2008年9月26日

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『ねじれ国会』をどう活かすか (講演録)


 皆さん、こんばんは。ご紹介をいただきました、参議院の議長を務めております江田五月でございます。

 きょうは、話す内容をきっちり固めてきてないんで、思い付くままということになるかと思いますけど、お許しください。

東大時代〜裁判官・弁護士時代
 東大はずいぶん変わりましたね。私は、駒場は全部で4年間いたんですけど、本郷は2年しかいないんであまり詳しくないんですが(笑)、この建物に来ても、何だか昔とは全く違ってしまったような感じがいたしました。

 私は、入学が1960年、ちょうど安保闘争の真っただ中に入学をしました。郷里の岡山の高等学校を出てすぐに入ったんで、もうびっくりしました。地元では、やれマルクスがどうしたなんていうのは遠い話だったんですが、大学の同級生は、『共産党宣言』はどうとか、『経済学・哲学手稿』はどうとかって、すごい人たちばっかりで、こんな中で一体どうなるのかと思って、負けないようにと思ってたら、いつの間にやら自治会の委員長ということになってしまって、さらにいつの間にやら退学になってしまいました。

 しかし、実は、また入学して無事に卒業しております。そう言うとみんなびっくりするんですけど、東大っていうのは本当に温情主義のところでして、退学にはなったけれども、除籍じゃないんで籍は残っていて、前に取った単位は全部生きるんだということで、無事に66年に卒業いたしました。

 卒業後10年近く判事補をやりまして、もうすぐ判事になるかなと思っていたら、どんでん返しで退官して、参議院選挙に出るということになりまして、1977年、裁判官を辞めて弁護士登録いたしました。最初は二弁に登録していたんですが登録替えで現在は岡山弁護士会所属ということでございます。

 しかし、弁護士の仕事は1年ちょっとぐらいしかやってないんです。会費はずっと払っておるんですけど(笑)。1996年に岡山県知事選挙に出て、相手が47.6パーセント、私が47パーセントで、わずか0.6ポイントの差ですが、負けは負けで負けまして、次に1998年に、もう一度参議院のほうで国政に復帰するまでの2年間の間の1年少々、弁護士の仕事をしただけでございます。

 法曹というのはこのくらいしか就いたことはないのですが、にもかかわらず、今年は40年目ということで、10月の半ばには、中国弁連で表彰していただけるということになっております。もらえるものはもらわなきゃということですけれども、法曹とは名ばかりなんだと思っております。

満票で参議院議長へ
 そんなことをいろいろ話しておってもしようがないんで、「ねじれ国会をどう活かすか」というのが、きょう与えられたテーマでございますが、最近の政治の状況、これを多少かいつまんで説明をしてみたいと思います。

 昨年の参議院選挙、これはもう皆さんもご承知のとおり、与野党逆転したんですね。この逆転というのは、珍しいわけではないんです。なぜか9年ごとに、ここのところ逆転してるんです。昨年の逆転で、参議院では小沢一郎さんが総理大臣に指名された。その9年前、1998年、このときも逆転で、このときには菅直人さんが総理大臣に指名された。さらに9年前、1989年、逆転で総理に指名されたのが土井たか子さんなんです。今からだと懐かしいお名前です。

 9年ごとに逆転ですが、しかし、総理大臣の指名についてはすべて幻に終わったわけです。だけど、何もかもがすべてが幻に終わったんではなくて、18年前、9年前と比べて、去年の逆転は一つの成果を残した。それは、不肖、私が議長になったということでございます。これは、個人的にも感慨深いものがありますけれども、個人的にじゃなくて、18年前と9年前とは、逆転はしていても議長は自民党出身の方だったわけです。

 逆転ですから、野党が全部腕を組んで議長選挙をやれば、それは野党が勝つんです。しかし、参議院はそんな乱暴なことはしない。紳士で行こうというわけで、第一会派が議長、第二会派が副議長という、そういう申し合わせができておりまして、これは結構きっちり守られております。従って、18年前も、9年前も、第一会派の自民党から議長が出ておりました。

 ところが、去年は、ついにこの第一会派が変わりました。第一会派が民主党になって、従来のルールどおりということで、民主党推薦の者が議長になるということで、私が自民党の候補に勝ったんじゃなくて、満票で議長になりました。

 議長というのは、中立でなきゃならんということがありまして、私も議長になったとたんに会派を離脱して無所属になりました。満票ということでもあるし。

 満票、そういうルールだから当たり前だろうとおっしゃるかも知れませんが、そうでもないんです。やっぱりいつも、あいつだけは絶対に書きたくない、ここは自分の名前を書く、とかいう人が必ず出てきて、一人、二人、違った名前が出てくるもんなんですけど、去年はありがたいことに満票でした。

