1985/10 核問題・軍縮問題に取り組む

戻る目次前へ次へ


防衛費「一%枠」 は軍拡への歯止め  楢崎弥之助顧問に聞く
  平和がなければすべてはない

――臨時国会が開かれ(一九八五年十月二十日から)、今国会最大の政治課題が防衛費の対GNP「一%枠」の死守と思いますが、この「一%枠」の意義はどのように考えれば良いのでしょうか。

楢埼 まず中曽根総理は「戦後政治の総決算」を目指すと公言してはばからないのですが、その「戦後政治の総決算」とはとりもなおさず「平和憲法の基本的枠組みの総決算」にあることは明白です。それはこの「防衛責GNP一%問題」に加えて「靖国神社公式参拝」 「スパイ防止法案」などがそのことを如実に示していると言えます。

 端的に言って、防衛力(費)は限りなく膨張する論理を有するものです。ですから私たちは、過去二十年間以上、憲法的、国際的、財政経済的なあらゆる見地から軍事大国化を防ぐ平和のための重大な歯止めの問題を、国会の場を通じて論争してきたわけです。その論争の最終帰結が、この「防衛費GNP一%枠遵守」なのです。

 GNP一%枠の攻防はまさに今後の日本の平和にとって死活を賭けた闘いです。平和憲法の枠組みを超えて軍拡・軍事大国化路線への扉を開くかどうか、文字通り日本と日本国民はいまその岐路に立たされているわけです。

 ときの一総理大臣の好みと恣意と専断によって、このGNP一%枠が突破されるような事態を看過ごすならば、あの忌まわしい戦争に生き残った者の後世に対する歴史的責任ははかりしれない、と考えております。

――顧問は国会の防衛論争の第一線で、文字通り政治生命を賭けて闘ってこられましたが、そもそも、どういう経緯で「一%枠」ができたのですか。

楢崎 詳しくは社民連発行の『防衛費GNP一%死守のための資料集』をご覧いただきたいのですが、国会論議では三十年代にすでに始まっています。

 当時はGNP(国民総生産)との対比ではなく国民総所得との対比が問題にされ、国民所得の二%程度までは防衛費に充当できるとして二次防が策定されました。二次防では国民所得に比較しますと一・三七%くらい、総生産では一・一八%くらいになっておりました。

 その後、高度経済成長でGNPが増大し、いわゆる分母が大きくなったために、佐藤内閣当時(四十三年度当初予算)にはGNPに対して〇・八八%になっていました。そこで四十三年十一月十二日の衆議院内閣委員会で、受田(新吉)さんの質問に対する増田防衛庁長官の答弁でGNP対比一%が初めてでました。

 四十七年三月七日の衆議院予算委員会、私のシビリアン・コントロールの質問の中で、江崎防衛庁長官は「三次防当時からGNP一%以下は不文律、標準となっていた」と明確に答弁しております。

 その間、四十七年度予算案の中に未決定の四次防の一部(偵察戦闘機RF四E装備)がすでに予算化されていた、いわゆる「四次防先取り」問題のなかで、私たちは「平和時における防衛力論争」をときの田中内閣に挑みました。

 こうした国会論議の経緯を経て四十八年二月一日、坂田防衛庁長官提出「平和時における防衛力」でGNP一%問題が政府関係の文書に最初に登場したわけです。

――そして三木内閣時代の五十一年に閣議決定されたわけですね。

楢崎 そうですが、その一週問前に「防衛計画の大綱」が閣議決定されています。これは、一次防(三十二年六月十四日閣議了解)〜四次防(四十七年十月九日閣議決定)にわたる「年次防方式」は、所謂「脅威対処論」による防衛力整備計画であり、防衛費総額は倍増した。これでは防衛費膨張(軍事拡大)がどこまで続くか際限がないという不安と批判から、「年次防方式」は第四次防で終わりとし、そして有事の際は所要防衛力に円滑に移行できる「基盤的防衛力構想」に基づく「防衛計画の大綱」が決められたのです。

 つまり、防衛費膨張(軍事拡大)がどこまで続くか際限がないという不安と批判から「年次防方式」を止め、「基盤的防衛力構想」に基づく「防衛計画の大綱」が決められ、その「大綱」の「財政的歯止め」として「大綱」決定の一週問後に「防衛費GNP一%枠」が閣議決定されたのですから、「大綱」と「一%枠」はワンセットなのです。

 政府は九月十八日、GNP一%を超える「中期防衛力整備計画」を閣議決定しましたが、これはまた「年次防方式」に逆流することです。この時の「五十年十一月の閣議決定の趣旨を尊重するよう努めていく」との藤波官房長官談話ほど、公然と国民を愚弄した談話があったでしょうか。

 「防衛費GNP一%枠」の「趣旨」に反する新計画を決めながら、一方において「趣旨」を「専重」するという、この明らかすぎる矛盾は平均的国民の常識では到底理解出来ないでしょう。

――最後に国民の皆さんに是非訴えたいことを一言。

楢崎 過去永い経過を辿った国会論争において獲得された国会決議などがいとも簡単に踏みにじられていくのを聞いて、誠に空しいものを痛感しています。

 国権の最高機関たる国会がシビリアン・コントロールを果たせないとすると、あとはかつての軍閥専断の道しかありません。

 「平和がすべてではない。しかし平和がなければすべてはない」、是非このことを真剣に考えてほしいと思います。


  新自由クラブと党首会談  一%枠厳守を確認

 社民連と新自由クラブとの党首会談が実現し、江田代表は十月十五日、赤坂プリンスホテルで約一時間、河野代表と会談した。このなかで、(1)防衛費一%枠を守り続けるために全力をあげる。(2)衆議院定数是正問題は、六増六滅案では不充分で抜本是正がより重要である。(3)国政選挙への対応についても適宜協議する。(4)今後も随時両党間の協議を行う――などの点で一致した。

 さらに、社民連側は、国家機密法案や靖国神社公式参拝問題でも、中曽根内閣の姿勢を批判し、新自クの確固たる対応を要望した。

 この会談は社民連の申し出に新自クが応えたもので、阿部書記長、新自クから小杉隆代議士が同席した。


1985年

戻る目次前へ次へ