年 表 |
1945 | - | 08/15 | - | ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏(太平洋戦争終結。鈴木貫太郎内閣総辞職) |
08/17 10/05 10/09 11/02 11/09 11/16 12/01 12/18 12/18 12/22 |
東久邇宮稔彦内閣成立 東久邇宮内閣総辞職 幣原喜重郎内閣成立 日本社会党結成(片山哲書記長) 日本自由党結成(鳩山一郎総裁・河野一郎幹事長) 日本進歩党結成(町田忠総裁) 日本共産党第四回大会(再建大会)、書記長に徳田球一就任 衆議院解散(第八九帝国議会) 日本協同党結成(山本実彦委員長) 労働組合法公布(施行は翌年3/1) |
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1946 | 01/17 02/01 02/09 02/28 04/10 |
日本労働組合総同盟結成 第一次農地改革実施 日本農民組合結成 公職追放令公布・施行 戦後初の第二十二回総選挙(自由141名、進歩94名、社会93名、協同14名、共産5名、諸派38名、無所属81名当選。39名の婦人議員登場) |
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04/22 05/22 08/19 11/03 |
幣原内閣総辞職 吉田茂内閣成立 全日本産業別労働組合会議結成 日本国憲法公布 |
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1947 | 01/31 01/31 02/20 03/08 03/10 03/31 03/31 04/05 |
GHQ、二・一ゼネスト中止命令 吉田改造内閣発足 日本農民党結成 国民協同党結成(三木武夫書記長) 全国労働組合連絡協議会結成 日本民主党結成(芦田均総裁) 衆議院解散(第九二帝国議会、最後の帝国議会) 初の統一地方選挙 |
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04/20 | 第一回参議院選挙(社会四七名、自由三九名、民主二九名、国協一〇名、共産四名、諸派一三名、無所属一〇八名当選) | |||
04/25 | 4・25 第二十三回総選挙(社会一四三名、自由一三一名、民主一二一名、国協二九名、共産四名、諸派二五名、無所属一三名当選) | |||
05/03 05/17 05/20 06/01 07/20 07/25 11/04 |
日本国憲法施行 緑風会結成 第一回特別国会召集、吉田内閣総辞職 片山哲内閣成立 沖縄人民党結成(浦崎康華委員長) 平野力三ら日本農民組合から分裂、全国農民組合結成 片山首相、非協力を理由に平野力三農相に初の閣僚罷免権を発動 |
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12/13 | 社会党左派、波多野鼎農相決定の不満から四党協定廃棄、党内野党化声明 | |||
1948 | 01/05 | 平野派十六名、社会党離党 | ||
01/16 | 〜19 社会党第三回大会、四党政策協定破棄を決定(西尾末広書記長辞任、浅沼稲次郎が書記長に就任) | |||
02/10 02/13 03/10 03/15 03/26 |
片山内閣総辞職 産別会議民主化同盟結成 芦田均内閣成立 日本自由党と民主クラブが合同し、民主自由党結成(吉田茂総裁) 平野派、社会革新党結成(佐竹晴記書記長) |
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07/07 | 社会党中央執行委員会、予算案に反対の黒田寿男ら純正左派六名を除名(7/12、他の十名も脱党し、社会党正統派議員団結成) | |||
10/06 10/07 10/19 11/12 12/02 12/23 |
昭電疑獄で西尾末広前副総理逮捕 芦田内閣総辞職 第二次吉田内閣成立 東京裁判判決 黒田寿男ら、労働者農民党結成 吉田内閣不信任案可決、衆議院解散 |
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1949 | 01/23 | 第二十四回総選挙(民自二六四名、民主六九名、社会四八名、共産三五名、国協一四名、労農七名、社革五名、諸派一二名、無所属一二名当選) | ||
02/16 04/14 07/05 07/15 08/17 10/01 12/07 12/10 |
第三次吉田内閣成立 社会党第四回大会(総選挙敗北後の再建大会) 下山事件発生 三鷹事件発生 松川事件発生 中華人民共和国成立 社会党、平和三原則を決定 産業別労働組合連合会(新産別)結成 |
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1950 | 01/19 02/14 03/01 03 04/03 |
社会党第五回大会、左右両派に分裂 中ソ友好同盟条約調印 民自党と民主党連立派が合同、自由党発足(吉田茂総裁) 日本労働組合総評議会(総評)結成準備大会 社会党第六回大会、左右両派再統一(委員長は空席、書記長に浅沼稲次郎就任) |
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04/28 | 民主党野党派と国協党が合同し、国民民主党結成(最高委員長に苫米地義三就任) | |||
04 06/04 |
産別会議民主化同盟、解散を決定 第二回参議院選挙(自由五二名、社会三六名、緑風九名、国民民主九名、無所属一九名当選) |
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06/06 | マッカーサー連合軍最高司令官、共産党中央委員二四名の公職追放を指令(徳田球一ら非公然体制に移行) | |||
06/25 07/11 07/24 10/31 |
朝鮮戦争勃発 総評結成大会 GHQ、レッドパージ開始 沖縄で社会大衆党結成(平良辰雄委員長) |
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1951 | 01/19 02/10 04/11 04/23 |
社会党第七回大会(委員長に鈴木茂三郎選出、左派が主導権を握る) 社会民主党結成(平野力三委員長・佐竹晴記書記長) マッカーサー、米大統領により連合軍最高司令官を罷免される 、30 第二回統一地方選挙 |
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04/27 | 政府、第二十二回中央メーデーの皇居前広場使用を禁止(中央メーデー中止) | |||
06/20 07/10 08/06 09/08 10/24 |
