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衆議院第一議員会館第一会議室 14:00
報告
9月の9日から、民主党の代表選挙。23日が投票日ということですが、私もこの間、色んな方と意見交換し、あるいは私自身も色々考えてまいりました。そして最終的に民主党の9月の代表選に立候補したいと、このように考えました。その決意を固めたということで出馬の表明を致したいと思います。
この十年、日本の状況というのは本当に、どんどん沈んでいく船と、日本丸がどんどん沈んでいるという実感を強く持っておりました。先日、今日も同席をしていただいている池田国際局長と共に、米国に六日ほど行ってまいりました。その中でも痛感したのは、米国の識者、あるいはメディアの関係者は、日本に対する改革について、かつての細川政権、橋本政権、そして特に80%を超える高い支持率でスタートした小泉政権に大変期待していたと。しかし、その期待した小泉政権ですら、一年余り経って何一つ改革らしい改革が進んでいない。今や「日本という国が改革のできない国だ」、そのことを確信をしたというか、そういう意見が完全に定着しているのが、今の米国の状況だということを改めて思い知りました。
ちょうど、私が出かけた直前の日曜日のニューヨークタイムズでしたが、「日本という国が存在しなくても世界は困らないんだ」、そこまで日本をこきおろすような記事が載せられる、そんな事も直接に見聞きを致しました。
そういった意味で、この日本を未来に希望のもてる国に改革していくためには、政治の大きな転換が必要だと。それが次の衆議院の選挙だと考えますと、野党第一党である民主党の代表というのは、そういう意味で大きな役割があると考えますし、私としては、沈みゆく日本をある意味で救い出して、未来に希望の持てる日本にしていきたいということを考えて今回立候補を決意致しました。
お手元に「私の決意」という短い文章をお配り致しておりますが、私の気持ちはこの中に精一杯込めたつもりであります。
つまり、日本は国民の皆さんが将来に不安を持っている。暮らしにも不安を持っている。またその不安を取り除いて、新しい日本を作るためには、相当思い切った改革が必要だ。このこともある意味では覚悟しているわけであります。しかし残念ながら、これまでの政権、特に小泉政権は、本当の改革もできないし、そういう国民の不安に対しても答えを一切出せていないわけであります。
そういった意味で、まず、民主党が一丸となって、政権交代を目指していくという体制を作り上げていく、必ずこの二年以内、つまりは今度の代表の任期の間に行われる、次の衆議院選挙で政権交代を実現したいと考えております。
そして、そのことは、この国を建て直す上で、超えなければならない第一のハードルでありまして、その次にもう一つのハードルがあります。今の日本の混迷状況を招いた最大の原因は政治そのものにあるわけですが、その政治そのものが、こういう形になったさらなる原因は、一言で言えば、官僚と族議員とが、国の将来や国民全体のことよりも、自分の役所と自分の個別的な利益、簡単に言えば、公共事業で言えば、ピンハネをするとか、役所で言えば天下り先を確保するとか、そういう目的のために、財政の多くを振り向けてきた。
それが10年、15年と続いた中で、象徴的に言えば、あの諫早湾のように、2400億円のお金をかけながら、実際には有明海をわざわざ腐った水で汚すための工事。しかもその工事によって、30数名の農林省役人が天下り先を見つける。そして、長崎県連自民党は数億の献金を関係業界から受ける。これは典型的な例でありますが、それによって官僚や族議員が受けた利益は、5億とか10億でしかないかもしれません。しかし、それによって費やされた費用というのは、工事費で言えば2400億全部がムダになっただけではなくて、マイナスに作用する。それの10倍、20倍、あるいは100倍といったものが、この20年、30年使われてきたわけですから、本来、日本を良くするために使われていれば、もっと景気も良くなり、もっと国民の生活も安心できるものになったはずですが、そういう使い方が私は今の日本の混迷、あるいは経済の低迷、あるいは財政の破綻をもたらしている最大の原因だと考えています。
そういった意味で、第二のハードルというのは、この官僚と族議員による利益擁護、既得権益擁護の今の政治を根本から変えていく、このことが政権を作ったときの最大で、唯一の仕事であると考えております。
この二つのハードル、つまりは、小泉自公保政権と対抗して政権交代をさせる。そして政権交代をした暁には、官僚と族議員の政官財複合体を打ち破って、新しい政治を確立し、経済を立て直していく。このことにおいて、最も相応しいリーダーをこの代表選で選ばなければならない。私としても色々考えたわけですが、その先頭に私自身を立たせてもらいたい。また、立たせてもらえれば、今申し上げたことを実行する、実現する。そういう覚悟と確信を持つに至りましたので、今日のこの立候補表明になったわけであります。
