1979/10/22 全国代表者会議 |
第三十五回総選挙は、緊迫感を欠いた政治情勢の下、大平首相の主導権確立という自民党内の派利派略が先行するシラケムードのなかで行われた。政策上の争点としては、わずかに大平首相が自らの手を縛ることになった増税をはじめ、行政改革、腐敗防止などをめぐってたたかわれた。しかし野党側の対応もまた、決め手に欠けたばかりか、政権構想や八〇年代のビジョンをかかげて、新しい政治情況を切り開くという能動的姿勢をとり得なかった。
このため、政治全体の流動化状況をつくりだすことに失敗し、同時に、有権者の積極的関心を引き出すことができなかった。
このような政治情勢の下では、すでに事前の予測においても、既成大政党、特に自民党に有利であり、新しい政治をめざす政党に不利な見通しが出ていたのは、むしろ当然のことであった。
自民一党支配と五五年体制の崩壊
選挙結果は、自民党、社会党の敗北、公明党、民社党の前進、共産党の伸び、新自ク、社民連の後退であった。
自・社両党の敗北について、先ず指摘しなければならないのは、三分の一を社会党が占める自民党一党支配体制である「五五年体制」崩壊のすう勢は依然として早い速度で進行しており、今や、完全な崩壊前夜の状況をもたらしたということである。
自民党敗北の原因は、もちろん政策上の問題などいろいろあろうが、松野頼三氏の落選にもみられるように、その古い腐敗体質と政権担当能力そのものに、国民は 「ノー」 の回答を出したといえよう。
社会党の長期低落と中道勢力の前進
社会党は、大平首相の増税論に助けられたと言われてもなおかつ前回比十六議席減、解散時比九議席の減少。得票率でも一%下げて、はじめて二〇%を割り、長期低落傾向は依然として進行している。
この総選挙の大きな特徴の一つは、公明党の前進と中道協力の成功であった。中道四党間に行われた多様な選挙協力は、全体で三十二選挙区に及び、このうち二十一の選挙区で勝利した。この成果のほどは、四党統一候補を擁立し、従来の実績に大きく上積みする相乗効果をみせ、“中道の面目躍如”と言われた山形一区、愛知五区の当選をはじめ、福岡一区のトップ当選などに端的に現れている。公−民協力は、二十二選挙区で行われたが、得票率を大幅に伸ばした。
中道協力は、「与野党伯仲の演出者」とも言われる成果とともに、今後の政局における関心の的となった。来年の参院選におけるいっそうの発展が期待されている。
共産党は、大幅に議席を伸ばしたが、得票率、得票数ともに伸びていない。
わが党は新たな出発点に
わが党は、社会党・総評組織から離れた現職三名を含む七名の公認候補をたて、結党後初の国政選挙に臨んだ。極めて厳しい情勢のなかで、党の存続をかけた、いわば“無”からの出陣であった。
結果は、福岡一区、山形二区の二名当選を果たし、かろうじて党の命脈を保つことができた。同時にまた、市民が主人公の政治というわが党の立場に対する国民の理解がすすみ、活力ある民主主義をめざす今後の活動の基礎を築くことに一定の成功を収めることができた。
この選挙結果をもって、われわれはあらためて出発点に立ったのであり、今後本格的に展開していくであろう連合政治時代に向かって責任の重大さをあらためて認識するところである。
望まれる野党の真剣な対応
ここ二度にわたる総選挙を通じて、与野党伯仲の情勢が続いている。少なくとも、五十一年度総選挙では各党とも足なみこそ大いに乱れていたが、政権構想を打ち出すなどの対応がみられた。
しかし、今回の総選挙に当たっては、その前後にわたって、国民は野党側の政権への前向きの姿勢を全く感じることができなかった。与野党伯仲という有利な機会を生かして、自民党一党支配を終わらせ、国民本位の連合政権を真剣に準備することこそが、国民の政治への期待に応える道であり、野党各党に課せられた緊急の任務であることを強調するとともに、自らを含む野党全体に対して、あらためて重大な決意と奮起を訴えたい。
政治方針
今回の総選挙の結果が示した最大の特徴は、総選挙総括にも指摘した通り、「五五年体制」の崩壊が着実に進行しているということである。安定多数支配を意図した大平構想が挫折したばかりか、自民党は議席を減らし、与野党の議席差は十五へとせばまった。「五五年体制」を支える他方の政治勢力である社会党の敗北はさらに致命的であり、前回より十六の議席を減らし、百万票を超える支持を失った。
