1978 社会民主連合結成 |
市民の参加する開かれた党をつくろう 田英夫代表に聞く
社会民主主義と自由な社会主義
問 代表をひきうけられてご苦労さまです。
田 大会の挨拶で申し上げたように「身のひきしまる思い」というのが率直な心境です。
承認されたいくつかの議案はもちろんのこと、私以下の役員もすべて結成大会のための原案なのですから、限られた時間ですが、より良い成案に仕上げていただきたいものです。
しかしそれにつけても皆さんの社民連に寄せる期待を肌で感じますね。選挙の時にももちろん「頑張れ」という声を多くかけられますが、社民連の代表になってからは街で、駅で、空港で、そして車中で、いたるところで皆さんから「頑張れ」「社民連に期待している」といった声をかけられる、その重さは選挙の際とはまた違ったものです。
問 さっそくですがいくつかの質問をさせていただきます。まず社会民主連合と称する新党の名称のゆえんから。
田 社会民主主義の道をとおって、新しい自由な社会主義社会をめざす人びとの連合体ということです。
まず社会民主主義ということですが、一般的な定義としては平和的、民主的な道筋をとおって民主主義的社会をめざすということですね。その具体的なあり方としては社会主義インターに加盟しているヨーロッパの諸党のさまざまな経験や実績があるわけですが、日本では多かれ少なかれマルクス・レーニン主義に支配され、左右されている共産党や社会党はもちろんのこと、社会主義とはまことに縁遠いものと見なされる民社党とも異なる新しい社会主義政党をめざすということです。
問 いま社会主義インターと言われましたが、田さんがモデルとしている党があるとすれば、どこの党でしょう。
田 若々しいスペインの党、昨年以来苦しい国の運営を引き受けているポルトガル、民主主義的な伝統に支えられたイギリス、強大な勢力として共同決定方式に向けて着実に歩もうとしている西ドイツなどの諸党からそれぞれに学びたいと思っていますが、とりわけ関心の強い党と言えばスウェーデンの社民党とフランスの新社会党ですね。スウェーデンの福祉社会の実績はこれからの日本の姿としてたくさんの教訓を示しています。最近の総選挙の後退はごく一時的なものとされているようですが、それよりもこれを機会に固定され、官僚化されがちな福祉国家を超える福祉社会に向けてあらたな前進を遂げようとしている……。
問 国家ではなく社会と言い改めるゆえんは何でしょうか。
田 ひとつには第三世界との調和をめざすというこの党の志の世界的規模での福祉社会の実現という悲願もさることながら、より分権的な、参加型の社会をつくり出そうということでしょう。今まででも人びとが最も暮らしやすい国と言われているスウェーデンを、さらに生きがいのある、未来に顔を向ける社会にしようとする意気込みですね。
問 フランスの新社会党という意味は。
田 自主管理社会主義ということもさることながら、私として最も興味深い点は、あの党がフランスの革新を望む実に幅広い、多様な階層、職業、世代の結集体になっているということです。とりわけ若い世代、青年が希望を託してみようという意欲をかき立てた点ですね。
自主管理というモデルそのものについてはフランスの党自身でも未だこれから具体化してゆこうということですし、これを自己決定、さらには自治と分権という意味に解釈すれば、ほんらいの社会主義の初心ということですから、私としては大いに参考にしたいと考えています。
いずれにせよ、私たち社民連も近く社会主義インターに加盟の手続きをとることを過日の常任運営委員会で決めましたし、カールソン事務局長にも私から意向は伝えてあります。大いに勉強して、新しい自由な社会主義の糧としたいものです。
問 準備大会でも自由な社会主義ということについて質問が出ていましたが。
田 たしかに現存する社会主義体制を見れば自由を犠牲にするのが社会主義であり、日本の社会主義政党を見れば非自由と言うか、むしろ反自由と言わざるを得ないのが実状ですから、当然私たちの考え方に疑問も出てくると思いますね。しかし十九世紀以来、資本主義体制の弊害を克服する社会主義の思想のほとんどは万人の平等によってかちとられるより確かな自由をめざしていたのだということを考え直して欲しいらのです。ですから私は開会の挨拶で「自由が目的で、社会主義は手段である」と申し上げました。また、国有化万能論を採らないということもその趣旨からです。
