民主党 参議院議員 江田五月著 国会議員― わかる政治への提言 ホーム目次
第5章 国会の機能低下と政治不信

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密室で行われる予算修正過程

 国会の機能低下が指摘されて久しい。

 国の唯一の立法機関でありながら、実際には内閣提出議案の承認機関の様相を呈していることは、すでに触れた。

 その典型となっているのが予算審議である。

 予算編成権は、内閣にある。条約の締結権とともに、行政府たる内閣に付されたものである。しかし内閣は、「毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない」(憲法第八十六条)のだから、国会も予算について大きな権限を持っているはずである。国会による予算修正も当然可能である。

 ところが、予算の修正はめったにない。昭和五十二年、福田内閣当時のこと、与野党伯仲状況の下、全野党の「一兆円減税要求」をつきつけられた政府が、渋々ながら若干の修正をした。これは、内閣の編成した予算の数字が変更されたので、画期的なことといわれた。昭和五十四年には、内閣提出の予算案が衆議院予算委員会で否決され、やっと本会議で逆転可決された。昭和五十九年には、パート減税で小幅修正された。しかしいすれも数字の書きかえまではいっていない。「与野党伯仲国会」の下でも、予算実の修正はきわめて稀なのである。

 ところが、これはどまでに修正されにくい予算案が、国会に提出される前の段階では、コロコロ変わるから嫌になる。

 内閣の予算編成の過程は、まず八月末日までの各省庁の概算要求で始まる。この要求を大蔵省が審査しながら大蔵原案をまとめていき、十二月上旬に各省庁に内示する。各省庁は大蔵原案で削られた予算について、事務レベルで復活折衝をする。最終投階では、各省の大臣が大蔵大臣とかけ合う「大臣折衝」も行われる。

 この間、圧力団体や選挙区の「部分利益」を背負った自民党の「族」議員が、各省庁とスクラムを組み、大蔵官僚に対して揺さぶりをかける。大蔵原案はこの時点で、学生服が背広姿に変わったほどに変化する。

 だがこれで終わったわけではない。予算案は自民党の三役による「政治折衝」に持ち込まれる。幹事長、総務会長、政調会長対大蔵大臣、主計局長の大勝負だ。しかし大蔵大臣も自民党議員なのだから、最終的には大蔵省主計局長が押し切られるのが常だ。大蔵原案はここへきて、背広姿が羽織袴に変わったほどに変化する。これが国会に提出される。

 昭和六十年度予算の場合、閣議では「整備新幹線建設計画凍結」が決定されながらふたを開けてみると「四線すべて建設」が復活していたのが、「学生服が羽織袴」の典型。こういう無茶な修正を密室でやっておいて、国会の予算委員会の場ではほとんど修正しない。何とも奇妙な話だ。しかも、たとえば事務レベルで話がついていても、大臣の顔を立てるために、大臣折衝まで未解決のままにしておいて、大臣とは偉いものだと思わせるシナリオをつくるとか、なかなか手のこんだ演出まで入っている。


日本型予算変型システム

 アメリカの議会では、大統領が提出した予算案は叩き台にすぎない。議会で大統領の与党が多数を占めていても、手心を加えられることはない。諸々の利益集団がロビイストを使って議員に働きかけ、議員は議会独自の予算局から専門知識を得てきびしく審査する等、複雑な手続きを経た後に成立した予算は、大統領提出時の姿からは、「学生服が羽織袴」ほども違っているのが普通である。

 どちらも「学生服が羽織袴」では同じだが、修正される過程がガラス張りという点で、私はアメリカ方式に軍配を上げたい。

 私は野党議員だから、日本流のやり方に歯ぎしりする。しかし与党議員だったらどうだろうか。密室の中で予算を「変型」させうる方がメリットがあるだろう。私的な利益をもぐり込ませるのも不可能ではない。それ以上に、予算を変型させようとする利益集団は、与党と与党議員だけを頼ってくることになる。自民党が利益集団を通じて、強力な力を維持していられるのは、このような日本型の「予算変型」システムが基礎になっているのである。

