2004年6月22日 目次      戻るホーム憲法目次

民主党憲法調査会「中間報告」 【第3小委員会:人権保障】


国際人権法と人権保障の確立をめざして

1.国際人権法と人権保障

今日、人権の実現と保障は「国際社会の共通の利益」と認識されており、日本における人権もまた、憲法とともに国際法規範によって支えられている。国連憲章は「人権と基本的自由を尊重するよう助長奨励すること」を国際連合の目的として掲げている(1条)。また、この目的の実現のために加盟国が国連と協力して共同及び個別の行動をとることを義務づけている(55条)。またその下に人権委員会を設置して、世界人権宣言を起草し、国際人権規約を作成した。これらは、今日では確立された国際法規範の一つに数えられている。

憲法第97条は、憲法の最高法規性の根拠が、個人の尊厳を中核とする基本的人権を現在及び将来に及ぶ「侵すことのできない永久の権利」として継承することにあることを示している。また続く第98条の2項で、国際法(締結した条約及び確立した国際法規)の誠実な遵守を明記している。この条項は、条約及び確立された国際法に対する遵守義務を課すことによって、憲法前文の国際協調主義を具体化するものである。国際法として確立した国際人権もこの最高法規性に基づいて保障されることがここに明示されている。

2.人権の実現と保障のために

しかし、日本においては、国際人権法を詳細な検討なしに、国内法の条文解釈で事たれりとする根強い法意識が存在し、総じて国際人権法の活用について消極的な傾向が少なくない。この現状を克服するために以下の点に取り組むべきである。

第1に、司法の項に「国際人権法の尊重」を記述するべきである。第2に、国際人権保障にかかる動向を追跡し、必要な事項について国に対して勧告する権能を有する国内機関の設置を検討すべきである。第3に、憲法第98条2項に、国際条約の尊重・遵守義務に加えて、そのための適切な措置を講ずることを記述する必要がある。第4に、憲法第97条に、国際人権法の支配を認める表現(「今日、確立された国際人権制度の下で、普遍的な人権の保障の達成をめざすことは国民に対して課せられた義務である。」)を書き入れるべきである。


T.新しい人権

1.課 題
日本国憲法は、第3章第14条以降に人権に関する個別規定を置いている。しかし、急激な社会変化及び人権意識の高まりに伴い、憲法制定当時には予想していなかった権利や利益の主張がなされるようになり、これらを「新しい人権」として憲法による保護を認めるべきだとの意見が生まれている。また、幸福追求権を規定している憲法第13条は、「新しい人権」の根拠となる一般的かつ包括的な権利であり、裁判上の救済を受けることができる具体的権利であると解されるようになっている。

この動向を受け、その権利が、個人の人格的生存に不可欠であり、長期におよび国民生活に基本的なものである等の要件を満たすものについては憲法上の権利として認めて、人権保障を明確にするために憲法上の人権カタログとして明記すべきである。

2.提 案
(1)プライバシー権・名誉権
この権利は「私生活をみだりに公開されない法的保障ないし権利」と解されてきたが、さらに近年の情報化社会の進展に伴い、「自己に関する情報をコントロールする権利」と捉える見解がある。公権力に対し積極的に保護を請求する権利として、憲法上明記すべきである。また、名誉権は従来、民法上、刑法上の権利として認識されてきたきらいがあるが、憲法上の人権としての位置づけを明記すべきである。いずれの権利も、表現の自由との関係で緊張関係を有する。

(2)知る権利
とりわけマスメディアの発達に伴い、情報の受領・収集の自由を保障するために「知る権利」と捉えることが必要になってきた。国民主権の深化を目指す立場からも「知る権利」を憲法に明記すべきである。

(3)環境権
環境権を正面から承認した最高裁判例はないが、憲法25条と13条に根拠を持ち、早くから新しい人権として主張されてきた。人権としての環境権もしくは国家の責務として環境保全義務など、環境権に係わる規定を憲法に明記すべきである。

