2001/11/30

戻るホーム2001目次前へ次へ


民主党は司法制度改革にどう取り組むか

意見書に対する評価

 私たち民主党の基本的姿勢は、国民の皆さんとともに、「市民が主役の司法」の実現に向けて、これらの改革が速やかに実現されるよう全力を尽くすということです。

 そのため、審議会に対しても、折にふれ具体的提案をしてきました。最終の意見書についても、当時の小川敏夫法務ネクスト大臣(参議院議員)と司法制度改革ワーキングチーム座長の私(参議院議員)の連名で、これを高く評価する談話を出しました。全体に国民から疎遠で司法ニーズに応えていない現行制度の改革を目指し、国民主権の司法を実現しようという姿勢に裏付けられているからです。各委員の実質的な議論の経過が直ちに公表されるという形で審議が行われ、全員一致の意見をまとめたことにも、敬意を表します。

 特に、国民の司法参加のための「裁判員制度」の提案、裁判官の給源多様化のための弁護士任官と判事補の他職経験の推進の提案、人事の透明性、客観性の確保のための国民参加の推薦機関設置の提案などを評価し、さらに法曹人口の飛躍的増大につき明確な数値目標を打ち出し、新たな法曹養成のため法科大学院構想を提案したことも評価しました。

 これらは、法曹一元と陪審制度の導入という私たちのもともとの提案からすれは不十分ですが、同じ方向を向いていることは確かです。また、行政に対する司法チェックの改善に欠かせない行政訴訟の改革や、国民に身近な司法を実現するための家庭裁判所の改革、最高裁のジェンダーバランスなど、私たちが提案した課題の中で今回取り残されたものもあり、さらに弁護士費用負担のありかたについても、注意深い制度設計が必要です。

 これから改革を具体化する段階に入ります。細部の制度設計や立法作業には、課題が山積しています。その推進体制も、今回の審議会と同様、「官」任せにせず、学識経験者、在野法曹をはじめ広く国民の参加を得て構成すべきです。十分な予算措置も不可欠です。

 9月8日、私が再び法務ネクスト大臣になりました。チームプレーで取り組んできたことではありますが、あらためて不退転の決意を固めています。

司法改革の必要性

 私は、法曹の一員でもあり、もともと司法改革に関心がなかったわけではありません。しかし、この問題のマイルストーンは、2000年2月18日に日弁連などが主催したパネル・ディスカッション「司法改革・東京ミーティング」であったと思います。3,000人以上が殺到して会場は溢れ、多くの人がパンフレットも貰えずに帰りました。パネリストは田原総一朗さん 自民党から保岡興治さん、民主党から私のほか、経営者団体、労働団体、消費者団体の人々や現職裁判官など、多彩な顔ぶれですが、人々を惹きつけているのは、司法改革というテーマそのものです。しかも討論の中では、法曹に対する不満の発言に大きな拍手がおき、それは弁護士に対する場合も例外ではありませんでした。決して動員で来た人々ではあり皇せん。市民の中に、司法に対する怨嗟の声が充満しており、市民が司法改革を求めて集まったのです。驚きました。

 今、国民各界各層の中に、司法に対する批判や不満が渦巻いています。自民党や経済界の人たちからすると、経済のグローバル化の中で、世界を相手にした経済競争で生じてきた問題を、日本の裁判所で裁いてもらおうと思うと、時間がかかって、しかも要領をえないという不満があるでしょう。私たちも、その点も重要だと思っています。

 市民にとっても、近づきやすい司法制度にして欲しいという願いがあります。法律家に相談したいことが山ほどあるのに、弁護士さんの数は少なく、話を聞いて貰おうと思っても、高い敷居が邪魔をします。裁判は、いつ結論か出るか分からず、裁判所では、書面のやり取りや専門用語ばかり。裁判官にゆっくり話を聞いて貰うこともできません。

 規制緩和や行政改革が進み、自己責任が強調されます。これまでは、あらかじめ行政が何でも調整をしてくれるはずで、おかしなことがあれば行政の責任を追及しておればよかったのですが、今はそういう時代ではなくなっています。

 市民社会に起こる紛争も、多様になっています。消費者のこと、労働運動の新しい課題、公害問題とか環境問題とか、新しい紛争が登場しています。知る権利や個人情報保護、ストーカー、DV、チャイルド・アビュースへの対応など、人権問題についても新しい視点からの解決が司法に求められています。行政に対する不満がいっぱいあるのに、行政事件で市民が勝つのは容易なことではありません。

 そういうものが、裁判所で公正に解決してもらえるのかどうか。市民にとっても、司法改革は大きな課題になっています。

司法改革の理念

 私たち民主党は、以上のような司法改革の具体的必要性の他に、その根底に横たわる司法改革の理念の検討も重要だと考えています。

 わが国は戦後改革で国民主権になりましたが、大慌てで新制度をつくりましたから、不十分な点がいっぱいあります。司法についていえば、戦前の天皇の名による裁判から、戦後は国民の名による裁判になりました。しかし、本当に国民主権となっているでしょうか。裁判をする権限は国民に由来するということを、裁判官が本当にわかっているでしょうか。裁判を受けた市民の中で、裁判官が偉くて、お白州の裁きに従わされるという感じを受けた人は、数限りなくいます。