 官僚にとってもこのシステムは都合が良い。与党さえ承認したら、その予算案はほとんど修正されずに成立する。野党議員もからんだややこしい「変型」作業を行わずにすむ。与党の「変型」要求に、多少横車的なところがあろうとも、それをのんで、与党も支持する「政府案」をまとめることが、官僚たちの利益となる。ここに「政官癒着(与党と官僚の癒着)が生まれる土壌がある。これも自民党の「一党支配」を維持してきた基盤だろう。


国政調査権はオールマイティではない

 国会の委員会審議といえば、なんといっても予算委員会だ。

 「予算修正」の権限を事実上奪われているに等しい野党議員にとって、予算案審議の晴れの舞台は予算委員会である。予算委員会では国政のあらゆる分野についての質問が許されており、閣僚は全員が 「並び大名」として座っている。テレビ中継もある。

 各党の個々の議員にとっても予算委員会の魅力は大きい。委員希望者がひしめいているから、大政党でも若手の議員は、なかなか入れてもらえない。委員に加えてもらえても、テレビのライトを浴びて大臣相手にわたり合うのは、各党書記長クラスの論客であって若手はその他大勢、映画ならエキストラ役で、員数合わせにかり出されるだけだ。

 テレビ中継が定着したおかげで、審議のやり方は小中学生でも知るようになった。子供たちがおかしがるのは、答弁者が一問ごとに席を立ってマイクの前に行く場面である。それも総理大臣や大蔵大臣のようにマイク近くに座っているならまだしも、各省の政府委員が遠くの席から小走りにきて、「ご指摘のとおりでございます」と一言答えて、また小走りに席に戻るのが滑稽に見えるらしい。私に「国会は建物が旧式だから、答弁用マイクを一本しか置けないの?」ときいた子供もいる。

 原始的な拡声装置しかない時代ならいざ知らず、一般家庭にも一級のオーディオ装置がある今日、予算委員会の答弁用マイクが二本あってもバチは当たらない。少なくとも、必要以上に役人を卑小にみせる大時代的風景は、歌舞伎の見せ場じゃあるまいし、なくした方がすっきりする。

 八五年一月末から二月にかけての第百二回国会衆議院予算委員会では、防衛費のGNP(国民総生産)一パーセント枠、増税(大型間接税の導入)などの問題が、論議の焦点となった。それぞれ国政上の重要問題で、論議が真剣に行われたことはよかった。増税問題はともかく、八五年度の人事院勧告が実施されれば、防衛費が一パーセント枠を突破するのが現実なのである。それなのに、予算政府案は無修正で成立してしまうところにむなしさを感じた国民が多かったのではなかろうか。

 予算委員会では、しばしば審議が中断する。政府側が答えに窮した時で、委員長はすかさず、「暫時休憩します」と言って、理事会にゲタをあずける。

 この国会で審議がストップしたのは、「防衛費のGNP一パーセント枠に関する総理大臣の見解」「今年度要求せずと閣議決定した整備新幹線建設予算の復活」「大型間接税に関する首相と蔵相の意見のくい違い」等々でもめた時だ。

 しかし、いずれの場合も、翌日、あるいは半日後には、大した内容でもない「弁明」を総理大臣が述べて、委員会審議は軌道に乗る。「なんの解決にもなってないじゃないか。国会議員には国政調査権があるんだろう? どうしてそれを活用しないんだ」という質問が出るのももっともだ。

 確かに憲法第六十二条には「両議院は各々国政に関する調査を行い、これに関して証人の出頭並びに記録の提出を要求することができる」とあり、国会法第百二条、百四条や議院証言法等で、「議案審査や国政調査のため議員を派遣し」たり、「内閣、官公署等に報告や記録の提出を求め」たり、「証人に証言を求める」ことが認められている。