第一次公職追放解除発表(石橋堪山・三木武吉・河野一郎ら) 朝鮮戦争休戦会談始まる 第二次公職追放解除発表(鳩山一郎ら) 対日平和条約、日米安全保障条約調印 社会党第八回大会、講和条約の承認賛否を巡り左右両派に分裂(「左派社会党」鈴木茂三郎委員長、「右派社会党」浅沼稲次郎書記長) |
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1952 | 02/08 | 国民民主党・新政クラブ・農民協同党が合同して改進党結成(三木武夫幹事長) | ||
02/28 03/02 04/01 04/28 4〜6 05/01 07/21 07/23 08/01 08/28 10/01 |
日米行政協定調印(米軍駐留の条件) 第一回琉球政府立法院議員選挙 琉球中央政府発足(初代任命主席は比嘉秀平) 対日平和条約、日米安保条約発効 破壊活動防止法反対スト 独立後初のメーデー大荒れ(血のメーデー) 破防法公布、公安調査庁発足 協同党結成(平野力三委員長) 新行政機構発足(自治庁・保安庁設置) 衆議院、抜き打ち解散(自由党内の反吉田の動きに対応) 第二十五回総選挙(自由二四〇名、改進八五名、右社五七名、左社五四名、労農四名、諸派七名、無所属一九名当選) |
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10/18 10/30 |
協同党、右派社会党に合流 第四次吉田内閣成立 |
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1953 | 02/28 03/02 |
吉田首相、右社西村栄一議員の質問に対し「バカヤロー」と発言 衆議院本会議にて野党提出の吉田首相懲罰動議を可決(自由党広川弘禅派が欠席したので可決) |
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03/05 03/14 03/18 04/19 |
スターリン死去 吉田内閣不信任案可決、吉田首相は解散権行使(バカヤロー解散) 分党派自由党結成(鳩山一郎総裁) 第二十六回総選挙(自由一九九名、改進七六名、左社七二名、右社六六名、分自三五名、労農五名、共産一名、諸派一名、無所属一一名当選) |
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04/24 | 第三回参議院選挙(自由四六名、左社一八名、緑風一六名、右社一〇名、改進八名、無所属三名当選) | |||
04 05/21 07/27 |
内灘軍事基地反対闘争 第五次吉田内閣成立 朝鮮戦争休戦協定成立 |
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1954 | 01/21 03/08 04/22 07/01 11/24 12/07 12/10 |
〜23 左派社会党第十二回大会で「左社綱領」採択 米国と相互防衛援助(MSA)協定ほか四協定調印 全日本労働組合会議結成 防衛庁設置(陸・海・空自衛隊発足) 日本民主党結成(鳩山一郎総裁) 吉田内閣総辞職 鳩山一郎内閣成立 |
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1955 | 01/18 | 左右両派社会党臨時大会(それぞれ同文の両社統一に関する決議を採択、統一準備委員を選出) | ||
01/24 02/27 |
第二一国会解散 第二十七回総選挙(民主一八五名、自由一一二名、左社八九名、右社六七名、労農四名、共産二名、諸派二名、無所属六名当選) |
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03/19 04/15 04/30 05/14 05 07/29 08/06 09 |
第二次鳩山内閣成立 日中貿易協定調印 第三回統一地方選挙(創価学会、地方議会に五一名当選) ワルシャワ条約調印 右派社会党、「右派綱領」(統一社会党綱領草案)発表 共産党第六回全国協議会、自己批判と再出発のための新方針を発表 第一回原水禁世界大会開催(広島) 砂川基地闘争激化 |
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10/13 | 両派社会党統一大会、日本社会党再発足(鈴木茂三郎委員長・浅沼稲次郎書記長) | |||
11/15 11/22 11/27 |
自由・民主両保守党が合同し、自由民主党結成(総裁は代行制四名) 第三次鳩山内閣成立 ソ連、水爆を完成 |
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1956 | 02/14 06/02 07/08 |
ソ連共産党第二十回大会でスターリン批判 教育二法・小選挙区制法案を巡って国会は大荒れ、警官隊導入 第四回参議院選挙(自民六一名、社会四九名、緑風五名、共産二名、無所属九名当選) |
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10/19 10/23 10/29 12/18 12/20 12/23 |
日ソ国交回復共同宣言 ハンガリー動乱(ソ連軍が鎮圧) スエズ動乱 日本の国連加盟、国連総会で承認 鳩山内閣総辞職 石橋湛山内閣成立 |
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1957 | 01/26 02/23 02/25 07/10 07/26 09/28 11 12/06 |
労農党解党大会、社会党との統一を決定 石橋内閣総辞職 岸信介内閣成立 第一次岸改造内閣発足 社会党統制委員会、全構連問題で処分発表 社会党訪米使節団派遣(河上丈太郎団長) モスクワ六四カ国共産党宣言 日ソ通商条約調印 |
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1958 | 02/16 04/22 05/02 05/22 |
沖縄社会党結成 日ソ漁業交渉妥結 長崎事件により日中貿易断絶 第二十八回総選挙(自民二八七名、社会一六六名、共産一名、諸派一名、無所属一二名当選) |
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06/12 10/16 11/04 |
第二次岸内閣成立 警職法改正案上程、警職法反対国民会議に六六団体が結集 国会、警職法を巡る会期延長問題で混乱、自民党の強行採決に社会党は登院拒否で対抗(11/22、廃案) |
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1959 | 01 03/07 03/12 |
キューバ革命 鳩山一郎死去 浅沼稲次郎訪中団長、北京で「米帝国主義は日中両国民共同の敵」と演説 |
