江田五月 活動日誌 2000年2月(21〜25) | >>日程表 |
午後3時から、議員会館の私の部屋(608号)で、外務省の担当課長さん達に来てもらって、頭書のテーマで話し合いをしました。
昨年9月からの事件を裁くには、インドネシア国内の法廷と、国際人権法廷と、2つのトラックがあるのですが、日本政府は、国内法廷の行方を見守るだけで、国際法廷には反対。その理由は、昨年9月からの過程で東チモールの治安に責任を負っていたのはインドネシアだからというのですが、これはおかしい。
インドネシアが治安の責任を負っていたのは、国際社会との約束だったからで、インドネシアはこれを果たせなかった(裏切ったとまでいわないにしても)のです。それなのにその間のことをインドネシアだけに任そうというのは、ちょっと条理に合いません。インドネシアが国際社会の信頼を回復するため国内法廷で努力するのは結構なことですが。
国際人権法廷が必要です。
週末の強行軍がたたってか、ややひどい風邪を引きました。熱が出て、頭はぼんやりして。人はもうとっくに直っているのに。ふう。
それでも、政治家稼業はつらいもの。連日の会議を、ふうふう言いながらこなしています。明日は、衆議院補欠選挙宮城6区の、大石正光さんの応援に、気仙沼まで。
今日は、日記風の近況報告。
4時過ぎの新幹線で、再びくりこま高原へ。宮城6区補欠選挙、大石正光候補応援。今日は、路面凍結なし。
築館町、栗原文化会館。聴衆6百人。近隣の町長さん2人の大演説があったため、われわれの話は、10分と制限。
大石候補と私とは、衆議院九段宿舎で隣組。彼はクラシックファンで、よくベートーベンの第五などが隣から聞こえてきたことなどを紹介。信頼の崩壊したこの国をいっしょに立て直したいと訴えた。
風邪、まだしつこく、声悪し。要警戒。深夜宿舎に帰還。大石候補の健闘を切に祈る。
金融再生委員会の越智大臣が、失言で更迭されました。金融機関の監督が任務なのに、手心発言ですから、救われません。こんな人をいただいていたとは、国民にとっての痛恨事です。
谷垣さんの起用は、手堅い人事。解散時期の判断に悪影響を避けるための、手早い処置でしょう。
25日9時半から、法務部会・労働部会・労働者保護法ワーキングチームの合同会議。商法改正(会社分割の導入)に際し、労働者のリストラ防止をどう図るかというテーマ。
夕方、知人の葛生博祥さんの通夜に。54歳。脳梗塞で、闘病わずか1週間。年老いたご尊父の姿を見ると、まさに痛恨事です。
最終の新幹線で、岡山へ。2週間ぶりの我が家での発信でした。
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