(4)自己決定権
自己決定権とは、一般的に(1)自己の生命・身体の処分(2)家族の形成・維持(3)個人のライフスタイルに関する事項の自由をさすが、ライフスタイルの多様化に伴い益々重要な権利となってきている。権利の内容を検討した上で憲法に明記すべきである。

U.人権保障と第三者機関

1.課 題
21世紀は「人権の世紀」とも言われている。これは、1990年代、国連を中心とした国際人権保障が「基準設定」から「人権の実現」へと大きく歩み出したことによるものである。日本国憲法は、人権に関する規定と保障において優れた諸規定を設けているが、その文言を形に変える「実現」のための方策について曖昧であり、多くの人権が実現されないままに、いわば「泣き寝入り」するという状態が放置されている。これは、人権の実現に関する公正な第三者機関を欠いているせいでもある。

他方、1993年の国連総会のいわゆる「パリ原則」は、「国内人権機関」は、(1)憲法またはそれに準ずる法律を設置根拠とし、(2)法定された準司法的機能を含む独自の権限を有し、(3)国家機関とは別個の高い独立性を持つものでなければならないとしている。司法的救済手段の充実とともに、人権侵害の状況に対する不断の監視と、人権の実現のためのサポートシステムとして独立性の高い国内人権保障機関の確立が強く求められている。

2.提 案
(1)国家機関から独立した第三者機関としての「人権委員会」(仮称)の設置を、現在の会計検査院のように、憲法に明記する。

(2)憲法に基づいて新たに設置される人権保障機関は、「相談、斡旋・指導等、調停、仲裁、勧告・公表、訴訟援助」(法務省答申)に加えて、強制手段を含む救済訴訟の機能を付与する。

(3)また、公権力に対する強制調査手段とともに、私人間についても、一定の厳格な要件の下で強制調査の権限を有するものとする。この権能は、メディアによる人権侵害についても適用される。

(4)新たな「人権委員会」に「提言機能」を持たせて、同委員会の判断が以後の人権保障に実効的に作用するよう、立法・行政にその尊重義務を課すものとする。

(5)以上の機能を有する国内人権保障機関へのアクセスを可能にする条件整備を国および地方公共団体に義務づける。

V.法の下の平等

1.課 題
日本国憲法は、人権に関する基本原則の一つとして、差別の禁止を謳い、国民の平等権と「法の下の平等」を保障している。ただし、これまで、憲法上の規定は、国家と個人との間に適用されるものであって、私人間の関係にはこの規定は原則として直接適用されず、14条のみを根拠として被差別者の救済をはかることはできないとされてきた。このため、私人間の差別に関しては、民法90条の公序良俗違反規定や709条の不法行為規定など私法上の条項を媒介にして、憲法上の人権規定を間接適用するという方法がとられてきたが、この方法には致命的な欠陥がある。公序良俗規定は抽象的に過ぎて、人権保障があまいであり、権利性の確保に十分なものとは言えない。かつ、この規定では、生活慣習の異なる外国人の人権や、従来の通念を超える同性愛者の権利保護などを取り込むことには限界がある。

2.提 案
(1)カナダ1977年人権法の例のように、人権カタログを拡大し、その内容についても簡潔に明示するといった、憲法上の人権カタログの再整備を行う必要がある。

(2)独立性の高い人権保障救済機関の立ち上げ、個人の人権実現をサポートするオンブズマン制度の確立などについて憲法上の位置つけを明確にしつつ、人権保障・人権救済のための仕組みを整備するべきである。

(3)私人間の権利関係であっても、「法の下の平等」が確保されることは憲法上の要件であることを踏まえ、上記の国内法の整備と合わせて、「差別禁止」が私人間であっても適用できるものへと憲法及び関係法の見直しを行う。


