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  書道精神の探究

 高校ではもう一つ、書道都に入っていた。私が小学校の時、習字を教わっていたのが笹野舟橋先生で、高校書道部は河田一臼先生。ともに毎日書道展の系列で、上田桑鳩先生の兄弟弟子である。笹野先生の影響で、当然のように書道部に入ったわけだ。

 普通の書道部とは全く異なったやり方だった。週に一度の練習日に河田先生が姿を見せるが、延々と話が続くだけだ。時々歌が混じったり、どなったりする。突然当てられて 「感想」ということになる。何か感想を言わなければならないのだ。

 先生の指導は、書道の前提として神経、感覚を常に鋭敏に尖らせていなければならないというところにあった。戸を閉めるのでも、余分なカを使わず一度でピシッと閉まらなければダメ。先生がタバコを持つと、スッと灰皿が出て来なければダメ。一挙手一投足がきちっとしていなければならない。最も鋭敏に神経をとぎ澄ますとどうなるか、それは無の境地だというわけで、禅と同じことになってしまう。学校の部室や禅寺で座禅を組んだこともある。

高校3年の時の書き初め(下段)をバックに(左)

 座禅を組むとか、実際に墨をすり、字を書くとかということは、全く生徒の自主性にまかされていた。部室には毎日のように集まっていた。「、」 だけを何千回も繰り返して書くとか、次は「一」の字だとか、そういう練習もやった。それぞれの部員が上級生と相談して、「君は王義之をやれ」などと、中国の古典と取り組んでいったりもした。臨書ではあるが、手本を写すという精神ではだめだ。

 毎年夏には合宿して作品を仕上げ、それを大阪・天王寺の美術館で行われる毎日書道展に出す。一年の時には褒状、二年で銀賞、三年で金賞だった。そのほか文化祭や書初めがある。部室に泊まり込んで書くこともしばしばだった。書き初めの時なんかは寒いからという口実で、ウイスキーを飲むというようなこともあった。

 毎年、夏には水泳の講習と書道の合宿が重なってしまう。昼間は水泳、夜は書道というわけだ。書道の方は昼間は暑いので、みんなゴロゴロしていて、夜になると目を輝かせて練習したり、話に熱中したりする。私は昼間ゴロゴロしているわけでなく、水泳で体力を消耗しているのだから、まったくまいった。合宿は三日か四日だが、その間は睡眠時間二、三時間になってしまった。一年のころは、書道部の先輩には「水泳なんかやめてしまえ」といわれるし、水泳の方では「書道なんかに手を出して、本当に水泳をやる気があるのか」といわれる。かえって意地になって「両方ともやめるものか」と思ったものだ。

 三年の夏休みは、このほか県高校生徒会懇談会の合宿をやった。アメリカン・フィールド・サービス(AFS)の留学生が、私の同級生の家に一人、県下で合計三人来たが、その留学生を囲んでの合宿だった。蒜山高原でやって、結構楽しかったのだが、この準備も大変だった。これに水泳、書道と三つ重なったのだが、このころは要領も良くなり、なんとかこなした。いずれにしても受験生の夏休みとは思えない、きわめて有意義な夏休みだった。

 高校三年の一、二学期は夏休み以外にも、よく休んだ。生徒会の仕事、クラブ活動の仕事について「出張」という制度があった。「出張です」と教師に届ければ、出席扱いになるわけだ。生徒会だけでも県下の高校を回って歩くための出張が多く、他に書道部の用事での出張もあった。時々、出張と称して喫茶店に行ったりもした。私が「出張」というと、教師は苦い顔をしていたが、やむをえず認めていたようだ。夜は歌声喫茶にいりびたっていた頃もある。


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