1980 参議院改革の新しい実験

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  「参議院クラブ」発足の意味

副代表 江田 五月

 昨年十二月二十日、通常国会召集を翌日に控えて、参議院に「参議院クラブ」という名称の新会派が生まれた。これは、社民連の田、秦、江田の三人と、それまで「無所属クラブ」を名乗っていた有田一寿、円山雅也、前島英三郎(八代英太)の六人が作った会派である。同時に、「無所属クラブ」だけでなく、参議院内の会派としては、「社会民主連合」も、解散した。これによって政党としての社民連の存在は何も影響を受けない。

 参議院が政党の進出により衆議院を小型化したものになってしまったことについて、それでは参議院の存在意義がないと、その傾向を憂い批判する声が強い。憲法が二院制をとっているのは、同じような議院を二つ積み重ねるためではなく、質の違った二つの議院を設けることにより、立法府の機能に多面性と多様性を持たせるためである。

 衆議院が、国民を数において代表し、直接政権を作る責任を負うのに対し、参議院は、国民を質において代表し、時々に移り変わる政権から一歩距離を置いて、広く長い視野で立法府としての活動を行うことが求められている。

 しかし、現状は、委員会の構成、議論の仕方、案件に対する各党の対応その他、参議院が衆議院のカーボンコピーとなってしまっており、これでは、批判が出るのも当たり前。

 社民連の参議院議員三人は、昨年の通常国会の幕切れの混乱の際にも、このような参議院のあり方を批判し、参議院の良識を復活させるという考え方で行動した。その際もはっきりしたことだが、参議院改革の根本は、各政党が党議で議員をしばることをやめて、一人ひとりの議員の良識と識見を尊重するところから始まらなければならない。

 そこで、田代表は、昨年十二月二日の代表者会議での代表挨拶の中で、この点につき次のとおり述べ、社民連の参議院改革問題についての基本的対応を明確にした。

 「かねてから参議院改革の一環として会派統一が議論されていますが、参議院は衆議院のカーボンコピーであってはならない。良識の府という原則に立って、議員が将棋の駒のように政党の討議に拘束されることなく、議員一人ひとりの人格と識見が大きく機能されるよう、参議院のあり方を考えるべきではないでしょうか」

 その後、こうした各議員の自主性尊重を基本とする会派(政党ではなく、院内での行動や交渉の単位となる議員の集まり)を作ろうと、いろいろな動きがあり、一時は新自由クラブの所属議員も参加の構えを見せたが、結局、とりあえず冒頭の六人で出発しようということになった。

 出発にあたって、六人は、次のとおり設立の趣旨を発表した。

一 日本国憲法の施行から三十二年が経過したわが国は、経済的にめざましい発展を遂げ、国民の価値観も著しく変化し多様化した。先進国としてのわが国の国際社会における責任は、著しく重大となった。ところが、わが国の政治は、情勢に対応できず、八〇年代への指針を示しえないまま、状況追随に終始し、国民は次第に政治から遠ざかりつつある。

二 この転換の時代にあたり、参議院は、日本国憲法の「抑制と均衡」の理想に従い、「良識の府」として、国民を質の面で代表し、広い視野と長い見通しを持って、わが国の将来に指針を与えることが強く求められている。

三 ところが、参議院の現実は、衆議院のカーボンコピーと化し、参議院無用論さえ聞かれる。これを改め、参議院を、議員一人ひとりの人格と識見が大きく機能する「議論の府」に作りかえることが、当面する参議院改革の中心である。こうして初めて、政治に理性と人間性をとり戻し、国民の政治的無関心を払拭することができる。そのためには、参議院も代議制であるから政党を排除するのは適当でないが、政党も、所属議員を党の支配下に置くのでなく、その党派性を抑制するため党議の拘束を緩めなければならない。

四 参議院も又、その運営上、会派を必要とする。しかし、会派制度は、少数意見の軽視や無視につながってはならない。参議院の現状に鑑みれば、外に対して少数意見に発言の場を確保し、内に対して各所属議員の表決の自由を保障する会派が、不可欠である。この会派は、同時に、その設立の趣旨に従い、参議院改革に情熱を傾けてこられた歴代議長はじめ諸先達の志を実現し、国政の改革に大きく寄与することとなる。

五 以上の観点と決意のもとに、志を同じくする者が集まり、昭和五十四年十二月二十日、「参議院クラブ」を設立する。


 新会派は、各議員一人ひとりの自主性を最大限尊重するから、役員も、単に世話役というにすぎない。その了解のもとに、座長は有田、国会対策は江田が担当することになった。又、国会再開後の代表質問には八代、予算委員会の総括質問には秦を立てる予定。

 八代の代表質問は、わが国憲政史上初めて車椅子が本会議の演壇に登るのであり、社民連は、こうして、福祉の前進にふさわしい八〇年代の幕あけの一こまを演出することに力を貸すことになる。秦の予算委員会登場が、多くの人々の切望に応えるものであることもいうまでもない。

 ところで、この会派の中は、保革相乗りである。そのために、前途多難を予測する人も多い。確かに困難は多かろう。しかし、旧来の保革の区別を超えて、意見の交換と意思の疎通が行われ始めたことにこそ、政治の転換に向けての意味を見出すべきである。参議院改革と国政改革のためには、単なる評論でなく、多難な前途を持つこの会派を育てることが必要である。


1980

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