「私の決意」の中でも少し触れておりますが、私が1996年、旧民主党の代表として衆議院選挙を戦って、その直後、厚生大臣を辞めた後、英国に行ってまいりました。旧民主党はご存じのように野党第二党でしたから、まだ政権交代を直接目指す立場には残念ながらありませんでした。英国で、当時のメージャー首相と、当時の労働党のブレア党首のあの党首討論を見て、そして翌年の5月でしたか、労働党が大勝して18年ぶりに政権交代を実現を致しました。
その後、新進党の分裂の後、今の民主党を再スタートさせて、私が最初の代表になりました。1998年の参議院選挙は、幸いにして大勝することができて、その時点では野党が与党を参議院では上回るという結果を出すことができました。その時の野党の皆さんが、私を統一的な首班指名候補としてくださって、衆参で投票してくださいました。参議院では橋本さんが辞めた後の小渕さんに対して、私の方が上回る票を首班指名でいただいたわけですが、しかし衆議院では小渕さんの方が私を上回っておりましたので、憲法の規定で小渕総理ということになったわけであります。
つまり、私が野党第一党の党首として衆議院選挙を戦ったことはこれまでまだありません。そういう意味で、もしこの代表選で私を代表に選んでいただけるならば、私としては初めてのチャレンジ。つまり、野党第一党の党首として、政権をかけての総選挙の先頭に立つ、そういうことができるわけでありまして、私としては是非、そういう立場で、次回総選挙の中で、野党第一党の党首として小泉総理と相まみえて、そして、1997年のブレア労働党党首のように大勝をして民主党政権を作り上げたい。またそのことができる、このように確信を致しているところであります。
少し重なりますが、民主党中心の政権ができた時には、私も厚生大臣として官僚の厚い壁というものを十分に知っておりますけれども、それをあの薬害エイズの時の経験を活かして、それを打ち破って新しい形の内閣を作っていく、そのことについては、皆さんのお手元に資料としてお配りをしました、先の月刊文藝春秋に出した論文、加えて外交防衛問題に関しても先の月刊現代に出した論文を添えておきましたが、特に最初の論文の中で、新しい政権をどうやって作るのか、かなり具体的な形でそのプログラム、シナリオを提示を致しております。そういう形で新しい政権を作れば、必ず、官僚主権の政治から国民主権の政治に変える、そのことができると確信を致している所であります。
そういった意味で、政権交代ということと同時に、これまで戦後ずっと続いてきた、あるいは明治以来ずっと続いてきた官僚主権の政治を、初めて本物の国民主権の政治に変える、そのことを、代表に選んでいただいた時には、私はそれを実現するということを国民の皆様にお約束する。このように考えている所です。以上、私の方から代表選出場を決意したその考え方について、申し上げさせていただきました。私からは以上です。
<記者からの質問>
Q:民主党結成して以来、鳩山さん、菅さんの二枚看板で議席を増やしてきた経緯がある。ここにきて菅さんが出馬表明をしたが、なぜ菅さんだったら小泉政権が倒せるのか、なぜ鳩山さんや若手では無理なのか。
A:最終的には、国民の皆さん、党員・サポーター、さらには国会議員を含むこの選挙における有権者の皆さんが判断されることだと思っています。
私自身が申し上げたのは、今の決意の中で申し上げたことに尽きておりますけれども、私のこれまでの活動の中で、代表に選んでいただければ、衆議院選挙の野党第一党の党首として初めてチャレンジをするわけです。
そういう点で、民主主義というのは、一つは言葉による戦いになりますから、相手が小泉総理、あるいは、もしかしたらその後継総理に変わっているかもしれません。この間、小渕、森、小泉と変わってきましたけれども、私はそういう総理と、きちんと政策論争をして、民主党の政策的な優位性、あるいは政権をとった時に自民党ができなかった改革ができるということを国民の皆さんにしっかりと知ってもらう、そういう代表をやりたいと思っていますし、私自身やれると思っています。
二つめのことも、同じ事の繰り返しになりますけれども、抽象的に、霞ヶ関、あるいは官僚政治を変えると言っているのではありません。今までの官僚政治の要がどこにあったのかということを、私も閣僚になった中で、いやというほど知りました。
つまり、日本の権力の中心は空っぽだった。その空っぽな中心を無責任な官僚が取り囲んでいる。その無責任な官僚が取り囲んでいる象徴が、閣議の前の日に行われる事務次官会議。しかもそれは満場一致制という形で、ある役所にとってマイナスになるような改革は一切させないということが保証された制度だ。