問 その辺のところをもう少し説明して下さい。
田 今までの社会主義というものは国有化と計画経済と一党独裁という三位一体のものですね。最近は一党独裁については共産党も認めたがらなくなってきましたし、永久政権論というかたちで同じことを謳ってきた社会党もいずれ手直しするでしょう。しかし計画経済と国有という土台を残したままでは民主主義的体制は結局は“絵に書いた餅”に過ぎませんね。企業と産業というかんじんなところが国有化されていれば、計画経済になり、中央集権は避けられなくなります。
それにかわるシステムがどのようなものであるか、については討論と研究を重ねながら皆で大いに追求してゆこうではありませんか。
社民連は市民をどう考えるか
問 社会民主連合の意味についてうかがいましたが、その上でなお社会市民の名を惜しむ意見が多いようですが。
田 社市連の皆さんと私たちで新しい党をつくろうということですので、社会民主連合という名称にしたわけです。しかしおっしゃるように市民という名が消えることになったことは私としても惜しいと思っています。社市連の市民という名を聞いた当時は私もいささか奇異に感じましたし、社市連の内部でも当初はこれになじめずにいたと聞いています。
マスコミから「市民派」と「社会派」があるなどと書かれたりもしていました。
しかし半年を経るなかで市民という名は社市連の内部でも定着してきていましたし、あえてそれを名乗った意義を日本の政治のなかで皆が認識しはじめてきたと思います。戦後三十年を経てようやくと言うか、はじめて市民を名乗る政党が登場したという新鮮さ、革新性は大きな意味を持ったということです。
したがって、私たち社民連としても社市連の精神と言いますか、市民ということの意味は受け継いでゆきたいものです。
問 「市民」ということの意味を田さんはどうお考えですか。
田 準備大会の政治方針のなかで市民という意味の定義を記しておきましたが、理念としての市民、つまりあるべき市民像というものを一言にして言えば、「自由で自立した個人」と言ってよいでしょう。ですからこれまでの政治概念としては民主主義ということに通じる意味を持っているのですが、しかし、日本の政治のなかで民主主義という言葉はいささか食傷気味と言うか、マンネリズムになっていて、ズバリ「市民」と表現することの新鮮さ、積極性を私は評価します。とりわけ既成の社会主義政党にまとわりつくタテマエ民主主義を打ちやぶり、超えようとする……。
問 たしかに市民という言葉からは都市に住む都市民という意味や、消費者としての市民、さらにいわゆる市民連動という意味といったいくつかの理解がありますね。
田 つけ加えれば、「労働者、農民、青年婦人、そして市民の皆さん」と言った呼びかけかたに見られるように、何か自由業の人をイメージするかのような理解のされ方もありますね。ときに私たちも市民運動を意味し、都市民の意味で使うこともあり得ますが、しかし社民連のわれわれが「市民」という場合の市民とは、まず何よりも今言ったような理念として、あるいは規範としての市民の意味であるということです。
問 『めざすもの』の冒頭にら、「市民革命が掲げた理想の実現される社会としての自由な社会主義」という規定が書かれてもいますね。
田 そうですね。社会民主主義のところでも申しましたが、もともと十九世紀の社会主義思想の原点はイギリスの革命、そしてアメリカの革命といった十八世紀の市民革命が掲げた「自由・平等・連帯」の理想を、資本主義の制約から解き放ち、実現するというところにあったわけですし、私たちはこの原点に立ち戻り、しかもそれを未来に向けてあらためて追求し直そうというわけですから。したがって、私が以前に拝見した社市連の『めざすもの』のなかで「われわれがめざす社会体制は……それを市民の立場からは市民社会の諸理念が実現される社会といってよく、社会主義者の立場からは自由な社会主義体制と呼んでよい」と記してあった点については全く同感するものです。
ですから社民連がめざす新しい自由な社会主義についてこれを自主管理社会主義、分権的社会主義などさまざまな呼び方ができると思いますが、これをズバリ市民的社会主義と名付けることがいちばん適切かも知れませんね。
