江田五月 活動日誌 2001年9月(6〜10) >>日程表 ホーム総目次9月目次前へ次へ


9月6日(木) 岡南飛行場、昆劇「楊貴妃と阿倍仲麻呂」

今日は、10時から岡南飛行場拡張施設供用開始記念式典に出席。1988年に新岡山空港が供用開始になったのに伴い、それまでの岡山空港が小型機専用空港として生まれ変わったのがこの飛行場です。今回大きくバージョンアップしました。小型機が市民の足になるのは、いつのことでしょうか。

昼からは、頂いた郵便物の整理などのデスクワーク。

18時半から、岡山シンフォニーホールで新京劇「楊貴妃と阿倍仲麻呂」を鑑賞。日中国交回復30周年を記念して、中国から招聘したものです。始まる前に、劇団一行の徐恒進団長さんや出演者の代表等と、萩原岡山市長と共に、短時間懇談しました。

白楽天の「長恨歌」で有名な唐の玄宗と楊貴妃の悲恋物語は、安禄山の乱で玄宗が楊を殺し、その想い出に苛まれて「天長地久有時盡、此恨綿綿無絶期」と嘆くのですが、こちらはまったくの創作。遣唐使として玄宗に謁見した阿倍が楊に心酔し、乱の中を楊を連れて日本に逃れます。孝謙天皇は楊を歓迎し、桜の宴でもてなしますが、直前に玄宗の崩御を知った楊は、断腸紅という毒草を飲み自害。これを見た阿倍も、唐との友好という使命を果たせなかったとして、自刃。

山口県油谷町には楊貴妃の言い伝えが残っており、由緒ある伝説です。徐福伝説もあり、懇談で話題にしました。

「昆劇」と呼ぶのだそうで、ミュージカル風で面白く、久し振りに芸術の秋を楽しみました。以前北京で見た本格派の京劇「長恨歌」とは、趣が違います。また、中国の美徳は愛情、日本の美徳は忠君だと表現しているのだすると、戸惑ってしまいます。



9月7日(金) 上京、東ティモール選挙結果、痴漢、弾劾、県人会

今日は、10時過ぎの新幹線で上京。

東ティモールの憲法制定議会選挙の結果速報が、UNTAETにより発表されました(http://www.un.org/News/dh/latest/timorelection.htm)。当選者の名前は分かりません。ル・オロさんを代表とするフレテリンが、選挙区で13人中12人、全国区で55人中43人の合計55人を獲得し、圧倒的優勢となりました。しかし、憲法制定に必要な3分の2、つまり60議席は得られず、フレテリンとしては全政党に協力を呼びかけて、挙国一致的運営を図っていくようです。フェルナンド・デ・アラウジョさんら学生運動出身者などの若者が中心の民主党は7議席で第2党、マリオ・カラスカラオンさんらフレテリンから分離した知識層が中心の社会民主党は6議席です。彼らの顔が目に浮かびます。

政党名 議席
FRETILIN(東ティモール独立革命戦線) 55
PD (民主党) 7
PSD (社会民主党) 6
ASDT (ティモール社会民主協会) 6
PPT (ティモール民衆党) 2
PDC (キリスト教民主党) 2
KOTA (勇敢なるティモール連合) 2
PNT (ティモール国民党) 2
UDT (ティモール民主同盟) 2
PST (ティモール社会党) 1
PL (自由党) 1
UDC/PDC (ティモール民主・キリスト教党) 1
無所属 1
投票率:91.3% 88

当選者を調べました。全国区では、政党候補が12政党から75人当選で、無所属候補は3人の女性候補を含め全員落選でした。地方区では、12県でフレテリン候補が当選で、オエクシ州だけが無所属の当選でした。女性は定数の4分の1以上に当たる24人が当選しているので、無所属女性3候補は戦略ミスでしょうか。

15時から、報道された神戸地裁所長の痴漢事件について、最高裁が報告にみえました。彼は同期で、人柄もよく知っています。痴漢だと言われても冤罪もあり、予断を持ってはいけません。15時半から、法務省秘書課長が参議院法務委員会の視察の件で挨拶にみえました。