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04/15 04/23 06/02 |
安保改定阻止第一次統一行動 第四回統一地方選挙 第五回参議院選挙(自民七一名、社会三八名、緑風六名、共産一名、諸派一名、無所属一〇名当選) |
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06/18 07/19 09/12 |
第二次岸改造内閣発足 西尾末広、安保改定などを巡る社会党方針を批判 社会党第十六回大会(09/13、西尾末広を党規律違反として統制委員会に付議する決議案を採択) |
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09/16 10/05 |
社会党西尾派、再建同志会結成 沖縄の民主党など保守党が合同し、沖縄自由民主党結成(大田政作総裁) |
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10/25 11/25 11/30 |
西尾派、社会党を離党(院内団体・社会クラブ結成) 社会党河上派の一二議員離党(翌日、民社クラブ結成) 社会クラブと民社クラブを中心に民主社会主義新党準備会結成 |
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1960 | 01/19 01/20 01/24 01/25 03/23 04/28 05/19 06/10 06/15 |
ワシントンにて日米新安保条約調印 緑風会解散、参議院同志会となる 民主社会党結党大会(西尾末広委員長・曽弥益書記長) 三井三池鉱業所労組、無期限ストに突入 社会党第十八回大会(浅沼稲次郎委員長・江田三郎書記長) 沖縄の革新系団体、沖縄県祖国復帰協議会結成 国会、日米新安保条約を巡る会期延長を強行採決 ハガチー事件 安保阻止国民会議統一行動で全学連デモ隊が国会に突入(樺美智子圧殺) |
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06/17 06/19 06/23 06/24 |
河上社会党顧問刺される 新安保条約、自然成立 新安保条約批准書交換・発効 江田社会党書記長、後に構造改革路線に発展してゆく「護憲・民主・中立の政府樹立」構想を発表 |
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07/15 07/19 10/12 |
岸内閣総辞職 池田勇人内閣成立 浅沼社会党委員長、日比谷公会堂での三党首立会演説会で右翼少年に刺殺される |
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11/20 | 第二十九回総選挙(自民二九六名、社会一四五名、民社一七名、共産三名、諸派一名、無所属五名当選) | |||
12/08 12/20 |
第二次池田内閣成立 南べトナム民族解放戦線結成 |
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1961 | 01 | 江田社会党書記長、『月刊総評』に「構造的改革と労働運動」を寄稿、構造改革論争始まる | ||
1962 |
03/06 05/16 06/12 07/18 01/20 |
〜08
社会党第二十回大会(河上丈太郎委員長・江田三郎書記長) 韓国で軍事クーデター 農業基本法公布 第二次池田改造内閣発足 〜22 社会党第二十一回大会で「構造改革は戦略か戦術か」の論争起こる |
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04/06 05/11 07/01 |
石炭政策転換闘争終結 江田五月東大自治会委員長の自民党総裁室乱入事件 第六回参議院選挙(自民六九名、社会三七名、共産三名、同志二名、無所属一二名当選) |
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07/18 07/27 |
第二次池田内閣改造 江田社会党書記長、党全国活動家会議で「社会主義の未来像」(江田ビジョン)を発表、後に党内論争に拡大 |
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08/06 | 第八回原水禁世界大会開催中にソ連が核実験を行ったため、大会は「いかなる国の核実験反対しを巡って混乱 | |||
10/22 11/09 11/27 |
ケネディ米国大統領のキューバ海上封鎖宣言で米ソの緊張激化 日中総合貿易覚書調印 社会党第二十二回大会で江田ビジョンが批判され、江田三郎は書記長を辞任(後任は成田知巳) |
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1963 |
12 04/17 08/06 08/14 11/21 |
中ソ論争表面化 第五回統一地方選挙(大阪・横浜市長選などで革新系が勝利) 原水禁世界大会分裂 部分核停条約調印 第三十回総選挙(自民二八三名、社会一四四名、民社二三名、共産五名、無所属一二名当選) |
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1964 |
12/09 02/03 02/05 |
第三次池田内閣成立 社会主義青年同盟第四回大会で構革派執行部総辞職 最高裁、参議院東京地方区の選挙無効訴訟に「議員定数の決定は国会の権限であり、選挙人口に比例しないことで違法とはいえぬ」と判決 |
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02/22 | 〜24 社会党第二十三回大会、機関紙編集を巡って紛糾、左派は執行部総引揚げ(河上丈太郎委員長・成田知巳書記長) | |||
04/16 05/15 07/19 10/16 10/16 11/09 11/12 11/17 12/08 |
公労協スト、池田勇人・太田薫会談で中止 衆議院、部分核停条約を多数で承認 第三次池田改造内閣発足 中国核実験開始 ソ連共産党、フルシチョフ書記長を解任 佐藤栄作内閣成立 米原子力潜水艦、佐世保入港 公明党結成(原島宏治委員長・北条浩書記長) 〜11 社会党第二十四回大会、副委員長制を新設(河上委員長・成田書記長に加え佐々木更三・和田博雄が副委員長) |
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1965 |
12/09 02/07 02/10 03 |
原島公明党委員長死去(後任は辻武寿) 米国の北べトナム爆撃始まる 衆議院予算委員会、防衛庁の三矢研究問題で紛糾 構革派の活動家と理論家集団で社会主義運動研究会設立(機関誌『社会主義運動』創刊) |