W.情報化社会と表現の自由の制約

1.課 題
一般に、表現の過誤は権力によって糾されるべきではなく、思想の自由市場によって淘汰されるべきであり、説得と投票箱の過程を基礎付ける表現の自由によって可能な限り保障されるべきであるが、「言論に対しては言論で」という図式は、巨大マスメディアが登場した現代社会では必ずしも現実的でないケースがある。特に個人に対する関係ではマスメディアは人権(特にプライバシーあるいは名誉権)侵害の主体となりうるという点を見落とすことができない。とりわけ高度情報化時代を迎え、インターネットなど新しい媒体での表現の自由をどのように保護し規制するか、他の基本的人権や社会的利益との調整をどうすべきか改めて検討する必要が出てきている。

2.提 案 
(1)「表現の自由」については、本来的にはメディアによる自主的取組みに委ねられるべきであるが、その位置づけを何らかのかたちで法の下に位置づける必要がある。

(2)さらに、国家機関から独立した第三者機関としての「人権委員会」設置を憲法上明記し、メディアによる人権侵害に対しても、一定の厳格な要件の下で強制調査の権限を与えるべきである。

(3)放送メディアについては、伝統的に周波数帯の有限稀少性と放送の持つ特殊な社会的影響力などから、活字メディアにはない規制がかけられてきた。しかし、近年ではCS(通信衛星)や光ファイバーを利用した放送が普及してきたことや、インターネットを通じた情報流通が急速に広がるなかで、これまでの規制の根拠がそのままでは必ずしも妥当しなくなっている。改めて、放送メディアに対する規制のあり方について見直し、憲法上も厳格な枠組みの設定を検討する必要がある。

X.職業選択の自由の保障

1.課 題
憲法第22条は、「職業選択の自由」を規定している。そして、「選択の自由」が実際に保障されるために、政府にはその選択の自由のための社会基盤を整備する責務があると見なければならない。例えば、職業能力の開発・向上のための機会の提供、差別的募集・採用・昇進による「選択の自由」の阻害要件の排除、職業に関する情報提供及びアクセスの保障や相談機能の整備などである。さらに、ハンディキャップを有する人々に対して開かれたユニバーサルシステムの採用なども検討すべきである。とりわけ、女性にとっての家族責任と職業選択のトレードオフ状況の解消は大きなテーマである。

また、憲法第27条は、勤労の権利と義務を明記し、続いて、勤労条件の基準についてこれを法律によって定めるとしているが、多様な形態の勤労のあり方を選択する権利がどこまで保障されているのか、新たな課題となっている。さらには、報酬を伴わない社会貢献的活動としての勤労には、その社会的活動基盤の整備促進をすることを、中央及び地方の政府の「責務」であることを明記すべきである。

2.提 案
(1)そもそも、憲法第22条には性格を異にするものが混在したままである。独立分離し、職業選択の自由に関する精度の高い規定を設けるべきである。

(2)職業機会は、すべての人々に開かれたものでなければいけない。例えば、国は、家庭と仕事の両立支援の責任を負い、企業はこの両立を理由として差別的な待遇を行ってはならない。また、「職業選択の自由」を保障するものとして、職業能力開発支援と年齢や性別による差別を禁止することは国及び地方公共団体の責務であることとすべきである。

(3)多様な形態の勤労のあり方を保障する。報酬を以て行う勤労については、均等待遇の確保が優先される。報酬を伴わない社会的活動としての勤労には、その社会的活動基盤の整備を促進する。これらの選択は個人の自由にゆだねる。社会奉仕時間の保障も明記する。

(4)いわゆる雇用関係や経営活動は異なるものの、各種の社会サービスや公共性の高い市民事業などについてこれを「自由な選択」の重要な対象として位置づけて、例えば、「何人も、公共の福祉の増進ための市民労働への参加を妨げられない」など、憲法に新たな条項を起こすことも検討すべきである。

