2008年6月26日 |
平成20年6月26日
於 東ティモール国民議会フェルナンド・ラサマ・デ・アラウジョ国民議会議長閣下、議員の皆さん。ご列席の皆さん。
私は本日、まさに万感の思いを込めて、演説を行わせていただきます。独立を果たした東ティモール民主共和国の厳粛なる国民議会において、議員の皆さんと東ティモール国民の皆さんに、日本国参議院の議長としてお話しするというのは、これまでの皆さんの苦難の歴史と私との関わりを思い出してみると、夢のようであります。古くからの友人であるラサマ・デ・アラウジョ議長には、このたび、私たち一行を東ティモールにお招きいただいた上、この栄誉ある素晴らしい機会を設けていただき、心からの感謝を申し上げます。
また、本年2月には襲撃事件がありましたが、負傷されたラモス・ホルタ大統領が快方に向かわれ、シャナナ・グスマン首相が無事であったことに、胸をなで下ろしています。この事件の解決で、また皆さんの建国の足取りが、一段と確かなものになると確信しています。
私はこれまで20年間以上にわたり、一貫して東ティモールの自決権行使を支援してきました。東ティモールへの訪問も今回で5回目であり、特に1999年には住民投票の監視団に参加し、2001年には憲法制定議会選挙の監視団として、この地にまいりました。その際、若い母親が正装して子どもを抱きかかえながら投票していたのを目の当たりにし、大きな感銘を受けたことを思い出します。その母親は、東ティモールの新しい出発をわが子自身の記憶にもしっかりと刻みつけておきたいとの一心で、早朝から徒歩で子ども連れでいくつも山を越えて投票所まで来たのです。私はこれを聞いて、東ティモールの国民の皆さんがいよいよ自決権を行使する時が来たのだと実感するとともに、この皆さんの現実の体験があれば、必ず建国は成功すると確信し、これからも、この新しい萌芽を支援していこうとの意を強くしたものです。
日本においても私は、1986年の国連での意見陳述に続いて、衆参両院の超党派議員による「東ティモール問題を考える議員懇談会」を設立し、その事務局長を、そして後に「東ティモール議員連盟」に改組して会長を務め、東ティモールの民族自決の完全実現と新しい民主主義国家建設の支援に向けて、議員間での問題意識の共有と日本政府や国際社会への働きかけに努めてまいりました。訪日された東ティモールの皆さんの日本国内での集会行脚のお手伝いをしたり、ポルトガルでの「東ティモール国際議員団(Parliamentarians for East Timor)」結成に参加したり、訪日される要人にお会いすることも数知れず、東ティモールの問題は、私の議員活動のかなりの部分において、長く主要な位置を占め続けたのです。こういうわけで私は、議長就任後最初の外国訪問に、東ティモールを選びました。
こうした私の活動の原点のひとつになったある人のことを、ぜひ紹介させて下さい。貴島正道さんといい、残念ながらこの春、90歳で他界されました。第2次世界大戦中に日本軍は、宗主国のポルトガルが中立国であったのに、その植民地であったこの地を占領しました。貴島さんは、そのときの兵隊の一人で、現地の状況をつぶさに見て心を痛めていたのです。戦争はどこでも悲惨ですが、この地においても、特に女性や子どもたちに耐え難い痛苦と屈辱を与えました。私は今、改めて心からのお詫びを申し上げます。貴島さんは帰国後、政党活動に携わり、特に1974年のポルトガル政変以来続いた皆さんの困難な民族自決の歩みを、一貫して支援してきました。私も必ず一度、背負ってでも貴島さんをこの地にお連れしたかったのですが、叶わぬこととなりました。しかし、日本のような過去を背負った国にとって、同じアジアの仲間の建国を支援することは、日本が国際社会の中で崇高な役割を果たしていくために、欠かすことの出来ない責務だと確信しています。