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05/06 | 社会党第二十五回大会(佐々木更三委員長・成田知巳書記長)。佐々木委員長が「米帝国主義は人類共同の敵」と就任挨拶 | |||
06/03 06/22 07/04 |
第一次佐藤改造内閣発足 日韓基本条約、漁業などの関係協定調印 第七回参議院選挙(自民七二名、社会三六名、公明二名、民社三名、共産三名、無所属三名当選) |
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07/23 08/16 |
東京都議会議員選挙で社会党が第一党になる 社会党第二十六回大会、「ベトナム侵略反対、日韓条約批准阻止で、経済危機突破」などの方針決定 |
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1966 1967 |
08 12/03 06/14 10/21 11 12/03 12/27 01/29 |
被爆二十周年原水禁世界大会 河上丈太郎死去 ILO八七号条約発効 総評傘下五四単産がベトナム反戦スト 北京で紅衛兵二〇〇万人集会、文化大革命へ 第一次佐藤内閣改造 衆議院が「黒い霧」解散 第三十一回総選挙(自民二七七名、社会一四〇名、民社三〇名、公明二五名、共産五名、無所属九名当選) |
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02/13 02/17 02/22 |
公明党第四回大会(竹入義勝委員長・矢野絢也書記長) 第二次佐藤内閣成立 佐々木社会党委員一長が「民社党は第二保守党」と発言、西村栄一民社党書記長は「社会党は第二共産党」と反論 |
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04/15 05 06/05 06/19 06/21 08/07 |
第六回統一地方選挙(東京都知事選で美濃部亮吉革新都政誕生) 社会主義運動研究会、「労組の政党支持自由化」を提起 中東戦争始まる 〜21 民社党第九回大会(西村栄一委員長・春日一事書記長) 社会主義協会内紛、向坂派と太田派に分裂 健康保険法の処理を巡って社会党の佐々木委員長・成田書記長が辞意表明 |
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08/19 10/08 |
社会党第二十九回大会(勝間田清一委員長・山本幸一書記長) 佐藤首相、第二次東南アジア訪問に出発。首相のベトナム訪問に抗議する反日共系全学連のデモ激化(第一次羽田事件) |
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1968 |
10/20 11/12 11/25 11/30 01/19 05/13 06/26 07/07 |
吉田茂死去(10/31、戦後初の国葬) 佐藤首相訪米、反対デモがエスカレート(第二次羽田事件) 第二次佐藤改造内閣発足 第二次佐藤内閣改造 米原子力空母エンタープライズが佐世保入港 フランス「五月革命」始まる(各国でスチューデント・パワー燃焼) 小笠原諸島返還 第八回参議院選挙(自民六九名、社会二八名、公明一二名、民社七名、共産四名、無所属五名当選。社会党は大幅後退、再建論争起こる。婦人の投票数が過半数を超す) |
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07 08/20 |
核拡散防止条約調印 ソ連軍、チェコスロヴァキアへ侵入(08/21、社会・公明・民社各党はソ連に抗議声明) |
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09/11 | 社会党第三十一回大会(勝間田委員長辞任。10/04 再開大会で成田知巳委員長・江田三郎書記長選出) | |||
11/10 | 琉球政府行政主席の直接公選制が認められて初の選挙(革新統一候補・屋良朝苗が当選) | |||
1969 |
11/30 01/18 02/15 |
第二次佐藤内閣改造 東大闘争の砦・安田講堂へ八、五〇〇人の機動隊導入 民主社会党第十一回大会で佐々木良作書記長就任(西村委員長は三選) |
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02 07/13 7〜8 |
沖縄闘争、全共闘運動、反戦青年委員会運動活発化 東京都議会議員選挙(自民第一党に復活、社会第三党に転落) 健保法、防衛二法、大学運営臨時措置法など、国会混乱のなかで成立 |
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11/21 | 訪米の佐藤首相、ニクソン大統領と会談、共同声明発表(安保堅持、沖縄の72年返還を約束) | |||
12/27 | 第二十三回総選挙(自民二八八名、社会九〇名、公明四七名、民社三一名、共産一四名、無所属一六名当選) |
1970 | - | 01/05 01/12 01/14 02/18 |
- | 公明・共産党が出版妨害・言論の自由を巡って応酬開始 社会党再建論議本格化(「基本路線の是非」が狙上に) 第三次佐藤内閣成立 社会党衆参議員四五名が議員懇談会(後に再建懇談会)結成(山中吾郎座長) |
03/23 | 江田社会党書記長、新ビジョン「改革を進めて革命へ」を党大会準備委員会に提出 | |||
03/31 04/14 04/20 |
赤軍派、日航「よど」号をハイジャック 民主社会党第十三回大会(党名を「民社党」に正式決定) 〜22 社会党第三十三回大会(「反戦青年委員会とは絶縁」等の執行部方針を不満とする反帝学評などの暴力行為のため機動隊導入、籠城大会となる |
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05/07 5〜6 06/15 |
鈴木茂三郎死去 公害問題クローズアップ 西村民社党委員長、「72年までに社公民三党を統一した民主的革新政党で政権を」と提唱 |
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06/25 07/01 |
公明党第八回大会(言論・出版問題、政教分離を論議) 共産党が初の公開大会(07/07、中央委員会幹部会委員長に宮本顕治、書記長に不破哲三就任) |
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08/09 08/26 |
総評事務局長に大木正吾就任(労働戦線統一論議高まる) 江田社会党書記長、『月刊社会党』誌上で「自民党にかわるためには既存の諸勢力が古いカラをぬぎ捨て公害闘争など行動をもってこたえよ」と強調 |
