1986/03 核問題・軍縮問題に取り組む

戻る目次前へ次へ


「核のない21世紀」を目指して  常任顧問 田 英夫

 昨一九八五年から本年初頭にかけて、ジュネーブでの米ソ首脳会談、ソ連外相の来日と領土問題に含みをもたせた共同声明の発表など、日本を取りまく状勢も大きく変革しようとしています。

 「社民連リポート」では、再刊一周年記念の特別企画として、国際問題に広範な視野を持ち続ける田英夫常任顧問に米ソ問題、日ソ問題の二本柱について意見を伺いました。


 イデオロギー時代の終焉
 昨年十一月、ジュネーブにおいて七年ぶりの米ソ首脳会談が開かれました。

 世界の趨勢に多大な影響を持つ二大勢力である両国は、アフガン問題を契機に関係悪化の一途を辿っていたのはご承知の通りです。そのような中で両一国が今後も話し合いの方向を保とうとしているのは歓迎すべきことです。

 レーガン政権誕生以来、目立ってイデオロギー的対立を繰り返してきた両国ですが、世界の潮流は思想による国家間の対立を、すでに時代遅れのものにしているのではないでしょうか。

 これは、フォークランドやイラン・イラク、中東戦争またベトナムのカンボジア侵攻など最近十年以内に行われた国家間紛争の起因が全てイデオロギーとは別の次元にあることで証明されます。

 米ソもようやく東西対決の姿勢を改め、デタントへ向けて世界の流れに追いつこうと胸襟を開いたのでしょう。

 そこでポイントになるのは核軍縮の問題。この点で冷静に考えなければならないのは、米ソ二大国は「膨大な核があるからこそ世界に君臨できる」――つまり両国は共通利害を持っているという事実です。

 一九六三年の部分的核実験停止条約の時点では、両国は既に水爆を保有し地下実験のみで確認が可能でしたし、その後の核拡散防止条約も後進の中国、フランスに追いつかれないため米ソの推進のもとに作られた事は、中国の故周恩来首相が鋭く見抜いています。

 先日の首脳会談では相方奇しくも戦略核の50%削減で一致し、これはSALTI、IIに比べれば大いなる前進ですが、あくまで人類の絶滅回数が十回から五回に減少したにすぎません。

 しかしINFなど含めての核軍縮にはずみがつくことは確かです。

 ソ連のゴルバチョフ書記長は三段階の核軍縮で21世紀までに無核時代をつくろうと提案。一九九〇年には相互に相手領土を攻撃できる核を50%削減、一九九五年には英、仏、中も含めて全核保有国が核凍結(戦術核含む)、そして一九九九年には全核兵器を放棄するプランを発表しました。

 これに対し米国では、大統領と国防長官の間で意見の確執があったようですが、ここはレーガン大統領に頑張ってもらい、今度はソ連に向けて負けずに核軍縮の逆提案でもやってもらいたいものです。


 地球的視野で問題の解決を
 さらに、今後はある意味で核より恐ろしい毒ガスや細菌を使用した化学兵器についても問題にしていかなければなりません。

 ニュージーランドの某女性市長は「地上から核が消えるのは、米ソ両政府の力に頼らず、草の根の市民運動が国際的に手を結び、世論を盛りあげた時だ」といみじくも述べています。

 核にせよ、経済にせよ人類的スケールの問題は、大きな視野で見ないと答えはでないものです。人類の最終兵器の前では、イデオロギーや宗教も小さな問題でしかありません。

 来たる西暦二〇〇〇年には、歴史があり東西の一方で時代を変えた都・北京においてオリンピックの開催が予定されています。ソ連の三段階核削減案が実現すれば、この前年には地上から核は消えていることになります。この五輪を「核のない21世紀」の前夜祭典となる“人類の祭典”“平和の祭典”にするためにも私達は努力せねばなりません。


 日ソ両国に見解の変化、息の長い交渉を
 日ソ関係において、両国間の最重要課題は言うまでもなく北方領土の問題です。
 かつて吉田茂総理はサンフランシスコ講和条約調印の前日に、

(1)千島列島および南樺太は侵略によって奪取したものではない。

(2)日本開国の当初、択捉と国後が日本領であることは帝政ロシアも異議をはさまなかった。それ以上の北千島諸島は平和的な外交交渉によって獲得、南樺太もポーツマス条約によって日本領となった。しかるに一九四五年九月二十日に一方的にソ連に占拠された。

(3)日本の本土を構成する色丹、歯舞も終戦当時にソ連に占拠された。

 ― 以上北方領土に関する見解を表明しています。
 しかるに日ソ国交回復後の返還交渉の過程では、両国に見解の流動的な変化がありました。ソ連は「歯舞、色丹返還で平和条約」という案を引っ込めて「善隣友好条約の推進」へと変化し、日本の世論の一部にも社会党の「歯舞、色丹返還後に平和条約の交渉。それを通じて全千島の返還」といった党是を表に出さないような考えに象徴される一面がありました。

 さらにわが国では一九七〇年代に入ってから、いつの間にか戦後の混乱期にはなかった「四島一括返還」といったコンセンサスができあがりました。

 しかし領土問題は外交交渉の中でも最も困難なものですから、シェワルナゼ外相の来日を機に、改めて国会の場で日本のコンセンサスを確認する作業が必要です。

 わが党もそのことを大胆に提起すべきではないでしょうか。

 シェワルナゼ外相来日の際の共同声明には含みはありますが、ようやく今後この問題も併せて話し合う方向になってきたようです。

 北方領土に関する交渉は息の長いものになるでしょうが、私達は世界状勢の変化を踏まえて、ソ連に対してイデオロギー的な壁を作らず、謙虚にお互いの体制を認め合って話し合いをすることが大切でしょう。


1986年3月

戻る目次前へ次へ