そういう仕組みそのものを政権を確立するときに、即座に打ち壊して新しい体制を作る。こういうことをこの間、ある意味で考え、ある意味で民主党という中で、そのモデル作りをやってきた一人でありますから、そういう点では、他の候補者ができるできないということを超えて、私としては十分にやりきることができるということを申し上げた所です。最終的な判断は、国民の皆さん、有権者の皆さんにしていただこうと思っています。
Q:決意表明の中で「党首討論」を強調されているが、鳩山さんでは言葉で小泉さんに勝ち抜けないと考えているのか。
A:鳩山さんの政治家としての高い志と、ある意味での存在感ということについて、尊敬もしておりますし評価もしております。ただ、鳩山さんという人は、論争をして説得をしていくというタイプではなくて、存在感をベースにして、理念的な形で政治的な力を発揮していくタイプですから、党首討論のような場は、鳩山さんにとって、たぶん本人もあまり得意とは思っておられないのではないでしょうか。
Q:小泉政権の支持率が落ちる中で、民主党の支持率が伸びなかった原因はどこにあると考えているか。また、代表になったらどのように対応していくのか。
A:支持率というのは、民主党の四年間の歴史をみていただいてわかるように、私が代表で参議院選挙を戦った直前は低かったんですが、直後は非常に高くなりました。また、鳩山さんが代表として戦った先の衆議院選挙でも、終わった直後はかなり高い数字が出ておりました。
野党の支持率というのは、選挙である意味でのリアリティが出てきたときには、国民から評価をされますが、そうでない時期には、かなりしっかりした政策を出し国会活動をやっていても、なかなか高くならないというのが、私の経験の中で実感している所です。
しかし同時に、これは英国の例ですが、ブレア労働党党首が党首討論などを通して、国民から個人的にも、あるいはニューレイバーという形で、労働党自体も認知を高めて選挙に勝ったということを考えますと、党首が国民に向かって語りかける。国会内外を含めて語りかけることの持つ意味は、非常に大きい影響力があると思っております。
それに加えて、党全体がどのような活動をしていくかということも、これと同じくらい大きな影響があると思います。そういう意味では、党が一丸となって政権を目指して頑張るんだというチームプレーと、そしてそれをリーダーとして率いて、国民に向かって民主党はこういう考え方なんだ、民主党にはこういうメンバーがいるんだということを伝えるという役目が、党首の大きな役割ではないだろうか。その二つがあいまった時に、私は民主党の国民の中での支持や期待も高まってくる。このように確信を致しております。
Q:発言の中に「一丸となって」とあったが、代表選の前哨戦が始まっていて、保守系議員や若手の中には、「菅さんが代表になると党が分裂する」という声があるが、なぜそういう声が起きるのか。また、実際に菅さんが、代表になった時に、この党をどうやってまとめていくのか。
A:ご存知のように私は、この党ができた最初の代表を務めました。四党の合併という手続きで、話し合いで当時の細川元総理などに骨折りをいただいて、民主中道という基本的な理念、あるいは党名、そして代表を含む必要な人事をまとめていただきました。その後の一年半、鳩山さんが代表になられての合わせて四年半、民主党はまさに一体として、野党第一党として、ここまで育ってきたわけです。
その中で、私も重要な役割を担わせていただきましたので、今、私が代表になったら、党がどうこうなるというのは、ためにする議論としてあるのかもしれませんが、私としては全くそういうことはありえないと。
これまで同様、これまで以上に、政権交代を目指す選挙は目の前にあるわけですから、この党が求心力を持ってそれに向かうことは当然のことですし、そのことは十分にできると。もしそういう意見があるとすれば、何か別の目的を持って、つまりは私に対するある種の妨害ということのために言っていることではないでしょうか。私は全くそんなことはあり得ないと思っています。
Q:幹事長は「霞ヶ関との対決」を掲げているが、その一方で、霞ヶ関の官僚がバッシングによって、クオリティの低下も言われている問題について。もう一つは、民主党は若手エリート官僚を積極的に擁立して、エリート官僚のブランドを積極的に活用しているように思うが。
A:私が今回の米国訪問で改めて感じたのは、政策立案をしている人たちの協調性という問題です。米国には沢山のシンクタンクがありますが、例えば、私が最終日に訪れたCSISの所長は前国防次官。そういう色々な役目を担った人、あるいは将来担うであろう人が、何十人、何百人、あるいは何千人と、シンクタンクや大学で研究を常に進めているわけです。