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08/30 | 江田社会党書記長、全逓大会で「労働戦線統一は具体的行動のとき、野党再編成は共同闘争をつみかさねることこそ大切」と挨拶 | |||
11/15 | 沖縄の国政参加選挙(衆議院は自民二、革新三、参議院は自民一、革新一) | |||
11/30 | 社会党第三十四回大会(成田委員長再選、江田前書記長次点、石橋政嗣新書記長選出) | |||
1971 | 01/16 | 社会党三役会議、野党再編問題に関する江田前書記長の発言について「大会方針に反するものなし」と結論 | ||
02/23 04/02 04/11 04/27 06/17 06/27 |
現代革新研究会準備会(社会党衆議院議員三〇名)発足 美濃部東京都知事再選 第七回統一地方選挙 西村民社党委員長死去 沖縄返還協定調印 第九回参議院選挙(自民六二名、社会三九名、公明一〇名、民社六名、共産六名、無所属二名当選。社公民共闘の波及効果あがる) |
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07/05 08/03 08/16 10 |
第三次佐藤改造内閣発足 民社党第十五回大会(春日一事委員長・佐々木良作書記長) ドルショック走る 江田社会党前書記長、『月刊社会党』誌上で社公民共闘の強化、政権プログラムの必要性を強調し、党に「社公民共闘か全野党共闘か」の選択を迫る |
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1972 | 01/28 | 社会党第三十五回大会、社公民連合政権構想を推進する決議案を運営委員会で否決 | ||
02/19 02/21 03/27 |
連合赤軍浅間山荘事件 ニクソン米国大統領訪中 社会党の横路孝弘・楢崎弥之助が沖縄返還交渉に関する極秘の外交電報を暴露し、密約ありと政府を追及(外務省機密漏洩事件の発端) |
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05/15 06/13 07/07 09/25 |
沖縄返還協定発効(沖縄県発足) 公明党第十回大会、中道革新連合を提唱 田中角栄内閣成立 田中首相訪中(09/29、日・中戦争状態終結・国交正常化の共同声明発表) |
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10/25 12/10 |
国連総会、「中国招請・国府追放」決議案可決 第三十三回総選挙(自民二七一名、社会一一八名、共産三八名、公明二九名、民社一九名、諸派二名、無所属一四名当選) |
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1973 |
12/22 02/06 |
第二次田中内閣成立 〜08 社会党第三十六回大会(進出著しい社会主義協会派により江田三郎は中執委から締め出される) |
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04/25 05/11 08/08 08/26 |
石橋湛山死去 政府、小選挙区制移行の検討に着手。野党猛反発で国会審議停止 金大中事件発生 江田三郎、現代社会主義研究会・現代革新研究会全国集会で「参院選は社公民で」と挨拶。また、現代の社会主義の理念や社会党のとるべき路線について「民主化と改革の終着駅のないプロセス」ととらえ「自由にもとづく福祉と参加の社会」「計画と競争原理の組み合わせによる新しい経済体制」「派閥次元をこえた構革路線の強力な推進」などを提起 |
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1974 |
09/07 10/25 11/20 11/25 01/29 |
長沼ナイキ基地訴訟で「自衛隊は憲法違反」と判決 オイルショック・第一次石油危機始まる 不知火海三〇漁協、チッソと補償交渉(二二億八、000万円で合意) 第二次田中改造内閣発足 〜31 社会党第三十七回大会、全野党による国民連合政権構想等を決定 |
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04/07 04/24 06/06 |
蜷川虎三京都府知事が全国初の七選 佐々木社会党元委員長、三役経験者の会談を提唱 成田社会・竹入公明両党委員長、参議院選挙での初協力を決定 |
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07/07 | 第十回参議院選挙(自民六二名、社会二八名、公明一四名、共産一三名、民社五名、諸派一名、無所属七名当選。保革伯仲となる) | |||
08/09 | 江田三郎、革新研・現社研全国集会で「佐々木元委員長と協力して党改革に全力をあげる(反協会大連合)」とし「革新政権構想」を発表 | |||
09/12 | 社会党の新しい流れの会が飛鳥田一雄横浜市長を党委員長にする方針を決定 | |||
10 11/11 11/26 12/09 12/18 12/20 |
立花隆が『文藝春秋』十一月号に告発記事「田中角栄研究」を発表 第二次田中内閣改造 田中首相、総理・総裁の辞意を表明 三木武夫内閣成立 水島コンビナート三菱石油重油流出事件 〜22 社会党第二十八回大会(江田三郎、飛鳥田一雄・赤松勇とともに副委員長就任) |
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1975 | 01/30 | 三菱石油は漁業補償内金として六〇億円を支払うことで関係四県漁連と合意 | ||
02/19 02/26 03 04/13 |
民社党第十九回大会(保革連合政権構想が議題に) 「同和問題」を巡って美濃部都知事が次期不出馬の声明を出し混乱 フランス社会党のミッテラン委員長が全国革新市長会の招きで来日 第八回統一地方選挙(知事選は東京で美濃部、大阪で黒田了一、神奈川で長洲一二が当選するなど、革新自治体がふえる) |
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04/30 05/05 06/03 07/04 07/27 08 11/26 12/20 |
南べトナムのサイゴン政権が無条件降伏 成田社会党訪中団、「覇権主義反対」の共同声明に調印 佐藤栄作死去 政治資金規制法案成立 共産党と創価学会、「相互不干渉・共存一の十年協定を公表 社会党千葉県本部、協会派と反協会派に分裂 スト権スト突入 楢崎弥之助らが「安保廃棄にいたる三段階構想試論」を発表 |