連合と参加――われわれの理念
問 おっしゃるような理念的な意味での市民ということは同時に社民連の組織体質にも盛り込まれるべきでしょう。
田 ひとつには「連合」というかたちで新しい党のあり方を示したいと考えていること、そして市民の「参加」をめざすということです。
連合について言えば、できるだけ一枚岩ではなく、自発的で自由な結合体というイメージを打ち出したいということです。メンバーのひとりひとりと組織との関係はもちろんのこと、組織と組織の関係が縦と横でできるだけ命令=服従の型であってはならないという意味です。同意と契(盟)約、そして共同行為といったほんらいの市民社会のルールにできるだけ見合った組織でありたいと考えています。
問 飛鳥田社会党委員長が「対話」ということをしきりに唱え始めていますね。
田 政党と市民の交流と結びつきは対話から出発しなければならないことは事実ですが、しかし市民が政治に「参加」するということはもうひとつ高い段階なんですね。飛鳥田さんや美濃部さんの革新自治体の初期のスローガンが対話でしたが、それだけはどうしても水戸黄門の“善政主義”の限界というようなところで止まってしまうんですね。あるいは苦情処理のための聞き捨てに終わってしまうというか……。いずれにせよ「対話から参加へ」ということが問題になってきているのですから。
問 社民連としては参加への試みとしてどのようなことをお考えですか。
田 その根本には社民連の組織自体が常に開かれたものになっているということがなければならないと思います。それを前提にした上で、ひとつは協力会員の制度をうまく生かすことを工夫したいのですね。会員ではないが私たちの党に気軽に参加して意見も言うし行動もする。それがたとえ部分的ではあっても協力会員と私たちの間につねにそういうルートが保証されているということ、アマチュアの政治参加のひとつの方法ですね。協力会員の方から、あるいはそれ以外の方から「モニター」になっていただいて積極的な意見を寄せていただくということも考えられないでしょうか。
最近、大分、長野、甲府、京都などを訪ねましたが、三十代の中小、零細企業の経営者の方たちが「もうガマンできない」とそれぞれにグループをつくっている。既成の諸政党に対して全く失望していて社民連は何かやってくれそうだ、と期待感を持っています。そして自分達のようなグループを横に、全国的につなげて下さいと言うんです。こういう運動を社民連に直接結びつけてはいけないんですね。会員、協力会員とは別に、こういう人びとの「参加」をどうやって実現するか、ということですね。会員、協力会員は未だ少ないが、社民連に期待する人びと、市民の皆さんは無限にいると思います。
いずれにしても私たち社民連は市民の政治参加を政治の原則とする日本における最初の政党でありたいと願っています。亡くなった江田三郎さんのお考えもそうだったと思います。この遺志は大切に継いでゆきたいものです。この参加をどうやって保証し実現してゆくか。さまざまな実験と試案をつみかさねてこの大きな課題、宿題を解いてゆきたいものですね。参加の絆によっていつもお互いに血管のように血が流れあっているということ、吸い上げるだけではなくこちらからも送り込んでゆく。動脈と静脈の関係にたとえてもよいでしょう。
問 最後に、結成大会に向けて代表として何を期待し、努力するかということについてひとこと。
田 一月二十二日の準備会までは、合流を決意してからお正月をはさんで一カ月の短い時間しかなく、六人の国会議員の作業を中心にともかく準備会をおこなったわけですから、不備な点、足らない点があることは十分に承知しています。結成大会までにそれらをできるだけ改め、より良いものに仕上げてゆきたい。最初に申し上げたように、準備会で承認されたものはすべて原案なのですから。
と言っても結成大会まで一カ月月余の期間しかありません。私たちはもちろん、会員、協力会員の皆さんにも最大限のご協力を願うとしても、やれることは限度があるでしょう。ですから私は結成大会を社民連の出発点とすること、より良いスター卜を切って将来の飛躍を期待し、誓い合う場としたいものだと考えています。