「五五年体制」を支えてきた自民党と社会党の長期低落傾向は依然として続いており、とくに都市部においてはこの特徴がいよいよ鮮明となり定着したと判断できる。
ここ二年半、「五五年体制」崩壊過程は停滞し、大平内閣の成立以後はむしろ、保守復調が進み逆流現象すらみられたことも事実である。だがしかし、こうした表面的動きにもかかわらず、日本社会の根底においては、古い政治体制から離れ、イデオロギーに基づく体制変革ではなく、モデレートな政治変化を求める国民の意識が次第に増大していることを示したのが今回の選挙結果だったといえよう。
大平内閣が安定多数支配を決意し、長期安定政権の確立を計画するに至った前提には次のような要因があった。
第一に、総裁公選勝利により党内でのヘゲモニー確立に対する自信過剰である。
第二に、統一地方選挙における保守・中道連合の勝利を自民復調と見誤り、わが国の政治的流れが保守復調へと変わったと判断したことである。
第三に、中道を含む野党の評価を誤り、部分連合論をかなぐり捨て、数による支配という権力主義的発想に転換したことである。
こうして、大平首相は「名分なき解散・総選挙」の道を選択したのであった。だが有権者の示した回答は、この大平路線の拒否であり、五十一年総選挙に引きつづき、再び与野党勢力のかつてない接近状況を選んだのである。
こうしていまや、かつてない不安定な自民党内閣の出現という事態となった。政治の流動状況は加速化され、わが国の議会制民主主義にも新たな活力が生じようとしている。政権交代の客観的条件も大きく成熟しつつあるといえよう。
当面する政治の流動状況を左右する要因は二つであろう。
一つは、首相指名における自民党の事実上の分裂に象徴されるこの党の内部抗争の激化である。
第二は、大平が部分連合を拒否したことによってつくられた与野党間の距離の拡大であり、野党がその連合いかんによっては政治のキャスチングボートを握れるという新たな可能性の出現である。
前者は、その亀裂の大きさから議会内での支配力にいちじるしい傷を負わせており、国会運営の多批難さに象徴される政治の不安定性を長期化させるであろう。
後者は、革新中道諸党にかつてない政権奪取への可能性を保証すると同時に、これまで慣習化してきた野党の思考様式・行動様式の根本的転換を要求することになろう。具体的には、政権構想を真剣に追求し、そのための新しい民主的政治勢力連合のあり方と、その政権担当能力を国民に示さなくてはならない。
野党側の特徴は、第一に、社会党の長期低落傾向の深刻化である。第二に、民社党の議席増、公明党の微増といういわゆる中道政治勢力の定着である。第三に、共産党の議席増と野党第三党への進出および新自由クラブの激減である。
こうして社会党は地盤沈下の中で、中道勢力と共産党および社会主義協会派からの圧力をうけるという政治地図のなかで、のっぴきならない選択を迫られることになった。
社会党は自己の力量低下という主体的条件の下で、新中期路線の提示や飛鳥田ドクトリンの発表など、部分的手直しを試みている。このこと自体は一定の評価はできるが、この党の抱えている矛盾からみれば、単なる部分的手直しの積み上げでは党改革は達成できないであろう。
社会党の今後の選択いかんは、この党の盛衰を決定づけるだけでなく、わが国の政治の基本的枠組みの変革をなしうるか否かの歴史的選択となる。その責任は誠に重大である。
現在、総評のイニシアティブを前提にしているとはいえ、総選挙総括から急速に具体化されようとしている社公政権協議の意義は大きい。われわれ社民連は、この協議の成立を支持するとともに、その成功を心から期待する。
だがしかし、この協議のなりゆきは大きくわけて二つの可能性をもっている。
第一は、政権構想を本格的に議論する場となり、新たな社公民路線で合意し、きたるべき参院選挙で強力な協力関係を組織し、保革逆転を闘いとる道である。
第二は」 政権構想まで議論が進まず、参院選挙での社公協力という当面を糊塗する個別的技術的な協力関係しか結べないという可能性である。