 理念の大改革が実際に制度改革として実現したのは、司法府の独立を除けば、最高裁判所裁判官の国民審査、裁判官の指名・任命方法、裁判官弾劾裁判所制度ですが、これらはいずれも名目的で、現実に威力を発揮することはめったにありません。

 その上、最近は裁判官の不祥事件がいろいろと起っています。公正であるべき裁判官が法に反することをしていては、裁判自体が国民から信用されなくなってしまいます。

 司法を、本当の意味での国民主権のもとでの司法、つまり「市民が主役の司法」にしなければなりません。今画の司法改革は、国民主権の理念に貫かれたものでなければならないというのが、私たち民主党の考え方です。

法曹一元と陪審制度の導入

 国民主権のもとでの司法を実現するために、私たちは二つの提言をしました。一つは「法曹一元」です。大学卒業後、修習を経て、他職の経験なく定年まで裁判官を務めるというキャリアシステムが、そもそも悪い制度だとまでは考えていません。立派な運用をしている国はたくさんあります。しかしわが国では、行政官も含め、キャリアシステムが制度疲労を起こしていることは、経験上明らかです。

 人間というのは、閉ざされた社会の中ではなかなか育ちにくいものです。だから、研修か終わったら、まず弁護士になり、たとえば10年間弁護実務の経験を積み、生きた事件のなまの声を聞いて、その中で鍛えられてから、人望を得た人が裁判官になるという、「法曹一元」の制度を、この際思い切って導入しようというものです。今から具体的に年限を区切って始めれは、2045年頃には全ての裁判官が法曹一元のもとでの裁判官になります。

 もう一つは陪審制度の導入です。普通の市民からアトランダムに代表者を選び、ある程度ふるいにかけますが、この人たちが証拠を見て判決を下す制度です。キャリア裁判官でなければ適切を証拠評価や事実認定は出来ないというのは、彼らの思い上がりで、しかも常識にも合致しません。その上彼らが、法曹にしか通用しない言葉でやりとりすると、市民には理解不能です。陪審制度だと、裁判が国民に分かりやすく身近なものになります。日本でも戦前は実施していました。戦争で一時停止され、それっきりになっています。

 審議会意見書は、私たちの提案を不十分にしか取り入れていません。しかし私たちは、それを理由に意見書を否定する道を選択しません。意見書の提案が現状より前に進むものであることは確かだからです。

 この程度の改革でも反発し、形だけ作ってお茶をにごし、提案を骨抜きにするという懸念も十分考えちれます。それでは市民の期待は裏切られます。今後、「抵抗勢力」を説得しながら、提案の趣旨を最大限実現することこそが重要です。

 給源多様化などの裁判官に関する提言は、法曹一元の根底に流れる思想を念頭において、目一杯実現しなければなりません。判事補の他職経験も、見聞を広めるといった程度でなく、その趣旨をしっかり踏まえて本気で取り組むべきです。さらに、裁判員制度の導入も、たとえばキャリア裁判官に比べて裁判員の数を圧倒的に多くするなど、国民の司法参加という実態を伴ったものにしなければなりません。

 しかし私たちは、事実認定にキャリア裁判官が関与するのが適切でない特定の事件群があると考えています。政治犯罪、公務員の犯罪、表現の自由に対する犯罪については、キャリア裁判官をはずし、裁判員だけで事実認定を行う制度を導入すべきです。

法曹人口の増加と養成制度

 「市民が主役の司法」実現の具体的処方箋の第一は、容量の点で貧弱な現状を改めることです。司法は、質の改革も重要ですが、量的にも、飛踵的に拡大された機能を担うことが求められています。まず法曹人口自体の飛躍的拡大を実現し抜く道筋を示さなければ、司法改革に説得力が伴いません。

 量の拡大により、何よりもまず「身近で充実した司法」実現の基盤が整います。法曹一元や弁護士任官の実現の基盤も、量の拡大がなければ整いません。さらに事件量の増大により、裁判所の規模拡大も不可避となります。

 量を拡大すると、質が落ちるとの意見がありますが、私たちはこれに与しません。競争原理が質の向上の機能を有することも認めます。

 私たちの提案は、早急に制度改革を推し進め、10年後には、少なくとも法曹人口5万人を実現しようというものです。その段階になれば、そこまでの成果を検証し、新たな制度設計を行って、将来は、現在の法曹人口のほぼ5倍程度に当たる10万人体制を目指します。

 さらにこの10年間に、知的財産権、税務、登記、会計等の分野の専門隣接職種につき、資格制度、業務分野等を含む総合的検討を行い、世界に誇り得る充実した力強い司法を実現します。

 以上のような法曹人口の飛躍的増大を実現するためには、毎年3,000人の新しい法曹が誕生しなければなりません。そこで、法曹養成も現在の制度では間に合いませんから、司法試験に至るまでの問の養成過程としてロースクール(法科大学院)を作り、そこである程度養成をして、司法試験はその中の8割ぐらいが合格するように制度設計するという提案をしました。今回の意見書は、だいたいそういう考え方です。

