1977年 | 社会市民連合結成に向けて |
社会市民連合結成に向けて
一九七七年三月三十一日、社会市民連合は産声を上げた。
四谷の事務所には、江田三郎を中心に、秘書の矢野凱也、徳成博、多田俊三、石井紘基、中井富、今泉清、岩根邦雄、西浦賀雄、金子義隆、倉持和朗らが詰めかけた。
大柴滋夫、阿部昭吾も激励に駆けつけ、江田三郎は上機嫌だった。
しかし、安東仁兵衛や貴島正道は、顔ぶれが社会党関係者か社会党OBに偏っているのが気になった。
まったく社会党とは無縁の人物は、白鳥令独協大学教授が派遣してくれた二人のアルバイト学生、羽成芳夫と仙波恵子だけではなかったろうか。
「市民との連携を急がねば」と貴島や安東は思った。
その矢先、篠原一・東大教授から願ってもない話が届いた。それは 「あきらめずに参加民主主義をめざす市民の会」からの公開討論会の申し入れであった。
四月二十四日に実現した公開討論会の経過と当日の討論の概要、そして結果については、当時の記録を見ていただくこととしよう。
公開討論会の申し入れと回答
公開討論会への出席のお願い
今回の江田氏の社会党離党、社会市民連合の結成は、そのねらいが無党派市民の結集にあるとすれば、私たち市民の政治参加の拡大をめざすグループとしても無関心であるわけにはいきません。
私たちのグループ「参加民主主義をめざす市民の会」は、昨年暮の総選挙で仲間の一人を東京七区から立候補させる運動の中から生まれたものです。もともと、このグループは、土地・住宅問題、食品公害・医療問題、教育問題などのテーマを持つ個人や市民運動グループが、いろいろな運動を契機に集まって形成されてきたグループです。
特に前回の参議院選で市川房枝さんに出馬を要請し、選挙戦の中で各地の市民・住民運動グループと出会うといった経験、また五十年の統一地方選では、武蔵野市議選に仲間の一人を推し、一票差で敗れた経験などの中から、企業や労組という利益団体に依存した選挙ではなく、市民が候補者を選び、資金を集め、選挙運動に参加する“市民選挙”を可能としていかない限り、建前で“市民派”、本音は選挙母体たる企業や労組の“利益代表”といった政治家の体質を変えることができないと考えるようになりました。
そして、昨年のロッキード事件を契機に、自民党に憤りつつも既存の革新政党にも期待を持てない私たちは、市民が参加できる自発性と多様性を備えた“市民政治勢力”を作るための第一歩として、東京七区より菅直人さんを推選し立候補させたのです。
選挙は、自・社・公・共の政党の壁を破ることができず次点に終わりましたが、投票数の約一二%の七一、三六八人の支持を受けることができました。しかし、組織も金も無い私たちの運動がこうした広い支持を得られたのは、硬直化した既成政党への批判とともに、参加の可能性を拡大するための“分権化”、都市問題に対する政策立案といった主張が理解されたためだと思います。
こうした運動を通して、自民党はもちろん、既成の野党の体質について厳しく批判してきた私たちですが、昨年結成された新自由クラブ、そして今回旗上げの社会市民連合から聞こえてくる”参加”“無党派市民”“分権”といった主張が、それ自体としては私たちの主張とかなりの共通点を持っていることに、率直に言ってややとまどっています。
もちろん、私たちはこうした“参加”“分権化”の方向がより多くの人々・政治勢力によって主張され支持されること自体は喜ぶべきことだと思っています。しかし、長年の間、政党によって掲げられたスローガンや公約が選挙用であって、実現のための十分な努力さえなされてこなかったということを考えると、主張の内容が文章として共通部分が多いからといって、それだけでその政治グループを信用することができないということも、理解いただけるでしょう。
私たちは、既成政党を批判して生まれた新自由クラブや社会市民連合がどういう主張、方向性を持っているか、またどういう人々によって構成され、支持されているのかということに注目し、これまでマスコミ等の報道などを通して注意深く見守ってきました。しかし、こうした“間接的対話”だけでなく、こうした政治グループについて私たちの持つ疑問や意見を直接に交換する機会を持つことができないかと考えるようになりました。