 しかし、そこには制限がある。まずこの国政調査権は、各議院に所属するのであって各議員に所属するわけではない。したがって、いくら委員会の委員が疑惑に関して調査権を行使しようとしても、理事会が腰を上げなければそれで終わり。仮にここはパスしたとしても、議院運常委員会の理事会で否定されたら終わりである。

 多数を握っている自民党は、こういう問題の時必ず消極的だから、ギリギリのところになると野党の要求はつぶされてしまう。そこまで行って玉砕し、自民党の悪どさを天下に知らしめるのも手だが、常に玉砕では能がない。そこであれこれ手のこんだやり取りや取引きをする。こういう部分が、国民の失望を招く原因になっているのかも知れない。


「守秘義務」の壁

 国政調査権が個々の国会議員にではなく、両議院に属することには一つの意味がある。もともと国会議員個人が特別に偉いわけではないのであり、また議員個人にそんな強力な権限を与えると、これを濫用する者も現われてくる。

 特定の会社に恨みを持つ議員がいて、委員会の場で公式に「あの会社には脱税の疑惑がある。調査するように」と一言発言しただけで、その会社の株は下がるだろう。事実無根であっても、その議員は憲法五十一条で、何の責任も問われないことになっているし、その会社は公の場で反論する機会もない。

 「マッチポンプ」というのがある。国会だけでなく、地方議会にもこの手の議員はよく見かける。マッチで火をかけた本人が、ポンプで消火する。「衆議院決算委員会で質問するぞ」と脅すのがマッチ、「だが、事件にしない方法もある」と持ちかけるのがポンプ。昭和四十一年、自民党の田中彰治議員はこの種のやり方が恐喝罪に問われ、懲役四年の実刑判決を受けた。国政調査権の濫用の典型だ。

 また、かつてアメリカ議会で吹き荒れたマッカーシーの「赤狩り旋風」のようなことがあってもいけない。そういう配慮も働いているようだ。

 しかし、国政調査権のマイナス面を強調しすぎて、その行使にブレーキをかけるのも困る。

 昭和五十一年ロッキード事件の際は、重要な情報はすべてアメリカからきた。日本国内では、肝心の国政調査権も官庁の「守秘義務」の前に、空振りするばかり。やむなく与野党の国会議員が争ってアメリカに渡り、各党似たりよったりの情報を収集して帰ってきた。

 その結果、せっかく実現した予算委員会での「証人喚問」は、質問者の情報不足も手伝っていたずらに罪を責める姿勢だけが目立って「真相究明」の見地からみるとほとんど前進はなかった。当時私はまだ裁判官をしていた。テレビで見た国会議員の証人訊問は、威勢だけはやたら良いが、専門の立場から見ると穴だらけ。質問の詰めが足らず、証人に「記憶にございません」の繰り返しを許した。(国会議員とはこんなものかな……)と思った。

 その後、小佐野証人等六人が偽証罪で告発されたけれども、テレビで証人喚問を見た視聴者の反応は、「むなしい」の一語につきるというクールなものが大半ではなかっただろうか。

 ところが、こういう不完全な証人喚問でさえ与党側には悪しき前例と映ったらしい。以後、証人喚問は極力回避され、「参考人」止まりとなった。証人として国会に喚問されて宣誓のうえ墟をつくと「偽証罪」になるが、参考人は宣誓をしないから偽証にならない。そこで、嘘がバレた後のことを恐れて、「証人として」でなく、「参考人として」と頑張るわけだ。初めから嘘をつくことを認めろというのだから、むちゃくちゃだ。昭和五十四年のダグラス・グラマン事件では、証人喚問は一度もなく、すべて参考人質疑だった。

 ロッキード事件のころ急速に盛り上がりを見せた「国民の知る権利」を求める世論も、ダグラス・グラマン事件が項点。五十五年の衆参ダブル選挙で自民党が安定多数を占めると、次第に冷えていった。

 官庁の守秘義務の壁は、相変わらず厚い。中曽根内閣が私的諮問機関を重視すればするほど、政治はいっそう秘密のベールに覆われていくのではないか。そういう恐れを昨今、ひしひしと感じる。


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