社民連十年史 |
あとがき
社会民主連合事務局長 石井 紘基
「十年史」なる超ビッグな本をつくることが、いまのわれわれの力量で可能かどうか――提案者である私自身、実は絶対の確信はなかった。一年経って、何人もの皆さんのご協力と様々な議論、そして手作りの積み重ねで、ようやく最後の頁を埋めるべく、インキをとばすところに到達した。
ときは既に年が変わり、元号まで変わってしまった。そして、われわれの前に訪れたのは一九八九年という、フランス市民革命の二百周年を記念する年だ。
「自由・平等・博愛」――ボルテールらによって声高らかにうたわれたこの市民革命の宣言こそは、まさに小なるわれら社民連が十年前に記した「めざすもの」の宣言によってきたるところのものだ。
歴史とは、何と時間のかかることか。何と遅々として進まないものか。われら社民連は十年を超えるも、大きくなったとも思えないし、主張が通りの中に根を下ろしたとも考えられない。
このところの政治のありさまは何だ。明電工汚職、リクルート疑獄――。わが党・楢崎弥之助顧問の告発によって火に油がそそがれたリクルート疑惑の規模は、ロッキード問題をひとけた凌駕する百五十億、儲けにして約四十億。広がりは政界・財界はもとより、官界・学会・司法界・言論界と、庶民を除く全ての生活領域に及んでいた。勿論、この喜劇シリーズ全巻のテーマは“政治と金、金と政治”だ。
いま、政治の世紀末がどんどん進行している。政治を白昼堂々と金で買いに行く慣わしがある。政治家は万余の大衆の前でけれん味なくウソをつく。ウソだとわかっているウソをつく。
政治は一部のボスが動かすという方向にもっていかれてしまっている。大きいものを支配する一部の者が全体を支配し、個々の自由と権利を力ずくで押さえこむ体制にもっていく。こうした政治をリクルート政治と呼ぼう。リクルート政治は有無を言わせない。ウソであろうがワルであろうが関係ない。長いものにはまかれろ、強いものには従え、である。
国会もそうだ。一部実力者によって全てが裏舞台で決まっていく国対政治といわれる政治体制も、私流に言わせてもらえば“リクルート政治”ないしは“超官僚主義政治”だ。
「自由・平等・博愛」――まさに十年前、社民連の名の下に、政治史上はじめて提起されたこの真に市民的民主主義の発想こそ、いま最も切実に必要とされている政治マニフェストである。
政界・官界をはじめ、いたるところに蔓延してしまったセクショナリズム、官僚主義、秘密主義、権力主義等々の腐敗構造を打破し、徹底的に風通しを良くし、縄張りをとき、自由化しなければならない。
日本全体の世直し、建て直しが必要である。間違いなく、初めは少数派の運動としてしか成り立ち得ない。大胆に、市民的民主主義の原点にもどることが必要である。それなくしては、大きなバケモノか、大きなドロ舟に飲み込まれてしまうことはあっても、何らの本質的前進はないであろう。歴史を寸分たりとも前に進めるために、われわれ社民連の同志は、新しい時を刻んでいくことになるであろう。
――草の根のロマン――
1989年2月28日 印刷
1989年3月11日 発行
監 修
発行者阿 部 昭 吾
石 井 紘 基
江 田 五 月
発行所 社民連十年史刊行会
事務局長 桜井 紘
事務局 衆議院議員 江田五月事務所
一部写真提供・共同通信社、山陽新聞社、文芸春秋社、ほか。