1977年 | 社会市民連合結成 |
「江田離党」 についての各党談話
社会党(成日知巳委員長)
一、わが党の要職を歴任し、党の歴史に大きな責任を持ってきた江田三郎氏の離党という事態は、党の統一と団結に重大な影響をもたらし、きわめて遺憾だ。
一、党はかつて五一年サンフランシスコ条約批准の重要なときに分裂、五九年安保条約改定に反対する大衆連動の高まりの中で西尾氏らが脱党した歴史を背負っている。保革伯仲の政局のもとで、春闘が熾烈に闘われ、歴史的参院選を目前にしての、江田氏の今回の行動がだれに利益、不利益をもたらすか指摘せざるを得ない。
一、党は民主主義の原則に基づく討議を経て 「日本における社会主義への道」 「新中期路線」 「国民統一闘争」を全党一致で決定、その方針実現に全党あげて努力してきた。この方針決定に重要な役割を果たした江田氏が、自らそれを一片の反古にすることは政治家の態度として無責任の批判はまぬがれないだろう。
一、戦前、戦後を通じ江田氏が日本の社会主義運動の前進に大きな足跡を残した事実は否定しない。それゆえ、党に対する愛情を痛切に自覚していると信じたい。だからこそ江田氏に問いたい。「“革新連合の時代”とあなた自身強調される政局の中で、戦後三十年、苦難な歴史を共有してきた党の同志とさえ連帯できず、他党とどんな連合が可能か」と。
一、江田氏はすでに党を去った。残念だが「去る者は追わず」と言わざるを得ない。われわれは今こそ初心にかえり、党員一人一人の連帯のきずなを確かめ合い、先輩が築きあげた党史と闘いの伝統を学び、派閥を超えて党の団結を守り抜くことを決意する。
公明党(矢野絢也書記長)
一、江田氏は日本おける望ましい社会主義運動のあり方を模索してきた人物だが、社会党を離党された胸中はまことに感慨深いものがあろうと推測する。党内事情的によくよくのことであったのではないかと思う。
一、江田氏が古い桎梏にがんじがらめになっている政党にあきたらないと思っている国民とともに、政治への参加と連帯を作ろうというのであれば、江田氏が国民の期待に沿う方向で成功されることを心から祈りたい。
一、参院選全国区については協力する手段をもたないが、地方区については申し入れがあれば社会、民社両党と合わせて選挙協力の有力な対象集団として前向きに検討していきたい。
民社党(佐々木良作副委員長)
一、江田氏が離党という非常手段を取ったことは並々ならぬ決意を示したものと思う。江田新党がミニ社会党の道を歩むのではなく、革新政治勢力結集の方向に発展し、成功することを祈ってやまない。
一、江田氏離党を契機に社会党は公明、民社両党とともに政権を担当する政党に成長してほしい。わが党は今後とも社会党との友好関係を保っていきたい。
一、選挙協力は公民協力で埋めにくいところでは江田新党との協力の可能性が生まれてくるかも知れない。その場合はその段階で考えたい。
共産党(金子満広書記局次長)
一、江田氏の離党はこれまで同氏らが唱えてきた「反共社公民路線」の矛盾と破たんの証明である。反共野党連合の方針を社会党に押しつけようという企図が失敗した結果、今度は社会党外から反共分裂主義を推進しようというものだ。
一、この反共“中道”の潮流は、国政の民主的転換に逆行する保守補強の潮流にすぎず、革新勢力統一への反対と妨害を最優先としている。
一、江田氏は“政党支持なし”層の結集の必要性を挙げて今回の行動を合理化しようとしているが、これは“無党派”的な装いであり欺まんだ。新自由クの二番せんじは決して成功しないだろう。革新統一戦線の成立こそ広範な国民を結集する大道である。
〔出 席 者〕 社会党代議士
運輸労連委員長
総評議長大柴 滋夫
中川 豊
槇枝 元文社会党前委員長
専修大学教授勝間田清一
正村 公宏(司会)「読売新聞」(東京)編集局次長兼政治部長 渡辺恒雄 渡辺 新自由クラブの結成で、二十年余の保守一党体制が崩れつつある中で、野党第一党の社会党内で、指導力のある江田さんが脱党した。江田さん一人の脱党という事件ではなく、政治的影響も大きい。今後、社会党、革新陣営がどうなるのか、またどうすべきか、率直な意見を聞きたい。
大柴 今の社会党には、三つの潮流がある。フォード(前米大統領)来日にあたり、帝国主義の親玉だから反対だというマルクス・レーニン主義をとる社会主義協会(以下「協会」)。これに対し、江田さんや私のように歓迎してもいいという人がいる。その真ん中に、強い勢力に追随する人がいる。党大会、中央委、全国書記長会議では、協会とその追随者の方が強い。ところが、国会の比重では江田さんの方が強い。この三つが、引っ張り合って、新しい発想が出てこない。