参議院議長の中立性
 そんなことで、今、国会の中では無所属でおります。国会の中では無所属でも、外へ出たら、東京でも地方でも、民主党の方を一生懸命応援し、票集めをしているということになりますと、これは国会の中の無所属が偽装になってしまいます。鶏肉の偽装や、ウナギの偽装も問題ですが、国会の議長が偽装じゃ、ちょっとこれはしゃれになりません。

 党籍は持ってるんです。民主党の党籍はあるんだけど、国会の中では会派を離脱している。だけども、その党籍があるということで、いろんな政治活動をする、政党活動をする、選挙運動をやるというようなことは、これはやっておりません。地元の民主党の県連でも私は単なる顧問で、顧問というのは出ないんだということで、一切、会議にも出ないということにしております。

 これがなかなかつらいのですが、中立を極力守っております。議長の中立というのは、これは面白いことに、衆議院と参議院と両方を経験すると、若干、違いがあるんです。衆議院の議長も中立なんですけど、どうも参議院のほうがより中立性というのを強く守っているような感じがします。

 というのは、おととい、首班指名の選挙がございました。これは衆議院では、もちろん麻生太郎さんが3分の2以上で圧勝ですね。よくテレビを見てますと、河野議長が名前を呼ばれるんです。呼ばれたら河野議長は、投票用紙をお隣の事務総長に渡して、事務総長から先はちょっとテレビでは見えないんですけど、誰かに渡して、その誰かさんがグーッと演壇へ来て投票してるんです。衆議院では河野議長が投票しておるんです。

 参議院でも私の名前を呼ばれるんです。呼ばれるんですが、私は投票しません。これは「先例録」っていうのがあって、そこにきっちりと明記してあるんです。議長は投票しないとは書いてありません。そうじゃなくて、議長席にいる者は投票しないと書いてあるんです。ですから、私が投票したければ、議長席から外れれば投票できるわけですが、それがなかなかそうはいかないんです。

 結果はどうだったかといいますと、第1回投票では、私と、もう一人、海外に出張中の者がいまして、二人投票してないんで、参議院242名から2名引いて投票総数240、第1回投票の小沢一郎は120票でした。240で120ですから、ちょうど半数なんです。過半数でなきゃ駄目なんですね。第1回投票の120っていうのは、残念ながら過半数ではないんです。私が投票してれば過半数になってそれで決まりなんですが、決選投票をやるということになりました。

 私が投票したいから、一つ、副議長を代わりにここで議長席に座ってくださいと言えば、副議長が座るんですが、今度は、そのときに私が議席に行けないんです。議席に行ったら、議長に事故あるということにならないですよね。議席にいるんですから。即、すぐに議長席に戻らなきゃいけないんです。という具合に、私は投票したくてもできない。

 これもなかなかつらいもんで、全然、そんなことは思わなかったんですが、去年の8月7日でしたか、議長に当選をしまして、そのときには議席にいたんです、自分の。当選して、職員が呼びに来て、案内されて、演壇に上がるんです。それであいさつをして、その次に議長席に上がるんです。もう後は下りられないんです。演壇の所まで戻れないし、議席まで戻ることもできない。だから、これは、ひょっとして、あの世に行くときにはこんなふうにして、戻れない階段をどんどん上ってあの世まで行っちゃうのかなと、後で考えて、もうちょっと議席の座り心地をよく確認しておけば良かったなと思ったりしました。そんな具合で、議長の中立性というのは参議院で極めて高く守られております。

 私も二世議員でございます。世襲というのは、ちょっと当たらないと思うんですが、二世議員でございまして、私も父の後を継いだ。その父は、1976年、国会議員25年で表彰を受けたんです。表彰を受けたときに、色紙を渡されて、何か記念に揮毫しろと言われて、何を書いたか。「議員25年、政権も取れず恥ずかしや」と。川柳になってるかどうか分かりませんが、とにかく、国会議員25年間、何とかして政権交代をやりたいと頑張って取れなかったという悔しい思いを持ちながら、父は翌年に亡くなっていきました。父は、とにかく社会党を離れて、ただ一人で新しい政党を立ち上げて、参議院選挙に出ると言って、そのまま亡くなったわけですから、しかも、亡くなったその日が私の誕生日ということになって、これはやっぱり誰かが跡を継がなきゃ、誰かというのは私が跡を継がなきゃというので、その父が掲げた旗をもう一度握りしめて走り出して、今、32年目に入ったところです。

