江田五月 活動日誌 2002年9月 (1日) | >>日程表 | ホーム/総目次/9月目次/ 前へ|次へ |
旭川源流で小倉村長と 今日は、8時前に自宅を発って、岡山県の最北端、新庄村へ。途中、稲刈りの始まっているところが有ったり、とうろもこし畑から走り出て山の中に逃げていく猿に出会ったり。中山間地の秋です。
11時、小倉村長が出迎えてくれ、毛無山を3合目まで案内してくれました。ぶな林が見事で、今年3月、大山・隠岐国立公園に編入され、これから観光に力を入れていきます。今日は残念ながら雨交じりで、それ以上は断念。
11時半過ぎから、峠を越えた蒜山からも含め10数人が、山の家に集まってくれ、30分程度、私の国政報告。次いで大亀事務局長が事務局の報告。12時半から、ビールも入って会食。町村合併の話や民主党代表選の話も出て、盛り上がりました。新庄村は、村制施行130周年で、いまだかつて一度も合併をしたことがないそうです。
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記念写真をとって、14時過ぎにお別れし、一路岡山へ。17時から、グッズ会議。やっと印刷に回すところまでこぎ着けました。夜は、津村君や若いスタッフの皆さんと、自宅で鍋。
今井澄参議院議員が死去。通常国会の最後まで、国会に出てきて、参議院厚生労働委員会の健保法の強行採決のときにも、委員会に出席、質疑もされました。すさまじい気迫でした。私とは、学生運動以来の同志ですが、最近は特に、若い皆さんのことを大切に考え、私にもよくその思いを語ってくれました。合掌。
菅直人さんの「今日の一言」から
訃報 2002-09-01 (Sun)
今日朝、今井澄参議院議員の訃報が飛び込む。本当に惜しい人を亡くして残念。医者であるご本人は自分の病気が重いことを知りながら、先の国会では健保法反対で最後まで本会議と委員会で質問に立たれていた。今井さんはかっての東大全共闘の行動隊長。その後、やさしいお医者さんとして地域医療に尽くし、院長を後進に道を譲って参院議員になられた人。私も今井さんから一月ほど前、年金について話をしておきたいといわれ、夕食を共にした。若い世代の事をいつも考えておられた今井さんが、私に残された大きな課題と受け止めている。
国民の多数派獲得 2002-09-02 (Mon)
昨夜、今井澄参院議員のお通夜に長野県茅野市のご自宅に訪れる。まだ62歳でもっと活躍してもらえたのに本当に残念。しかし考えてみると今井さんの人生は普通の人の何倍も濃度の高い人生だったと思うと奥さんと話す。
今井さんの地元長野県知事選、田中康夫氏が圧勝。「夜明け前に戻すのか」という訴えと、農村部に足を運んで直接県民に語りかける姿勢が圧勝を生んだ。議会関係者など「プロ社会」での多数派工作に成功しても、直接国民に訴える力がなければ知事選や総選挙では勝てないことを、田中康夫氏は改めて証明してくれた。民主党代表選も「党内多数派工作」でなく「国民の多数派獲得」を目標にして頑張りたい。
記念写真 |
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