第二の道になるならば、参院選での大きな勝利を期待できないばかりか、社会党の古い体質改善も進まず、この党の減票分を公明党が補完することにとどまるだろう。この社公政権協議が、社会党の全野党路線の変更を意味するものか、それとも単なる参議院選挙対策だけのものか、飛鳥田委員長の言動のゆれを見る限り、その点は依然として曖昧である。
この際、社会党は共産党との関係を明確にしなければ、革新・中道の提携による政権交代の受け皿づくりも具体的には進まず、国民が実感をもって新しい政権をつくる――そうした政治に参加する機会をまたも失うにいたるだろう。これでは国民に対し野党第一党としての責任を果たせないことになり、野党第一党としての資格を欠くと非難されても弁解の余地はない。
いまやわが国の議会制民主主義は、歴史的成熟期に入ろうとしている。古い保守と古い革新の中間にポッカリとあいていた政治的空白を埋め、これまで果たせなかった革新・中道勢力の結集を果たし、政権交代を実現するという憲政の常道を前にして、この責任を自覚した政党側の対応が、いまほど問われていることはかつてなかった。
われわれ社民連は、こうした政治状況の下に自らの主体的選択をする決意である。
五五年体制は崩壊過程にあるとはいえ、それが過渡期である限り、われわれ社民連の存立基盤はいまだ弱く、組織的にもきびしい条件下におかれている。しかし、われわれが結党の時に掲げた政治的理念はあくまでも正しく、政治的展望は確実に切り開かれていることも事実である。
来年の参議院選挙の意義はきわめて大きい。
それは第一に、この選挙において保革逆転を実現するならば、長年にわたって政権を独占してきた自民党支配に終止符をうち、新しい連合政権をつくり上げる突破口とする可能性があるからである。参議院選挙における野党の勝利は、五五年体制の崩壊を一層促進し、政治の流動化を進行させ、政権交代の実現という新しい局面へとわれわれを導くであろう。
第二に、この保革逆転の可能性は、野党側の新しい連合の形式という主体的決断と準備によってはじめて現実のものとなるということである。自民党の事実上の分裂に近い亀裂にもかかわらず、政権交代をなしえない最大の問題は、野党側がそれにとってかわる政権構想をつくりあげえずにいることであり、そのための主体づくりが成功していないからであった。
だが、次期参議院選挙はもはやこれを避けては通れなくなった。自民党の一党支配の終焉という事態を前にして、野党側は国民に対して来るべき政権の構想を提示する義務を負っている。そして新しい政権を実現するための政治勢力連合のあり方を国民に問わなければならないのである。
第三に、選挙協力の意義もまた大きく変わってくる。新しい連合政権を樹立するという大目標を目指す次期参議院選挙での協力は、従来のような他党とのギブ・アンド・テイクというレベルを超えなくてはならない。なによりもまず、保革逆転をかちとることを優先させた候補者選定と諸党間協力を実現しなくてはならない。
こうした大局判断に基づく選挙協力体制をつくりだす上で最も大きな責任を負うのは、いうまでもなく野党第一党の社会党である。たんに自党の低落を食い止めるための協力要請という発想を捨て、政権交代を実現する上での野党第一党の責任という立場から真剣に選挙協力を追求すべきであろう。そのためにこの党は、五五年体制のなかでしみついたその古い体質を抜本的に改革し、全野党共闘論をはっきりと否定しなくてはならない。
新しい連合政権の中軸に革新・中道政治勢力が座を占めるとするならば、公明党・民社党の責任も大きくなる。とくに公明党は、連合づくりの“要”党としての役割を負わざるをえないから、その果たす役割は大きい。
われわれ社会民主連合は、以上のような立場を踏まえ、次のような政治方針で参議院選挙に臨むことにする。
自民党にかわる新しい連合政権を実現する道は、社・社・公・民プラスアルファーの政治勢力を結集した連合の形成にあると確信する。
この基本路線は、われわれの結党のときに掲げた路線であるが、いまやその正しさがいよいよ証明されつつあるし、これを実現する絶好の舞台がつくられようとしている。
具体的には参議院選挙における社公民を中心とする協力のあり方が、社会党の事実上の体質改革を決定づけるであろうし、その選挙協力によって保革逆転に成功するならば、自民党の分裂すら展望できる。