こうした対話の場は、従来の“政党主催の市民の対話”にみられた陳情でも、また単なる政党にもの申すといった性格のものでもなく、私たち自身、市民の参加による政治勢力をめざし、それなりに運動を続けている主体として、相互に意見を交換し、学ぶべきは学び、協力すべきは協力し、しかし批判すべきは互いに厳しく批判する場にしていきたいと考えます。
私たちが、江田氏そして社会市民連合の方々と意見を交換したいと考えている主な論点は次のような点です。
まず第一に、新聞報道などによりますと、社会市民連合は、政治制度だけでなく、政治グループのあり方としても中央集権的性格を排し、各種の市民運動グループや学者・文化人グループのゆるやかな連合体としての新しい組織原理をめざすとあります。私たちもこの考え方には全く同感です。そしてこれまでもすでに、市民運動自体がこうした“自発性”と“多様性容認”を組織原理として形成されてきていると思います。
しかし、社会市民連合が、こうした組織原理を実際に身につける上での最大のポイントは、労働(組合)運動との関係をどうするかにあると思います。私たちがいろいろな市民運動に参加してみて、労働組合の“利益団体”としての実態とその強力さを痛感することが、しばしばあります。労働組合運動は、組織的にも資金的にも、市民の個人参加によるどんなグループよりも強力なだけに、社会市民連合もいつの間にか社会・労働組合連合となるのではないかと懸念するのは、私たちだけではないと思います。
私たち自身にも、市民運動にみられる自発性が同時に、“一時性”でもあり、また多様性が同時に“責任主体の不明確さ”でもあることは認識しており、市民の個人参加による“政治グループ”のあり方について決して十全な展望を持っているわけではありません。しかし、都市化の進展と市民層の拡大の中で存在し得る政治グループの型についても、一つの考え(具体案)を持っています。こうした私たちの持つ案についての意見も、是非お聞かせいただきたいと考えています。
第二に、社会市民連合は“労働者の政党”をめざすのか“生活者の政党”をめざすのかといった点です。この立場の相違は、政策を考えるときに微妙なニュアンスの差として現れるだけでなく、時には明確な対立点となる相違です。
例えば、健康保険制度が官公庁や大企業の共済組合、組合健保と中小企業の政府管轄保険、農民その他個人業の国保に分断され、負担や医療内容に格差があるという問題はその典型的な例です。
これまで、“労働者の政党”を自認してきた社会党は、官公庁・大企業の“労働組合の政党”として、この保険制度の階層性を容認してきました。しかし、生活者の立場からすれば、こうした健康保険の階層性は絶対に認められないはずです。今日の都市問題の立ち遅れの大きな原因は、実は企業内福祉との関係で、住宅問題・医療問題の多くが労働組合政党にとっての切実な課題とならなかったことにあると思うからです。
第三に、“社会主義”についての問題です。
社会市民連合は「新しい社会主義」の柱として、議会制民主主義の堅持、分権と自治の徹底、制御された市場の活用などの項目を挙げています。私たち自身、こうした項目については基本的に賛成であり、共通の認識といっていいでしょう。
しかし、私たちにとってこうした方向を“社会主義”と呼ぶかどうかということはさほど気にならないことです。“社会主義”という言葉は、内容の多様化に伴って、“社会主義者の魂” “社会主義者の態度”といったように、心情の論理に転化してきているのではないでしょうか。そしてこの心情は“世代的な差”が大きいように感じられます。
こうした意味からも、何を社会主義と呼ぶかといった論争を行うつもりはありませんが、個人の心情の論理として“社会主義”という言葉への拘束が“本家争い”的政治論争となることの不毛性だけは避ける必要があると考えます。