そして私は、2002年にはついに、独立式典にて21世紀最初の独立国の誕生に立ち会うに至りました。東ティモールの記念すべき歴史を刻んだ時間を共有したこの時の感激は、今も強く心に残っています。同時に、式典参加の各国首脳とともに喜びの言葉を交わし、その後イラク戦争の中でバグダッドで任務中に横死したセルジオ・ヴィェラ・デ・メロ国連事務総長特別代表の晴れやかな顔が、今もまぶたに浮かびます。
しかし一方で、東ティモール国民の皆さんは現在もなお、大変な苦難の中にあります。建国の作業はどこでも大変な苦労を伴うものですが、独立までの過酷な状況を考えると、まず国民の中にある様々な亀裂を修復しなければなりません。皆さんの受容真実和解委員会の作業は、国際社会でも高く評価されています。同時に、独立が一般国民の毎日の生活にとって良かったと受け止められるためには、政情の安定や経済活動の向上が不可欠です。現状の改善は、もはや一刻の猶予も許されないと思います。皆さんの絶え間ないご努力に対し、心から敬意を表します。そうした中にあって、東ティモールの国づくりの基礎となる国民議会の役割はきわめて重要だと確信しています。国民議会における活発な議論は、東ティモールの平和と安定を目指す国民の皆さんの利益に直結するものであり、高く評価しています。ラサマ・デ・アラウジョ議長をはじめ、国民議会の議員の皆さんの一層のご活躍を期待せずにはいられません。
これまで日本は、自衛隊や警察要員の派遣、開発協力などを通じて、東ティモールにおける平和の定着と国づくりを支援してきました。今後とも、国際社会を主導して、東ティモールの平和と安定のために、最大限の支援を行ってまいりたいと考えています。そして、それを円滑に進めるためには、両国の政府同士の交流はもちろんのこと、議会同士、議員同士の緊密な交流の促進が不可欠です。
日本では、議会開設から120年近くが、今の憲法が衆参両院を設置してからも、60年以上が経過しました。昨年の参議院議員選挙の結果、衆参両院の与野党の構成に変化が生じ、日本の議会政治は大きな転換期を迎えているところではありますが、その積み重ねた歴史の長さゆえ、海上を直進してきた巨艦がすぐに舵を切れないように、方向転換に手間取っている面も否定できません。それでも長い私たちの議会政治の経験や知恵が、皆さんのお役に立つこともあると思います。一方、発足間もない東ティモール国民議会は、若き活気とある種の熱気を帯びていると思います。そうした生成期の議会である東ティモール国民議会から、いわば成熟期にある日本の国会が学ぶべきこともあるのではないかと考えています。
幸いなことに、今般、ラサマ・デ・アラウジョ議長のイニシアティブにより、東ティモール国民議会に日本の議会との交流を進める議員連盟が発足すると伺っています。ラサマ・デ・アラウジョ議長とともに、その発足に貢献したアトゥル・カレ東ティモール担当国連事務総長特別代表に深く謝意を表します。
今回のわれわれの東ティモール訪問を契機に、今後、両者の議員連盟間の交流はもとより、広く議員間の交流を通じた協力支援が一層幅広いものとなり、これが両国の友好関係の促進に、ひいては東ティモールの安定と繁栄に寄与することを、心より期待しています。
ラサマ・デ・アラウジョ議長をはじめ、国民議会議員の皆さんには、その一歩として、ぜひとも近い将来に日本にお越しいただき、参議院を訪問されますよう、公式に招請申し上げます。
結びに皆さんが、美しい地球の中でもとりわけ美しい自然を誇るこの地域に、自由と民主主義の質の高さを誇る東ティモール民主共和国を立派に作り上げられるよう、そして国民の皆さんが平和で心豊かな生活を享受されるようお祈りして、この厳粛なる東ティモール国民議会における私の演説を終わります。
ご清聴ありがとうございました。
2008年6月26日 |