しかし日本は、霞ヶ関という所が、ただ一つの政策立案、ただ一つのある意味での法律を作る場所なんだということを、逆に与党の中、あるいはかつての野党の中に徹底的にマインドコントロールしていった。これが霞ヶ関の自縄自縛です。
例えば外務省は、外交というのは内閣がやるんだ。内閣というのは外務省なんだ。だから外務省のお役人がやるのが外交なんだ。こういうふうに、メディアの皆さんに対しても、そういうものかと思わせているんじゃないでしょうか。
しかし、外交を行う主体は基本的には国民でありまして、その国民を国を代表する意味では内閣がやる。そういう意味で、外交をやるのは外務官僚だということを考えているから、鈴木宗男氏のような人にガンとやられたらクラクラとしてしまうということになる。しかも、外交をやる、そういう意味でのシンクタンクは、日本では、色々なシンクタンクがあっても、それを独占していて、権限を離さないわけですね。
やっと少しずつ大使なんかも民間人にということになりましたが、例えば、大使は当然、国会が承認するという形で、国会の関与を認めるべきだと。あるいはそういう中で、シンクタンクとかそういう所から、外務省の局長や課長や、米国で言えば、次官補とか次官補代理とか、というのが大体、局長から課長のポストですね。そういう人をどんどんポリティカルアポインティで入れていけばいい。
そういうことをやることが、今の日本の官僚が独占した政策について、しかも、それがほとんどこの十年、失敗だらけですから、成功よりも失敗の方が多いわけですから、そういうものを変えていく根本的な問題であると思っています。
その中で、今、官僚出身の若い候補者という話が出ましたが、私は官僚を務めている人、務めた人、個人の能力はかなり高いものがあると一般的には思っています。しかし組織としては、少なくともこの20年間、最悪の政策しか出せなかった。しかもそれが縦割り、官僚無責任体制の中で、最悪のシステムになっている。ですから、個人として有能で志のある人が我が党から候補者になってくれるということは、大変良いことだと思っています。
Q:幹事長は、「政権交代のための代表選挙である」と強調しているが、他の立候補予定者は、「政権交代のためには、まず党改革が必要である」と訴えている。党改革の必要性についてどのように考えているのか、また具体的な展望について聞きたい。
A:野党第一党の国民に対する最大の責任は、政権与党が間違った政策、あるいは政治運営を行っている時に、それに代わって政権交代を行って、それに代わって、正しい政策、正しい政権運営をすることだと思っています。
ですからそれに向けて、民主党の中で党をどうするかという議論は常にあっていいことですし、政権交代をして国民のためになる政治を行う上で、民主党がどうあるべきか、そういう位置づけでの党改革議論は大いにするべきだと思っています。
私自身、民主党ができて四年半。代表から政調会長になり、そしてその後、幹事長になった中で、例えばネクスト・キャビネットというのは、三年前の代表選で私が提案して、当時の鳩山新代表もそれでいこうと。それで私に政調会長として、最初のネクスト・キャビネットの官房長官をやってくれと言われてスタートしたものです。今、私の後の政調会長の岡田君がしっかり仕組みを生きたものにしてくれています。
これも党改革の大きな一つでありまして、このことは、単に党の政策決定を一元化したというだけではなくて、政権をとった時の内閣と党の関係を、先行して実行していることだと私は思って進めてまいりました。
また、幹事長に就任した中で、大規模な候補者公募も行いました。大変多くの人が応募してくださいました。これは神奈川県連の自主的な判断ではありますが、補欠選挙の候補者を公募、あるいはオープンな場の討論で決める。これも私が従来から提案してきたことが一つ実行されて、大変良かったと思っています。
あるいは、「ディスカッションジャーナル」という政策討論誌を作るということも、昨年の秋から、私が党務を直接みるようになって、広報委員会にお願いをして進めてもらいました。
こういう意味でこれまでも、できた時点から考えれば、一つ一つ必要な改革を進めてきたと私は思っております。
さらにやるべきことは、先だっても七名の衆議院の一年生議員から七項目の要請がありました。その一つには、党の資金を透明化すべきだと、特に企業団体献金は受けないということを明確にすべきだという提案がありました。私もこの党を数年間みてきまして、今ならそのことをやれる条件が整ってきた。政党助成金や色々な負担金、さらに今後は色々な出版物などの収入によって、企業団体献金を受けなくてもやれる状況が出てきた。そういう意味で、次の改革の一つの柱として、民主党は企業団体献金を受けない。個人献金と政党助成金などでガラス張りの資金でやっていくというのも一つの改革案であろうと思っています。