私たちは、既成政党に対する不信感から、食わず嫌い的に新自由クラブや江田氏と社会市民連合の行動を批判するのではなく、その主張・行動を含めて積極的にとらえ、見極めた上で、協力すべきは協力し、しかし批判すべきは厳しく批判していくという態度をとりたいと考えています。
そしてまた、私たちだけでなく、多くの市民運動グループや無党派市民にとっても、新しく生まれた新自由クラブや社会市民連合が、市民の参加にどのように応じようとしているのか、どういった立場に立つのかといった点に大きな関心を持っています。
こうしたことを明らかにしていくための対話の場として、是非、公開の席での討論会への出席をお願いする次第です。
昭和五十二年四月十四日
社会市民連合 江 田 三 郎 様参加民主主義をめざす市民の会 代表 田 上 等
公開討論会について
市民の政治参加を実現するため、目夜御努力をいただいている貴団体にたいして心からの敬意を表明します。今回、貴団体から「公開討論会」への出席を要請されました。このような集会を企画していただいたことにお礼を申し上げるとともに、私ほか二名の代表が参加したいと考えております。
社会市民連合はいまスタートしたばかりで、正式な準備会の発足も五月末を予定しております。したがってどの程度、貴団体の問題提起にたいしてこたえ得るか十分な自信はありません。しかし、貴団体が私どものめざしている参加と分権−連合の基本方向にたいして深い理解をしめされていることについて、心強いものをおぼえます。
くわしくは、四月二十四日の討論会のおりにふれるとしますが、私どもが社会市民連合の組織、政策の理念として考えていることを二、三、申し上げておきたいと思います。
その第一は、今後の政策形成過程、組織づくりの過程における市民の直接参加を保障するということです。
したがって私どもは準備会の発足までに、さまざまな階層の方や、さまざまな市民運動の方々の参加をねがって、第一次素案をつくりあげたいと思います。要するに、はじめから固定した組織、固定した考え方を持たないということです。
社会市民連合の中に、無党派市民の方々が自由に発言し、自由に提言できる「市民委員会」をつくります。「市民サロン」をその一つの場として活用していただきたいと思います。
第二には、すでに報道機関などでもふれておりますが、私どもの組織は、中央、地方がそれぞれに独立したものであり、タテの関係でなくヨコの関係、文字通りの連合体です。
既成政党の中央集権型、民主集中型は抑圧の構造であり、仲間以外は排除するという閉鎖的な政党からの脱皮をめざしたいのです。連合は異なるものが一致点を見出すものであり、個の存在と、個の意見、その自発性、自立性を最大限に尊重するものでなければならないと考えるからです。
できもしない政策を羅列して、国民の関心を買おうというスタイルを捨てなければなりません。さきにあげた市民の政治参加や連合の組織論も、戦後三十年間の社会党と総評ブロックのあり方を根本的に転換することを意味しております。同時に社会市民連合自体も古い社会党の殻をもっております。どれをとりあげても新しい実験であり、困難なテーマであり、大きな矛盾を内包しています。
私は、「新しいレールを敷く捨て石になり」たいと離党宣言のなかでのべました。それは、このような課題に挑戦することが政治家としての最後の責任であると考えるからです。
私自身も戦後三十年間、社会党の一員として日本の政治にかかわってきました。既成政党の批判にたいしても、の責任もふくめて重い意味をもってうけとめています。貴団体から討論の柱として提案されている
(1) 労働組合運動との関係
(2) 生活者の党か、労働者の党か
(3) 社会主義についての考え方
などは社会市民連合にとっての重要なテーマであり、私どもの考え方を率直にのべたいと思います。
日本の政治のあり方に対して、単なる批判や逃げ腰でなく、新しい可能性を追求しておられる貴団体が、私どもにたいして寄せられた「討論会」の試みは、日本の政治状況をきりひらく「連合」のための一石でもあります。率直な意見、歯に衣を着せぬ批判、建設的な提言を相互に交流したいと考えます。
一九七七年四月十九日
参加民主主義をめざす市民の会 代表 田 上 等 殿社会市民連合 江 田 三 郎