2004年4月28日 >>会議録

戻るホーム2004目次前へ次へ


裁判員の参加する刑事裁判に関する法律案について

民主党・新緑風会 江田五月


私は、民主党・新緑風会を代表して、裁判員の参加する刑事裁判に関する法律案につき質問します。

第一、司法制度改革の位置付けと尺度

一、司法制度改革の理念

まず、今の日本の裁判に国民は満足しているかどうか、政府の認識を法務大臣に伺います。私は、国民は今の裁判に大いに不満だと思います。裁判が遅いこと。裁判所が不親切なこと。検察官や弁護士も含めて、法曹全体が国民から遠い存在で、仲間内だけでしか通用しない言葉でやり取りをして、結論を押しつけてくる。冷たい、言うことを聞いてくれない、わかるように説明してくれない。つまり日本の司法は官僚的で、国民主権の原理に則っていないということです。

わが国は戦後、天皇主権から国民主権への大改革を成し遂げ、司法も、かたちは国民主権になりましたが、実態はどうか。国民も司法関係者も、国民主権という実感を持っていないのではありませんか。そこを変えるのが、今回の司法制度の大改革です。戦後改革で取り残された分野の改革という意味では、半世紀ぶりの改革です。明治維新改革で出来た官僚制司法の改革という意味では、一世紀ぶりの改革です。歴史的大改革という気概があるかどうか、法務大臣の認識を伺います。

二、法曹の意識改革

司法制度改革は、制度だけでなく、意識の改革も重要です。裁判の関係者が皆、在朝も在野も含めて、国民主権の原理に則って主権者に仕えるのだと、つまり自分たちは公僕だという意識を持つかどうかです。人の意識は、お説教だけでは変わりません。制度を変えて、公僕意識を持たないと良い仕事が出来ないような制度にすることです。制度改革が、意識改革を伴うものになっているかどうか。これが、制度改革が合格点かどうかを決める尺度のひとつになると思いますが、如何ですか、法務大臣。

三、国民の意識改革

意識の改革は、司法関係者だけに求められるのではありません。国民もまた、裁判の場面においても、自分たちが主権者だという意識を持つようになることが必要です。日本の民主主義は輸入品だからなどと、泣き言を言う時代は過ぎました。今回の改革が、国民の主権者意識を育むことになるかどうか。これが、合格点かどうかを決めるもうひとつの尺度になると思いますが、法務大臣、如何ですか。

第二、司法制度改革の要諦

一、法曹一元と陪審制度

私たち民主党は、このような視点から、司法制度改革審議会に積極的に意見を申し出てきました。当初改革の柱と考えたのは、法曹一元と陪審制度の導入です。その基盤として、法曹人口の抜本的増加も不可欠です。これらが思いどおりでなくても、「市民が主役の司法」の実現という理念が生きて育っていく状態であれば、合格点を付けようと考えました。

そして、審議会の意見書が出たとき、不満もありますが、総合的に見て、合格と判断しました。さらに、理念実現に向けて、意見書よりさらに前進するように、また、決して最終意見から後退することのないように、その実現に努め、今回の裁判員制度の導入に当たっても、その姿勢を貫いてきました。

二、先の見えない改革――柔らか頭

しかしこの改革は、これまで経験したことのない、いわば海図のない航海です。手探りで、闇夜を進んでいくようなところがあります。ですから、制度設計に本当に合格点がつけられるかどうかは、その後の試行錯誤の道筋を見ないと判らないことです。そこで大切なことは、柔らか頭と決断です。課題に直面した時、決断は不可欠ですが、その結果の評価については、常に柔軟な頭で、いつでも過ちを正す態度が、これまた不可欠です。

そこで、法務大臣に質問します。司法制度改革の制度設計を決定するに当たって内閣が取った基本的な姿勢と、これから制度の構築を進めていくに当たって内閣が取ろうとする態度は、以上私が述べた方向と一致するのでしょうか、違うのでしょうか。また、政府案は、衆議院で修正されました。政府は最善の法案を提出したと言うのが常ですが、今回は、以上述べたような柔らか頭で修正を受けとめて欲しいと思いますが、いかがですか、法務大臣。

三、裁判官養成プロセス

私は、特に今、裁判官の養成プロセスを改めなければならないと思っています。裁判官訴追委員会には、裁判官が国民の奉仕者になっていないことに起因する案件がたくさん寄せられています。裁判官以外の社会経験を何も経ずに、人を裁く立場になってしまえば、のぼせ上がるのは当たり前です。私自身も、裁判官だった当時を思い返してみると、汗顔の至りです。


こうした裁判官の意識改革を、彼らの独立した職権行使の気概を損なわずに実現するには、純粋培養された官僚裁判官とは全く異質のものを、裁判の現場に深く介入させることが、ひとつ考えられる制度改革だと思います。今回の裁判員制度は、多様な価値観を持った社会人を裁判に参加させることにより、裁判に社会常識を取り入れようというものですが、同時にこれにより、裁判官が、裁判員を含めた評議を経て結論を得るためにする苦労が、裁判官の意識を変えることにもなるのです。私はそのことも、裁判員制度で期待したいのですが、法務大臣はどうお考えですか。

四、陪審制度と裁判員制度

わが国では、陪審制度が一九二八年の陪審法施行により導入され、十五年間実施された後に、一九四三年に戦争の激化により停止されました。しかしその際、停止法付則第三項で、「陪審法ハ今次ノ戦争終了後再施行スルモノトシ其ノ期日ハ各条ニ付勅令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定されているのです。ですから、裁判制度の改革には、この規定に従った陪審再施行という方法もあります。