16時から、弾劾裁判所の事務局と打ち合わせ。村木判事の刑事事件(懲役2年、執行猶予5年)は、10日に確定の見通しです。禁固以上の刑が確定するのですから、国家公務員法の規定に従って、当然裁判官の地位を失う(当然失官説)のか、弾劾裁判所の罷免の判決で地位を失うのか、結論を出さなければなりません。また、当然失官なら、訴追要件がなくなり訴追棄却となるのか、要件はあり罷免せずとなるのかも、検討しなければなりません。

18時から、東京岡山県人会の総会と第52回岡山県人の集い。地元から知事や市町村長、各級議員、経営者の皆さんなど大勢上京され、地元名産品もたくさん出されて大盛況でした。国会議員は、橋本さん、加藤さんと私が出席し、橋本さんが挨拶。ところが、某議員はひとり遅れてきて、司会者が紹介のみと言うのを振り切り、自らマイクジャックと言いながら長々と挨拶。それでも拍手があるのですから、図々しいのが勝ちなのでしょうか。私には出来ません。



9月8日(土) 常幹、両院総会、NC、全国集会、イギリス、ハンセン集会

今日は、9時から常任幹事会。新執行体制を作るため、常任幹事全員が辞任。鳩山さんは、人事刷新の理由として、(1)迅速な意志決定と実行、(2)地域との双方向の意志疎通、(3)ネクストキャビネット(NC)の充実強化を上げました。

11時から、両院議員総会。鳩山さんの挨拶の後、新しい人事が発表。私は、NC法務大臣。司法制度改革はいよいよ実行段階に入ります。夫婦別姓選択制を柱とする民法改正がまた先送りの気配。コーポレートガバナンス論議もそろそろ本格化。危険運転処罰法案、参政権付与と絡めた国籍法改正、国内人権救済機関設置、犯罪対策など、課題山積です。13時から、NCの第1回会議。

14時から、「民主党強化全国集会」。国会議員や候補内定者、地方組織の代表者などを集め、参議院選挙の反省に立って、全国の党組織をエンパワーしようというもの。鳩山さんの決意を込めた挨拶の後、菅幹事長が今後の党運営につき、(1)県連の強化や地方議員大幅増など党組織のこと、(2)党財政基盤のこと、(3)候補の擁立、(4)各種団体との関係、(5)広報宣伝、(6)理念と政策につき方針提起。羽場市議が地方議員を倍増しようと積極的提案をするなど、地方組織から12人の活発な発言が続きました。

16時から、早稲田大学の谷藤悦史教授の「イギリスの改革・日本の改革―イギリスの改革から何を読みとるか」との講演。

「ブレア労働党の改革は、サッチャーの新自由主義を超えて新福祉国家に向かうものです。“from welfare to work”、つまり分け与える福祉でなく、すべての人に“employability(雇用可能性)”を与えることを目標とし、小さな政府がイニシアティブをとって、国民のさまざまな自立的営みをつなぎ合わせて社会資源を有効活用し(連結政府)、その際各種の活動体と目標値を示して契約を結び、達成の度合いで更新を決める(契約国家)といった手法を駆使しています。民主主義も“stake-holder democracy(協働参画民主主義)”の創造を目指し、中央も地方も政治が生き生きしています。」

「小泉改革は、それが唯一の選択肢のような様相を呈しており、国民の選択のための対抗軸がないことは危険です。民主党は、党組織を作り、人材を安定的に育成し、シンクタンクを作るなどして、対抗軸を示すことが使命です。そして、構造改革の結果として何を目指すのかを示すことが必要です。」

17時半から懇親会。たぶち雅子さんと徳島の高井美穂さんを引き合わせました。同年齢でした。「ハンセン病訴訟の原告勝利を報告する集い」に、ちょっと遅れて19時過ぎに到着し、直ちに挨拶。皆満面に笑みをたたえて嬉しそうで、69歳の谺さんが、「1日も早く、生活できる年金を貰って結婚したい。(活動日誌6月14日参照)」と話せば、「そうしたら、みんなで新居に押し掛けて、賠償金を全部飲んでしまおう。」と応じるなど、本当に良い会でした。最終解決はまだこれからです。