 親子で50年以上、政権交代の構図を日本につくろうと、こうやってやってきて、まさに今、政権交代、なるかどうかは、これは分かりませんし、議長がそこのところは言うべきことじゃないと思いますが、客観的にはそういう前夜にいることは間違いない。その重要な選挙で、77年以来、それはもう、市会議員の選挙から国政に至るまで、選挙があれば必ず真っ先に立って、自分の選挙もやったり、応援もやったりしてきたのに、この重要なときに選挙の応援ができないっていうんですから、このくらいいらいらすることはないんですが、しかし、これはちゃんと、さっきも言いましたとおり、守っていきたいと思っております。

参議院議長の役割とリーガルマインド
 さて、議長としてどんな役割を果たそうと、今、思ってるかということなんですが、去年8月7日に議長になって、最初の議長としての仕事が、実は、長崎での原爆の式典、これへの参加でした。そして、いろんなことがありまして、8月7日でちょうど1年になったわけです。その1年間の一番最後の仕事は何だったかといいますと、8月6日、広島での原爆の式典です。長崎の式典の参加からスタートして、丸1年の最後は広島の式典の参加というわけです。河野衆議院議長はハト派の議長として大活躍をされ、今回引退ということです。私は、べつにハト派だなんて言わなくたって、誰もタカ派だとは思ってくれないと思いますけども、やはり、これはハト派として河野さんに負けずに頑張らなきゃならんということだと思っております。

 もう一つ、参議院の議長として、法曹出身、弁護士出身の議長というのは初めてなんです。60年、参議院は続いているわけですが、調べてみたら、貴族院でも弁護士出身の貴族院議長というのはいなかったようです。ですから、初の弁護士出身の議長として、これはやはり、法曹の皆さんに恥をかかせちゃいけないというのは私の第一の任務だろうと思っておりまして、リーガルマインドを活かせる、そういう議長として頑張らなきゃならんと思っております。

 ちなみに、衆議院でも、戦前はちょっと調べてないんですけども、弁護士出身の議長って少ないんです。清瀬一郎さんぐらいしか頭に浮かばない。リーガルマインドというのは、議長なんかには必要な資質、あるいは、法曹というのは十分議長をやる有資格者だと思うんですが、なぜかそういうことになっていない。 それから、もう一つ。内閣総理大臣と、最高裁の長官と、衆参議長が三権の長というわけですが、内閣総理大臣は、おとといに就任したばかりです。私より新しいです。河野さんは今度の解散でお辞めになると言っています。島田最高裁長官は定年が11月だそうです。そうすると、間もなく私がこの三権の長の最古参ということになります。1年ちょっとで最古参というのも妙な話ですが、やはり一番の古株として、これも頑張らなきゃならん、そんなことを思っておるところでございます。

 三権の一つを預かってるわけで、これは日本は三権分立というわけで、行政府や司法府に対して、あまり差し出がましいことを言うべきでないと思っております。議長は中立ですから、立法府の中の各会派の議論について、こっちが正しいとか、あっちの肩を持つということはできませんが、立法府を預かる代表として、立法府と行政府との関係で、行政府の皆さん、それはおかしいですよということがあれば、これはものを言わなきゃならんというふうに思っております。

 例えば、去年、安倍首相が、これ、私はひどかったと思うんです。病気ですからしようがないといえばしようがないけれども、しかし、臨時国会も始まって、総理大臣として所信表明演説を衆議院と参議院でおやりになったわけです。これに対し、与党、野党を越えて、みんな、その所信表明に対して、国民を代表して、こういうことをただしたいと、代表質問ですね。その代表質問のために腕まくりをして、さあ、やろうという、その10分前に内閣総理大臣を辞めるっていうわけです。これはやっぱり、もし、健康状態でこのまま総理大臣を続けられないというんだったら、所信表明をやるべきじゃない。もし、所信表明をやったんなら、やっぱりそれは、たとえ演壇の上で倒れようとも、きついことを言いますが、それは逃げちゃいけないということで、私は辞任について、これは議長として批判をいたしました。両党の人が来ても、それは駄目ですよということを言いました。両党の人も、いや、それはこれでいいですよということは誰も言いませんでした。やはり、そういう筋はちゃんと通しておきたい。