さらに言えば沢山ありますが、そのうちその問題をまとめたいと思っていますが、例えば、政権をとるということに関して言えば、いくつかのタスクフォースを作りたいと思っています。
つまり、NC(ネクスト・キャビネット)そのものは、国会に出てくる法案の議論がどうしても中心になります。いざ政権をとった時、最初の一年間、あるいは二年間でどういうことを行うのか。例えば、不良債権を含む金融の処理について、税制について、雇用について、あるいは年金などはもう少し長いスパンがありますが、そういう社会保障制度について、そういうことを、いくつかのタスクフォースを作って、議員が責任者になると同時に、民間のシンクタンクの皆さんにも加わっていただいて、政権を握ったときに、霞ヶ関におんぶにだっこをされなくても、次々と政策を打ち出せるような、そういう準備も、私を代表に選んでいただければスタートさせたいと考えております。
党改革というのはそういう意味で、政権を担うという覚悟のもとで、この党の運営のあり方について、より積極的な形を作り上げるために必要なことはどんどんやっていきたいと思っております。
Q:今、「企業団体献金の禁止」ということを公約に掲げるということだが、99年9月の代表選挙で鳩山さんが再選した時にも、その公約を一番にあげていた。しかし実際には、労組から支援を受けたり、保守系議員、若手議員の中にも企業団体献金の比率が高い人が沢山いる。幹事長として、党役員として、それが実際にできるのか。
A:鳩山さんがそういう公約をされたなら、鳩山さんに聞かれたらどうでしょう。
私個人は、古く言えば、市川房枝さんの選挙をお手伝いした頃から、企業団体献金というものはなくす方向がいいと思っておりましたが、現実的な政党運営の中では大変難しいものがかつてはあったんです。
しかし、政党助成金という制度ができて、国民一人250円、投票と合わせてカンパをこの党にいただくという仕組みが私は大変良い制度だと思っております。
そして我が党は、この仕組みがあるから、今年で言えば、年間87億円の政党助成金を得た。このお金がなければ政策を作ったり、あるいは全国で政治活動をすることは大変難しい。ある意味では、自民党と同じように、あるいはかつての社会党のように、企業や労組に大きく資金で依存しなければやれなかったかもしれません。
しかし、この制度ができたこともあって、今の民主党の党の運営資金は、私が知る限り、九十数パーセントは企業団体献金によらない、資金でまかなわれている。企業団体献金が占めるウェートは、せいぜい2%とか、それまでいくかどうかという段階まできています。そういう現実も踏まえて、私が代表になった時には、党内を説得してそういう方向に持っていきたい。そういう意味で、私の公約として申し上げているんです。
前の代表選挙で公約されたことができなかったことについては、前の代表にお聞きをいただきたい。
Q:鳩山代表は、「再選された場合には鳩菅体制はあり得ない」、「若手に負けた時にはバッチを外す」と言っているが、幹事長の決意は。
A:私は政治家の出処進退を数多く見てきました。例えば、細川元総理は政権に就かれて、その後、色々な経緯の中で、今の民主党ができて、そして一定の軌道に乗った。つまり、新しい執行部ができてスタートした。その時点で、細川元総理自身の決断で、ある意味では潔くという言葉が正しいのかもしれませんが、職を辞されました。
あるいは形は違いますが、石原慎太郎現都知事は、衆議院議員二十五周年の表彰の挨拶で、自分の二十五年の政治生活を振り返って、凄まじい演説をされました。言ってみれば政治家は全部ダメだと。そこまでいうならお前はどうなんだと、私もヤジを飛ばしましたら、最後になって「だから私も辞めます」と言って、その日に辞表を出すようなことになったわけです。
政治家の出処進退というのはあらかじめ言うものではなくて、細川さんや、石原、当時の衆議院議員が良かった悪かったは別として、それは本人のまさに決断によるものではないかと。こういう場合にはこうする、ああいう場合にはああするということを、私は事前に言うような種類のものではないと思っております。
Q:細川さんの話が出たが、細川政権は自民党を倒して政権を作ったという経緯がある。その後、民主党も政権まであと一歩の所で止まっているが、幹事長は、細川政権の教訓というのはどのように考えているのか。
A:細川元総理とも、時々お会いをして色々なご意見を聞かせていただいていまして、民主党のまさに生みの親でありますから、この党が育って、政権を担える党になってもらいたいということを強く思われているということを、時々お会いする話の中で強く感じております。
93年の細川政権はまさに、自民党から小沢さんたちが飛び出し、武村さんたちが飛び出し、新生党、さきがけという政党を作る。あるいはその前の年に、細川さんが中心となって、日本新党ができ、その党が躍進する。そういう中で、非自民党政権が生まれたわけです。
