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12月24日(月) 加藤シヅエさん弔問、北岡さん、ディナーショウ(浦安)

今日は、10時半、東大龍岡門の前にある大森さんのお宅に眠っておられる加藤シヅエさんを訪ねました。

3世紀を生き抜き、22日、眠るように永眠。満104歳でした。

加藤勘十さん、シヅエさんとも、私の父と昵懇で、私もずいぶんお世話になりました。1977年、最初に私が全国区、菅直人さんが東京地方区で出馬したとき、猛暑の中を竹の塚団地で、「江田五月36歳、菅直人30歳。2人合わせても、80歳の私には到底及びません。若い者に力を貸してあげてください。」と、街頭演説をしてくれました。

1994年暮れ、新進党結党大会に、大会招集委員長の私の発案で、来賓挨拶をお願いしました。前に居並ぶ党幹部はみな、ご自分の子どものようなもので、21世紀への遺言を、感銘深く聞かせて貰いました。

12時前、旧知の北岡和義さんと昼食。ロスアンジェルス在住のジャーナリストで、民主党のこれからを大変心配しておられます。

13時過ぎ、ヒルトン東京ベイホテルに到着。今日は、六本木男声合唱団ディナーショウの浦安版です。13時半からゲネプロ。横浜の教訓を生かして、今回は安定感もあり、次第にムードが盛り上がってきます。17時過ぎに一段落。ゆっくりお弁当をいただき、18時から100人で最後の練習。

心配されたお客も、550人で満席。横浜と会わせて、1200人です。19時半から本番。テンポアップで進み、坂上二郎さんの代わりに鳩山由紀夫ご夫妻の寸劇「オペラ座の怪人」が入り、私のバイオリンも無事乗り越え、充実した2時間でした。終わって全員で記念写真を撮り、パーティーを途中で失礼。明日から岡山です。



12月25日(火) 挨拶まわり、憲法取材、河原さん

今日は、9時前の新幹線で帰岡。

昼から、年末のご挨拶まわりです。経営者の皆さんは、やはり総じて改革派です。

18時、民主党の憲法調査会について、マスコミの電話取材。超党派の憲法議連が、憲法改正の国民投票を実施するための法律を作ることを提案しており、民主党としてどう考えるかということです。今月11日の調査会役員会で、鳩山代表から、議連の提案につき検討するよう問題提起があり、鹿野会長と事務局長の私に扱いが任されたテーマです。

憲法改正への第1歩だという警戒感もあります。しかし、いくら現憲法が硬性憲法だと言っても、改正を予定した条文があるのですから、その手続きを定める法律がないのはおかしいという筋論もあります。法案への対応なので、民主党としてはNCで態度決定する事項ですが、論憲の課題ですから、NCの前に憲法調査会での議論をすることになるでしょう。党内外の政局とも関わる課題ですが、そうした思惑と切り離して議論することが大切です。

19時から、五月会の河原会長のご自宅で、ご馳走になりながら来年の打ち合わせ。


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