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ロッキード事件で政治が大きくゆらいだのは一九七六年のこと。当時の三木首相の毅然たる態度に助けられて、田中元首相逮捕から政治改革のうねりは大きくなり、新自由クラブが空前のブーム。「革新」の再生も強く望まれる中で、社会市民連合が生まれ、政治は一気に大改革に進むかに見えたものです。
そして今、三木元首相が先般ご逝去。田中元首相も病棟。新自由クラブは今はなし。リクルート疑惑は未曽有の広がりを見せているのに、政界の反応はまことに微弱です。
このような状況の中で、「社民連十年史」を発刊することになりました。その十年は何だったのか、これから何をするのか、じっくり読み進めてみて欲しいと思います。
私たちは決して悲観していません。「今こそ社民連」と、胸を張っています。私たちの歩んだ道に確信があり、政治改革の曙光がはっきりと、私たちには見えているからです。
一層のご指導、ご支援をお願いします。
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わたくしたちが、日本社会党を飛び出して、社会民主連合を結成したのは、一九七八年三月のことであった。それからもう十年余も経過したことになる。この歳月のあいだに、果してわたくしたちの目指した日本の政治改革のプログラムはどこまで進捗したことであろうか。振りかえってみると、はなはだ心もとない。
だが、ともかく日本で一番小さな政党の代表としてわたくしは七年余、政権を担当する能力のある、市民に信頼されうる野党の結集による新しい政党の創出に全力を傾注してきた。このわたくしたちの努力は、当然のことながら日本の民主主義のいっそうの前進と平和を願う市民の声を代表する気構えでねばり強く続けられてきた。わたくしたちは、新しい市民の政党の誕生がまだ将来にわたることであっても、江田代表に代ってから続けられているこの地道な努力がいつの日か実現することを確信している。
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夜明けは近い
一九七七年五月二十二日、政界再編への大きな夢を残して江田三郎は逝った。
それは満天の星空から偉大な流れ星が一つ、哀しく、大きな光芒を残して消えていったような衝撃的な急死であった。
大柴滋夫、田英夫、阿部昭吾、そして私たちの社会党よりの訣別には、この江田三郎の壮絶な“死にざま”が大きな影を落としていたに違いない。
社民連が浮沈の激しい今日のマキャベリズムの政界に、これからどうたち向い、どのように生き抜いてゆけるか、その辛酸は筆舌につくし難いものがあろう。しかし、信念と根性でこの十年間を生き抜いてきた嵐の中に立つ男たち、決して挫けたりはしない。
夜明けは近い。自民党単独支配に替りうる新しい政治勢力結集という日本の政治変革にかけた私たちのロマンが現実のものになるかどうか、私たちはいま限りない情熱と夢に燃えている。
友よ! ともに明日を語ろう。
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大局面は確実に変わり始めた
一党政治四十余年、わが国の議会政治、民主政治は機能喪失の態にある。わが楢崎代議士が身命を賭して斬り込んだリクルート疑獄、ヌレ手にアワの泥沼は、今日の政治現状を余すことなく物語っている。わが青春以来、全情熱を注ぎ続けた社会党が「建前論に安住し、組織にアグラを組み、市民常識から遊離して、形骸化、空洞化していく中にあって、これを看過し安逸をむさぼることは黙視出来ない」と決断し、あえて社民連を旗上げ、嵐の中に漕ぎ出してから早十年がたった。
未だ私たちのドラマは未完である。しかし確実に転換、連合、再編の流れはうねり出してきた。私たちは未来に確信をもつ。そして明治の変革期に、無名の脱藩者たちが古い録高と世襲制の幕藩体制を打ち破って時代を大きく回したように、私たちの使命は正に重大である。小局面では一進一退でラチは遠くに見えるが、大きな局面は確実に変わろうとしている。いかなるきびしさにも屈せずにやり抜こうではないか。
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社民連の十年がどういう社会的意義をもつか、その評価は今は早すぎるであろう。しかし少くとも私にとっての社民連は、市民運動の提起する問題に積極的に反応を示す“市民政党”をめざす運動であり、それは今も続いている。保・革の左右軸ではなく、上意下達の官治型政治か、それとも草の根からの市民自治型の政治かという、垂直軸で考えるはじめての政党であったと言われたいものだ。
韓国、フィリピンなどアジアの国々の民主化は、市民大衆の爆発的エネルギーに支えられて確実に前進している。またソ連や中国の自由化・民主化も進行している。日本も、戦後の上から与えられた民主化を越える草の根からの市民の手による民主化を必要としているのではあるまいか。そうした時代に、既存の野党が“野党”としての存在理由を喪失しているように見える。大きい夢とロマンを持った新しい野党の再生に、社民連の経験を生かす時が今、来ている。
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