そして、協会派は「江田さんは党に不必要、妨げになる」という。参院選を契機に、江田さんは国民に信を問うてみようということになった。
渡辺 国民一般からみると、総選挙で千百万票をとりながら、党員はたった五万人。しかもその多数が古典的マルクス・レーニン主義者であるという現実は不思議にみえる。
勝間田 私が入党した昭和二十一、二年のころ、戦前の社会主義の潮流を脱したキリスト教社会主義とか、フェビアン、労農派などもあり、各種の思想を持った人が寄り集まって社会党ができた。そうした中で、右派的な西尾末広氏らが主導権をとり、大柴君やわれわれは、鈴木茂三郎さんの仲間に入って論争してきた。そのうち、芦田内閣が倒れ、左派主流の社会党ができた。その後にも、分裂と合同を何回も重ねた。そうした中で、江田さんの構造改革論が出た。これを踏まえて、党内に社会主義理論委がつくられた。
その結果「社会主義への道」(以下「道」)が、満場一致で採択された。せっかく統一ができたのに、自民単独政権の崩壊を前に社会党が分裂することは、残念極まりない。
江田さんには、この三十年、特に安保闘争のころの努力などの功績がある。それなのに、外から(社会党を)改革しようというのは、理解できない。社会主義運動からみてマイナスだ。
渡辺 労働界はどうみるか。
中川 総評は、三役会議を開いて二月の社会党大会に何を望むかを協議した。そこで出たのが派閥解消問題だった。派閥解消をしないなら社会党一党支持をやめる――そこまではっきり言おうとしたくらいだ。政策論争なら目をつぶるが、派閥抗争は人脈に根ざしたもので許せない。
個人的な意見だが、江田さんの脱党は脱党として、参院選への立候補はやめてほしい。そうでないと、総評の社会党一党支持は、私の属する全日通にしても、他の単組にしても重大な問題をもたらすことになる。
渡辺 新自由クラブ、保守系無所属を加えれば、保守勢力は減っていない。国民の九割は、自らを中産階級と思っており、三割は支持政党なしの層だ。そういうものを、野党第一党の社会党が有効に吸収できなかった。「道」も、マルクス・レーニン主義を基調にしている。それで多数を占められるだろうか。
正村 江田さんの今回の行動は、政治状況に柔軟かつ積極的な対応を示したという点から評価すべきだと思う。(江田脱党は)遅きに失したという批判はあっても、早過ぎたとは思わない。
今の社会党は、変わらねばならないと思う。五五年の保革二大政党体制は、その後の社会党の分裂による民社党の結成、公明党の誕生、共産党の伸長などによって、事実上崩壊した。野党主流の社会党は、衰退の一途をたどるばかりだ。「戦後社会党の時代」はすでに終わったと言っていい。
江田さんの構造改革論は、細かく言えば問題はあるが、時代や状況の変化に対し、現実的、政治的な対応を示したものとして、重要な意味を持っている。その江田さんを、社会党が袋だたきにしたことに、社会党のざ折の原因がある。江田さんが社会党にとどまっていれば、社会党と運命を共にすることになってしまう。
渡辺 協会勢力が、マルクス・レーニン主義、プロ独裁に固執している限り、脱党者が続くのではないか。
勝間田 「道」と構造改革路線の関係だが、党の理論委では十数年間、構造改革が是か非かという扱いは避け、まず資本主義、世界情勢を分析して、政治路線のあり方を探り、その中で、構造改革も取り上げるという広い立場で検討してきた。民主的多数派の結集は、構造改革路線から出ている理論であり、平和革命と民主的多数派の結集は不可分だ。決して構造改革を否定した議論をしているわけではない。
ただ、イタリアでは構造改革路線をビジョン論としてではなく、組織論、運動論を含めた政治路線として取り上げている。これに対して、江田君は、ビジョン論として扱っている。これは間違いだ。
もう一つ、大事なことは「道」は、議会制民主主義を高く評価している。複数政党も認めており、もっと評価してよい。「道」を修正するのでなく、組織、運動、政策論として発展させることが大事だ。
