1988 |
社民連 この十年
代 表 江田 五月
早いもので、社会民主連合は結成十周年を迎えました。多くのみなさんの一方ならぬご指導とご支援のおかげです。心から感謝申し上げます。
政党は、歴史が長いから貴いというものではありません。長く存在したが役割は果さなかったとなると、無用の長物です。他党のことでなく、社民連自体のことを振り返ってみたいと思います。
社民連の課題は、二つあったと思います。一つは、政治の型を変えること、二つは、生活の型を変えることです。
政治の型とは、自民党一党支配の政治を変えて、政権交替という議会制民主主義の本来の姿を実現することです。自民党とは与党すなわち政権党の役割を担う政党、その他の政党は野党の役割というのが、日本の政治の常識だというのでは、政治は良くなりません。
これまで野党の自民党攻撃は、鋭かったし効果もあったと思います。空洞化はあるものの憲法は守られたし、朝鮮やべトナムでの戦争にも直接巻き込まれずにすんだし、福祉制度の実現もありました。野党の功績は、想像以上に大きいのです。
それでもなお政権交替に遠いのですから、攻撃だけではだめだということです。野党が政権につけないのは、自民党のせいではなく、野党自身のせいです。端的に言えば、野党間の喧嘩が多すぎて、国民に信頼されないということです。
しかし社民連十年にして、やっとこの欠陥を克服する動きがでてきました。一昨年の売上税共闘。部分的ですが統一首班候補の実現。先には社会党の新宣言。政党外では「連合」結成から全面的統一への歩み。まさに野党再編成から政権交替への大ドラマ開幕を告げるベルが、今響きわたっています。
生活の型とは、物と金にとらわれるあまり人間として大切なことを忘れた私たちの社会や経済のあり方を変えようということです。
成長とGNP信仰の結果、わが国は公害大国となり、猛烈社員がうさぎ小屋に住み、通勤地獄で心や体をこわす。学校は点取り競争で「おちこぼれ」、いじめ、登校拒否。経済大国から政治大国、軍事大国とさまざまな摩擦をおこし、開発と利権で途上国に公害と地域経済破壊をひきおこす。
しかしここでも、ごみや食品、薬の問題などから始まって、生活の中から問題を指摘し解決を探る市民運動が、静かに着実に力をつけて来ています。自主的教育活動や海外協力の市民的ネットワークも新しい展開を示しています。市民派、生活派の台頭です。
大胆に言えば、日ごろ生産活動に疲れ果てている男性より、生活の場を担う女性(この役割分担も問題)の方が、確かな目を持っているかも知れませんね。その意味で、生活の揚からの発想は女性原理だとも言えます。医療や高齢化などは、この発想が不可欠です。
社民連は、ちょっと照れくさいですが、苦難の道を歩んで、今まさに輝き始めたと思います。結成一年前、私の父・江田三郎が古い社会党を離れて社市連結成を提唱したことに端を発するのですが、父はその直後急死。激しい党内論争の後、田さん、楢崎さん、阿部さんたちの離党、合流、社民連結成と続くのですが、厳しい敵意に囲まれた発足でした。多くの各級議員が社民連に参加してくれましたが、徹底した攻撃で落選が相次ぎ、まさに死屍累累。私たちの社会党攻撃もそれだけに厳しかったと思います。
しかし今、社公民三党と友党関係を結ばせていただき、国会内では統一会派。再編への確かな手応え。今昔の感があります。
私は、社民連が十年続いたのは、実は続きすぎだと思っています。私たちは単独で政権をとる政党ではありません。政界再編で政権担当勢力を作る推進役なのです。その仕事は、もっと早く完成していて当然なのです。
生活の型を変える仕事は、社民連単独の課題ではなく、新しい政治勢力こそが担うにふさわしい課題です。しかも急を要します。
従来の枠組みにとらわれず、新しい時代にふさわしい新しい発想で、政治を作り直していく時代です。社民連はそのために生まれました。一日も早く、その役割を完遂したいと思いますじ それは、リベラリズム(自由)、ヒューマニズム(人間)、パシフィズム(平和)、エコロジー(環境)、フェミニズム(女性原理)といった枠組みで、新しい政治勢力を作ることです。
私はこの一両年が天王山だと思っています。一致結束、必ずやります。ここまで来たのですから。ぜひご期待下さい。