江田五月 活動日誌 2001年9月(1〜5) | >>日程表 | ホーム/総目次/9月目次/ 前へ|次へ |
It is 22:50 on August 31st in Jakarta, or 00:50 on September 1st in Japan. Everything is quite smooth, except my being very sleepy.
We will leave here in 30 minutes to Narita Airport.
成田着、弾劾裁判、部落解放
今日は、9時前に無事に成田空港に着陸。リムジンで都心へ。時差は僅かですが、夜行列車と同じで、睡魔に襲われます。
11時前、議員宿舎に帰着。溜まった新聞に目を通し、若干のメールの整理をしました。
防災の日なのに、新宿・歌舞伎町のビル火災。重大ニュースが多いですね。8月27日に、村木判事に求刑どおり懲役2年が言い渡されましたが、5年の執行猶予が付きました。最長の猶予期間で、裁判所の厳しい姿勢が現れています。実刑でも、最近の傾向からすると、びっくりはしませんが。いよいよ弾劾裁判所の手続きの番です。
経済の動向、予算の概算要求、補正予算など、国内政治も動きは急です。いよいよ政界秋の陣です。15時前の新幹線で帰岡。
19時から、部落解放同盟岡山県連の岡山市と備前市の皆さんのサマーセミナーの懇親会へ。挨拶で、簡単ですが、帰国後最初の東ティモール報告をしました。
今日は、東ティモールから帰国したら一気に秋。爽やかな秋空の下で、8時半から岡山市内南部の町内会の運動会で挨拶をし、次いで、同市東部の小学校の学区民運動会へ。知人の病気見舞い。
10時半から1時間、10月14日投票の玉野市長選挙に3期目を目指し出馬準備中の山根敬則市長の後援会事務所開き。民主党県連の推薦にも触れた激励の挨拶をしました。玉野市は造船の町ですが、バブル崩壊で厳しい環境でした。その中で、山根市長の2期8年の行政は評価が出来ます。同市選出の県議は、自民党公認1人と民主党推薦1人ですが、今回は自民党県議が対立候補を応援し、厳しい選挙になります。自民党はどうするでしょう。
13時から2時間弱、民主党岡山県連の常任幹事会。私の国政の報告の後、山根市長が推薦依頼のご挨拶。全国幹事長会議や県連内の会議等の報告と若干の議論に次いで、山根市長の推薦を決定。熊谷裕人さんが埼玉に戻ることになり、副代表等の辞任を了承。参院選総括案を議論。地方議員候補の発掘や地方組織の確立の手法につき、次回に具体案を出すことにしました。
15時から2時間強、県連全党員集会。参院選の総括についての意見交換です。100人を超える出席者の内、10人ほどから厳しい意見や具体的提案の発言を頂きましたが、積極的な成果を得るような議論の仕方を身に付けるのは、なかなか難しいことだと痛感しました。
今日は、7時半から1時間、草苅幹事長、姫井由美子県議と一緒に恒例の駅前演説「おはよう、7:30。民主党です」。久し振りの街頭演説です。参院選の反省と昨日の会議の報告、東ティモールの報告、経済や雇用不安を含めた国政情勢などを話しました。
近くの喫茶店で、みんなでモーニングを食べながら、民主党岡山県連のこれからにつき、テーマ毎に討論集会などを頻繁に開くことなどを議論。
11時、建部町で知人のご母堂の葬儀。92歳の大往生でした。
13時から1時間強、事務局会議。江田五月会のこれからの活動につき、広範な議論をしました。県下各地にこちらから出かけて行き、秋のバス旅行もぜひ実現したいと思います。
15時からは、自宅で原稿書きや東ティモール報告の校正。19時から、はたともこさん、湯川政策秘書と食事つき協議。20時半から、たぶち雅子さん、草苅幹事長らと協議。
今日は、主として自宅で原稿書きです。法律時報増刊「シリーズ司法改革III」の中で、民主党の意見を6400字にまとめなければなりません。これまでの文書をメールで整理しています。
その合間に、民主党県連の運営につき電話などで個別の協議。県議会が10日から始まり、姫井由美子県議が代表質問をするので、張り切っています。道路財源につき、招集日に決議をするそうですが、民主党の考え方がどこまで貫けるか、試金石です。
17時から1時間、岡山弁護士会の全員協議会に出席。地裁本庁に新たに起こす訴えに限り、これまで郵便切手で予納していた送達費用等を、現金で予納するというので、裁判所から次席書記官や訟廷管理官が来て説明し、質問に答えるのですが、何も自分で判断できない裁判所職員の姿を見ているうち、本当に気の毒になりました。余った現金を還付するとき、使った金額の明細書の交付を求めたのに対し、最高裁にお伺いを立てなければ即答できないというのです。還付して残金がゼロになれば、明細書は記録に編綴するというのですから、その写しを交付するだけのことです。その後、司法制度改革についての弁護士会の態度につき協議が行われたのですが、私は中座。
18時過ぎから、草苅幹事長と協議。菅幹事長からも電話があり、民主党本部の体制刷新の方向がかなり見えてきました。幹事長と代理が2本建てで変則だったのが、改められます。特殊法人改革の前途は荒れ模様。韓国の金大中大統領も多事多難です。
今日は、朝から原稿書きの続きです。時々電話が入ったり知人が来たり、庭に出て草取りをしたりして、中断しました。
原稿はおおむね仕上がりました。ちょっと長くなり過ぎたので、これから削ります。
15時半に自宅を出て、知人のお見舞い。その後事務所で、県連運営の協議。
株価は再び下落。高校生の雇用は過去最悪。小泉改革は大揺れ。私は、まだ咳が止まらず、妻が心配しています。
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