1977 |
社会市民連合への参加の決意 市民型政治グループへの展望
江田三郎氏を含む社会市民連合のメンバー三氏を招いての公開討論会、社会市民連合に集まっている人たちとの何度かの話し合い、各方面の人の意見、新聞・雑誌・本などからの情報、そしていっしょに運動している仲間との連日にわたる討論の繰り返しを経て、私は社会市民連合への参加を決意した。
この決意にいたる経緯とその考えについて述べてみたい。
決意にいたる経緯
三月下旬の江田氏の社会党離党は、そのハムレット的行動のため、衝撃的とは言い難かった。しかし、無党派市民層の結集を呼びかける江田氏の行動がどういう波紋を呼び起こすのかについては強い関心を持ち、いろいろな人と意見を交換するとともに、江田氏やそのブレーンといわれる人たちの論文を集め始めた。
こうしたときに、社会市民連合に集まったメンバーの一人で、かつて区長公選運動で活躍していた人から連格を受け、私たちと社会市民連合との接触が始まった。
そして、環境問題、生協活動、自治体問題などに取り組んでいる人たちのグループとの話し合いの席で、公開討論会の申し入れを行った。
公開討論会と江田氏からの参加要請
そして四月二十四日、東大教授篠原一氏と全国サラリーマン同盟代表青木茂氏をアドバイザーにお願いして、江田氏を含む社会市民連合と私たちとの約三時間にわたる公開討論会を行った。
公開討論会終了後、江田氏をはじめ社会市民連合の数名のメンバーが、武蔵境の「参加民主義をめざす市民の会」の事務所に来られ、社会市民連合への参加の要請を受けた。社会市民連合のそれまでの活動のあり方について多少の議論があったが、参加要請についてはその場では結論がでなかった。
しかしその後も、大阪の市民グループなどいろいろな人を交えて、連日討論を繰り返すなかで、私は社会市民連合への参加を決意するにいたった。
参加を決意した理由
私が社会市民連合への参加を決意した最大の理由は、“破壊”しながら“建設”することの可能性をこのグループに見出したからである。
まず“破壊”についてみれば、私たちがこれまでもめざしてきた市民勢力が、社会党に代わり本格的な“生活者の政党”として成長してゆくためには、どうしても社会党の解体が必要である。江田氏は、こうした破壊を促進する上で私たち無党派グループでは持ち得ない巨大な“位置エネルギー”を持っているのである。現在進行している社会党地方議員、活動家の離党、党内での対立激化からも、江田氏の行動が“社会党解体”において決定的な意味を持っていることは明らかであろう。率直に言って、江田氏を始め社会市民連合に集まっている多くの人に、“市民連合”としての明確な建設イメージがあるとは思われない。放置すれば労組依存体質が再生し、“第二社会党”となることも、また社共からの批判により民社党のごとく“反共”を自己目的化する“第二民社党”と変質する可能性も持っている。
しかし同時に、“市民連合”という名称にも現れているように、単なる小型社会党にしてはならず、幅広い市民層の支持を受け得る政策、組織体質を持たなくてはならないとの問題意識を、江田氏をはじめとするすべてのメンバーが、強く持っていることもまた確かである。
こうした現在の混沌とした状態をみると、“建設”の方向性については、そこに参加する人の考え方、政治体質、力量などによってこれからどのようにも変わり得るというのが、私の判断である。
私が東京で会った社会市民連合のメンバーは、江田氏を中心とした旧江田派グループ、学者、理論家ブレーン、自治体の議員、労働組合関係者、そして環境問題、生協活動、区長公選運動などをテーマに十年以上にわたって市民運動を続けている何人かの人たちである。
私はこのようないろいろ異なる経験を持つ人たちと話し合うなかで、こうした人々と協力することにより、社会市民連合を組織体質の面でも政策面でも、市民参加型の政治グループとして形成してゆける展望を持つことができた。
例えば政策立案についても、次のような過程をとることにより、市民の参加を拡大することができると考える。
まず、消費者、医療、不公平税制、環境、住宅、余暇問題など、個々のテーマに取り組んでいる市民運動など各種の団体に、政策提案という形での協力を要請する。そしてそこからもたらされた現場的実感のこもった個々の政策を、学者や理論スタッフにより社会市民連合としての基本理念、例えば分権・参加・公正・市民的自由といった理念とつき合わせ、またテクノクラー卜的スタッフにより経済、財政、外交といった面からその整合性を体系的に検討する。そして基本理念として矛盾したり整合性を持ち得ない政策については、その政策を提案した市民運動グループにその理由を提示し、積極的に議論を行う。
こうした過程の繰り返しのなかから政策を立案してゆくことにより、単なる学者の作文でも、また要求の羅列でもなく、生活者の実感を重視し、かつ実現可能な政策体系を創造してゆくことができると考える。
予想される危惧、批判
社会市民連合へ参加するという私の行動に対して、無党派としての純粋性を喪失するという意味での危惧や批判が予想される。
確かに、これまで自民党や社会党の体質や、都市問題に対する無策ぶりを強く批判し、既存の政党とは独立して活動してきたことにより、“無党派”の市民グループと見られてきた。しかし批判の対象であった自民党、社会党が崩壊しつつある今日、批判してきた私たちにも、これら既成政党に代わり得る政治グループを形成してゆく責任があるのではなかろうか。
この意味で革新自由連合のように無党派だけの集まりとして、自分たちの主張を実現し得る新しい政治グループをめざすのも一つの道であると思う。
しかしそれと同時に、既成政党を批判して、そこから分離した新自由クラブや社会市民連合などについても、その母体が既成政党の分裂により生まれたことだけを理由に、そのグループへの参加について全面否定することができないことも明らかであろう。こうした新しい政治グループが自分たちに近い主張と体質を持っていれば、そこに積極的に参加してゆくこともまた一つの選択である。
“批判勢力”の結集ではなく、市民参加型の“責任勢力”をめざす上で、いくつかの選択肢の内、私は社会市民連合に参加することが最も大きな可能性を持つと考え、そこへの参加を決意したものである。菅 直人