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1976 | 01/14 02 03/24 |
周恩来中国首相死去 ロッキード事件の裏面が明るみに出はじめる 江田社会党副委員長らが社公民の有志と学者で「新しい日本を考える会」結成 |
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03/07 04/05 06/19 06/25 07/02 07/10 |
社会党第三十九回大会、「米ソ両超大国の覇権主義反対」を承認 中国天安門事件 〜21 社会主義協会が「三月会」推進などを決定 河野洋平ら六名が自民党離党、新自由クラブ結成 社会党中執委、社公民選挙協力を了承 新しい日本を考える会設立(江田社会党副委員長は会の顧問に就任) |
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07/27 08/22 |
ロッキード事件で田中前首相逮捕 江田社会党副委員長、革新研全国活動家会議で「革新政権への決意」と題して講演(社公先行、協会は党革新のガン、開かれた党づくりなどの基調を確認) |
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09/09 09/15 09/20 10/22 12/05 |
毛沢東中国共産党主席死去 三木改造内閣発足 スウェーデン社民党下野 中国、四人組の陰謀摘発と華国鋒主席の就任発表 第三十四回総選挙(自民二四九名、社会一二三名、公明五五名、民社二九名、共産一七名、新自ク一七名、無所属二一名当選。江田社会党副委員長落選) |
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1977 |
12/24 01/04 01/12 |
福田赴夫内閣成立 新しい日本を考える会が「市民社会主義の展望」を発表 江田社会党副委員長、党運動方針案に対する意見書を提出、中執委に革新・中道連合への決断を迫る |
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01/13 02/08 03/11 03/26 |
社会主義協会、党内派閥として三月会結成 社会党第四十回大会(江田副委員長と社会主義協会派の対立激化) 社会党、党改革委員会を設置 江田三郎、社会党離党(参院選全国区出馬と政治集団「社会市民連合」結成の意向を表明) |
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03/31 04/24 |
社会市民連合事務所びらき 社市連、「参加民主主義をめざす市民の会」(菅直人代表)と公開討論会 |
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04/26 04/29 05/22 05/23 |
革新自由連合発足(中山千夏代表) 民間労働組合協議会、社市連支援を決定 江田三郎死去 江田三郎葬儀。江田五月、亡父にかわり参院選出馬を決意。大柴滋夫、社会党を離党して社市連に参加 |
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05/25 | 社会市民連合全国準備会結成総会(代表委員は江田五月・大柴滋夫・菅直人)、江田三郎追悼集会 | |||
07/10 | 第十一回参議院選挙(自民六三名、社会二七名、公明九名、民社六名、共産五名、新自ク三名、社市連一名、諸派一名、無所属五名当選)。江田五月は全国区で一三九万二四七五票を獲得、田英夫に次いで第二位当選 | |||
07/22 07/30 |
中国共産党、ケ小平復活を正式発表 社会党反協会派、党改革推進グループ準備会を設置、党と協会との関係清算を迫る |
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08/24 09/26 09/27 |
全電通労組、社会党改革で協会派不支持を打ち出す 社会党第四十一回大会、役員人事で難航 新しい流れの会の楢崎弥之助・田英夫・秦豊が社会党離党を通告、院内団体「社会クラブ」を組織 |
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10/07 | 参議院「無所属クラブ」結成(河野謙三・田英夫・秦豊・江田五月・八代英太) | |||
10/29 | 社市連全国大会(江田五月代表。田英夫グループと合流し、翌年1月に新党を結成する旨確認) | |||
11/28 11/28 12/12 12/13 |
民社党第二十二回大会(佐々木良作委員長・塚本三郎書記長) 福田改造内閣発足 阿部昭吾、社会党を離党して新党結成に参加 社会党続開大会(飛鳥田一雄委員長・多賀谷真稔書記長) |
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1978 | 01/22 03/01 03/26 05/23 |
社会民主連合結成準備会 飛鳥田社会党委員長、初の委員長公選で信任、横浜市長を辞任 社会民主連合結成(田英夫代表・楢崎一弥之助書記長) 公明・民・社・新自ク・社民連四党党首初会談(09/08、第三次会談で「保革五五年体制打破・中道結束」で一致) |
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08/12 10/22 12/07 |
日中平和条約調印(北京) ケ小平中国副首相来日、条約批准書交換 大平正芳内閣成立 |
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1979 | 01/04 01/14 04/08 |
大平首相、一般消費税導入の構想を示唆 社民連全国代表者会議 第九回統一地方選挙(知事選は東京・鈴木俊一、大阪・岸昌が当選、保守系が勝利) |
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05/29 07/16 08 09/07 |
社民連全国代表者会議 新自由クラブ分裂(西岡武夫幹事長離党) 社会党内に「社会主義への道」論争起こる 大平・福田の抗争激化。野党の不信任案を受けた形で大平首相、衆議院を解散 |
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10/07 |
第三十五回総選挙(自民二四八名、社会一〇七名、公明五八名、共産四一名、民社三六名、新自ク四名、社民連二名、無所属一五名当選)。大柴滋夫落選 | |||
10/22 11/09 11/10 |
社民連全国代表者会議 第二次大平内閣成立 大平首相、「新自由クラブとの連立もあり得る」と発言(田川誠一文相案が表面化し、非主流派は反発) |