そこで伺います。今回の裁判員制度は、過去にあった陪審制度を手直しして再開するものではなく、裁判官制度と陪審制度をうまく組み合わせ、両者の融合により全く新しい裁判制度を作ったとの自負がおありなのだろうと推察しますが、いかがですか、法務大臣。

この点は、重要だと思っています。わが国初の平民宰相、原敬首相は、枢密院での陪審法案審議の中で、「憲法実施後三十年を経たる今日に於ては、司法制度に国民を参与せしむるは当然の事なり。」「此の際陪審法を設けざれば、国家の前進の為に害多し。人民をして司法に信用を置かしめ、上下の阻隔と杜絶怨嗟の勢を絶ちたし。」と述べました。後に枢密院議長になる穂積陳重博士は、陪審法公布の前日、「現在を将来の因と観ますれば、立法に於ける選挙権、行政に於ける自治権と相並んで、司法参与の要望が国民全体の胸中に潜在し、潜勢力の状態に於て存在することは明であります。故に過去の果たる現在のみに著目して国民の要望に非ずと云ふは、盾の一面のみを見た偏見であると云はねばなりませぬ。凡て立法は将来の為にするものであります。」と述べているのです。

今回の新制度導入に当たって、このような人の心を揺さぶるような言葉が聞かれないのは、なぜでしょう。木に竹を継いだものだから、そのような言葉が出て来ないのではないでしょうね、法務大臣。

第三、裁判員制度の危惧

一、裁判内容への裁判員の参加

実は私は、この新制度が、新たな光を放つ理想的なものになって欲しいと願いながら、運用次第では、木に竹を継いだ、不細工なものになり、立ち枯れの危険もあると感じています。それはひとつには、裁判官と裁判員の数のバランスが、裁判官に偏っていると思うからです。

裁判員は素人です。法律のことは知りません。それが良いのです。法律は、法律の玄人であると素人であるとを問わず、すべての人に関わります。そこで国民が、法律の適用対象としてだけでなく、法律の適用主体としても法律と関わろうというのが、裁判員制度の眼目です。

関わるなら、実質を伴っていなければなりません。法律のプロである裁判官と、社会生活のプロである裁判員とが、実質的な協議が出来なければなりません。裁判員が、何ら気後れすることなく自分の考えを述べ、そのため、評議が結構手間取ることがあっていい。むしろ、なければなりません。そこで私たちは、裁判官に比べて裁判員の数を圧倒的に多くし、しかも評決には特別多数決を要するとすることを考えたのです。私たちも政府案を了承はしましたが、実は心配なのです。実務の扱いでは、過半数が得られたから評議はお終いではなく、極力全員一致の結論を得るように努力すべきです。その努力が貴重なのです。法務大臣に、ご見解を伺います。

二、裁判のプロセスへの裁判員の参加

裁判を国民主権のものに変えるには、判決内容だけでなく、裁判のプロセス自体に対しても、国民の参加を得ることが大切です。法律の素人が主体的、実質的に裁判過程に参加するためには、公判手続や証拠調べを、裁判の知識や経験がなくても分かるものに、変えなければなりません。そのためには、迅速で充実した集中審理のため、検察官に十分な証拠開示を義務づけ、その上で準備手続を充実させること、さらに、裁判員にも分かる審理とするため、いわゆる直接主義・口頭主義を徹底するよう、例えば、供述証拠は証言を原則とし、供述録取書面については、取調べの可視化を条件とすることなど、制度上、運用上の工夫をすることが必要と思います。本法案では、この点が不十分ではないか、法務大臣に伺います。

三、常識と法規範の食い違い

国民の常識を裁判に反映させるのが裁判員制度ですが、現在の常識が常に正しいとは言えません。特に悩ましいのは、憲法や法律と裁判員の常識が食い違う場合です。例えば差別禁止のように、法規範は現実を正すという面があり、その場合は、裁判員も法規範に従うことが求められます。法の解釈や適用の場面ですと、裁判官の出番ですから良いのですが、事実認定にこれが紛れ込むと、やっかいです。陪審でも最も悩ましい課題なのですが、この法案ではどのように手当てされていますか、法務大臣に伺います。

四、守秘義務違反の罰則

裁判員制度は、国民の理解と支持なしには成り立ちませんが、そのためには、この制度の情報が、豊富に国民に知らされる必要があります。この点で心配なのは、裁判員や裁判員経験者の守秘義務です。政府案は修正されましたが、そもそも守秘義務は何故必要なのか。これは、じっくり考えてみると、結構難しい問題です。法務大臣は、何故だとお考えですか。

裁判員が、報復を恐れて自由な発言が出来なくなることを防ぐためと言われます。秘密のベールで覆っておくほうが、裁判の権威が高まると言う人もいます。いずれも、それほど必要性が高いようには思えません。これに対し、秘密のベールをはぎ取ると、実態が明らかになりますから、国民に身近なものとなり、事後の検証も可能になります。よりよい制度に育てていくには、秘密は少ないほうがいいです。

もちろん、プライバシーの保護や風紀を乱すことの防止は必要です。多様な利益をしっかりと見比べて、バランスの取れた判断をするため、守秘義務の範囲を、もっと具体的に記述できないでしょうか。

この判断は、具体的なケースによってまちまちですが、最後は裁判所が、裁判員制度に及ぼす有害な影響の程度を判断するのですから、法定刑の下限は刑の免除とするのが望ましいと思います。これらの点につき、法務大臣の見解を伺います。

第四、おわりに

細かな事は省き、最後に法務大臣に伺います。大先輩の角田義一議員が、私たちの会議で、裁判員制度は裁判の革命だと喝破されました。私も、そう思います。及び腰では、うまくいきません。腹をくくって、大決断をやりきる勇気があるかどうか、覚悟を述べて下さい。

終わります。


2004/04/28 >>会議録

戻るホーム2004目次前へ次へ