江田五月 活動日誌 2002年9月 (2〜3) | >>日程表 | ホーム/総目次/9月目次/ 前へ|次へ |
今日は、7時半から岡山駅前で、恒例の街頭演説「おはよう730、民主党です!」。草苅隆幸県議が20分ほど県政報告をし、私が30分ほど国政報告。長野県知事選の田中さんの勝利や、田中さんを強く支援しながら、昨日未明、まさに「夜明け前」に亡くなった今井澄参議院議員のことにも触れました。彼は民主党代表選では、3年前はピンチの菅さん推薦でしたが、今回は若手に思いを託していました。彼らしい選択です。
その若手の皆さんは、「集団的自衛権」に何の迷いもないようです。中には靖国公式参拝を公言する人もいます。私は、今井さんの信条も心情もよく知っており、「それはないよね、今井さん!」と叫びたい気持ちです。その後、津村啓介さんが10分弱決意表明をし、綾大介君が最後を締めました。みんなで一緒に、喫茶店で朝食。私は、9時過ぎの新幹線で上京。12時半からと15時から、代表選の対応につき、いろいろな人と協議。次第に煮詰まってきています。取材。
18時前に議員会館を発って、小川敏夫さんと往復6時間のドライブで、茅野市の今井澄さんのご自宅に弔問に出かけました。迎えてくれた奥さんとお子さんたちに、昨夜の通夜も今日の密葬も不参で、8日の葬儀も参列できないことをお詫びし、霊前にお線香を上げさせていただきました。仏壇には、お元気なころの今井さんがにっこり笑いかけていました。穏やかな最後だったとのこと。知遇を得て40年余。壮絶な人生に深く敬意を表します。
今井澄さんの霊前で
今日は、10時から断続的に20時過ぎまで、個別に数人の議員と代表選につき協議。その間に、取材も相次ぎ、分刻みの一日でした。
10時半、法務省担当者から、西日本入管センターの処遇改善につき、説明を聞きました。7月に今野東さんたちが、次いで8月に森山法相が、視察に出かけたところです。やっと常勤の医者が見つかり、9月1日から診察体制に入ったこと、被収容者の運動体制が改善されたことなどの報告で、それも無意味とは言いませんが、もっと根本のところで考え方の転換が必要です。
10時45分、人権擁護法案につき法務省担当者と協議。問題点はいろいろありますが、人権委員会を潰してしまえばよいというものではありません。さらに協議が必要です。
11時半から、三菱地所の丸の内ビル竣工披露パーティーに出席しました。35、36階のレストラン街には、超豪華なレストランが居並び、6階にも食堂街があります。他はオフィスビルで、既に契約は全部埋まっているようです。
代表選は、中野寛成さんが出馬辞退しました。中野さんの心境に思いを馳せています。まだ少し立候補の模索があるようですが、どうやら鳩山、菅、横路、野田の4氏の争いとなったようです。党員・サポーター登録についても、いろいろな情報が飛び交っています。一般有権者の思いと党内の思惑とのねじれが、最大値に達しているようです。今後はこれを縮めていかなければなりません。
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