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1980 |
11/26 12/20 12/27 01/10 01/11 02/10 |
河野洋平新自ク代表辞任(後任に田川誠一) 参議院クラブ発足 ソ連軍、アフガニスタンに侵攻 社公両党、連合政権構想で正式合意 公民政権構想協議会開催 社会党第四十四回大会、社公政権構想を決定(02/26、共産党は「社会党とは訣別する」と宣言) |
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05/16 | 衆議院本会議、社会党提出の内閣不信任案可決(自民は反大平の六九人と病気四人を欠き、賛成二四三、反対一八七。5/19、解散) | |||
06/12 06/22 |
大平正芳止自相死去 衆参両院同日選挙。第三十六回総選挙(自民二八四名、社会一〇七名、公明三三名、民社三二名、共産二九名、新自ク一二名、社民連三名、無所属一一名当選。菅直人初当選)。第十二回参議院選挙(自民六九名、社会二二名、公明一二名、共産七名、民社六名、諸派二名、無所属八名当選) |
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07/17 10/13 |
鈴木善幸内閣成立 公明・民社・社民連・新自クの中道四党首脳会議(野党の混迷状況からの脱却を模索) |
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11/16 01/06 03/16 05/04 05/18 |
社民連第二回全国大会 閣議、2月7日(日露和親条約調印日)を「北方領土の日」と決定 (02/07、超党派で返還運動推進東京集会開催) 第二次臨時行政調査会発足 竹入公明党委員長、自公連立による政権参加への考慮を表明 ライシャワー発言「核の持ち込みはあった」で非核三原則の見直し論が起こる |
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09/21 | 衆議院内の統一会派「新自由クラブ民主連合」結成(柿沢弘治、新自ク離党) | |||
1982 |
10/29 11/30 12/16 02/06 05/23 05/27 06/08 |
社会党内で「道」の見直し論議始まる 鈴木改造内閣発定、自民党幹事長に二階堂進就任 中道四党の書記長・幹事長会談で四党合同国対委設置を検討 社会党第四十六回大会、馬場昇書記長選任で紛糾 反核・軍縮・平和のための東京行動 衆議院本会議で軍縮決議案採択 ロッキード事件全日空ルートの橋本登美三郎・佐藤孝行に一審有罪判決 |
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6〜7 07/31 08/18 11/19 |
第二回国連軍縮特別総会(社民連からは田・阿部が出席) 共産党第十六回大会(宮本顕治議長・不破哲三委員長) 比例代表制採用の参議院全国区改正案成立(08/24公布) 社民連第二十回拡大運営委員会(田英夫、参議院東京地方区で出馬へ) |
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1983 |
11/27 11/30 12/14 12/17 12/20 01/11 |
中曽根康弘内閣成立 秦豊、社民連離党(無党派クラブヘ) 全国民間労働組合協議会結成 社会党第四十七回大会、平林剛書記長を選出 参議院新会派「無党派クラブ」結成(美濃部亮吉代表) 中曽根首相、初の首相公式訪韓。01/17に訪米(「日米運命共同体」「日本列島不沈空母」等の発言) |
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01/23 01/26 02/09 04/10 05/08 06/26 |
社民連第三回全国大会(田英夫、比例区出馬に決定) ロッキード裁判で田中元首相に懲役五年の求刑 全野党一致で国会に田中辞職勧告決議案提出第十回統一地方選挙(北海道と福岡県に革新知事誕生) 全国サラリーマン同盟を母体にサラリーマン新党結成(青木茂代表) 第十三回参議院選挙(自民六八名、社会二二名、公明一四名、共産七名、民社六名、自ク連二名、二院ク一名、福祉一名、サラリーマン二名、諸派・無所属三名当選)。旧全国区に初の比例代表制導入、田代表当選 |
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07/12 09/03 09/07 10/12 |
ミニ新党グループ、院内会派「参議院の会」結成(美濃部亮吉) 衆議院院内会派「新自由クラブ民主連合」解消 社会党第四十八回大会(石橋政嗣委員長・田辺誠書記長) ロッキード事件丸紅ルート公判で田中元首相に懲役四年、追徴金五億円の実刑判決 |
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11/28 12/18 |
衆議院解散(いわゆる政治倫理解散) 第三十七回総選挙(自民二五〇名、社会一一二名、公明五八名、民社三八名、共産二六名、新自ク八名、社民連三名、無所属一六名当選)。楢崎書記長落選 |
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12/26 | 自民党と新自由クラブ、統一会派「自由民主党・新自由国民連合」結成 | |||
1984 |
12/27 02/26 04/23 |
第二次・中曽根内閣成立(新自由クラブと連立) 田社民連代表「非核四原則」を提言 民社党第二十九回大会で佐々木委員長が自民党との連合問題についての検討をと表明 |
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05 06/23 08/21 09/19 10/27 10/28 |
自民党、防衛費のGNP比一%枠見直し作業開始 新自由クラブ代表に河野洋平復帰 臨時教育審議会 自民党本部放火事件発生。警視庁は中核派の犯行と断定 公・民も加担の二階堂政権構想浮上 自民党実力者会談で中曽根首相の総裁再選が確定。二階堂擁立構想は不発に |
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1985 |
11/01 11/17 02/09 |
第二次中曽根改造内閣発足(新自クとの連立継続) 公明党結党二十周年記念集会開催。竹入委員長、連合に強い意欲 〜10 社民連第四回全国大会(岡山県建部町友愛の丘にて。田代表辞任、後任江田五月、阿部昭吾書記長) |
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02/27 04/23 |