 今回の意見書は、ロースクールを文部科学省の所管にしています。しかし、ロースクールは教育の最終段階というよりも、法曹養成の最初の段階なのです。既存の大学にロースクールを併設するのに反対ではありませんが、文科省所管以外のものがロースクールの設置主体となることも認めるのですから、文科省が学校法人を所管するからという理由でロースクールをすべて所管するのは、適切ではないと思います。現在の司法試験管埋委員会を改組し、第三者機関にして、ロースクールの設置認可や監督のほか、新司法試験、新司法修習を含め、法曹養成過程を総合的に所管するというのが、私たちの提案です。

関係者の姿勢

 大学教育に携わっている皆さんに問題提起をします。今の法学部教育に反省が必要ではないでしょうか。大学の教育が直ぐに実社会で役立つものではないでしょうが、それにしてもあまりにも浮世離れしているとの批判があります。ロースクール教育に携わる大学の教員には、もっと実務的なセンスをもってほしいと思います。ロースクール教育には、実務家の人にも加わってもらうことは当然です。

 最高裁の姿勢が問われます。司法府は、最高裁が項点にいて全組織を引っ張っていくという性格の機関ではありません。もともと、司法が世の中を動かす牽引車になったら大変です。しかし司法改革は、最高裁がその気になってくれなければ、前へ進みません。

 それから弁護士会です。従来、弁護士会はどちらかというと改革に対してブレーキを踏むことが多いと見られていたようですが、今回はかなり前向きの姿勢を示しています。

 弁護士と比較すると、司法書士は全国各地にまんべんなく散らばって仕事をしており、市民のホームロイヤーの役割を果たしています。そこで簡易裁判所などでは、司法書士にもう少し裁判所での役割も担っていただくべきだと思います。今回の意見書にある隣接法律専門職種の権限拡大の提案に私たちは賛成です。

行政訴訟改革等

 意見書は、司法制度改革の基本理念として、法の支配の確立を高らかに掲げていますが、それにしては、行政訴訟の改革は問題提起に留まっています。面龍点晴を欠くというべきで、残念な点のひとつです。

 行政に対する司法審査の確立は、国民主権の基本的な柱の一つですが、現実には、行政訴訟はほぼ原告敗訴と決まっているかの観を呈します。アクセス障害がありすぎるからです。

 私たち民主党は、大胆な行政訴訟改革を提案しました。それは、処分性要件の排除、不当処分に対する司法審査の導入、管轄の拡大、訴えの利益と当事者適格の緩和などです。現在の行政法の基礎には、学説としての「行政法総論」があり、これは行政の優位を大前提としています。改革の為には、この理論を捨て、市民と行政が対等の立場に立つことを大前提として、制度設計をし直さなければなりません。

 そのほか、意見書にはいろいろ注目すべき提案があります。民事も刑事も訴訟促進が必要であり、準備手続きや証拠開示などが大切です。人訴の家裁移管も適切と思います。被疑者弁護や少年の付添い人制定の改善、犯罪被害者支援、ADRの拡充もあります。全てに触れることは出来ません。

 最高裁判新教判官のジェンダーバランスや年齢バランスの欠如は、深刻です。これらは内閣の指名権、任命権の適切な行使により、容易に改善することが出来ます。今回の意見書には盛り込まれていませんが、民主党政権が最初に着手する課題の一つです。

司法制度改革実現のために

 今回の改革は、戦後の司法改革の中で特筆すべきもので、何十年ぶりかの大改革です。ぜひ全面的に実現しなければなりません。

 何より大切なことは、今回の意見書を最大限尊重することです。いろいろ言いたいことはあるでしょう。私たちにもあります。しかし、昨年2月のパネル・デイスカッションで燃え上がった司法制度改革に対する市民の期待を思い返せば、ここは法曹関係者も政治家も、批判よりも実現を重視すべき時だと思います。

 これから、法案の作成や審議が待っていますが、行政府も立法府も、意見書の提案を一歩も後退させることがあってはなりません。むしろ場合によっては、「市民が主役の司法」に向けてさらに一歩前進を期すぐらいの気構えが必要です。

 立法府では、意見書提出の直前に、超党派の議員懇談会が立ち上がりました。まだ本格的活動に到っていませんが、必ず役割が回ってくると思っています。

 司法制度改革の議論が始まった後に、いくつかの少年重大事件と少年法改正、精神障害者と司法の問題、また福岡事件をはじめとする司法の信頼を揺るがす問題、弾劾裁判、さらにはハンセン病問題についての画期的判決と最終解決問題など、国民の大きな関心を集めた司法に関する出来事が続きました。たまたま私はこれらの全ての問題に民主党の責任者として、あるいは国会の担当者として関わりを持ちました。この経験を全て司法制度改革の実現のために生かしていきたいと思います。

法律時報増刊 「シリーズ司法改革 III」 (日本評論社)掲載


2001/11/30

戻るホーム2001目次前へ次へ