1977 |
政治風土に対する挑戦 公開シンポジウムに参加して
「あきらめずに参加民主主義をめざす市民の会」の菅君と片岡君とがきて、社会市民連合と新自由クラブに対して公開討論会を申し込みたいが、立会人になってくれるか、という。私は面白い試みだ、とすぐにOKした。
政治学者というものは仕様のないもので、何か事がおこると、それは政治システムの中でどういう地位を占めるかなどということをすぐに考えてしまう。すぐにOKしたのは、私の頭の中に次のような構図がひらめいたからだ。
日本の政治世界の構図
いま日本の政治の世界は四つの層をなしている。
第一層は既成の政党であり、この政党体系がうまく機能しないために、政党支持なし層が増殖した。
ところが、現実の世界は面白いもので、状況閉塞の下では必ず新しい動きがおこる。これが新自由クラブと社会市民連合であり、既成政党とはちがった特色をだそうとするこれらの政治集団が現代政治の第二層を形成する。
さて、第三層以下はいわゆる運動に属するものであり、政治を第一次機能とする運動を第三層、特殊な争点ないし問題追求を第一次機能として政治そのものにはそう深いかかわりをもとうとしないものを第四層と考える。大ざっぱにいって、地域の市民運動・住民運動は第四層に属し、その数は多い。
これに対して、わが国では第三層に属する動きが少なく、しかもその運動はしばしば冷たいまなざしでみられる。権力志向だとか、市民運動から逸脱しているなどの非難が浴びせかけられがちなのであるが、これは政治を汚れたものとみる日本の政治風土そのものに由来する。
もっとも、現代の日本の政治状況を考える場合には、これら第三層と第四層をさらに分類して考えた方がよい。第三層、第四層の運動を、政治とのかかわり合いが直接的であるか、間接的であるかによって分ければ、第三層の直接的運動は、「市民の会」のように、政治に直接代表者を送りこもうとするものであり、間接的な運動はアメリカのコモン・コーズのように、法廷闘争や議会へのはたらきかけによって政治を監視しようとするものである。婦人有権者同盟などは、どちらかというとこの部類に属するであろう。しかしさきにものべたように、日本ではこの層はきわめてうすい。
それと同じように、第四層にも直接的なものと間接的なものがあり、前者は中ピ連や車いすの会のように、いささかおよび腰ながら利益集団の代表を政治に送りこもうとするものであり、後者はふつうの市民運動・住民運動である。後者を投票のための票田にしようとする政治勢力は、これらの運動からは冷たい反応を受けざるをえないであろう。
なお、タレント候補者はいわば浮動票をねらう第五の要素で、革自連は、少なくとも現在のところタレントをたばねたものにすぎない。革自連が第二層的なものをめざしているのか必ずしもさだかでないが、少なくとも組織化された政治集団となった以上、参加した文化人は本腰を入れて政治とつき合わねばならないだろう。それは市民に対する責任でもある。
五五年体制へのイベント
さて、こういう構図が成り立つとすれば、公開シンポジウムは、新しい第二層と稀少価値をもつ第三層、とくに第三層の直接的運動との対話・討論ということになり、政治の流動化、あるいは一九五五年政治体制の崩壊をうながす大きなイベントの一つになるにちがいない、と考えたのである。
それだけでなく、これは日本における政治神話を打ち破る機能をも果たすもののように思われた。なぜなら、さきにものべたように、政治を汚れたものと考える考え方はあまねく普及しており、私のような政治学者ですら、できれば政治からは遠ざかっていたいと考えがちである。
いわんや市民運動が第二層の存在とはいえ、くろうとの政治集団にアプローチすることは画期的なことであり、大げさにいえば日本の政治風土に対する挑戦のように思えたのである。
しかしいうまでもなく、政治がけがらわしいものであるとすれば、そうした責任の一半は市民の側にもあり、政治をさけていただけでは政治は改革されえない。そういう意味で、二十代の若者たちの挑戦には、政治風土に汚染されたわれわれにはないなにものかがある。
リベラリザシオンのひびき
討論は必ずしもかみ合ったとはいえない。また、市民グループの労働組合的体質に対するアレルギーは少し強すぎるのではないかとも思われた。しかし、しろうと性を存在理由とするグループとしては、そういう批判の眼をもち続けることは大切であろう。
内容の問題はともかく、社会市民連合のいう「市民」とは何かを問おうとする姿勢は明らかであったし、社会連合的であった社会市民連合が市民連合的なものに転換しなければならない契機を与えたことは高く評価されてよいであろう。
いまフランスでは、何事につけ「自由化」=リベラリザシオンという言葉がはやっているという。フランコ独裁の「自由化」、共産党の「自由化」等。私はこの公開シンポジウムをききながら、一党支配のリベラリザシオンが急速にすすんでいるな、ということを実感した。東京大学教授 篠原 一