江田五月 活動日誌 2002年4月 (4〜5) | >>日程表 | ホーム/総目次/4月目次/ 前へ|次へ |
今日は8時から1時間、全議員政策懇談会。夫婦別姓選択制につき議論を尽くすため、開きました。慎重派の皆さんが次々と、「不祥事や景気対策など緊急課題山積なのに、こんなテーマで甲論乙駁やっているようでは、政権は取れない。駅前広場で夫婦喧嘩するのは止めよう。」といった主張をされたのには驚きました。こちらが言いたいことです。来週のNC会議でおしまいにしたいものです。
9時15分から法務部門会議。各種の報告の後、衆参の法務委員会の進め方を協議。商法改正案、テロ資金処罰法案につき、結論を出しました。
10時から、法務委員会。更生保護事業法改正案の質疑で、自民党の後、千葉景子さんが80分質問。12時から、昼食を食べながら国のかたち研究会。13時前、人権擁護法案につき要請を受け、13時から法務委員会再開。13時半から予算委員会。掛け持ちとなりました。
予算委は、BSE調査検討委員会の高橋正郎委員長と山内一也代理に参考人として出席していただき、報告書につき郡司さんと羽田さんが一般質疑。(1)重大な失政、(2)判断が甘かった、(3)政策判断の間違いと、3点に分けて行政責任が明確に指摘されているのに、武部農水大臣は減給で済ませ、小泉首相も涼しい顔。許せません。
15時前、法務委員会に戻り採決。全員一致で可決。再度、予算委員会へ。15時から、NC会議。鳩山代表の挨拶は、(1)パレスティナ情勢、(2)李鵬委員長との会談、(3)後藤田さん曰く「無政府状態だね」。4野党の政治倫理確立合意、健保法改正案、公務員通報法案(内部告発手続き)、京都議定書等の中間報告があり、テロ資金条約などにつき党議を決定しました。
18時から、日本青年館で4野党が開いた「BSE緊急措置法案早期成立国民集会」に出席。2000人の参加者で、各党首も熱のこもった挨拶。酪農家の代表が、北海道の酪農家の手紙を紹介されました。「私のところから2頭目の患畜が出て、他の60余頭が屠殺されました。1頭も患畜はいなかったのに、誰からも一言のお詫びもありません。息子夫婦は黙って家を出てしまいました。3代かけて築いて来たのに、年老いた私には、何もなくなってしまいました。国の失政の責任はないのでしょうか。」
19時から、東京社民連の同窓会。区議、市議など10数人が集まり、賑やかに飲みました。若さと情熱だけで小さな政党に集った、気分の良い仲間です。「初心忘るべからず」です。21時から、参議院の仲間と更に一杯。
東京社民連の同窓会
今日は8時半から、民主党憲法調査会役員会。まず調査会の位置付けにつき、鳩山代表の直属機関で、代表の諮問に応えて答申するという、党内の位置付けを再確認しました。次いで、憲法改正国民投票法案につきヒアリング。よく考えられた提案ですが、この調査会で取り扱うのが適切かどうか、更に検討を尽くすことになりました。
10時半から、議員総会。井上議長関連の不祥事につき経過報告。11時から本会議。武部農水相に対する問責決議案が議題の中心です。まず人事案件があり、公明党はこれも欠席。小泉首相に裏切られたつけは大きいですね。問責決議案は、民主党の輿石さんが趣旨説明し、和田洋子さんが賛成討論。共産、自由の賛成討論も女性が登壇し、台所の怒りをぶつけましたが、残念ながら102対114で敗れました。次いで5法律案の採決。
13時から、ドイツ連邦議会の法務委員会のメンバー7人が来訪され、参議院法務委員会のメンバーと1時間にわたり意見交換。日本の国際テロ対策につき、私から説明しました。イラク攻撃への日本の参加は簡単ではないと言うと、頷いておられました。
15時から、東ティモール議連の協議。15時半、日弁連の伊藤事務次長と協議。16時から、現代総合研究集団の30周年と解散につき、関係者として取材を受けました。私の父のブレーンが中心となって作った政策集団で、最も良質の提言をしてきたと思います。
17時から1時間弱、秘書制度についてテレビ朝日のインタビュー。18時から、インターン3人の研修が終了したので、送別会。久し振りにカラオケで盛り上がったのですが、私は最終新幹線で帰岡。
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