私は大変大きな歴史的な事業であり、戦後民主主義にとっての、非常に大きな意味のある政権だったと今でも考えております。その中で実行されたことは、小選挙区制の導入を中心とした政治改革です。
小選挙区制というのはそれぞれの党にとって、ある意味では大変厳しい制度ではありますけれども、これを活かした形で政権交代可能な政治を作っていく。先日亡くなられた民間臨調の亀井さんも言われておりましたが、この細川政権が作り上げた新しい制度を活かしきれるかどうかが、逆に言えば次の衆議院選挙で、我が党が政権交代をできるかどうかということにかかっていると思っています。そういう意味で、細川政権が生まれたことの意味は大変大きかったと思っています。
同時に、その細川政権がわずか八ヶ月で退陣され、それに続く羽田政権もわずか二ヶ月で退陣していったという経緯は大変残念なことだったと思っています。この残念な所を二度と繰り返したくない。なぜそういう残念な結果になったのかということを、私も当時、与党の中にいて、ある部分では共に行動してきましたので、私なりに、色々な面で当時わかったこともありますし、その後になって、よりわかったこともあります。
一言で言えば、政権というのは、党首あるいは総理自身がしっかりしたリーダーでなければならないことは当然ですけれども、同時にそれと共に動く与党がしっかりした政党でなければならないわけでありまして、当時は細川さんの直属の日本新党。大変優秀なメンバーがそろわれていましたけれども、ほとんどは当選したばかりの一年生議員でありますから、高校野球で言えば、将来の清原や、将来の松井選手は沢山いたけれども、一年生に入った途端にプロ野球であの霞ヶ関を相手にするにはまだまだ未熟だった。
あるいは、新生党とかさきがけとか色々ありましたが、政党間の確執があって、結果的に細川さんを支える与党の体制がしっかりしたものでなかったことが、細川政権を短命なものにしたと私は総括を致しております。
そういう点で、民主党は2000年の衆議院選挙の時は、まだ衆議院議員が90数名から選挙によって120数名に増えたわけですが、まだあの時点では、政権を直接狙うにはやや厳しい所に存在しました。
それから二年経ちまして、衆議院議員も120数名、参議院議員を含めて180数名。そしてこの三年間、93年から言えば九年間の中で、当時初当選をしてきた例えば、日本新党や、さきがけや、新生党で初当選してきた人たちも、まさに今回、若手として手をあげている人たちも、その時代の人が多いわけですから、そういう意味では着実に、政治的な、あるいは政策的な力を付けてきている。今度、政権を民主党が中心になって作った時には、しっかりそれを支えるだけの実力を付けてきていると思っております。
ですから、細川政権の歴史的な意味は大変大きかったけれども、残念ながら当時はそれを支える政党の側にまだまだ弱さがあった。今度、民主党が中心となれば、その二つを兼ね備えた形で政権を作ることが十分可能ですから、その時には、この政権は半年とか一年ではなくて、少なくとも何年かに渡って政権運営ができると私は確信致しております。
Q:鳩菅体制と言われているが、幹事長が代表になられた場合、鳩山さんとの関係はどのようになるのか。
A:私自身は、さきがけ時代から、あるいはそれ以前にも多少はお付き合いもありますが、鳩山さんとはかなり長い深い形で、政治行動を共にしてきました。そういう中で、鳩山さんが私にない大きなものを持っておられますし、私も鳩山さんにないものを持っている部分もあると思います。
そういう点で、「鳩菅体制」という言い方も、誰かが意図的に、私と鳩山さんとの間に楔を打とうと思って言ったことに、鳩山さんが乗せられたんではないかと思いますけども、私は鳩山さんと協力関係でやってきた旧民主党から新民主党、合わせて六年間になりますが、これを結果責任というならば、議席を減らすことはなく増やしてきましたし、そして若い人たちがどんどん活発に活動してくる政党になってきました。
私は結果的に見れば、野党第一党、あるいは野党第二党の運営は大変難しいです。新進党の例で言えば、三年間で崩壊したわけです。そういうことを考えれば、鳩山さんと私とが協力してやってきたことは大きな成果を上げたと思っております。もちろん当事者としてどうするのかということはそれぞれ考えることですけれども、私は今後の政治活動の中で、鳩山さんとの信頼関係はこれまで同様に継続できるものと私自身は思っております。
Q:鳩山代表は出馬の会見で、これまでの代表期間の反省点として「党内融和」をあげているが、この二年間で幹事長として果たしてきた役割、そして反省点は。
A:「党内融和」という言葉が、今、ネガティブな意味合いで使われている所もありますが、普通、党内融和というのは良い言葉であって、党内融和が悪いということをわざわざ言っている人がいて、それに鳩山さんが乗せられたのではないかという感じもします。