正村 今の社会党は、教義問題が多すぎる。「道」には両面ある。江田ビジョンが出されて党内論争が起き、先進国における社会変革を前向きにとらえた面がある。他面、マルクス・レーニン主義の古い規定が残されている。従って、過渡的折衷文書になっている。協会派は「『道』を守れ」と言い「道」の片言隻句をとらえて、社会主義の古いビジョンを主張している。
渡辺 槇枝さんは、江田脱党の革新陣営や労働戦線への衝撃をどう考えるか。
槇枝 一定の影響はある。というのは、今は保守から革新へ大きく移ろうとする瀬戸際だ。心ある革新陣営の人や労働者は、なんとか革新野党が協力して、次の政権を担っていくべきだという願望を持っている。その時期に、これ以上革新政党が分裂していくことは、批判せざるを得ない。
また、労働界再編につながるといわれるが、そう簡単ではない。
渡辺 江田さんが脱党して、それに後続部隊がついていくのか。江田氏の側近の大柴、阿部昭吾、山田祉目氏らには、「党内に残って改革を」といわれたというふうにも聞いている。
大柴 党内では、出ていいく人もいる。身の軽い人は、それもいいことだ。東京の区議の二十人くらいが(出ていく)決意をするとも聞いているし、全国的にも、身の軽い人が決意するはずだ。今後、情勢は当然変わっていく。国会議員の中で、江田さんと同じ考えの人は相当いる。
問題は、協会の人たちの反省の度合いいかんだ。党大会の過半数を占めている人たちであって「道」を改革しようといっても許さんし、党を協会のテーゼに服従させてしまおうということをやっている。すっかり党中党なんだ。これでは、マルクス・レーニン主義者以外の人は(党から)出ていく。
渡辺 協会が、今後も古い教条に固執すれば、社会党は割れるか、江田新党が大きなものになるのではないか。
大柴 江田新党になるかどうかは別として、脱党者は続くと思う。とにかく、立党の精神と違っているのだ。二月の党大会は、三十三年の党の歴史上、奇妙な大会だったが、議長も、委員長も、書記長も(協会派の横暴を)制止しなかった。
勝間田 党内の対立、分裂は国民から反発を招くだけだ。問題点を整理すると、一つは思想上の問題だ。「道」は、統一綱領にまでなったが、十分討議されていない部分がある。
二つには、社会主義政権が現実の課題になった際に、集団における個人の自由をどうするか、計画経済は、自主管理か中央管理か、地方分権はどうするか、といった諸課題が「道」では議論されていない。
三つには党運営の問題だ。党中党を作り、派閥抗争をやり、排他主義をとる限り、党内の統一はできないし、また、統一戦線作りのため広範な国民の支持をとりつけることはできない。
この三つの問題点の議論を進めることに、党執行部がリーダーシップをとり、前向きの姿勢をとってほしいと要望したい。これで大柴君ともお別れということにはしたくないからね。(笑い)
大柴 社会党の国会議員は、百八十人ほどいるが、党大会に出られるのは、三十人ぐらいにすぎない。代議員は党員百人に対して、一人を総支部、県本部で選ぶが、議員は、選挙区で他の人が出たいというのに「いやオレが出る」というほどの能動性はない。議員が三十人しか出ない大会の論議は、抽象的理念の論議になってしまう。つまり、現実的に政治を動かす熟練者の意見が、大会では生かされない。
全議員が代議員になれるような改正案を、執行部案として出そうと主張している。しかし、協会派が、現体制の上で主導権を握り続けたいので改革はできない。協会派ににらまれると、次の選挙で公認されないことを恐れている。これではだめだ。
槇枝 政党は、イデオロギーを持つべきだろう。マルクス・レーニン主義も、一つの教科書として扱えばいいので、世の中の情勢、産業の発展度により、どう応用していくかだ。ところが、それ以前のところで、マルクス・レーニン主義がいけないかどうかの議論をして、党を出る出ないというのは、極めて不幸なことだ。協会派だって政権をとった際に、マルクス・レーニン主義通りにやっていくというバカなことはない。江田さん自身は全国区で票を集めようが、その他の人は受けないことを予言しておく。また、党大会の代議員になることを遠慮するような国会議員が脱党できるとは思わない。
中川 私の組合の全日通では、社会党員でなければ、推薦できないことになっている。今度の問題がそれを改める契機になると思う。
渡辺 江田氏の脱党が、ショックであることは皆さん認められた。日本の議会制デモクラシー発展のため、いいショックであることを望みながら、成り行きを見守りたい。(1977年3月27日「読売新聞」)