 あるいは、また、立法府として、国際社会の中で立法府がないがしろにされてるという事態が起きたときにも黙っていられないというので、例えば、ミャンマー、ビルマはですね。あそこで選挙されて議員がいるのに議会を召集しない。それに対して、議会を召集しろという行動が起き、これに対して行政府が権力で弾圧する。それはいけないと、そういうこともはっきりと申し上げております。

 司法府に対しては、これは、やはり司法府に対する介入というのは絶対にしちゃいけないんで、むしろ、逆に司法府から言われたことを立法府はちゃんと尊重しないといけないということで、今、一番頭を悩ましてるのが、やはり、参議院の選挙の定数配分のことです。参議院議員の中にも、おれたちは国権の最高機関だ、裁判所は選挙のことなんか何も知らないんだ、選挙のことは裁判所に言われるようなことじゃないんだと言う議員がいます。これは民主党にもいますし、自民党にもいると思います。びっくりしますね。

 憲法判断ですから、いくら何でも、批判があろうが、何があろうが、最高裁が憲法判断をしたら、それはやっぱり頭を下げなきゃいけないことだと思うんですけれども、しかしやはり、自分のところの定数配分というのを自分で決めるというのは大変困難で、今、ちょっと困っています。

 これは議長の下に、各派代表者会議という、各会派の代表者の会議があって、その会議で参議院の改革協議会というものを各会派からメンバーを集めてつくっておりまして、ここでやっていただくことになっているんですけども、どうもうまくいかない。先日もやってくださいということは申し上げたんですが、なかなかうまく前へ進んでいません。

参議院のあり方について
 さて、参議院の建物の議長室の隣に議長応接室がありまして、そこの壁に儀式の絵が何枚も掛かっているんです。国会の中で行った儀式です。天皇陛下に来ていただいて行う儀式の絵です。国会の中で天皇陛下に来ていただける場所というのは、衆議院にはありません。参議院の方しかありません。本会議場に、議長席の後ろに、昔は玉座と言っていた、今は玉座という言い方がちょっと似つかわしくないんで、御席とか、お席とかいってますが、そういう席があります。

 そこに天皇陛下に来ていただいて儀式をやるんです。日本の議会ができて120年ぐらい、今の議事堂ができて70年ぐらいですから、最初の50年ぐらいは、今の議事堂じゃありません。別の所に天皇に来ていただいてやっている儀式の絵が3枚ぐらいあります。4枚目からが今の本会議場で行っている儀式なんですが、その4枚目、実は、参議院の本会議場ではないんです。今、参議院の本会議場として使ってる場所ですが参議院の本会議場じゃない。じゃあ、何だと。これはもうすぐお分かりですよね。貴族院なんです。貴族院の議場で、つまり、戦前の儀式で、おみえになっている天皇陛下は軍服を着てるんです。戦後、日本は貴族制度をなくし、女性も参政権を持ち、戦後改革というものをやりました。それによって戦後レジームというのはできたんですよね。

 だから、参議院は、言ってみれば、この戦後改革の申し子のようなものです。去年の参議院選挙で戦後レジームからの脱却を叫んだ人が約1名おられました。しかし、国民は、戦後レジームを脱却して、この貴族院のような時代に戻すことは駄目だと、そうでなくて、むしろ、戦後改革をもっと前へ進めろということで、この参議院での逆転をつくったんだと思っております。そういう意味で、参議院というのは強すぎたら、これはむしろ議会制民主主義にとってマイナスになるんだという、そういう意見もありますし、そういう面もあるかと思いますけども、それはやはり、そのときそのときの政治状況によるので、今のこの時期は、私は、参議院がむしろ強く自己主張をするというときだろうと思っております。

「ねじれ国会」をどう活かすか
 この衆参のねじれというものですが、この間、福田総理は、もう参議院が悪いっていうんで辞めちゃったわけですが、福田さんを辞めさせるようなことになっちゃって、本当に参議院はけしからんという意見もあるかと思いますけども、私はそう思っておりません。

 ねじれという言葉はどうも悪い印象が強いんですけど、しかし、どうでしょうか。例えば、縄ですね、あれはねじってなかったら単なる藁です。こよりなんていうのは、ねじってなかったら単なる細長い半紙の紙切れですから、ねじれをどう活かすかという、その知恵があるはずじゃないかと。その知恵を出す努力をみんなでしていかなきゃいけないんであって、ねじれ自体が悪いということにはならない。福田さんも、今、大変に力を落とされてるように見受けますが、参議院のほうはねじれて、しかも、かなり勢いがいいっていうのは就任したときから分かってるわけですから、それなのにねじれを使う知恵を、使いこなす知恵をもっと出していただければ良かったと思うんですが、あまり出されておりません。

