江田五月 活動日誌 2002年10月 (6日) | >>日程表 | ホーム/総目次/10月目次/ 前へ|次へ |
今日は、7時半のJRで成田空港へ。ただ今、0時をかなり回って、やっとパッキングが出来ました。これから寝ます。
1988年に学生たちを連れて北京を訪ねたのを最後に、翌89年の天安門事件に思うところがあって、昨年まで北京訪問は遠慮していました。今回で訪中は10回目くらいになるでしょうか。70年代の終わりに最初に尋ねた北京は、人民服の襟元にちょっとカラーシャツが見える程度が、人々に許されたおしゃれでした。今や摩天楼が立ち並び、服装もまったく自由奔放。しかし、極めて大きい地域間格差があると言われます。じっくり見てくるつもりです。
パソコン持参ですが、うまく接続できるでしょうか。
愛華訪中団、北京空港、夕日、秦皇島
今日は、6時半に起床。成田空港で、第2回愛華訪中団の結団式。今回は、総勢20人の大代表団となりました。私は顧問団長です。
成田発10時35分のNH905便で、北京に現地時間13時40分に到着。時差は1時間です。14時過ぎに北京空港を出発。道路は、昨年と季節が違うためか、今回は緑に溢れ、見違えるようにきれいです。
そのまま、秦皇島市の北戴河区の国際倶楽部まで直行。高速道路は、片道3車線の直線道路で、舗装の状態も大変良く、時速140キロですっ飛ばして4時間のドライブでした。途中で日が暮れ、地平線にまっすぐ沈む本当に真っ赤な太陽に、思わず一同感嘆の声を上げました。大陸の太陽は、島国とは違うようです。
秦皇島は、秦の始皇帝に由来する名前で、万里の長城の建設で余った石を海に捨てて島を作ったと言われ、長城の出発点です。最近の発展は目覚しく、観光地としても年間700万人の客でにぎわっています。北戴河は、要人の夏の保養地で、毛沢東、周恩来もここを使いました。夏の間は、党中央はここに移った状態になるそうです。明日の視察が楽しみです。
18時20分、中国共産党市委員会の王建忠書記、市人民政府の菅瑞亭市長らとの公式会見で挨拶。その後の祝宴では、「地王」という38度の地酒での乾杯が続きました。さらに80度近い酒が出てきて、びっくり。さすがに、控えめにしました。
江田五月 活動日誌 2002年10月 (6日) | >>日程表 | ホーム/総目次/10月目次/ 前へ|次へ |