《 岡山社民連11年のあゆみ 》1977〜1988 | >>社民連十年史 |
1977年(S52)3月 | 江田三郎、50年間の社会党生活と決別し離党。 |
5月 | 江田三郎、慈恵医大に入院。10日後に急逝。 |
7月 | 江田五月、参議院全国区に出馬。1,392,475票で第2位当選。岡山県内では139,223票。 |
1978年(S53)3月 | 岡山社民連は全国社民連よりも1週間早く、3月19日に結成。 代表 大亀幸雄 書記長 金谷光夫。 |
1979年(S54)6月 | 社民連日中友好の翼訪中団に、大亀幸雄、寺田明生、河原昭文の3名が参加。 |
11月 | 衆議院議員選挙(岡山2区)に江田光子を擁立して挑戦。34,432票で惜敗。 |
1980年(S55)1月 | 長野士郎氏を社会・公明・民社・社民連で4党共同推薦。 |
2月 | 岡山社民連第2回大会を開き、「市民が主役の政治」を再確認。新役員を決定。代表
江田五月 書記長 大亀幸雄 参議院岡山地方区候補問題で、公明・民社・社民連3党書記長会談を開き、統一候補について検討開始、不成立。 |
6月 | 衆議院議員選挙、岡山一区では柴田健治(社会)、岡山二区では林保夫(民社)と政策協定を結び推薦。参議院岡山地方区については、寺田熊雄(社会)を推薦。 |
1981年(S56)11月 | 社民連秋期研修会を、友愛の丘(建部町)で開催。講師は宇佐美忠信、広瀬道貞、叶芳加、江田五月。 |
1982年(S57)1月 | シンポジウム「21世紀の政治を考える」を開催。講師は田英夫、河野洋平、楢崎弥之助、江田五月。 |
11月 | 「江田五月立候補宣言集会」を開催。約1300名が参加。 |
1983年(S58)4月 | 佐古信五(県会議員)、寺田明生(岡山市議)当選。 岡山市長に黒瀬剛を推薦、惜敗。 |
7月 | 衆議院議員岡山一区江田五月87,110票でトップ当選 参議院岡山地方区選挙秋山長造(社会)を推薦。 参議院全国区選挙田英夫当選。 |
1984年(S59)7月 | 県知事選挙、長野士郎推薦当選。 |
9月 | 江田五月日中友好訪中団として江田団長外10名が参加。11日間中国各地を視察。 |
1985年(S60)2月 | 社会民主連合第4回全国大会を友愛の丘(建部町)で開催。路線論争に終止符を打ち、「再生・前進」を誓う。代表 江田五月 書記長 阿部昭吾 |
5月 | シンポジウム「連合時代の政治を考える」を開催。講師は篠原一、内田健三、江田五月。 |
1986年(S61)4月 | 「おはよう7・30江田五月です」岡山駅前にて、街頭演説を開始。 |
7月 | 衆議院議員選挙岡山一区江田五月87,815票で連続トップ当選。 岡山二区林保夫推薦当選。 参議院議員岡山選挙、高原かつや(革新・無所属)を推薦。180,395票で惜敗。 |
11月 | 岡山社民連第3回大会は「新しい市民的革新政党の結成」を提唱。 代表 江田五月 書記長 大亀幸雄 |
1987年(S62)2月 | 土井たか子社会党委員長、江田五月宅を訪ねて、故江田三郎の霊前に焼香。 |
4月 | 県会議員――橘民義(岡山・公認)、佐古信五(倉敷・推薦)、井本丈夫(赤磐・推薦)いずれも当選。 市会議員寺田明生(岡山・公認)、則武伸一郎(岡山・推薦)、寺田和子(岡山・支持)神埼裕康(津山・推薦)いずれも当選。 |
5月 | 「江田三郎没10年墓前祭と江田を語る集い」建部町で開く。参加者300名。 社民連日ソ友好訪ソ団として、江田五月、大亀幸雄が参加。 |
1988年(S63)1月 | 社会党・民社党・社民連それぞれの「新年パーティー」に、3党代表が出席して連帯の挨拶。 |
5月 | 第59回メーデー、23年ぶりに統一メーデー実現。 |
6月 | 参議院岡山選挙区の革新・中道統一候補の選考について、「公明・民社・社民連、連合代表会談」開始。4党統一候補を目指して努力することを確認。 |
11月 | シンポジウム「国民待望の新党を問う」講師は、國弘正雄、大内秀明、楢崎弥之助、江田五月。800名が参加。 |
1994年(H06)5月 | 全国代表者会議で解散・日本新党との合流を決定。 |