 一番の知恵は、やはり両院協議会を使いこなすということだと思うんです。実は、おととい、両院協議会をやりました。これは、首班指名の時には、両院協議会は参議院から求めなきゃならないということになっておりまして。面白いですね。両院協議会は、私が議長になる前は、ずっとさかのぼって1993年か、94年になるのかな。細川内閣の時に、政治改革法案を出して、これを衆議院で可決して、参議院で否決して。このとき何回か協議会をやりました。これが最後なんですよ。それよりさらに以前を見ると、ずっと長く両院協議会をやってません。従ってこれまでは、めったに開かれないものが両院協議会なんです。

 政治改革の時には両院協議会は、実は成果を上げているんです。これはどういうことになったかといいますと、正確には、成果を上げたかたちにさせてもらったということですが、両院協議会の中では成案を得られませんでした。両院協議会は、おしまいとはせずに、一度お休みして、細川総理と、河野自民党総裁とでトップ会談をやってもらって、そこでこういうかたちにまとめようという、そういう成案をそこで合意しました。これを両院協議会に持ち込んで、これで行こうということにしたのです。

 ちなみに、先ほど申し上げた土井たか子さんは、そのときの衆議院議長で、そんなものをつくるために、わたしはトップ会談をあっせんしたんじゃないって言って、彼女に非常に怒られたそうですが、時すでに遅しで。まあ、成果を上げた。

 その前も、古い時代は、片山内閣とか、芦田内閣とか、吉田さんの時までかな。何回かあって、両院協議会で合意ができてるケースがいろいろあるんです。だから、両院協議会っていうのは、もともと合意ができないような制度設計になってるわけではないんです。ないんですが、私になって5回両院協議会をやって、全部成案が得られませんでした。 

 どうでもいい話なんですが、一つ言いますと、両院協議会の議長というものがありまして、この議長を衆参どちらがつとめるかはくじで決めるんです。5回とも全部くじが外れました、参議院は。全部衆議院のほうがくじを当てるんですね。参議院から出ていく者には、もうちょっと根性を持って引けって言ってるんですけど、なぜか負ける。ちなみに、その前の政治改革の時にもどうも負けてたのか、6回連続して参議院はくじに外れてるんだそうです。 5回というのは、首班指名が2回で、それから、予算が2回でしたか、補正予算と本予算かな、それと条約が1回かな。そういう、つまり、全部、衆議院が優越するということになってるものしか、実は、両院協議会を開いてないんです。

 これは無理ですよね。例えば、総理大臣を1日交代でやりましょうとか、頭と体を分けるって、そんなことはできませんから、総理大臣の指名で両院協議会で成案を得ることはもともと無理で、私は、これは憲法をつくったときに、あまり考えなかったのかなと実は思ったんです。本当は、法案でこそ両院協議会でしなきゃいけない。法案なら、これはそれぞれ各会派の賛成、反対を決めたりするわけですが、それでもいろんな意見があって、それをいろいろ調整しながら法案をつくり、調整しながら、これは反対と決めようとか、賛成と決めようとかやってるわけですから、法案については調整ができる、話し合いができるはずだと思うんです。ところが、法案については一度も行ってない。

 衆議院が可決をする。参議院が否決をして衆議院に戻す、これを返付と言うんですが、あるいは、参議院が修正をして返す。こういうときには、衆議院側が両院協議会を求めることができるとなっているんです。参議院から求めるものじゃないんです。衆議院がやはり裁量があるわけです。参議院が求める場合もありますけれど、そういうケースは今までありませんでした。

 それから、衆議院が可決をして、参議院が60日以内に議決をしないときには、衆議院は否決したものと見なして、3分の2で再可決というのがありますが、これも両院協議会ができるんです。ところが、衆議院側が求めてきませんでした。

 私が一番これはちょっと考えてほしいなと思ったのは、例の道路特定財源です。「道路整備費財源特例法」というんですが、衆議院から送ってきた法案は10年間延長するというんです。特定財源がいいのか、一般財源がいいのかっていう議論は、これはもう皆さんもご承知のとおりですから繰り返しませんが、10年延長するというので来て、参議院はこれを否決をしました。衆議院で再可決をするということですぐ本会議が開かれました。その本会議で再可決の前に民主党のほうが動議を出して、両院協議会の開催を求める動議というのを出したわけです。それは、衆議院側から参議院に求めなさいという動議なんです。