9月9日(日)
   平和条約記念日、戦後処理、政策分科会、もんじゅ、個人情報、若者文化

今日は、対日平和条約調印50周年記念日。田中外相は、この条約ですべての戦後処理問題は解決済みとしたうえで、反省と謝罪を述べたようです。しかし例えば、昨日のハンセン病集会で話題になったのですが、日本は朝鮮半島でも、ハンセン病患者の強制隔離絶滅政策を、国内よりもっと熾烈に進めました。今回の訴訟で初めて国は責任を認めたのであって、それ以前は、訴訟の過程でも明らかなとおり、責任なしとの立場でした。そうすると、平和条約締結時は、この問題は交渉のテーブルに上がっていないので、解決済みにはなりません。交通事故で、示談の後に出てきた後遺障害が、示談で解決済みとは言えないのと同じです。東ティモールの占領は、被交戦国の植民地ですから、やはり解決済みではありません。

全国集会の分科会で

9時から、民主党強化全国集会の分科会。私はNC大臣として、政策分科会に出席。岡田政調会長が全般を、峰崎NC財務相、金田NC厚労相、玄葉NC総務相がそれぞれの担当分野を、枝野代理が実務的な課題を話し、その後会場から、11人が活発な発言をされました。岡山は横山君が、問題を抱えている地元の声をよく聞くよう求めました。彼は昨日も、谷藤教授にイギリス労働党と労働組合の関係を尋ねました。

福井の方から、もんじゅにつき質問が出され、中野NC文科相が答弁されましたが、私は細川内閣で、科学技術庁長官として現実に担当したテーマですので、若干の補足をしました。FBRが占める位置は、私の時代に、原子力開発利用長期計画の見直しにより、21世紀の原発の主流から、選択肢の1つに過ぎないと、大きく変えました。また、議論の仕方も、情報公開を中心に国民参加で議論するようにしました。地元の口コミの情報が結構重要だと、庁内で強調しました。今それがどうなっているか、気になります。

これから帰岡です。


今日の分科会で、政府の個人情報保護法案についての民主党の態度は、廃案であり、地方議会でもその旨の意見書採択などに取り組むことになりました。政令委任のこともありますが、運用次第では個人情報保護に逆行することになるのが理由です。個人情報はもっと厳密に保護されなければなりません。

18時過ぎに、日没直後の岡山駅に降り立つと、中学生や高校生が大勢、駅前広場にたむろし、携帯でメールのやり取りをしたり、地べたに座り込んだり、結構楽しそうでした。男の子2人、女の子3人が、九ちゃんの「上を向いて歩こう」を混声でコーラス。結構上手でした。若者文化ですが、それにしても中1女子事件は、何という事でしょう。



9月10日(月) 駅前演説、事務局、揮毫、株価暴落

今日は7時半から、県連副代表の一井淳治前参議院議員、幹事長の草苅隆幸県会議員と一緒に、恒例の駅前演説。私は、民主党の新体制のこと、日本経済の現状、小泉改革の行方、法務ネクスト大臣の役割、司法制度改革などにつき、30分ほど話しました。

みんなで喫茶店でモーニングの朝食の後、9時半から2時間弱、事務局会議。民主党強化全国集会のことや今の政治情勢など、スタッフと綿密な意見交換をしておかなければなりません。

昼食中、偶然に姫井由美子県議の後援会幹部に会い、ゆっくり意見交換。事務所に戻ると、知人の来訪。14時半に、やっと自宅に帰り、18時過ぎまで、昨年11月からの依頼がたまっている揮毫に精を出しました。

色紙なら、ちょっと時間が空いた時に書けるのですが、軸や額は、やはりまとまった時間を取って、その気にならなければ書けません。

株価が、終値1万0195.69円と暴落しました。1万円割れ寸前で、遂にやって来たなという感じです。市場が小泉改革の行方を見切っているのです。一喜一憂しないなどと言っている限り、これでもまだ分からないかと、1万円割れまで行くでしょう。医療制度改革で単なる数字のつじつまあわせをやっているようでは、誰も納得しません。雇用の安全ネットを含む手順と目指す未来像をきちんと示して、本気で構造改革に取り組まなければなりません。

台風のため、上京は明朝にしました。


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