この場合、われわれはかなり大胆な政治選択を迫られるだろうし、またこれに応えなくてはならない。この場合もわれわれの路線は、社・社・公・民プラスアルファーであり、この基本線上にアルファーの要素を広義にとることになるだろう。
われわれは当面、次のような方針で臨む。
第一に、すでに開始されている社公両党間の政権構想協議を中心とする協力関係樹立の話し合いを支持し、それが新しい社公民路線に発展するよう協力する。
第二に、公民両党間の政権協議についてもその成功を期待する。同時に、中道四党の結束を固め、参議院選挙の協力体制を強めてゆくことにする。
第三に、都知事選挙の際、社会党より提案されたわれわれとの院外共闘問題に対し、社会党よりあらためて協議の要請があれば、新しい事態をふまえてこれに対応する。
第四に、社会党の改革を志向する人びととの交流をつよめ、協力関係を強化する。
第五に、わが国に欠けている真の意味での社会民主主義党もしくはそのブロックをつくるためのイニシアティブを発揮する。われわれの掲げた政治理念こそ、近代民主主義国家における社会民主主義政党のあり方であるという誇りをもち、この路線によって新しい政治勢力が創造されることこそが、日本の議会制民主主義を発展させる道であると確信するからである。
以上の方針で、来るべき参議院選挙にむけて、われわれは新しい革新中道の勢力結集と選挙協力体制をつくりあげてゆかねばならない。この歴史的課題を達成できるか否かは、八〇年代の日本の政治の基本方向を決定するといっても過言ではない。
全国区、秦豊選挙勝利のために社民連の総力を結集しよう。
参議院選挙のなかでの党勢拡大について
来るべき参議院選挙に、わが党は秦豊氏を全国区候補者としてたたかう予定であり、このたたかいと勝利のために、党の総力をあげる。同時に、この選挙の勝利への道は、現在の力量では必ずしも容易ではなく、党勢の拡大と総合した運動をすすめることが不可欠である。すなわち、“組織の拡大を参議院選挙勝利へ” “参議院選挙勝利を組織の拡大へ”と、有効に結びつけることが最も重要な課題である。
このような観点から、参議院選挙と一体となった組織拡大の方向を次のように提起する。
(1) あらゆる地域に可能性を追求することは言うまでもないが、とくに重点地域を設定し、選挙上の“効率”を考慮した運動に取り組む。
(2) 従って、重点地域は、北海道、山形、埼玉、東京、千葉、神奈川、山梨、静岡、愛知、岐阜、京都、大阪、岡山、広島、愛媛、福岡、長崎、沖縄、その他、社民連組織が存在し、活発な活動体制がとられている都道府県とする。
(3) 党勢拡大は言うまでもなく、国民大衆に根を張った政策的運動を軽視しては成功しない。わが党のかかげる諸政策課題を、全国的・地域的レベルで着実に運動し、日常活動を盛り上げるなかで選挙闘争、組織活動を位置づけなければならない。
(4) 従って、社民連の独自活動をいっそう徹底するとともに、それぞれの地域において、課題別、階層別のさまざまな運動に積極的に取り組み、同時に、各種市民団体、労働運動団体、住民団体などとの連けいをいっそう強化することに努めなければならない。
(5) 財政上の問題も極めて重要であり、参議院選挙カンパ運動を展開するなどして、各単位社民連は、可能な限り独力で選挙財政を支える体制を整え、組織強化対策を進める。
(6) 機関紙は、参議院選挙を軸に、企画を充実し、選挙と党員拡大の“決め手”として役立つものにするため、党全体で盛り上がる気風をつくることが大切である。また、購読者の拡大についても大きな課題である。その他、政策資料、選挙用資料などを有効な武器として活用する体制をつくる必要がある。
(7) 以上の諸課題を成功させるために、少なくとも重点県の社民連は一月中を目途に、臨時大会またはそれに準ずる機関会議をもって、具体的活動方針を討議することにしたい。
(8) さらに、二月中に全国組織委員長会議を設定し、取り組みを強化する。
(9) 全国社民連が地方オルグの体制を検討し、必要に応じてオルグ派遣を行う。
(10) 来年一月以降、国会議員団による地方遊説を計画し、党の政策・路線を訴え、宣伝活動を強化する。
1979年10月22日社会民主連合