 この動議に対して、与党のほうは求めないという態度決定をしてるもんですから、民主党の川内博史君という若い議員が、1時間半、動議を求めるべしっていう演説をやったんですが、最終的に大差でこの動議は否決をされて、そして3分の2で10年間、特定財源制度を続けるという法案が再可決され、成立をいたしました。

 しかし、その本会議の日の朝、内閣は閣議決定をしていたんです。この閣議決定で特定財源制度は今年度限り、来年度からは一般財源化するという決定したわけです。従って、内閣が閣議決定までした意思と、3分の2の再可決でできあがった法律の内容は全く違うわけですよね。それなら、やっぱり、衆参、そこは議論をして、そして内閣の意思のように法案を変えようと。せめて、その話し合いぐらいはしなければ、それはおかしいんじゃないかと。私は、これは、それこそ、福田総理が両院協議会を求めようと言えば、それは自民党の総裁ですからそういうふうになったと思いますが、福田総理、そういう努力さえ実はしておられないんですよということを本当に申し上げたいと思うんです。

 政治的にも、もし両院協議会を開いたら、本当は困ったのは民主党かも知れないです。というのは、1年で特定財源をやめて一般財源化するというのはいいとして、もう一つ、暫定税率の問題がありますから。これは別の法律で、一度は民主党の反対で失効し、その後再可決で元に戻ってるんです。民主党がこっちのほうを目をつぶるというのはなかなか言いにくかっただろうと思います。

 いずれにせよ、根気よくやるべし。やっても、なかなか合意ができないというのは確かにそうなんです。両院協議会は衆参それぞれの院議を構成した会派から代表者を出すということになってまして、従って、衆議院ではその特定財源の法案を可決したのが院議で、この可決した院議を構成した会派、従って与党ですね。与党から10人が出てくる。参議院でこれを否決をした。これが院議ですから、否決した会派、つまり野党から10人が出てくる。

 だいたい、所管委員会のメンバーと議院運営委員会も出たかな。衆議院は国土交通委員会、参議院は、この場合、財政金融委員会だったのかな。いずれにしろ、そういうことで賛成の10人と反対の10人が出るわけです。形式的なのですね。議長は衆議院で取られてますから、反対が10人、賛成が9人、これでやることになりますけども、3分の2なければ成案と認められませんから、到底成案はできない。

 従って、そういう賛成会派と反対会派からそれぞれ10人ずつ出すんじゃなくて、もっと違った出し方をするというように変える方法もある。それが無理だとしたら、せめて、実質的に党議を変えることのできる立場にいる人、それは例えば幹事長であるとか、あるいは政調会長であるとか、そういう人が出て、そして、本気の議論をすれば、これは私は成案を得ることはできない相談ではないと思っております。これから先、そうした調整が衆参議長の大きな役目になってくるんじゃないかなと期待をしております。もっとも、本当の期待は、両院協議会を開かなくても片が付くようにということですから、これは議長は言っちゃいけないのかな。

 衆参がねじれるというのは、これは当たり前というか、普通のことなんです。たまたま、今まで、過去3回しかなかったことのほうが実は珍しいんで、衆議院と参議院は別の議院ですから、別の選挙をやるんですから、その時々の国民の気持ちによって、参議院では野党が多数になるということがあっても何の不思議もないんです。しかし、衆議院で、与党が3分の2以上を持ってるっていうのは、これはないですね。いまだかつて、恐らく、この小泉郵政選挙で与党が3分の2を取った前回の総選挙以外はないんじゃないでしょうか。

 ですから、このようにめったにない衆議院の与党3分の2の多数にものを言わして、参議院をねじ伏せるというのは、衆議院の多数の方に国民の支持があり、参議院の抵抗が国民に批判されてるというようなことであれば、やっても良いでしょう。しかし今は逆に、衆議院は3年前、参議院は去年が選挙ですから。直近の民意という理屈にはいろいろ議論がありますが、そうは言っても、やっぱり参院選で示された民意が最新であり、べつに国民が参議院はけしからんと言ってるわけじゃないんですから、やはり、ここは3分の2にものを言わせて参議院をねじ伏せるんじゃなくて、この両院協議会、その他、いろんな方法はあると思うんです、ねじれを解消して、衆参の合意を形成する方法は。そういう努力こそ今この時期にやってないと、そして知恵や経験を蓄積しておかないと、これは大変もったいない時期を徒過してしまうという気がするんです。

 次の総選挙で、3分の2を与党が維持するであろうというような予想はどこにもありません。政権交代になるだろうという予想は多少あるけど、そうはならないだろうという予想もあります。しかし、3分の2を割ることは、これはもうほぼ確実ですよね。仮に今の与党が政権を維持するとしても、そのときになって慌てて、これから話し合いをと言ってこられても、それこそ、今、かなりこじれましたから、このこじれを直していくのには時間が相当かかると思います。