つまり、政党というのは、きちんとした議論をして物事を決めるわけですから、その時に代表がこういう方向でいきたいというものがあれば、もちろん、幹事長や政調会長に、あるいは色々なメンバーに「どうだろう?こういうことでいきたいけど…」、ということを言っていくのが、そしてその中で、「わかりました、それでいきましょう」ということになっていくのが一つの道筋であります。そういう点で、私は鳩山さんが言われたことについては、この党がそんなに違うことをやってきたとは思いません。言われなかったことはわかりませんよ。言われたことについてです。
Q:代表選の勝敗による人事への影響。もう一つは、前回代表を務めた時に、菅さん周辺と、できる議員が走っていて他の議員がついてくることができなかったという批判があったが、組織をまとめるリーダーとして菅さん自身が改善された点は。
A:政権を交代していくために、もっとも強力な政党の姿を、適材適所で、それぞれの力に、それぞれの得意な分野で、それぞれの人の力が発揮できるような体制を作っていきたいと思います。
最初の代表の時は話し合いで、代表、幹事長、幹事長代理、あるいは代表代行を決めていただきました。そういう点ではまさに党内融和には努めてきたつもりですし、スタートの時の参議院選挙が大勝したこともあって、当初は、すぐにでも分裂するんじゃないかと、皆さん方なり皆さん方の先輩がしきりに書かれておりましたが、決してそうならなかったわけであります。
当時は、幹事長が羽田先生で、幹事長代理が鳩山さんで、私が代表でしたから、最近は「代表が言うことをどんどん進めろ」という若い皆さんの声もありますが、当時はそういう声が小さかったかもしれませんけれども、当時の代表としては、私なりに幹事長や幹事長代理にお願いをしながら、色々な問題を進めてきたつもりであります。
ただ、三年前の代表選挙で申し上げたのは、その当時、代表の私がどんどん言うのはわかるけど、党内の意見の聞き方が十分ではないんじゃないかということを言われました。そこで、「耳七割、口三割」というお約束を三年前の選挙で致しました。約束が100%果たされたかどうかは別として、私なりにはそれぞれの立場で、できるだけ色々な方の言うことを聞き、もちろん役目上、前に立たなければいけない時は、テレビとか予算委員会等ありますけれども、それ以外の場面では、政調会長の時はNC(ネクスト・キャビネット)というものを立ち上げて、それを機能させるということにかなり力を注いだつもりです。
あるいは幹事長になってからは、特に党務、選挙の関係で候補者を決めるとか、公募とか、あるいは今回の代表選そのものもそうですが、党の組織の強化のための、十万人の党員・サポーターという目標を一月の大会に出させていただいたのも、私の責任で一つの案を作らせていただいたわけです。そういう点では、私はこの三年間というものは、鳩山さんとのコンビを含め、羽田特別代表を含めた皆さんとの協力関係も含めて、やるべき事はかなりやれてきたと思っております。
Q:労働組合との関係について、鳩山代表は「利益擁護集団に直結する一部労働組合との関係を見直したい」と発言しているが、幹事長はどのように考えているか。
A:鳩山代表もご存じだとは思いますが、かつての社会党と総評の関係、あるいは、かつての民社党と同盟の関係というものを垣間見ております。私自身は、社会党や民社党に籍を置いたことがありませんから、直接経験は致しておりませんけれども、垣間見ております。
そういう関係と比較すれば、今の民主党は、数多くの支援団体の中に労働組合もあるという意味であって、決して労働組合が我が党を牛耳っているとか、基本的にコントロールしているということは全くありません。
そういう中で衆議院、参議院の候補者の中でも、労働組合出身の優秀な方も何人もおられますが、しかし全体の比率から言えば、たぶん、現在の議員の中で一割おられるかどうかではないでしょうか。
前回の参議院の比例区というのは非拘束でありましたから、全国組織のある候補者が結果的にかなりの数を占めましたけれども、今後の参議院の選挙の進め方によっては、組合関係以外の候補者も当選できるように、私としては前回は私が直接指揮をとっておりませんでしたけれども、NPO関係の候補者もどんどん出していく、どんどん国会に出てきてもらいたい、このように思っております。
これは労働組合に限りませんが、民主党を一部、利益団体が支配するようなことになるとすれば、これははね除けなければならないことだと。当然ですけれども、多くの支援団体が存在して、そして今の民主党が応援を受けているのも事実ですけれども、そこには政党と利益団体、各種団体の性格の差、つまり政党というのは国民全体を考えて物事を判断すると。そういうことがきちんとけじめがついていれば。それでいいと私は思っていますし、けじめをつけるようにやっていきたいと思っています。
