江田五月 活動日誌 2002年11月7日 >>日程表 ホーム総目次11月目次前へ次へ


11月7日(木) 法務、法務委(人権質問)、国の…、心神、石井さん、今井さん

今日は8時から、湯川政策秘書と質問打ち合わせ。8時半から、NC法務・文部科学部門合同会議で、学校教育法改正案の協議。専門職大学院や第三者評価機関の設置がその内容で、賛成の方向です。私は、ちょっと辛口発言。

9時から、NC法務部門会議。法科大学院関連法案と裁判官俸給法改正案等の対応を協議し、戸籍法改正案につき議員立法を目指すことを了承しました。法科大学院関連法案について、反対論が出され、さらに慎重に協議をします。日弁連から、人権擁護法案につき意見聴取。

法務委員会

10時から2時間半、法務委員会。人権擁護法案の実質審議で、自民党の質問の後、野党のトップバッターとして私が90分間質問。冒頭、石井紘基さんの事件につき私の思いを述べ、森山法相も「単純な動機のように言われますが、本当かなと思います」との趣旨の答弁されました。人権擁護法案については、独立性、実効性、地方での取り組みなどにつき、実態にメスを入れた質問をしました。民主党は、政府案には反対ですが、これを潰すことが目的ではありません。抜本修正により、より良い人権委員会を作りたいと思います。(会議録

12時半から、国のかたち研究会に遅れて出席。13時半から2時間半、法務委員会の続き。16時過ぎ、日弁連の皆さんらが心神喪失者医療観察法案につき要請に来られました。こちらも緊迫して来ました。

17時から、NPO議連の幹事会。分野拡大などを内容とするNPO法改正案が、すでに与野党でまとまっていますが、委員長提案で仕上げる段取りがつかないので、議員立法での提出を検討することにしました。また、優遇税制の適用につき、補助金や助成金の扱いの見直しを検討することになりました。

18時から、石井紘基さんのお別れの会。社市連、社民連時代以来の懐かしい仲間の皆さんを含め、本当に大勢の皆さんが集まってくれました。ナターシャが、「紘基さんはいつも、『人はいつ死ぬか分からないのだから、出来るだけ多くの人に会おう』と言っていました。多くの皆さんが彼の思い出を持ってくれていると思います。どんなことでも、思い出されることがあったら、私に教えて下さい。」と、心情を話されました。私も学生時代以来のことを、万感の思いを込めて短く話しました。

20時から、参議院民主党の有志で、今井澄さんを偲ぶ会。中華料理をつつきながら、民主党の現状を変える必要を話し合いました。


法務委員会

2002年11月07日 (民主党ニュース)
石井議員「お別れの会」しめやかに行われる

 「石井紘基衆議院議員お別れの会」が7日、東京都内で開かれ、衆参議長をはじめ約2,000人が参加。石井紘基衆議院議員に別れを告げるとともに、故人の不正を憎む遺志を継ぐことを誓い合った。

 会の冒頭、「不惜身命」を身上に正義を貫いた石井議員を偲ぶ映像が流され、会場の涙を誘った。続いて綿貫民輔衆議院議長から衆議院弔詞が捧げられた。会の主催者を代表して、鳩山由紀夫民主党代表が「石井さんと呼べば声が返ってくるようだ。命を惜しまず活動され、本当に命を失ってしまわれた。彼ほどの正義漢はおりません。手と頭で調査し、国民にとって大事なものは何かを追求した。彼は『日本にはまだベルリンの壁がある』と言っていた。これを取り払うのが私たちの仕事。この日本を国民のためになるよう作り変えていきたい。彼の死を無駄にしてはいけない。石井議員の大きな足跡をしっかり身に付けることで、日本を変えるのだと誓いたい」と挨拶した。

 石井議員夫人のナターシャさんは「紘基さんは今の私の姿が見えると思います。私には紘基さんの声が聞こえます。『一人でも多くの人を愛しましょう。多くの人とお話をしましょう』。紘基さんは、ひるまずに大きなものに立ち向かった、歪んだものを暴いてきました。最後に取り組んでいたのは中小企業を苦しめる金融問題でした。坂本竜馬が必要だと言っていました。竜馬と同じになって残念。紘基さんの思い出が皆さんにはあると思います。それは私にとって紘基さんの魂です。どんなエピソードでも教えてください。ありがとうございます」とお礼の挨拶を述べた。

 続いて作家で道路公団民営化委員会委員の猪瀬直樹さんが「石井紘基衆議院議員がいなかったら、民営化はここまで進んでこなかった。石井さんは8番目いや、ゼロ番目に民営化委員だ。特殊法人の問題に私が気づいたのは石井さんに会ったからです。必ず遺志を継いで民営化を成し遂げたいと思います。民営化委員会は道路公団だけでなく、他の特殊法人も含め頑張ります」と友人としてお別れの言葉を述べた。

 さらに菅直人民主党前幹事長が「私たちがしなければならないのは、税金が国民のために、日本のために使われるようにすることだ。この当たり前のことを実現するために、一部の議員や官僚の天下りのために使われている現状を正していかなければならない」と決意を新たに表明。紀藤正樹弁護士は「悔しいの一言。石井さんが書いたものはすべて真実。データに基づいていた。本に石井さんの構造改革のプログラムが示されている。実現してもらいたい」と無念の思いを込めて語った。

 40年来の同志であった江田五月参議院議員は「60年安保の世代の人間が逝っている。もっとこの世代の人間が頑張らなければならないと思う。私の父・江田三郎も言ってたが、警備を強化すること、警察に守られる政治家を石井さんは望んでいない。もっと自由を、と言っていると思う。石井さんは悪と闘ってきた。その思いを継いでいきたい」と挨拶した。


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