 どのくらいこじれたかといいますと、議長公邸というのがありまして、サクラが大変きれいなんです。2階のベランダから見るとサクラが左側から目の前に迫ってきて、下を見ると、見事に180度サクラが満開で、夜など、これをライトアップすると、本当に桃源郷ならぬ桜源郷、サクラの天国みたいな。

 ここで毎年、全参議院議員を集めて、サクラ見物のレセプションをやるのが例になっていたんですが、今年はやめようということになりましてね。あんな議長のレセプションに行けるかと言われても困るし、来られても、あっちでもこっちでも口げんか、口げんかぐらいならまだいいけど、それこそレスリングでも始まったら大変なんで。そのくらい実はこじれていましたし、今もまだそのこじれはそう簡単には直っていないと思います。

 与党の立場も分からないわけではありません。日銀総裁まで何日も空席っていうのは、これは与党としてはやっぱり嫌だったでしょうね。空席がいいわけじゃないんですが、しかし、議長がそこまで踏み込むのもどうか。野党の立場も、これもやっぱり理解できないわけではないんです。武藤敏郎さん、私も昔からよく知ってます。大変素晴らしい人です。しかし、武藤さんが、私はありだと思ったけど、ノーだと決まりました。財務省の事務次官経験者を日銀総裁に持ってくるのはよろしくないというのは、それも一つの考え方でしょう。

 それがバツになって、その次に、田波耕治さんもよく知ってます。この人も優秀な人です。しかし、武藤さんが駄目で、その武藤さんが入ってた引き出しを開けてみたら、ちょっと古いけど、もう一人いたというんで、やはり大蔵省の事務次官をやって銀行へ天下りした人、天下りって言うと怒られるかな、田波さんをほこりをはたいて持ってきたら、それはやっぱり民主党はイエスとは言えないですよね。民主党の立場としたら、とにかく考えてみたら本学の悪口になってしまうかも知れないけど、やっぱりもう、明治維新以来というか、東大ができて以来かな。東大法学部で、優秀な成績で官僚になってる、しかも、財務省、大蔵省へ入って、次官レースに勝ち上がった、そういう人間ばっかりを中枢に据えて、この国はずっと制度設計と運営とをしてきた。それがまずいんですよということを民主党としては言いたいわけです。やっぱりそこは、私は当たってると思います。

 結果として、白川さんという人に日銀総裁は落ち着いて、後からいろいろ話を聞くと、いやいや、いろんな大騒ぎがあったけれども、結果的に非常にいい日銀総裁になったということを聞いて、ちょっとほっとしているところです。

参議院議長としての1年間を振り返って
 そんな具合で、いろいろ苦労しておりますが、こんなこともあるんですね。決算。これも参議院で否決をしました。決算というのは、法案と違って、衆参共に承認されなければ、決算の承認ということにならないんです。国会としては決算の不承認という。不承認だったらどうするの、そんなこと言ったって、もう金を使っちゃってるんだからどうにもならんと、そういうことなんです。どうにもならないんで、政治責任が生じるだけなんですけども。

 ただ、予備費を不承諾にしたんです。そうすると、これは憲法に明記してあるんです。予備費については、事後に国会の承諾を得なければならないと憲法87条2項に特に明記してあるのですが、その要件が満たされないということが確定したんで、これは予備費の支出が憲法違反ということが確定してるんだけど、使っちゃったらしようがないということになるんでしょうか。何かなきゃおかしいんじゃないかなという気がする。せめて、内閣が声明でも出して、大変申し訳なかったとか、何とか言わなきゃいけないんじゃないかという気がするんですが、そんなことはしていません。

 1年の間に、歴代の議長が経験しなかったことを次から次へと経験させていただいております。その中でも最高といいますか、一番得難い経験というのは、6月に福田内閣総理大臣を問責したということです。今まで、内閣総理大臣に対する問責決議は何回か出ましたが、全部否決です。可決したのは額賀防衛庁長官の問責だけで、このときには、しばらくして額賀さんが辞めました。そんなものは法律に何の規定もないんだからと、福田内閣は無視しました。

 しかし、私どもは、これは法的に何の根拠もないと思っていないんで、日本の議院内閣制は衆議院内閣制ではありません。国会内閣制です。衆議院と参議院の議決が異なったときには、衆議院の指名が国会の議決になると書いてあるのであって、あくまで国会の議決なんです。だから、河野さんと私とがそろって天皇陛下のところへ内奏に行くんです。

