後の委員会審議において野党質問の矢面に立つのは、政府委員たる官僚だ。部会で圧力を加えた自民党議員本人は、口をぬぐって政府委員の答弁を聞いていさえすればよい。
政府委員は、理不尽な自民党議員の要求を無理にのまされた場合であっても、理屈にならない理屈でひたすら時間稼ぎをして、野党の追及をかわす。それがいかに噴飯ものであり、政府委員の体面を汚し自尊心を傷つけるものであっても、彼の役割は無理を通して道理をひっこませることなのだ。悪い奴ほどよく眠る。これでは質問する側もシラけてくる。 だが、委員会形骸化の責任は、与党にだけあるのではない。野党側にも反省すべき点は大いにある。
困らせるだけの質疑答弁者を困らせて立往生させると、点数を上げたと思っている人がいる。やりとりの内容よりも、立往生で審議ストップという形式だけを追う。質問者本人は溜飲を下げていい気持かも知れないが、国の政治全体からみれば何の意味もない。逆に、不必要に憎しみやしこりを作るだけだ。
私は、委員会で質問する項目を、前もって関係官庁に伝える。問題提起をして答えを聞き、それに対してこちらの考えを言い、また説明を受ける。 質問以前にいろんなやりとりを経ているから、質問は地味かもしれない。しかしこの方が、中身の濃い答弁が引き出せると自負している。
委員会の質疑を通じて、行政をよりよい方向に向けることが大切だ。少しでも私たちの考え方や疑問、あるべきと思う方向を行政担当者に理解させ、行政を私たちの願う方向へ向けることや、行政側も希望しながら妙な圧力団体の横槍で実行できないことを、圧力団体とは別の角度から行政をあと押しすることによって、行政側が圧力団体に杭することができるようにすることなどである。議会は単なる宣伝の場ではないのだ。
部会族と圧力団体自民党の政務調査会の各部会と、関係省庁との関係は、「持ちつ持たれつ」の典型である。専門部会のメンバーは、政策立案過程で官僚に圧力をかけ、党の要求ばかりか自分の要求をも盛り込ませる。そのかわり、関係省庁にかわって大蔵省とかけ合い、予算をぶん取ってくる。
こういう関係だから政務調査会の部会長のポストは、ある意味で大臣よりも重い。短期間で入れ替わる大臣とは異なり、専門分野にじっくり腰をすえて、知識を蓄え経験を積むからである。
これが前述した「族」と呼ばれる議員たちで、彼らは業界とも密接に結びついていく。農林族、建設族、商工族、文教族、防衛族等々、自民党には産業界の各業種別にスポークスマンとなる議員がいるといわれている。
「族」の活動が日常的である一方、「圧力団体」が直接行動に出るのは予算編成期である。年末、国会周辺を歩けば、陳情団の多さに驚かれるに違いない。とりわけ、自民党本部と衆参議員会館の玄関がすごい。陳情ラッシュだ。
こうして特定団体または業界といったスポンサーへの利益誘導が行われるが、選挙区への利益誘導はもっと露骨だ。
地元への利益誘導といえば、何といっても土木事業だ。道路、橋、上下水道、住宅、治山治水、公園、鉄道等、いずれも公共事業だから、国民の税金を使って地元に感謝され、建設業界へは恩が売れる。もちろん、どの党の議員も「この次も当選したい」という思いは同じだ。議員には地域代表という側面もある。自分の選挙区や支援してくれる業界、団体の利益のための政治活動も、それなりに大切なことに違いない。問題は、それだけでことたれりという議員が多すぎることである。
憲法四十三条に、国会議員は「全国民を代表する選挙された議員」と規定されていることを忘れてはいけない。私は、岡山一区から選出された議員だから、岡山一区の有権者を代表しているが、それだけではない。全国民を代表しているのだ。地元の利益だけしか考えない議員は、本当は欠陥議員なのだ。
部分利益と全体利益日本の国会議員が部分利益の代表であってはならないと戒めているのは、憲法第四十三条だけではない。憲法第十五条二項にも「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と明記している。国会議員も、もちろん公務員だ。
だからこそ国会議員は、「一般職の国家公務員の最高の給料額より少なくない歳費を受ける」のではないか。
民主主義の考え方で、部分利益を統合して平均すればおおむね全体が調和されるという「予定調和風民主主義論」があるが、今の時代には通用しない。権利主張とは、自分のことを最大限主張することであって、国民の権利意識に全体的公共的立場から枠をはめるのは正しくない。大いにエゴを発揮すればよい。しかし、そうしたエゴ主張が出そろうと、結局相殺し合っていいところに落着くと考えるほど現代は甘くない。
たとえば、今や自動車の所有者は四千万人を超え、免許人口は五千万人を超える「車社会」だが、一般のユーザーやドライバーは、圧力団体を持たない。それに比して、自動車業界、整備業界、道路公団等の団体は強力であり、それを代表する議員は多い。
部分利益の主張は、こうした圧力団体からはどんどん出てくるが、数の上で圧倒的なユーザーやドライバーの部分利益は、国会議員や官僚が意識して吸い上げないと、政治の場に登場してこない。部分利益の主張の強さにはじめから不均衡があり、これは自然には調和しない。戦後の日本の車の進歩は目をみはるものがあり、たとえば今いくら「天下の険」の箱根の坂道でも、昔と違ってオーバーヒートでボンネットを開いている車などめったに見られない。二年ごとの分解整備がなければ、車がある日突然故障して事故を起こすなどとは、とうてい考えられない。この車の進歩を、ユーザーも享受できるようにすべきだ。
これだけ車検の矛盾が吹き出している時に、業界に言われてその代弁しかしないとするならば、その人は「全体の奉仕者でなくて一部の奉仕者である」と言われても仕方なかろう。そこで私は、参議院議員時代に 「ユーザー本位の車検」を提唱した。整備業界のみなさんに反発されたが、私の主張は、車検は一年ごとにして、車検の後に、ひっかかった悪いところだけを整備するという「イジラン」(いじらない、維持RUN)方式を採用し、車検業者を車のホームドクターにしようというものだ。「車検オンブズマン」も一応実現させた。「車検白書」の提案もしている。能力とやる気のある業者の方々は、私の主張をわかってくれるはずだ。
さらに顕著な例は、自然保護である。
自然保護は人類全体の願いであり、生存のための不可欠な条件であるが、それを主張して国会に圧力をかけ得る強力な自然保護団体は、今の日本にはまだない。それにひきかえ、自然を破壊しても開発を推進しようとする建設業界からは「これでもか」というほど代表が出てくる。また、そういう部分利益の代表者は、比較的国会に出やすい。もっとも最近は、土建業も自然との調和を考えないとやっていけなくなっているのだが。一方、自然保護の窓口官庁である環境庁は、お役所の中では外様扱い。自民党政務調査会の環境部会も、メンバーのなり手がないとか……。久しぶりの婦人大臣、石本環境庁長官の肩幅まで狭くなったように見えるのは、私のひが目だろうか。
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