1977/10

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来賓挨拶

民主主義と清潔な政治のために

社会クラブ代表 「田 英夫」

 私は先に社会党を離れました楢崎弥之助、秦豊、私の三人を代表いたしまして、今日ここに社会市民連合が結成されましたことに心から連帯のご挨拶を申し上げたいと思います。

 連帯などというのは実は大変水くさいと思いますので、訂正しなければならないと思います。本当の気持はもっと身近な、本当に志を同じくする一心同体の同志のみな様にご挨拶を申し上げたいというところにあります。

 あの江田さんの離党から突然のご逝去という苦しい情勢の中で、今日お集まりのみなさんが社会市民連合を結成され参議院選挙を闘ってこられた。この苦しい道程について、私は今、党を離れた経験の中から、みなさんの苦しみが心の中までよく理解できます。

 いま新しい政治に対する模索がいろいろな勢力によって行われていますが、社会市民連合に結集されるみなさんを初めとして、そして私どもも含めて、これからの日本の政治を本当に正しい方向に持っていくために一体何をしたらよいのか。その第一歩がみなさんの大会のご討議で方向づけられていくものと思います。

 そこでこの機会をおかりいたしまして、私どもの考えている政治変革、新しい政治を求めて進もうとする方向について、私どもの考えをご披露しておきたいと思います。

 いま世界の動きをみましても、かつてアメリカを中心とする自由陣営とソ連を中心とする社会主義陣営という二つに世界が分れて、いわゆる東西対立、冷戦構造といわれた状態はすでに崩壊しています。これは百五十に達する国連加盟国の中の八十五力国が非同盟諸国会議に参加しているという状態を端的に物語っています。

 このように世界は社会主義か自由主義かというイデオロギーの対立によって動いているのではなく、もっと別の要因で動いている。これから発展しようと意欲に燃えた国々が、自分の国の建設のために共に手をつなぐというような動き、これがいわゆる第三世界であり非同盟諸国会議でしょうが、こうしたことが大きく前面に浮かび上がってきているのです。

 同じことが日本の政治についても言えると思います。ちょうど蒲鉾を包丁で切るとすればどなただって横に切ります。世間の常識として蒲鉾というのは横に切ることになっている。しかしいま私は敢えて日本の政治を蒲鉾に例えるならば、蒲鉾に縦の庖丁を入れるという考え方が必要になってきているのではないかという気がします。

 この蒲鉾の板は民主主義という政治の基本的なものを示していると思っていただきたい。しかし、蒲鉾の両側からはみ出している部分は、心きいた奥さんならばお客さまには出さないだろう。そこは切り落として真中の姿のいいところを出されるに違いない。

 いま日本の政治で右の民主主義からはみ出している部分、それは右翼であり、自民党の中のウルトラ・コンサバティブといわれる勢力です。例えば山口県からあの太平洋戦争を起こした戦争犯罪人が国会に出ているということは、日本人として恥ずかしいことではないでしょうか。

 左の方ではいま社会党のガンとしてはびこりつつある社会主義協会で、明らかに民主主義を破壊する勢力として日本の議会制民主主義を護るためにはとり除かなければならない勢力です。

 いまこの左右の民主主義を破壊する勢力をとり除くためには縦の庖丁という考え方で、大きく民主主義を護る勢力が手を握ってゆくということが必要なのではないでしょうか。私は民主主義という問題をあらためて日本の政治の中で再確認をする必要があると感じています。

 もう一つこれからの日本の政治を進めていく上で必要な基準、物差しは、清潔な政治を進めることだと思います。ロッキード事件を出すまでもなく、長い間汚れた政治によって日本が動かされてきた。このことは日本の悲劇であり、また、これは単に自民党の問題だけではなく他の政党、政治勢力の中にも腐敗、堕落が存在することは明らかであります。

 民主主義と清潔な政治を求め、社会市民連合のみなさんと共にしっかりと手を組んで、私どもも進んでいきたいと思います。私ども三人も、みなさんと共に全く一心同体となって、これからの日本の政治変革のために全力をあげて闘って行くということをここにお誓い申し上げてご挨拶にしたいと思います。



  市民運動と社会主義の調和を

サラリーマン同盟 青木 茂

 大変おめでたい社会市民連合の結成大会にお招きをいただきまして大変うれしく思っております。私ども市民運動は支持党なしということで、政党に対しては等距離、中立できました。これは市民運動の趣旨を、十分くみあげて下さる政党がないから支持政党なしという、方針でやってまいりました。けれども今回、社会市民連合という私どもの希望と最も近い政治勢力が結集され始めたということは、大変喜ばしいことです。

 ここであまり拍手をしていただいては困るのであります。私どもは社会市民連合の結成に対しては、大賛成というよりは中賛成、双手をあげて賛成よりも片手をあげて賛成、万才三唱というよりは、万才二唱であります。それは市民団体としての若干のためらいがあるからです。

 社会市民連合は、社会派と市民派の結合ということで、四月二十六日に第一回目の会合が行われました。私は仲人役をやってよくわかっているのですけど、あのとき社会派と市民派はまだ心の底から結婚するという状況にはなっていなかったのです。二回、三回の公開討論会が行われて、それから初めて社会派と市民派の心の結びつきができ、社会市民連合なるものがスタートすると思っていました。だがすぐに結成となってしまったのです。

 そのとき江田三郎先生に次のように申し上げた。ご病気があれほど悪いとは夢にも思っていなかったので、いま考えても心が痛みます。

 当時は政党として政策、理念、具体策が未成熟だから、江田先生が無所属で選挙をやって、そこでゆっくりと社会市民連合のご準備をやったらいかがですかということと、西尾脱党の時に、先頭に立って弾がいをしたのが江田先生なのだから、この三十年間の考えの変わり方を整理して国民の前に提示しないと、新しい政治勢力のスタートでつまずくのではないかと大変失礼な言い方をしたのです。

 今後、私たちが社会市民連合にご期待申し上げたいというのは、社会市民連合の名にふさわしく社会派と市民派をたして二で割るというのではなく、物の考え方、具体策の打ち出し方で市民運動と社会主義が、どういう形でかみあうのかを国民の前にご提示願いたいということです。

 第二の希望は、世界の社会民主主義の分裂史をみますと、左側に走った場合は何がしかの歯止めがききまして極端に左へ行くことはないんですけど、右側へ走った場合は下手をすると際限なく右へ行く可能性と危険性がある。そこのところの歯止めをどのようにお考えになるのかということの十分なるご討議を頂きたい、と思うのです。

 大変失礼なことを申し上げましたが、第二回大会にもう一度お呼び頂きまして、結成大会の時に片手で賛成と言ったけれど、今度は両手で賛成なのだと、みなさま方の前でお詫び申し上げられるような実績をお作り頂ければ大変嬉しいと思っております。


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