Y.外国人の人権

1.課 題
日本国憲法第3章に、外国人の人権は明文化されていない。マクリーン事件最高裁判決では「憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきである」と示された。外国人の人権保障を考える際には、世界人権宣言、難民条約、国際人権規約などを有力な基準として採用し、国際人権保障の要請に応えるべきである。

具体的な課題として、ここでは、主に(1)地方自治体における外国人の参政権問題、住民投票問題、(2)外国人登録及び再入国について、(3)難民受入れ制度を検討する、(4)その他の外国人の人権問題をとりあげる。

2.提 案
(1)「地球市民」「連帯の権利」が主張されている現在の国際的な潮流に鑑みても、外国人の人権は、その保障を明確にするために、憲法に明文規定を設けるべきである。

(2)地域住民としての義務を果たしている永住外国人の地方参政権を制限する根拠は乏しく、人権保障の観点からも問題がある。永住外国人に地方参政権を認めるべきである。また、住民投票についても同様に保障すべきである。

(3)国際人権A規約に関する委員会は、外国人の登録証明書の常時携帯義務については、一般永住者、特別永住者への適用、また、特別永住者への再入国許可制の適用は廃止すべきだと勧告している。この2点について見直すべきである。

(4)出入国手続と難民認定手続が同一の機関で行われていること自体に根本的な矛盾がある。難民認定業務を分離し第三者機関に行わせることが必要である。

(5)外国人の両親が不法滞在者である場合の子どもの法的取扱い、日本人の配偶者となっている者のその日本人である配偶者が死亡した場合の在留資格の扱いなど、人権侵害の状態が続いている。国連、ILOなど外国人のセーフティネットのための国際規約の批准を急ぎ、上記の「外国人の人権」に関する憲法規定の明確化と合わせて、国内法の整備を進めるべきである。

Z.財産権の保障と制約

1.課 題
日本国憲法29条1項は、「財産権は、これを侵してはならない」と定めて、個人が現に有する財産上の権利(財産権)を保障している。これに対して、財産権といえども、公共の福祉に服さなければならないと強い考えがある。とりわけ国民生活に不可欠で、かつ希少価値を有する土地・エネルギー・自然環境資源等については、環境の質の確保や公正・公共的な利用の観点から、社会的目的に沿ったより合理的な規制が置かれてしかるべきである。

いわゆる所有権の絶対性を強調する考えから大きく超えて、「所有権は義務を伴う。その行使は、同時に公共の福祉に役立つべきである」としてドイツ・ワイマール共和国憲法以来、第二次世界大戦後のドイツ連邦共和国基本法やイタリア共和国憲法、フランス第4共和国憲法など、公共の福祉による所有権の行使(利用)の制限を憲法上の規定として明示するところが少なくない。財産権、とくに土地の所有にかかわる所有と利用のあり方を見直すべきである。

2.提 案
(1)第二次大戦後のヨーロッパ諸国で確立されてきた、所有権の絶対不可侵を超える社会的利用に関する考え方を採り入れ、現代型の財産権を再定義する必要がある。

(2)日本国憲法29条について、もともと公共の福祉に服すべき性質の強いものと、それ以外の財産との違いを考慮した規定を設けて、合理的な財産権の行使と制約を明確にする。

(3) 例えば、《奈良県ため池条例事件》判決などに見られるような判断を基準に、社会的目的に適合した土地所有の制約と受忍の限度に関する規定を考慮しつつ、条文の見直しを行う。

(4)財産権の制約に際して伴う補償のあり方については、その公正な手続きと「正当な補償」の基準についても合わせて明記する。

(5)著作権、特許権、商標権等に関わる保護についての一般的規定を明記し、いわゆる知的財産権に関する憲法上の保障を付与する。

[.子どもの権利

1.課 題
日本国憲法は、第26条2項、第27条3項などに子どもに関する規定を設けているが、日本における子どもをめぐる政策論が、少子化対策、治安対策など特定の政策目的として語られ、ひとり一人の子どもの権利をどのように保障するかという観点に欠ける傾向があるともされている。このためもあって、日本はこれまで、国連子ども権利委員会より2回の勧告を受けている。第2回勧告の中では、それまでの勧告の内容が、十分実行されているとはいえないと指摘され、一層の改善措置を求められている。これらの具体的勧告に基づき、政府の諸施策のあり方を見直し、国内法整備を行うことが急務である。