Q:民主党の支持率が上がらない理由として「バラバラ感」がある。今回の代表選は結果的に、旧党派の枠組みを残してしまった。代表就任後、こういう構図にどのように望んでいくのか、そのビジョンを聞きたい。
A:バラバラ感というのは皆さんが作った言葉ですよね。結局、55年体制の中で育ったメディアの皆さんは、55年体制的な区分で見ると、民主党が理解できない人がかなりあるんですよね。
つまり、55年体制というのは、自民党で言えば派閥があって、派閥の親分が白でも黒だと言えばみんな黒だと。これが経世会の掟ですし、あるいは、後ろに労働組合があって、表では色々と格好いいことを言っているけれど、裏では全部、政府与党と裏取引をしている。これが従来の、かつての55年体制下の野党の姿です。
それは皆さんなり、皆さんの先輩が良く知っているはずです。それだとわかりやすいんですね。「あいつとあいつが話してる。どうもここで決まってるようだ」と。民主党はそういう裏取引がない政党ですから、侃々諤々議論している。一体どっちに最終的な方向が行くかわからない。
バラバラだ、バラバラだと皆さんが書く。皆さん方の理解力が、もっと深いところまであれば、どういう議論がなされているのか中身の議論を伝えてもらいたい。表でバラバラだとか、バラバラでないというのが、何がバラバラで何がバラバラでないのか。自民党なんてバラバラじゃないか。逆に言うと、公明党や共産党はバラバラでない。では、ああいう政党がいいんですかということになるわけです。
ある意味で、自民党がキャッチオール政党だとすれば、我が党もある意味で、幅広い国民の層を代表する政党である。当然議論が沢山ある。色んな議論‥‥その現象で言えばバラバラかもしれません。色んな議論を集約していくのが、政党の役目なんですから。このバラバラ感というのを作ったのは皆さんなんです。
ある意味では、そういうものを集約することができるかどうかなんです。色んな苦しい面がなかったことはありませんけれども、基本的には物事をきちんと決めて、多少のイレギュラーなケースもありましたけれども、きちんとした方針決定をして動けてきた。だからここまでこの党は大きくなったのではないでしょうか。
Q:有事法制について幹事長はどのように考えているのか。
A:政権をとったら、責任ある案を出すべきだと考えます。
Q:野党共闘について、特に自由党との関係について。
A:統一会派ということは、私は全く考えたことはありません。与党を見ても、自公保政権だけれども、自公保が統一会派を作っているわけではありませんし、かつて自社さ政権というのを私も経験しましたが、統一会派ということはありませんでした。
選挙協力という言葉は色々な段階があります。私がこの間、皆さんにも提示している、2000年の選挙の各選挙区別の比例の得票を野党三党と与党三党、つまり共産党を除く野党と、自公保三党で比較をしてみると、175の選挙区で野党三党の合計が与党を上回っている。125の選挙区で与党が上回っている。つまりは、六割の選挙区で野党三党が上回っているわけです。
しかし議席数は小選挙区の野党三党で90です。副議長や(無所属クラブの)山口壯くんも入れて90ですから、300の内の三割です。つまり六割の選挙区で野党三党が与党三党を上回れなかった。とれてる議席数は三割しかとれなかった。七割は与党がとっているというのが、2000年の客観的な結果出てるんです。
ではなぜそういう結果が出たのか。それは極めて単純でして、与党側は三党が一人の候補者をそれぞれ絞ってきたわけです。ですから、私はそういう客観的なことを踏まえた上で、協力という言い方よりも手前の問題と。
例えば、選挙区で小沢自由党党首の所で民主党がやってもなかなか勝てない。あるいは他の有力な人の所でやってもなかなか勝てない。という所で、我が党が、そこは候補者を立てるのはやめておきましょう。しかし逆に、民主党の候補者が有力で他の党が出てもとても勝てない所については、それはやめておきましょう。そういうことになれば、候補者調整ということができれば、私は大変大きな効果を上げると思っております。
300の内、そういう可能性が数字の上で見る所でいえば、自由党が20。社民党が10程度ですから、それを話しているという意味ではないですよ。数字の上だけで見てですよ。そういう意味では、我が党が、300選挙区の内、250を上回る候補者を出さなければいけないわけです。今、250を目標に作業を進めておりますが、最終的には260、270という段階で、選挙区調整ということも念頭にはおくべきだと思っています。
Q:政権の受け皿づくりについてはどう考えているのか。
A:そういう議論が進む中で考えていけばいいのではないでしょうか。以上
2002/08/19 | 戻る/ホーム/代表選目次/公約目次 |