 そして、憲法には、内閣は国会に対して連帯して責任をと書いてあるんで、責任を取る相手方は国会なんです。その国会の一院を参議院は構成してるわけですから、従って、問責の法的根拠はあると。ただ、法的効果についての規定はない。従って、内閣は総辞職をするとか、国会をすぐに解散するとかいう必要は、これはもちろんありません。必要ないのに解散したのが小泉さんですけど、ありません。

 逆に言えば、これは問責をした野党も、もう問責をしてしまったんだから、そんな総理大臣を相手にしちゃいけないんだと決めつける必要もありません。問責というのは政治的なアクションであって、そこは、ある意味での裁量の幅がある。参議院に呼びつけて、さらに一層問い詰めようとやったってべつに構わないんです。従って、通常国会が終わった段階で、臨時国会も問責の効果が残ってるから、福田総理は参議院には入れさせないなんて主張もありましたけど、それはそんな必要はない。次の臨時国会には堂々と、さらに一層、参議院らしさを発揮すればよろしいと私は言っていたんです。

 しかし、やっぱり、歯牙にもかけない、無視するというのは良くない。これを無視したもんですから、とうとう82日目にして問責のボディーブローが効いて、福田さんが辞めることになったということかなと思っております。戦前でしょうか、貴族院で問責を受けた内閣があったそうで、そのときには内閣が声明か何かを出したっていうんです。せめてそのくらいはしていただきたかったと思っております。

 いろんな経験をしまして、唯一経験していないことがあります。それは可否同数の議長裁定。しかし、1票差というのは何回かありました。3回あったかな。1票差は何回かあってひやひやしました。可否同数の時には、民主党出身の議長だから、民主党の言うとおりにしてくれればいいじゃないかと民主党のほうでは思ってたみたいです。しかし、それはリーガルマインドとはちょっと違うんで、やはりここは、可否同数の時にはきっちりと説明できる理由法律が、皆さんにもそうかと納得していただけるような、そういう理屈がなきゃならんと思っています。可否同数の時には消極といいますか、現状維持というのがルールだと考えています。

 以前、1回、可否同数があって、そのときには河野謙三議長の時。河野さんは、そんなルールがあることは知らなかったそうです。だから、慌てず騒がずそれは可決だと言ったそうです。

 しかし、私はそのルールを知ってるもんですから、やはり、それを知っている以上は、知らないというわけにいかないんで、現状維持にすると。ただ、現状というのがよく分からないんですね。例えば、インド洋での給油、これを継続するという法案が出てきた。これは否決したのですが、これに対する民主党の対案が可否同数になりかけたんです。そのときに、法が失効して、現に給油していないわけですから、していないということが現状なのか、それとも、法は失効して、まだ何カ月かしかたってないんで、その前までずっと継続してるわけですから、アフガン制裁の国際協力のために何かをやるというのが現状なのか。これは分からないです。1票差で決着がついたから、そのときの答えを言うと、何か、種明かしみたいになりますから言いませんけど、そのような悩みがまだこれからもいろいろある。

 民主党だけだと過半数になってないんです。ですから、民主党もあまり議長はおれのところだからといって威張られても困る。これは民主党の皆さんに折に触れて申し上げるんですが、つい力を誇示したくなるんですね。そこが一番の悩みです。

 ということで、このへんで終わらせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

【「東大法曹会」会報6号掲載】

江田五月先生(参議院議長)プロフィール
  1941年
1966年
1968年
1977年
1977年

1993年
2003年
2007年8月より
岡山市生まれ
東大法学部政治学科卒(丸山真男ゼミ)
判事補任官(〜1977年)
弁護士登録(現在岡山弁護士会所属)
社会市民連合代表・参議院議員)
以後衆議院議員を4期務め、現在参議院議員3期目
細川内閣で科学技術庁長官
民主党副代表(〜2004年)
第27代参議院議長

以下、江田先生ホームページ「江田五月 新たなる出発」から引用
趣 味
好きな言葉
水泳(範士、神伝流九段)・書道(玉龍会会員)
もともと地上に道はない。みんなが歩けば道になる。
尊敬する人 人の評価を求めず、自分の信念に従って陋屋(ロウオク−あばらや)に笑顔で暮らす人/坂本竜馬
著 書 『出発のためのメモランダム』(毎日新聞社 1978年)
『国会議員 わかる政治への提言』(講談社現代新書 1985年)など
 

2008年9月26日

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