田中元首相が脳こうそくで倒れる 民社党第三十回大会(04/24、長老支配を巡って佐々木委員長と春日常任顧問が対立。04/25、塚本三郎委員長・大内啓伍書記長を選出) |
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08/30 11/02 11/15 12/28 |
〜31 社民連全国代表者会議・夏季研修会 社会党結党四十周年記念式典 自民党立党三十年記念式典。「特別宣言」「政策綱領」を発表 第二次中曽根内閣改造 |
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1986 | 01/22 | 社会党第五十回大会の続開大会、新宣言を満場一致で採決(マルクス・レーニン主義から西欧型社会民主主義路線に転換) | ||
02/14 04/28 05/06 05/21 |
フィリピン革命(マルコス逃亡。02/25、アキノ大統領就任) ソ連、チェルノブイリ原発事故 社民連全国代表者会議 衆議院定数是正のための公選法改正案が衆議院を通過(八増七減、山形二区は減員区に)。衆参同日選挙の観測強まる(05/22、参議院可決成立) |
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07/06 | 衆参両院同日選挙。第三十八回総選挙(自民三〇〇名、社会八五名、公明五六名、共産二六名、民社二六名、新自ク六名、社民連四名、無所属九名当選。楢崎弥之助返り咲く)。第十四回参議院選挙(自民七二名、社会二〇名、公明一〇名、共産九名、民社五名、新自ク一名、二院ク一名、サラ新一名、税金一名、無所属六名当選)。自民党が追加公認も含めて衆院三〇四、参院一四二議席となり圧勝、社会党は統一後最低 | |||
07/22 07/22 |
第三次中曽根内閣成立(新自由クラブとの連立は解消) 衆議院の社民連が二人ずつ社会党と民社党の院内会派(社会党・護憲共同と民社党・民主連合)に参加 |
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08/12 | 新自由クラブ、全国幹事会で解党・自民復党を決定(08/15、臨時大会で解散。田川誠一は無所属に) | |||
09/08 | 社会党大会(土井たか子委員長・山口鶴男書記長。日本の大政党では初の女性党首誕生) | |||
09/11 | 自民党両院議員総会、党則を改正して中曽根首相の総裁任期を一年間延長(87/10/30まで) | |||
10/11 | レーガン米大統領とゴルバチョフソ連共産党書記長のレイキャヴィク会談 | |||
11/07 11/15 11/28 12/05 12/26 |
中曽根首相、限定付きの大型間接税は公約に違反しないと表明 〜16 社民連秋季研修会 国鉄分割・民営化関連八法成立 公明党第二十四回大会(矢野絢也委員長・大久保直彦書記長) 中曽根首相と野党各党首の個別会談。全野党が売上税撤回を要求 |
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1987 | 01/16 01/19 01/26 |
社会・公明・民社・社民連四野党の売上税等粉砕闘争協議会発足 右四野党党首と労働五団体、売上税等税制改革案反対で一致 第一〇八通常一国会で中曽根首相が施政方針演説(以降、売上税問題が焦点化。与野党を通じて導入反対運動が盛り上がる) |
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02/14 03/01 03/20 |
土井社会党委員長が故江田三郎の霊前に焼香、墓参 売上税反対の国民集会(各地で二三万人参加) カネミ油症事件、十九年ぶりに決着(訴訟原告団のうち三名を除き和解) |
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04/01 04/12 |
JR六社発足 第十一回統一地方選挙(北海道・福岡で革新系知事が圧勝。各地方選でも自民は軒並み激減、売上税問題の影響が出る) |
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04/17 04/23 05/18 |
米国、対日経済制裁措置に踏み切る(日米経済摩擦の表面化) 売上税関連法案、事実上の廃案 春日民社党常任顧問と田辺社会党前書記長が会談、社・民両党の和解模索始まる |
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05/20 05/24 |
土井社会・矢野公明両委員長が両党政権協議を再開することで合意 故江田三郎の没後十年をしのぶ集い(社公民連合を掲げた江田路線を再評価する声が相次ぐ) |
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06/29 07/04 |
江田五月社民連代表が7月9日までソ連・ハンガリーを訪問 竹下登自民党幹事長が一一三名を率いて田中派から独立、経世会を結成 |
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07/29 09/19 09/20 |
ロッキード事件控訴審判決で田中元首相側の控訴棄却 所得税法等改正(マル優廃止) 〜21 社民連全国研修会。江田社民連代表、全国研修会で新党結成を呼びかける |
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09/24 | 矢野公明党委員長、国会の首班指名における野党統一候補擁立を提唱 | |||
10/19 | 株価大暴落がニューヨーク株式市場を襲う(ブラック・マンデー)。以降、円高・ドル安等、その余波は世界市場に及ぶ | |||
10/20 11/06 |
中曽根首相、竹下自民党幹事長を総裁に指名 竹下登内閣成立(首班指名で野党は社会・公明・社民連が土井社会党委員長に投票) |
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11/20 11/20 |
地価高騰対策として社会・公明・民社・社民連の四野党共同提言 全日本民間労働組合連合会発足(日本最大の労働ナショナルセンターの誕生) |
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11/25 | 〜29 共産党第十八回大会(宮本議長・不破副議長・村上弘委員長・金子満広書記局長 | |||
11/27 12/08 |
竹下首相、所信表明演説で新型間接税導入に意欲を示す レーガン米大統領とゴルバチョフソ連書記長が中距離核ミサイル(INF)全廃条約に調印 |
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12/16 | 韓国大統領直接選挙で盧泰愚が当選 |