子どもの権利条約は、「世界中の子どもが幸せな子ども期を過ごし、一人ひとりの子どもが、その能力を最大限に発達させ、自由で民主的な大人として、成長することが、世界平和の礎である」とする人類の願いを成文化したものであるが、条約が求めている通り、「恩恵」や「福祉」を施すことではなく、子どもにとっての「最善の利益」を最優先することが基本でなくてはならず、その前提の上に「権利」の保障ができるようにすべきある。

2.提 案
(1)憲法に子どもが権利を享受し、行使する主体である旨、明記すべきである。また、実効的に権利を保障するために、子どもからの苦情や権利侵害の救済に対応できる独立した「子どもの権利保障機関」の設置も必要である。

(2)政策への子ども自身の参加の仕組づくりを含め、憲法付属法としての「子ども権利基本法」の制定も不可欠であり、基本法には、条約にも盛り込まれている「生命、生存、発達の権利」「意見表明権」「プライバシーの保護」「障害のある子の自立」などを明記すべきである。

(3)非嫡出子、在日韓国、朝鮮人ら少数者の子どもへの差別、日本人の父親と外国人の母親との間に生まれた子どもが、父親の認知がなければ日本国籍を取得できない問題、女子の結婚最低年齢を16歳から18歳に引き上げることなど、憲法が求める「法の下の平等」に適合するものへと、国内法改正を子どもの権利条約は、「世界中の子どもが幸せな子ども期を過ごし、一人ひとりの子どもが、その能力を最大限に発達させ、自由で民主的な大人として、成長することが、世界平和の礎である」とする人類の願いを成文化したものである速やかに行うべきである。

\.信教の自由と政教分離ルールのあり方

1.課 題
信教の自由は、明治憲法において明文で保障されていたものの、神道が事実上国教化していた経緯がある。現行憲法は、明治憲法への根本的反省から、信教の自由(20条1項前段・3項)を政教分離(国家と宗教の分離/20条1項後段・2項、89条)と一体的に規定している。戦後は、宗教的活動の禁止に係る判例が蓄積されているものの、信教の自由の侵害を請求原因とする訴訟においては、憲法判断回避も含め実効的な権利救済がなされていないのが現状である。また、政教分離規定が人権規定ではなく制度的保障と理解されているため、憲法上の訴えを提起しにくいという状況にある。 

また、「少数者」の信教の自由と政教分離が対立する事例が出てきていることから、宗教的人格権(静謐な宗教的環境の下で信仰生活を送る権利)の位置づけをどうするか、その在り方を検討すべきである。

2.提 案
(1)現状では政教分離をめぐる訴訟を通じては、人権侵害の事実認定が困難で、権利救済にも国家への歯止めにもなりにくいことから、国家と宗教との「厳格な」分離を基本理念(出発点)として規定すべきである。

(2)許容される関わり合いについては、厳格な目的効果基準(レモンテスト)を憲法位置づけることを検討すべきである。その際、当該行為の目的が宗教的意義を持つか、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉等になるかに加えて、国と宗教との間に過度の関わり合いを促すかを判断基準とし、いずれか一つに該当すれば違憲と解するべきである。

(3)上記に関して、立憲民主主義の立場から、特に少数者の信教の自由を保障できなければならない場合、それを国家の責務として明確化すべきである。

(4)宗教的人格権を、個人の人格的生存に不可欠な権利として、新しい人権に位置づけることを検討するべきである。

(5)政治的解決策として、新しい国家追悼施設の建設・整備を進め、靖国神社参拝問題を事実上終焉させるべきである。


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